2-4

 彼は自分の体に特別感傷を抱くわけでもなく、さらりと言いのけた。

 与識先生は休憩室に下がっていた珠貴さんと円花さんを呼び寄せる。円花さんが男性を背後から抱え上げ、珠貴さんと私が彼の下半身を巻く布をはがす。タオルが三枚と、大きめのビニールはゴミ袋だ。下半身が乾燥しないように、陸上を移動する人魚病患者はワセリンを塗りたくった上にビニールで包み込む。さらに人目につかないようタオルを巻けば、半身不随の車いす利用者となる。


 下半身の魚状のウロコは個々人によって色が異なる。この病気が発見された当初は、人種によって色が異なるのだろうという見解が出されていた。それは半分正解で、半分はずれ。人種ではなく、人の髪と瞳の色が一致するというように、人の髪の色とウロコの色が一致するのだ。ただ金髪碧眼という人種がいるように、例外もある。髪が白くてもウロコが黒の場合もあれば、真っ黒な髪に映える真っ赤なウロコというケースも確認されている。


 百聞は一見に如かず。私は人生で初めて、例外を目の当たりにした。


「きれい」


 恍惚とつぶやく珠貴さんは、たたんでいたタオルも取り落とす。まさしく見入っている。

 頼輝青年の下半身は、黄金に紅と黒を織り交ぜた、錦鯉のようなウロコを持っていた。


「ほう、人魚病でもなかなか見ない柄だな」


 円花さんにはやくビニールを取ってくれとせっつかれて、慌てて彼の下半身から袋を抜き取った。腕がぷるぷると限界を迎えていた円花さんは、看護師としての矜持で患者さんには優しい。たとえ腕が疲労で悲鳴をあげようと、ゆっくりと彼の体をおろしていく。その際、彼の尾ヒレは床にべちゃっとくっついたが、痛がられなかった。


「もし仮に人魚病を患ってなかったら、俺の息子と張り合えるくらい背が高かったな」


 どの息子だろう。心人さんと円花さんでも五、六センチは違うのだし、心人さんと水守にすれば二十センチ以上違ってくる。


「愛理、心人のことだ。それくらい分かるだろう。分かってやらなきゃあいつ今ごろどっかでいきなり泣き出すぞ」

「三十近い男がその辺でいきなり泣き出したら周りが怖がりますから、気にかかります」

「素直になれよ、俺の娘になりたくないのか」

「先生の娘は気が進みますけど」


 先生は冗談だよと話を切り上げて、頼輝青年に向き直る。


「人魚病の患者は思春期を前後に下半身を太くたくましくしていく。それは患っていない場合、人間の背丈を伸ばす成長ホルモンや声を低くさせ男の体にしていく男性ホルモンが、人魚病を患っているという前提条件のもと別に作用し、下半身の魚状の成長に一心を捧げるようになるからだ。魚社会でも体格の大きな雄の方が生殖行為に有利なことから、人魚病患者の下半身の成長はそれに起因していると思われている」

「先生、でもそれはお魚の場合じゃないですか。人魚病の患者さんは人ですよ」


 慈しみと深い情をたたえた珠貴さんの言葉に、与識先生は続ける。


「珠貴、なんで奇病が最近になってこうもポンポンと発見されるか分かるか。むかしは地球上を探しても一例しか見つからないとか、前代未聞だとか、そう言われていた病気も少なくない。今では知り合いをあたれば一人くらい変わった病気持ちのやつが見つかる時代だ。なんでそうなったと思う」

「ええー……ネットが普及して、世界中でのやりとりがしやすくなったからですかね」


 文明の途上により、他国と交流を閉ざしてきた国もあった。そうした地域では医療水準も著しく低く、三秒に一人が死ぬとまで言われていた。今では病気の疑いがあれば、遠隔診療が可能な病院が現地に作られ、医者は本国にいながら病人の診察ができるようになっている。変わった症状を訴える患者がいれば、専門医が遠隔診療によって病気を明らかにすることも可能になり、奇病患者を多く発見し――その見た目の嫌悪感で殺される幼い命も見過ごさずに済むようになった。


「それもなくはないがな。――俺は、奇病は人間の進化の一類だと思ってる」


 俺は、とつけるあたり与識先生らしい。すべての責任は自分であるとあえて明言し、重責もすべて背負い込もうという心意気。本当、娘になってもいい。


「この人魚病なんてまさに顕著だ。地球温暖化による海面上昇で、ついに陸地を失ってしまった島国もある。このまま海面上昇が続けば、いずれ地球は水に飲み込まれる時代が来る――かもしれない。ここが重要だな。来るかもしれない。来ないかもしれない。だが万が一来た場合、どうすれば人類が生き延びられると思う?」

「……海に出るってことですか」

「そうだ。俺の息子たちを思い出せ。全員ろくでもないどら息子だが、個々変わった性格と特徴を兼ね備えている。あれは俺の遺伝子がこの先の未来を予見しつつ、どういった世界になるか分からないために、ああいう幅広い性格と特徴を持つ男たちになったんだな。当然、生殖機能も有している。あの連中でも子孫を残せるチャンスってのはあるんだ。俺の息子だけじゃない。死刑囚でも自称神でも、契機さえあれば子供は作れるんだ。なぜか」

「極端な話、人類がみんなB型だった場合、B型だけを殺す病気が流行したら絶滅してしまうから、ですか」

「俺の娘と娘候補はすばらしくて涙が出るね」


 娘とは、体が男性でも心は女性の円花さんを指し、娘候補とはそんな円花さんと恋仲の珠貴さんを指している。……たぶん、私も入れられているのだろう。サングラスがこっちを向いて、ふふんと口角をあげた。ともかく先生はご機嫌のようだ。


「そういうわけで、人魚病の患者はここ数年罹患者が増えているんだろう。だから俺は人魚『病』という言い方が非常に癪に障るんだがな」

「もし陸地がなくなって人が海で生きるしかなくなったとき、海で強く生きられる体を人は求めるようになるから、女性はいずれ下半身の立派な男性に惚れるようになる時代が到来するんですね」

「そうだ。愛理がいくら心人に惚れていても、その下半身が魚じゃなく二本の脚だった場合幻滅する――そんな時代が来るかも知れないんだな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る