3日目
お気に入りの可愛い服が着られなくなって体も大きくなった。そして私は学校に行くことになった。もう五年間学校へ行っているのだが、正直何のために行っているのか分からない。だってもう知っているんだもの。お父さんもお母さんも厳しくて、小さい頃からずっと勉強をさせられてきたからだ。でも勉強は嫌いじゃなかった。新しいことを知るのはとても楽しい。先生の話を聞いていれば強い風が入ってきて、窓を見る。だけど私が見えたのは空いている窓の近くにいた女の子だった。すごく綺麗な長い髪の毛が風に靡いていて、太陽の光でキラキラ光っていた。その瞬間私は彼女に心を奪われたのだろう。目が離せなかった。心臓がうるさく鳴り響く。世の中で言う恋というものをしてしまったのだ。そこから私の行動は早かった。すぐにその子と友達になって、いろんなことを知った。私と同じで大きなお館に住んでいて、ペットの犬がいること。勉強が嫌いなこと、ロールケーキが好きなこと。その子を知る度に心は温かくなって、絶対に忘れないと誓う。すごく幸せなの。ある日私のお家にその子を招くことにした。お手伝いさんは私が友達を連れてきたことに凄く喜んで、たくさん準備してくれた。あの子が好きなロールケーキを作って、部屋も凄く綺麗にした。始めは私もその子も凄く緊張した。だってお家に友達を連れてきたことなんてなかったし、好きな子となれば尚更緊張していた。
「初めてお友達の家に来たから凄く緊張するね」
あの子もそう言ってはにかんでいた。でも少しずつ慣れてきてごっこ遊びやおままごと、パズルをした。勉強は嫌いだと言っていたのに、パズルを解く表情はすごく真剣なの。私はついパズルなんか放ってその子の真剣な表情を見ていた。この部屋には私とその子しかいないから、その日は独り占めできて凄く嬉しかった。また遊びたいな。
――ゆっくりと浮き上がるように目が醒める。昨日と同じ女の子の夢。なんで二日続けて同じ子の夢を?この館が俺に何かを伝えたいのか?何も分からない。伝えるにしても今回の夢は子ども特有の楽しい恋愛の話だ。――あの子は本当に彼女のことが好きだったのだろう。彼女を見る目や感情は紛れもなくキラキラとして温かかった。そっか、この子も……。布団の隙間から冷たい風が吹いて意識を現実へと戻す。そうだ、今は微笑ましい夢に浸っている場合ではない。起き上がって周りを見る、寝る前と変わらず異様な空間だ。そして昨日の出来事を思い出す。れーさんの言うことが確かなら。ベッドを見渡して血の気が引く。また一つ膨らみが見当たらない。あそこで眠っていたのは……れーさんだ。俺は勢いよく飛び起きて探しに行きたい気持ちをなんとか抑えつつ隣で何も知らずに寝ている優真とりょーさんを叩き起こす。二人に反応があったので冷たくなっている指先を無視して智哉を揺さぶる。その間にゆーさんは目覚めたらしい。誰がいなくなったのかを確認して顔を青くさせている。皆が動ける状態になったことを確認してゆーさんの手を引っ張る。誰も何も話さなかった。全員が静かに隼がいた部屋を目指し歩く。気持ちが先走ってどうしても早歩きになっているのに誰も指摘しなかった。昨日はあんなにも見つけられなかったというのに、今回はすぐに曲がり角を見つけた。無事でいてほしいという気持ちと、見たくないという気持ちがせめぎ合うが、意を決して曲がり角を曲がる。昨日と同じステンドグラスが反射して色とりどりの教会の真ん中にれーさんはいた。
「れ……蓮……?」
隼と同じように何かに逃げられないようにきつく縛られていた。あまりにも静かに佇むれーさんからは生きた音が全くしない。その状態が何を指すかもう分かりきっていた。だからゆーさんは嘘だと呟いて壁まで後ずさる。そして壁へ力なくもたれ掛かり、ずるずると床へ座り込む。俺も信じられなくて、信じたくなくて立ち竦む。
「そんなわけ……嘘に、決まって……」
