はじめてのかぞく。

nanan-chan

第1話 幼なじみの天才上司

 妄想は希望だ。

 夢の中ならなんだって許される。


 優しい家族と囲む温かなクリームシチュー、お皿には焼きたてのパン。グラスには赤ワインなんか注がれちゃったりしてね。

「あちっ」

「フーフーして食べるんだよ」

「ふーふー?」

「そう、こうするのよ」

 スプーンですくったシチューにそっと顔を寄せた私は、ふと異変に気付いた。

 シチューではない。

 グツグツと煮える、紫色の何かだ。


「やば、実験中だった」


 現実に戻ってきた瞬間、足元の魔法陣は音を立てて爆発した。


 ドーーーン!!


「きゃあああ!!」


 突然の爆発音が室内を揺らし、職員は一斉に持ち場を離れた。床に書かれた魔法陣からは白煙が上り、煙たい嫌な匂いがする。着ていた白衣には魔法陣の破片が浅く突き刺さってザラザラし、私は思いっきり頭を振った。

 ここは魔法省の入る大きな塔の研究室の一室。冷静で落ち着いた人間がトップになれる組織だ。


「あー、集中力切れた……」


 私は右手でハンカチを口元に当て、左手に設計図を握りしめながら、爆発現場である実験場所に戻った。

 魔法陣は、集中力が出来栄えの鍵を担っていて失敗は許されない。一筆書きの一発勝負であり、集中力がない者やそそっかしい者はこうなってしまう。


「何をしようとしていたのだ」


 ため息をつく声がして、私は後ろを振り向いた。


「あっ、ノーマン! 見てこれ!」


 黒い開襟シャツに白衣を着たノーマン・ヴァルザーという青年に、私は小走りで駆け寄った。


「この魔法陣、どうしても魔法攻撃を防げないの。防ごうとすると自分に跳ね返って暴発して、運が悪ければ木っ端微塵に……」


「そんな危険なもの作ろうとするな。貸せ、俺が確認する」


「私もできるってば」


「ダメだ。お前に任せると今度は塔が消える」


 ぐうの音も出ない。

 ノーマンは私の手から設計図を奪い取ると、魔法陣をじっと見つめた。腰まで伸びたサラサラの深海色の髪をひとつに束ね、魔法省職員の制服である白衣を着ている。純白に近いほど階級が高いと言われている白衣の色はオフホワイト。顔が整っていながら、仕事もできる長身の男。

 幼なじみの私以外の女性には「了解」や「否」など、必要最低限の会話しかしないのに、女性職員にも人気があるのも頷ける。


 私は自分の身体を見下ろした。

 私の白衣の色は瑠璃紺色。つまり、底辺である。


「んー、どれどれ。あ、ここの数式が違うな。お前本当に十八歳か?」


「十八です!!」


「八歳の間違いじゃないか?」


 少々過保護で口うるさいところがなければ、“良いお兄ちゃん”なんだけど。


「八歳には分かりにくいだろうから、噛み砕いて教えてやろう。まず導入の公式が違ってだな……」


 私はノーマンの横に並ぶように腰を下ろした。

 スッと綺麗な鼻筋の下で動く、薄くて形のいい赤い唇なんだか色っぽく見えて、他のパーツに目を逸らした。

 ノーマンなんて同じ孤児院で育ったただの兄貴分に過ぎないのに、最近は大人の男性みたい。


 小さくて弟のようだった身長も伸び、頭に顎を置かれるたび、彼との身長差を実感する。

 直毛過ぎてゴムが滑り落ちるからと言って、彼自身ではなく私の髪で遊んだりする。そうして自分好みのヘアスタイルを作って、満足気に拍手したりする。


 こんなこと、幼なじみじゃなければ許されない。

 いや、幼なじみだって、イケメンじゃなかったら許してないぞ。


「顔が良いって得よね……」


 私はポツリ呟く。


「顔?」


「あ、えーっと……ま、魔法陣のメイン文字列のこと! い、一番目立つところ私はそう呼んでるんだ!」


 適当に言い訳すれば、ノーマンは突如瞳を輝かせた。


「いいアイディアだな! 顔かぁ! 確かに、魔法陣は同じ数式を使っても描く人の描き方の癖があって、ひとりひとり仕上がりは違うんだよ。まるで人間みたいだろう? 同じパーツを持って生まれるのに、僅かな位置のズレで美形になったり醜形と呼ばれたり……オリヴィエはそういうことを言っているのだろう!?」


 ノーマンは息を弾ませている。

 魔法陣の羅列を顔だと思ったことは一度もないが、気分がいいみたいなので黙っておこうとした。


「……いや。待て。君が数式を語ることなんてないはずだ」


「ひぇっ!?」


 心臓が飛び跳ねた。


「……よく考えてみれば、これは防御系魔法の魔法陣ではないか。君は攻撃系の担当に就いているよな。何故君が、防御系魔法の研究をしているのだ、オリヴィエ」


「お、お役に立ちたいなーっと思いまして」


 礼節や慣習に厳しい魔法省の中で、ノーマンは私に親切にしてくれるのだ。


 ほとんどの人が魔法を使うことができるけど、使いこなせる人は限られている。私はそのひとりだ。ノーマンや上層部の役員たちには到底敵わないが、他の職業に就くよりは向いてるんじゃないか。そう思って、魔法省にしがみついている。

