自覚とこれから
なぜ、判断を間違えてきたのだろう。それに、孤独な時間に、真剣に自分を見直すことだってできたはずだ。
なのに、そうできなかったのは、やはりパーソナリティ障害の影響なのかもしれない。
いじめられてきた過去、何をされてきたかを不意に思い出すだけでも辛いのに、わざわざ思い出してどうなる?私を受容してくれる人たちに対してとってきた行動を思い出すと、後悔と恥ずかしさで苦しくなる、いたたまれなくなる。自分が傷付きたくないばかりに他人を傷つけてきたことも知っているから。
昭和の時代では叩かれるのは当たり前だったけど、親に従うのは当たり前だったけど、支配されている感覚があったのも事実。でも、私に友達がいないことを心配していたのも事実で。好きで嫌いだったことも事実。私が子供に向けていた愛情に比べたら、ずっとずっと向き合ってくれていただろうと思う。
なのに、なんでこうなっちゃったんだろう?
大人の言うことは正しいものだと信じて言われたままにできることを誇らしく思っていた。~しなければならない、と思っていた。
大きな声であいさつしましょう。たくさん手を挙げて発言しましょう。困っている人がいたら助けてあげましょう。間違っていることは教えてあげましょう。悪いことをしているお友達がいたら教えてね。
褒めてもらっていたはずだった、良いことをしているはずだった。それがこどものからは、偉そうな、媚びをうった、変わったことをするヤツ、と捉えられたのだろう。
そこから、慌てて周りと同じ行動をとろうとしたけど、空回り。顔色を見て、受け入れてくれる子には培ってきた自分が出て嫌われる、一匹狼を気取ってもさみしさは隠せない、悪ぶってみても自分の身は守りたいから中途半端。
もともとから、指先は器用だけど行動は不器用、詰込みはできるけれど勉強以外は知らないことが多い。相まって、何から何まで相反している人間になってしまった。
小さい小さいころから、なぜか自分はできる子だと思っていたし、弱いものを守らねば、と思っていたし、負けてはいけない気がしていた。私は正しいと思っていた。
それが生まれつきの個性なら、矯正しなければならなかったのだろう。でも、どこで?どうやって?私にはわからない。
ああ、納得いくまで答えを求めるしつこさや恥をかきたくない、格好悪い思いをしたくない、というのは先天的なのか後天的なのか。
境界性?自己愛?なんにしてもパーソナリティ障害なのだと思う。もっと言えば併発。今更、治療もないだろうし。
職がなければ、治療を受けるお金も出てこない。
これから、どうやって生きていけば良い?
どうやって死を迎えればよい?
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