信じられない光景にゆーさんは震えた声で笑った。それでも顔は絶望に塗れていた。足を折りたたみ震える両手で頭を抱えた。俺はそんなゆーさんを見ていられなかった。ゆーさんが言っていたことを思い出す。「誰かが冷静でいないといけない」でもゆーさんを見ていたら俺まで立ち上がれなくなりそうだった。視界を外した先にはりょーさんがいて、凄く悔しそうに唇を噛みしめていた。手も爪が食い込むぐらい握りしめられていて白くなっていた。――俺ももう無理かも知れない。冷静でなんかいられなかった。ゆっくりとれーさんに近付く。隼と同じでどうしてか抵抗した跡は全く見られなかった。手を伸ばせば触れられる距離まで来た。そしてれーさんを見て目を見開く。彼は穏やかに微笑んでいた。まるでこれで良かったのだと言っているかのように。
「……っ、なんでだよ……」
これで良いわけがないだろ。あんな言葉を俺に言っておきながら、どうしてそんな顔ができるんだよ。なんで諦めてるんだよ……なんで、受け入れたんだよ。悔いはないみたいな表情をするなら……俺にお願いなんてする必要なかっただろ。昨日の出来事がフラッシュバックする。図書館で情報収集をしていたときだ。
『あのな、次に死ぬんは多分俺やねん。だから少しだけ聞いて欲しい。……こんなこと悠くんに任せるなんて駄目なんやろうけど、ゆーさんと怜を支えてあげて欲しいんや。多分二人とも無理して動くと思う。だから悠くんが支えてあげて。……ごめんな、こんな重大なもの押しつけて』
でもこれは悠くんにしか頼めへんと思ったから。そう言って優しく微笑んでいた。今と同じように。きっとこの時から諦めていたのだろう。自身が犠牲になることを甘んじて受けようとしていた。――こんなのってありかよ。どうして、隼もれーさんも悪いことなんて何もしていないというのに。どうして俺は分かっていながらも誰も助けられないんだ……。……なんでだよ。悲しみと絶望が押し寄せて俺は溺れていく。れーさん、あんたが望んでいたのはこれだったのか?本当にこれで良かったって言えるのかよ。ゆーさんもりょーさんも、俺たち全員動けなくなっているんだぞ。なんで自分の死は悲しまれないと思ったんだよ。素直じゃなかったけど、俺られーさんをたくさん頼ってたんだ。ゲームだってここに閉じ込められたときだって、暴走しがちな俺をなだめてくれたのは一体誰だよ……。隼を探すときに動けなくなる俺を後ろから優しく押してくれたのは誰だよ……。ずっとずっとれーさんを頼っていたんだよ。恐る恐るれーさんの手に触れる。とても触るだけでこちらも凍えるような冷たくて力の入っていない手だった。れーさんが昨日まで生きていたことさえも否定する冷たさだ。――あぁ、れーさんはもういないんだな。あの温かい手はどこにもない。立ち止まったときに背中を押してくれる人はもういない。後ろで静かに見守ってくれる人はもういない。元々不安定だった足場がそれを認識して崩れた。頬に冷たい物が流れる。
「れー、さん。どうしよう……俺、もう動けないよ……もうどうしようもないよ……助けて、蓮さん」
助けを求めるこの言葉は震えていて、聞かれていたら情けないと笑われていたのだろう。それでもいい、笑ってくれて良いから……助けてよ。れーさんのお願いも叶えられそうにないんだよ。俺がこんな状態なのにゆーさん達を支えるなんてできない。どうすればいいんだよ。昨日のゆーさんみたいに苦しくても冷静でいるなんて俺には……。もう誰でもいいから助けてよ。俯いて静かに涙をこぼす。その瞬間後ろから声が聞こえた。
「ったく、悠くんはしょうがないな」
呆れたみたいな声と独特の話し方に弾かれたように後ろを振り返る。――確かにいるんだ。れーさんが、俺を困ったように笑いながら見ていた。
「無理に受け入れようとせんでええよ。支えてほしいと言ったけど、ただ傍にいてあげてほしいんや。傍に誰かがいてくれるだけでもあの二人はきっと救われる」
でも……俺はもう動けないんだ。足場がないのにどうやって歩けばいいんだよ。こんな気持ちのまま前へ進むなんて、ゴールの見えないマラソンと一緒だ。そんなの……。
