第8話 成長

 老師は白い髭に触れながら、赤い瞳を光らせた。彼は齢九十にして、魔法省の最高責任者である。

 思わず緊張が高まり、背筋をピンと伸ばす。


「中止にするも何も……わしはそのような実験をするなどひとことも聞いておらぬ」


「え……」


 私たちは顔を見合わせた。

 老師は葉巻に火をつけた。薄紫の煙がふわりと上る。


「わしは古い人間じゃ。魔法なんてものができたのは

 この半世紀以降。それまで人間は自分たちの能力だけで暮らして来たんじゃよ」


 煙は紫から薄緑に変わり、やがて薄くなり空気に消えた。魔法の力で、時間経過によって風味が変化する仕様である。


「我が国は魔法を扱える人間が少なく、隣国に遅れを取っている。希少な魔法使いを増やすべく、人工生命体の生成が行われたのだろう。ヴィクトリアに“魔法核の実験をしても良いか”と聞かれたわしは、許可を出してしまった。それが、魔法核を使用した人工生命体の創造だと知らずに」


 老師は古びた絢爛な椅子に腰かけ、煙に巻かれている。隣には同じ椅子がもうひとつ。過去に愛する人が座っていたという噂だ。


「わしはなぁ、オリヴィエ、ノーマン。魔法など無くても良いと思っている。魔法など無くても、わしは充分満ち足りた人生を送ってきたからのぅ……。贅沢じゃ。贅沢極まりないわ」


 私たちに順番に目を向け、マティアスと目が合うとニコリと目を細めた。


「ヴィクトリアがノーマンの子供を望む実験を、他の上層部は止められなかったのじゃろう。わしに、夜の話を自慢してくる奴もおった……身体を売っていたのだと、今なら分かる」


 老師は葉巻の先端グリグリと灰皿にこすりつけた。


「生殖技術も進歩している。だが、やはりそこに愛は必要だと、わしは思う」


 杖を持つ手にに力を込め、ゆっくりとこちらへ歩いて来る。


「わしの時代は終わった。そろそろ潮時だと思っていたんじゃ。君たちの席に、どうかね」


 老師は手のひらを上に向け、椅子を差した。


「わ、私が責任者をやれってことですか!? む、無理無理無理です! 私は下で言うこと聞く方が合ってます!」


 私はノーマンを椅子に座らせた。


「……」


「適材適所って言うじゃん」


「お前なぁ……」


 ため息つきながらも、ノーマンは少し頬が緩んでいる。彼が、上に立つ事が嫌いじゃないことは何年も前から知っている。


「私が責任者になった暁には日曜日の食堂メニューをドーナツに変えます。月曜日はミルフィーユ、火曜日はパイ……」


「俺がなります」


 私たちは一斉に吹き出した。

 窓から早朝の少し冷たい風が流れ込んでくる。


「マティアス、ほら見て! あの街が私とノーマンの故郷。キレイでしょう! マティアスも一緒に行こうね! しばらく帰ってないんだ。孤児院のみんなにマティアスのことも見せたいの!」


 声をかければ、マティアスは一瞬固まり、花のような笑顔を浮かべた。


「うん! 僕も行く! 連れてってお姉ちゃん!」


 マティアスの弾ける笑顔に、私は大きく頷いて小指をかざした。


「うん、約束!」



 ※※※ 


 あの日のマティアスとの約束は、時が経っても私の心の中にある。

 マティアスは私たちの子供だと、今なら堂々と言えるよ。孤児院で育った私とノーマンを強く結んでくれた、大切な宝物だから──


 

 

「だから! 俺たちだけで納得してはいけません。国民の声を聞くべきです」


 塔の真ん中からノーマンの声が聞こえる。

 数年経ち、幾度に渡る会議を繰り返し、ようやく魔法省の新しい方向性が定まってきたところだ。

 私はというと、ずっと手がけていた研究にやっと一区切りがついたところ。


「前世の私が知ったら驚くだろうな」


 私は忍び笑いをした。

 今になって昔の時代を思い出すのは、マティアスやノーマンを絶対に離すなよって、前世の私からのメッセージだったのかも知れない。


「オリヴィエ、久しぶり〜!」


「サラさん!」


 私は研究をする手を止め、手袋を外した。

 かつてノーマンの部下であったサラに抱かれているのは彼女に良く似た娘。横にいるのは大柄でクマさんみたいな旦那さん。


「わぁ! 大きくなってー! 抱っこしていい?」


「いいよ。特別だよー?」


 そっと背中に手を入れ、胸元に引き寄せる。

 ミルクの甘い優しい香りがした。


「かわいいー!」


「ふふっ。オリヴィエも早く結婚すればいいじゃない。彼なら素敵なパパになれるわよ」


「サラったら!」


 私は真っ赤になったのをごまかすように、小さな赤ちゃんを抱き上げた。


「そういえばリサ……いえ、ヴィクトリアは修道院へ送られたそうよ。老師夫妻は子供に恵まれなかったから、彼女の気持ちが分かったのかも知れないわね……」


「そう……」


 魔法省は大改革を行った。

 その最もたるものは、開かれた研究室になったことだ。人工生命体はもとより、家畜や爬虫類を使った動物実験も見直されることになった。


「魔法は人々の暮らしを豊かにするもの。だからといって、代償として苦しむ命があってはならない。もう二度と、過ちは繰り返さない」


 ノーマンは真剣な眼差しで、就任式で語っていた。

 階級制度を色濃く残していた白衣を廃止し、ピシッとした紺のスーツに身を包んだ彼の姿は一段と眩しく、目が離せなかったことを思い出す。


 これまでの上層部を一層し競争を望まない人材を多く配置したことで、他国と争うのではなく自国をより良くするという意識が広まった。


「あなたの講義も面白かったわよね。これまでハイレベルで理解できなかったことも、噛み砕いて教えてくれたし」


「それ、遠回しに馬鹿って言ってる?」


「まさか」


 サラは声高く笑った。

 

「あ、マティアスくん! どこ行くの?」


 ちょうど階段を降りてきたマティアスに、サラは声をかけた。彼は濃青の髪を短く切り揃え、爽やかな雰囲気の青年になった。


「今日は街で簡単な魔法講座をするんです。最初は僕でいいのかって怖かったけど、僕でも役に立つのが嬉しくて」


 マティアスは声を弾ませている。

 精神年齢七歳ほどに成長したマティアスはだいぶ会話ができるようになって、もうほとんど私たちと変わらなくなった。


「うちもこのあと行こうかしら」


「ぜひ!」


 身体の年齢は三十を過ぎた彼は、二九歳のノーマンと並ぶとどちらが上なのか分からない。そっくりな外見は、たまに呼び間違える人もいるほどだ。

 でも、見た目がどう変わったって大切な存在には違いない。


「私も行こうかな。大事な話があるの。終わったら家族で食べに行かない?」


 私はマティアスを見上げた。


「大事な話……?」


「あのね、ついにあなたの成長を抑える魔法陣が完成する目処がついたの! 過剰成長の原因となっている遺伝子を特定したから、あとは周りの遺伝子情報を保護しながらぶっ壊すだけ! 私たちと同じ時間が流れるようになるよ! それともうひとつ……」


 そこまでいいかけて、まだ研究室にいることに気が付き、私は口をつぐんだ。


「もうひとつは、いつもの酒場まで秘密」


「えー?」


 私はお腹に手を当てた。微かに動く命は、誰かに造られたものでは決してない。


 国民が訪れるようになり、にぎやかな魔法省の研究室に、明るい春の日差しが降り注いでいる。 

 

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はじめてのかぞく。 nanan-chan @mizuharariku

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