2-6
「キショククラブ……って知ってますか」
きしょくくらぶ。看護師と受付嬢が声を合わせて、脳内で漢字を組み立てる。
奇食倶楽部。
「ゲテモノ食いってあるじゃないですか。虫とか、は虫類を好んで食べる人。食べちゃだめなものほど惹かれて、むしろ禁じられるから食べたい、みたいな……」
「まさか」
冷や汗がほとばしる。珠貴さんにどうしたのと案じられるが、何も返せない。前職時代を思い出していたからだ。
口から虫を吐き出す
ところでその類の患者さんが、私の勤めていた大病院に血塗れで駆け込んできたことがあった。
彼いわく、連中は虫をよこせと迫ってきたらしい。
「ナイフとフォークをモチーフにしたエンブレムを持つ奇食倶楽部は、奇病患者の体から出た分泌物、またはその体を食らってやろうと奇病患者を襲います」
「体って……」
「私のところに駆け込んできた虫発生症の青年も体内の虫目的で襲われたそうです」
話に耳を傾けていた菜生さんは、私にうなずいてみせる。
「たぶん、その連中です……。頼輝は、下半身を刺身にするために襲われたんです」
下半身が魚とはいえ、上半身は人だ。そして私たちは、人魚病患者を人として見て、ともに日々を過ごしている。隣の家の住人かもしれない人魚病患者の下半身を、食べる。ウロコのついたその体は、人ではないと思っているのだろうか。
「愛理ちゃん、その奇食倶楽部って警察は捕まえないの」
「実は捕まえられない理由があって」
奇食倶楽部とは別に、彼らはもう一つの顔を持っている。
奇病患者の保護と共生を目的とした、いわば奇病患者人権擁護団体だ。
「彼らの言い分なんですけど、少しだけ与識先生と似ていて……さっきの虫発生症の患者を引き合いに出すとですね、その虫っていうのは実は人間にとってとても栄養価が高いんです。十匹そこらで成人男性一日分のカロリーが摂取できるくらい。つまりこの虫発生症の患者さんというのは、将来の食糧危機に備えた人類の進化ではないかと推測されているんです。この団体は奇病患者の有用性を訴えるグループで、行き場のないそうした患者たちを好意的に引き取る施設も作っているので、表向きはかなり穏健派なんですよ」
「それがどうして急に暴力的になったりするの?」
「急というより、本来の目的がそれで、チャンスをうかがっているんです」
大勢の人が集まれば、グループはやがてコインのようになる。表の顔は裏の顔をまったく知らないケースも多いように、裏こそが表を牛耳っていることもある。
今回もそうした、本来の目的達成のための結果かもしれない。
「え、じゃあ……水守くんのって」
「おい、消毒終わったぞ」
カーテンの向こうから響く声に、菜生さんも促し、三人で診察室に入った。
「尾ヒレの指の傷だが、骨や神経に異常はない。ごく浅い切り傷だな。ワセリンで傷口の保護を定期的に行っていたのは正しい処置だ」カルテを書いていた与識先生が、菜生さんに顔を向けた。「あんたか、やったの」
「あ、はい」
「今日はもう帰っていいが、心配なら明日も来れば消毒はやってやる。どうする」
うつむく菜生さんと頼輝青年。
どうするも何も、私としては今すぐ水守と威月に連絡を取りたいのが本音だった。しかし与識先生は本人たちの意思を尊重している。私にとやかく言える資格はない。
「行くあてがないのか」
与識先生の救いの手に、二人はうなずいた。頼輝青年が、持ち合わせが少ないと言っていたのを覚えていたようだ。
「いいだろう。どうせ二階の病室は空いてる、一部屋貸してやるよ」
今日はどうしたというのだろう。与識先生が尋常じゃないくらい優しい。いや、私たちにはいつも優しいけれど、息子たちにとっては悪魔がポメラニアンの愛らしさに思えるほど恐ろしい人だ。
「泊めてくれるんですか」
「そう言ってるだろ。ただし一晩な、明日また消毒してやるから、そしたら出て行けよ」
「よかった、今日どうしようかと思ってたんです。菜生ちゃんよかったね」
頼輝青年は輝かしい笑みを菜生さんに向かって浴びせかける。そのまぶしさにやられつつも、彼女は腰を折って与識先生に感謝を述べた。
「よかった、ねえ菜生ちゃん」
「よかったよかったばっかり言わないで。あんたもちゃんとお礼言ってよ」
「あ、そうだね……。あの、ありがとうございます」
意欲を削がれながらも、頼輝青年もまた先生に謝意を告げた。つり目の彼女はどうやら見た目どおり厳しいらしい。
「恋人、ですよね……?」
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