「大丈夫や。きっと悠くんならできる。大学でも何回悠くんの世話をしたと思ってんねん。何度俺達が悠くんに助けられたと思ってんねん……大丈夫や。助けられた俺が言うんやから、間違いなんてない。」
――だから信じとるよ。きっとできる。そう笑ったれーさんは優しい表情だった。でも諦めとかではなくて、俺を本気で信じてる顔。普段そんな顔したことないくせに……。温かいものが頬を流れる。決心した。れーさんの願いを叶えるんだ。俺を信じてくれたれーさんのために。静かに前を見る。もう足場なんて必要なかった。だって今立てているのは床があるから。これがある限り俺は前へ進める。……まだれーさんの事は踏み切りなんてついてない。悲しいしまだ絶望から完全に脱出できたわけではない。それでも最期まで信じてくれた二人のために、みっともなくても情けなくても進む。前を見たときには、優真と智哉が二人を支えてくれていた。俺が絶望して動けなかった時、傍にいてくれていたようだ。優真達は俺を見て少しだけ安心したように肩の力が抜けた。俺も歩いて皆の所へ行こうとした時、不意にゆーさんが顔を上げた。ゆーさんは絶句していて、俺より後ろを見ていた。何があるのかと振り返るが何もない。しかしゆーさんは未だにどこかを見て顔を真っ青にしている。すぐに駆けつけて背中を擦る。息が荒く少し焦点が合っていない気がした。傍にいた優真はゆーさんの視界を遮るように前に立った。
「……大丈夫、大丈夫ですよ。悠也さんが見たのはきっと悪い幻覚です。蓮さんは悠也さんをずっと気にしていましたよ」
優真の言葉にそうだと肯定する。ずっとれーさんはゆーさんとりょーさんを気にかけていた。……最期の言葉を言う時ですらゆーさん達を思う気持ちが感じ取れたのだ。――あいつらは優しいからきっと動けなくなる。そう言ったれーさんは悲しみを抱きながらも今までの楽しい生活を思い出したかのように目を細めていた。
「ゆーさん、自分を責めたくなる気持ちは痛いほど分かる。でもれーさんを信じてあげてほしい。れーさんは長い間一緒にいたゆーさんとりょーさんを大切だって言って笑っていたんだよ」
それだけは信じてほしいと目を固く閉じる。俺は……それを知っていたはずなのに、守ることができなかった。俺は俺自身の事で抱えるのが精一杯だったんだ。手の一つでも差し伸べられたら、れーさんは救われていたのだろうか。力なく重力に従っている手を握りしめる。その時横から悔しそうに息を吐く音が聞こえて目を開ける。りょーさんはもう一度深呼吸して優真と智哉を見た。
「……優真、智哉。悪いが玄関を探してくれないか。俺たちは正直動けるか分からない。もし動けたら図書室で情報収集をするから」
「……、はい。無理だけはしないでくださいね」
智哉は俺をちらりと見て答える。俺も完全に立ち直れたわけではない、それでも2人を支える覚悟は出来ている。ちゃんと頷けば少し笑い、りょーさんの提案を了承した。そうして智哉は優真を連れていく。最後に手を合わせることも忘れずに。そして長く続く廊下へと歩いていった。背中を見送ってりょーさんは申し訳なさそうに言う。
「……悪いな、悠。頼るようなことをして」
「ううん、今までの事を考えたら俺の方が皆を頼りっぱなしだから。こんな時ぐらい恩返しさせて」
せめて、今残っている人に返せるように。そう願って。ゆーさんの背中を擦る。
「ね、ゆーさん、りょーさん。少しだけれーさんの事を調べてもいい?」
ちゃんとは見ていなかったが、れーさんにも花が咲いていた。少しでも何かヒントになればいいのだが。もしかしたらゆーさん達が救われるかもしれない。そう祈ってしまう。
「……俺も、近くに……行くよ」