 魔法省では上層部ほど塔の上階に研究室があり、私はしばらく地上一階という下っ端の下っ端だった。

 ところが数年前、この十五階に異動になった。理由は分からないが、受かったらこっちのモノである。


 ノーマンは立ち上がり、冷めた目で私を見つめている。黒い瞳が、さらに黒くなったような気がする。


「防御は誰の専門分野だったかな」


「ノーマンさんです……」


 彼は省内で防御魔法の研究者として働いている。

 私たち、魔法省職員の仕事は、魔法陣をより使いやすく改良することなのだ。


「最近、研究詰めで夜遅くまで残ってるから心配なんじゃないですか。少しでも減らしてあげたくて」


「よく分かってるじゃないか。では、何故自分の担当である攻撃系魔法の研究ではなく、俺の分野に手を出したのかな? 30秒以内で答えてくれるかな?」


「い、いや、それはあの……」


 ノーマンが作り笑顔で私に迫り、首筋に汗が流れた。

 ふと横を見れば、研究室の同期たちがクスクスと笑っている。

 実は、彼らに勧められたのだ。

 ミスが多い私でも防御系なら出来ると。失敗しても大した被害にはならないからと、ノーマンのサポートを勧められたのだ。


「騙された……」


 私は拳を握りしめ、必死で言い訳に頭を巡らせる。

 騒ぎを起こしたくはない。

 魔法省は、簡単に就職できるところではない。

 何を気に入ってもらえたのかは不明だが、ポンコツの私を雇ってくれているのだ。お金、安定、福利厚生を手放すわけにはいかない。


「ノーマンみたいになりたいから!」


「……俺に?」


 ノーマンは目を見開いて首を傾げた。


「そ、そう! ノーマンくん! ノーマンくんは仕事のできるイケメンでしょ? あなたの下で働けて、実はすごく幸せだなって思ってるんです。仕事はちょっと厳しいかも知れないけど、それが愛情の裏返しだって、私知ってます。私も、ノーマンくんと同じ防御魔法に、少しでもいいから携わりたかったの……」


 私は、過去に彼に叱られたことを思い出して目に涙を浮かべながら上目遣いで訴えた。

 嘘ではない。

 同じ孤児院で兄妹きょうだいのように育ち、一応、彼が厳しいだけじゃないこともちゃんと知っている。


 少し歳上のノーマンは、長い間男子部屋の室長をしていた。女子部屋の室長は厳しい人で、服を脱ぎっぱなしにしてたとか、お皿に洗い残しがあったとかでよく叱られたものだ。そんなときは、食事や掃除、学習の時間に彼の元へ会いに行った。


「オリヴィエ。俺と競争しよう。どっちがキレイに洗えるか女子室長に見てもらおう。勝ったら朝のコーヒーにホイップクリームサービスだ」


 思い返せば彼はいつも、私を支えてくれていた。


「……分かった」


「え?」


 ノーマンは不意に私の頭を撫でた。

 長い袖口から、白樺の匂いがふわっと香った。


「だが、防御魔法の手助けは足りている。君の能力を活かせる仕事を見つけて来よう」


「能力……ですか?」


 私はミスの多い問題児。

 名を上げるどころか後輩にも後を抜かされ、それでも今の居場所にしがみついているだけだ。


「ノーマン様、オリヴィエさんに得意分野なんてあるんですの?」


「そうですよ! いっそのこと、ここの研究室から追い出して魔法省の掃除や雑用などの下働きでもさせた方が皆のためです!」


 女性たちは林檎のようなたわわな胸元を揺らし、ここぞとばかりにノーマンに詰め寄った。

 薔薇の香水の匂いでウッと息が詰まる。


 ノーマンは魔法省の中でもエリートコース、ついでに美形で、目で追っている女性も少なくはない。目立った取り柄のない私が彼とよく話しているのを快く思っていないのだろう。睨まれることも多々ある。

 私は彼女たちを横目に苦笑いした。


「皆のためなぁ……」


 ノーマンは研究室をぐるりと見渡し見渡し、腕を組んだ。


「サラ、リサ。少なくとも俺はそう思っていないが?」


 彼は酷く低い声で彼女らを威圧した。

 名を呼ばれた女性たちはビクッと肩を震わせて、一斉に言葉を失った。

 研究室は静まり返り、ぶくぶくとした機械音の音がするのみ。

 ノーマンはコツコツと靴を鳴らし、出入口の扉へと歩いていった。


「オリヴィエ。君が失敗ばかりするのは体質のせいだ。俺が必ず君にぴったりの仕事を見つけてくる。どうか辞めないでここに留まってくれ」


 言われなくても、留まるつもりだが。


「あ、え、はい! お、お待ちしております!」


 ノーマンは私の返事を確認すると、ニヤリと口角を上げて魔法省研究棟の廊下へと消えていった。


 女性たちの視線が痛い。

 能力差はあるが、私たちは同じ孤児院で育った幼なじみなのだ。こんなふうに仲が良いのは仕方のないことなのだ。




 三日ほど経ち、ノーマンは息を荒げて職場にやってきた。自慢の長い髪は垂らしたまま、目もなんだか充血してキマっている。


「ハァ、ハァ」


「どうしたんですか。変態ですよ」


「面白いものを見つけたぞ。魔法省の塔の地下に謎の生物がいる」

 

 ノーマンは目を細めて微笑んだ。

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