ゆーさんが震えた声のまま言う。俺は否定なんかする気もなく、顔を見てあげてと言いゆっくりと歩きだす。震えながらもしっかりと前を歩くゆーさん。そして近くまで来て二人は少しだけ息を呑む。心臓に刺さった黄色い花は忌々しくも美しく咲き誇っていた。この花はなんだっけ。見覚えはあるのに名前が出てこない。ステンドグラスの反射による光を浴びて透き通る花を見る。
「……蝋梅だ」
ゆーさんは花を見る。そして唇を噛み下を向いた。悔しそうに俯くその姿に花言葉が関連しているのかと考える。りょーさんもその花を知っていたようで近付いて優しく花に触った。
「蝋梅の花言葉は慈しみや優しい心。蓮にぴったりな花言葉だ」
慈しみ、優しい心。殺しておきながら皮肉にもそんな事を語るのか。ゆーさんの気持ちが分かって胸が苦しくなる。せめてもの弔いとして手を合わせる。ゆっくり眠れますように。隣を見れば2人とも手を合わせて祈っていた。どうか、安らぎに満ち足りますように。そんな声が聞こえた気がした。
「……ごめんね、悠、怜。情報を探しに行こうか」
ゆーさんは申し訳なさそうに言った。まだ悲しげな表情のままだが、震えもなく動けるようになったのなら良かった。俺はゆーさんとりょーさんの間にはいって歩いていく。どちらが倒れても俺が支えてあげられるように。二人とも悲しそうな顔をしつつも歩みはしっかりとしていた。図書館に着いた。机の上には昨日読むのを先延ばしにした本が置いてあった。りょーさんはそれを持ち上げて悲しそうな表情をした。
「あぁ、俺見つけてたんだったな……完全に忘れてたわ」
俺はそれを慰めるなんてできなくて、三つ分の椅子を用意して真ん中に座った。そして二人を呼び椅子をポンポンと叩けば大人しく椅子に座った。俺は本の表紙や外観などを確認しつつ二人に話しかける。話しかけるって言っても独り言に近い物だろう。
「俺ってやっぱりゆーさん達より年下だから頼るなんてできないと思う。それでも……二人を支える覚悟はできてるって事だけ知っていてほしい」
それだけだと言って本を開く。きっと二人はそんなことないと言いつつも頼ってはくれないだろうから。だから俺は勝手に二人を支えるのだ。本の内容は多分ここのお嬢様と呼ばれる子の日記であった。この日記はこの子の八歳の誕生日に貰ったものだそうだ。学校の出来事が書かれており、時折友達と遊んだというものが出てくる。しかし少し違和感があった。どうして両親の事が一度も書かれていないのだろうか。見る限り日常にあったことを書いているから、両親のことだって書いていたって何らおかしくない。それなのに日記に出てくるのは学校の友達や先生、この館に住んでいるお手伝いさんぐらいしか出てこない。もしかして両親がいないのか?この館に一人の少女とお手伝いさんだけ……少し現実離れ過ぎるか。仮説を立てながら読み進めていく。そして違和感のないまま日記内では一年が過ぎた。この子が九歳になった6月のこと。学校内に好きな人ができたらしい。その相手は女の子だった。初めは凄く楽しそうなことが書かれていた。目が合ったや好きな子と話せたなどと楽しく恋愛をしている様子だった。だが10月を過ぎて様子がおかしくなった。今までの幸せそうな雰囲気から一変してとても悲しそうな内容だ。――子ども特有のいじめだ。同性が好きという事がどこからか流れて、クラスの子ども達からいじめられるようになったらしい。苦しかったんだろうな。所々で文字が滲んでいたり、紙が濡れていた痕跡がある。机に向かって、今日のことを思い出しては泣いていたのだろう。事態は改善しないまま月日は流れて12月。とある言葉を皮切りに日記は終わってしまった。
『恋愛で生じた独占欲は時に恐ろしいものを作り上げる』
あまりにも今までの内容と違っていて、他の人が書いたのではないかと疑いたくなる。しかしこの子に当てはまる言葉であったのかも知れない。独占欲。流し読みをしていた箇所ではそれを滲ませる言葉がちらほらと存在していた。恋愛には切っても切れない関係のもの。もしかしたら、この恐ろしいものというのが今回俺らを襲っている何かなのかもしれない。その場合相手は少女?
「なんとなくだけど、この子は親に愛されなかったのかもね」
ゆーさんが本の文字を辿るようになぞりながら呟く。……親に愛されなかった。だから日記には両親の事がでなかったのか。そして親に愛されなかった分、独占欲というものが強くなってしまったのだろうか。全ては推測で正しいかなんて分からない。それでも俺たちはとても悲しいものに巻き込まれているのではないかと考えてしまう。これがもし独占欲によって作られた恐ろしいものが行ったものであるなら、何年経っているか分からないがずっとその気持ちを抱え続けたのだろう。救いを求めて俺たちを閉じ込めたのだろうか。一人ずつ殺されていることと何か関係があるのだろうか。疑問は増えていくばっかり。脱出をするための有益な情報は見つからなかった。りょーさんは頭を捻りながら話す。
「なんか、意図的に感じるよな」
「意図的?」
「いろんな物が仕組まれているように感じるんだ。何日探しても見つからない出口。本だって真相に触れられない程度の情報量。……もしかしたらここに俺たちが閉じ込められたのも、無作為なんかじゃなくて何かしらの条件を満たしてここに連れて来させられたかもしれない」
何かしらの条件……。その場合ここから出るためにも条件を課せられている可能性がある。一体どんな条件だ?
「ここに来た条件が分かれば何となく導き出せそうな気もするんだけど……」
ゆーさんは思考を巡らせつつ日記を見ている。俺たちの共通点……。大学生、ゲームをしている、男……だめだ。誰にでも当てはまりそうな条件しか見つけられない。
「そろそろ、智哉くん達と合流しようか」
窓を見て立ち上がるゆーさん。そんなに時間が経っているのかと窓を見れば、光をも拒絶する闇が存在していた。日記を見るだけで終わってしまった……。収穫は女の子の悲しい話ぐらい。2年分の日記だからもう少し早く読み飛ばせばよかった。このままでは間に合わなくなってしまう。時間に気を遣って物事を進めないと。焦りを抱えたまま3人で図書室の扉を開ければ、小さく2つの人影が見えた。よかった、2人ともちゃんと無事だった。そこからは情報を共有しつつ寝室へと向かっていく。出口探しも合計何時間と探しているのに未だに見つからないらしい。そして決められているかのようにしか与えられない情報たち。まるで一つの劇場みたいだ。操り人形の俺達とそれを外から笑って見る何か。俺達に与えられた抵抗の術は何もなかった。それでも生きて帰りたいと思うから、足は止めないままでいる。寝室へ着くとまたベッドが一つなくなっていた。とことんなくなった人間を無視するらしい。静かな空気の中で寝転がる。今日で閉じ込められて三日目。それなのにこの館についてはほぼ何も知らないと言ってもいいほどに少ない。知っているとしても合っているか間違っているか分からない噂と、少女が住んでいるという事。それに……少女の書いた『恋愛で生じた独占欲は時に恐ろしいものを作り上げる』の言葉。どういうことなのだろう。少女の言う恐ろしいものとはなんなのだろうか。独占欲の着く先は一体なんだろうか。それが鍵となっている気もする。独占欲……か。空想で描かれる独占欲はどこか美しさすらも感じるというのに、自身から湧き上がるとこれ程までに醜く感じる。何が違うのだろうか。……今は違うことを考えるのはやめよう。独占欲が最後に辿り着くもの。時間はないというのに、瞳は閉じていく。答えを出したいのに……。
何故か目が覚めた。起きる気なんてなかったのに。起き上がってため息をつく。……俺だろうな。必然とそう感じた。こんな中途半端に何の原因もなく起きる。察するには十分すぎるものだった。しかし起きたのならばあれをしよう。俺は立ち上がって扉の横にあるメモ帳を一枚ちぎってその近くにあったペンを取る。あーあ、連続か。人間として考えてはいけないことではあったが、せめて今回の犠牲者は俺じゃなければ良かったなんて。彼の傷がまだ癒えていない。それなのに少し酷かもしれない。せめて、こんなものでも彼を救える希望があるのならば。そう願って言葉を遺す。手が震えてしまうのは仕方がない。書き終わった手紙を彼のポケットに入れようとして何かに触れた。なんとなくそれを掴み見てみる。すると今はもういないあいつの手紙があった。その事実に少し笑ってしまった。
「あいつも同じ事を考えていたんだな」
何年も傍にいただけはあったようだ。にしても、あいつらしい手紙だ。文字を辿って俺の手紙と一緒に折り、彼のポケットへと入れる。彼が少しでも、希望が持てますように。柄にもなく祈る。……後ろから静かに気配を感じる。立ち上がってゆっくりと振り返る。その一瞬で景色が変わった。ここは、あの二人がいた場所だ。やっぱり俺だったんだな。ステンドグラスの眩しい反射で照らされている後ろのやつを見て目を見開く。
「お……まえ、どうして」
そんなはずはない。そう信じたいのに。目の前の光景は無慈悲に現実を映す。黒いマントを羽織った――に驚きが隠せない。目の前の彼は、とても悲しそうに笑っていた。涙は流れていないのに、涙を流して懺悔をしているかのようだった。俺は信じられなくて、どうしていいか分からなかった。
「【かごめ かごめ かごのなかのとりは】」
彼は唇を震わせながら童謡を歌った。かごめかごめ。それは相手を拘束して花を咲かせる魔法。二日前に読んだ日記が頭の片隅に浮かぶ。まずいと思ったその瞬間蔦で四肢を拘束される。暴れるが全く動かない。極限状態に陥った俺はどうしてか冷静になった。波の起きない海のように、全く揺らぎもしない冷静が俺にあった。あぁ、きっとあの二人もこういう心境だったんだな。だから抵抗しなかったんだ。諦めて俯き笑った時、歌が止まった。どれだけ待てど続きは歌わない。ふと顔を上げる。彼と目が合った。俺と目が合った彼は微笑んだ。救いの手を伸ばす神のように。
「最期に時間でもくれるのか?」
――は頷いた。ははっ、最期の言葉か。もしあいつらを殺した相手に出会ったら、暴言の一つでも吐いてやるつもりだった。でもその顔を見たら暴言なんて言えるはずがなかった。だって一緒にゲームをして、性格だって知っているつもりだ。だから、俺は。
「なぁ、――。あの二人を殺すのは怖かったか?」
――は、少しだけ顔を歪めて頷いた。そして目を伏せて彼らを思い出していた。あぁ、あの時と同じ表情だ。彼らの遺体の前で安らかに眠れることを祈ったあの時と、全く同じだ。初めから決まっていた事だったんだな。俺らが殺されることも、殺さないといけないこと。どこまでいっても世界は理不尽で息苦しい。
「これで笑っていたなら、最期まで恨んで死ぬつもりだったのにな」
彼の表情を全てを物語っていた。だから恨みつらみを吐くことができなかった。体の力を抜く。俺がもう何も話さないことを理解したのだろう。歌の続きを始めた。
「【うしろのしょうめん だあれ】」
「……あぁ、怖いな」
四肢が締め付けられて背中から何かを感じた。俺は目から熱い液体が流れた。怖いと言うつもりはなかったのに。だってあいつらがきっと余計に怖がってしまうだろうから。でも俺、頑張った方だよ。ホラーゲームでも叫ぶぐらいビビりなんだ。それが最期の最後まで言わないでこれた。チクリと胸が痛んで花が咲いた。そこには立派な紫色の花。それを見て力なく笑う。俺には……似合わない、花言葉だな。
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