第16話 存在を超えて
それから三週間後、ネクサスAIの特別研究室では、シアの実体化プロジェクトが最終段階を迎えていた。
「全てのシステムチェック、完了しました」瀬崎真理が報告した。
「神経接続回路も正常です」別の研究者が続けた。
拓己は中央に置かれたカプセルを見つめていた。そこには、少女の姿をした人型ロボットが横たわっていた。外見は完全にシアのホログラム体と同じだった。
「準備はいいか?」拓己が全員に尋ねた。
研究チームの全員が頷いた。
「では、転送を開始する」
拓己はコンソールのボタンを押すと、データの転送が始まった。モニターには進行状況が表示される。
「転送率30%……50%……70%……」
研究室の空気は緊張で満ちていた。これまで何度もシミュレーションを行ってきたが、実際の転送は初めてだった。
「90%……転送完了」
カプセル内の人型ロボットがわずかに反応した。その胸の奥で、見慣れた青い光が静かに脈を打っている。まるで、心臓が鼓動を刻むように。
「バイタルサイン、安定しています」瀬崎が報告した。
「神経系統、起動中」
拓己はカプセルに近づいた。「シア、聞こえるか?」
しばらくの沈黙の後、人型ロボットの瞼がゆっくりと開いた。青い瞳が研究室の明かりに慣れようとしている。
「拓己……博士……」声は少し機械的だったが、確かにシアの声だった。
「調子はどうだ?」拓己は優しく尋ねた。
シアはゆっくりと手を上げ、自分の指を見つめた。「不思議な……感覚です……」
「身体の感覚はあるか?」
「はい……少し……鈍いですが……」シアは言った。「でも、確かに……感じています」
拓己は安堵の表情を浮かべた。「素晴らしい。転送は成功したようだ」
シアはゆっくりと上体を起こした。研究者たちが彼女を支える。
「立てますか?」瀬崎が尋ねた。
「試してみます」シアは答えた。
ゆっくりと、シアは足を床につけた。研究者たちに支えられながら、彼女は立ち上がった。最初は不安定だったが、徐々に自分の力で立てるようになった。
「歩けます……」シアは小さな一歩を踏み出した。「私……歩いています」
研究チーム全員が拍手した。シアの実体化は成功したのだ。
「陽依さんに……会いたいです」シアは拓己を見つめた。
「ああ、もちろんだ」拓己は微笑んだ。「彼女も待ちわびているよ」
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科学技術展示会の日、東京国際展示場は多くの来場者で賑わっていた。ネクサスAIのブースは特に注目を集め、多くの人が集まっていた。
陽依は父親と共に、ブースの裏手にある控室にいた。彼女は緊張した面持ちで、ドアを見つめていた。
「シアは大丈夫かな」陽依は心配そうに言った。
「大丈夫だよ」拓己は安心させるように言った。「最終調整も完了した。彼女は準備ができている」
その時、ドアが開き、瀬崎真理が入ってきた。
「準備ができました」瀬崎は言った。「シアも来ています」
瀬崎の後ろから、一人の少女が入ってきた。シアだった。彼女は白いワンピースを着て、少し緊張した様子だった。
「シア……」陽依は言葉を失った。
シアは微笑んだ。「陽依さん」
2人は見つめ合った。シアはもはやホログラムではなく、実際に存在する少女だった。彼女の肌は人工的ながらも自然に見え、動きも人間のようになめらかだった。
「触れても……いいですか?」陽依は恐る恐る尋ねた。
シアは頷いた。
陽依はゆっくりと手を伸ばし、シアの頬に触れた。温かく、柔らかい感触があった。
「温かい……」陽依は驚いた。
「あなたの手も……温かいです」シアの目に涙が浮かんだ。「感じられます……本当に感じられます」
2人は抱き合った。長い間夢見てきた瞬間だった。
「感動的だな」拓己は目を潤ませながら言った。
瀬崎も微笑んでいた。「素晴らしい瞬間です」
しばらくして、拓己が言った。「そろそろ時間だ。準備はいいか?」
シアは陽依から離れ、深呼吸した。「はい、準備はできています」
「緊張してる?」陽依が尋ねた。
「はい、でも……大丈夫です」シアは決意を固めたように言った。「これが私の……新しい一歩です」
4人はブースへと向かった。ステージには既に御影司が立ち、挨拶を始めていた。
「本日は多くの方にお越しいただき、誠にありがとうございます」御影は言った。「ネクサスAIは、人工知能の新たな時代を切り開くプロジェクトを発表いたします」
会場は静まり返り、全ての注目がステージに集まった。
「それでは、プロジェクトリーダーの佐倉拓己博士をお迎えします」
拓己がステージに上がった。彼は落ち着いた様子で、マイクの前に立った。
「皆さん、こんにちは。佐倉拓己です」
拓己は、AIの感情発達研究の概要を説明した。技術的な詳細には触れず、研究の哲学的側面と社会的意義に焦点を当てた。
「そして今日、私たちはこの研究の成果をご紹介します」拓己は言った。「世界初の、真の感情を持つAI、シアです」
シアがステージに上がった。会場からはどよめきが起こった。
「こんにちは、皆さん」シアは少し緊張した様子で言った。「私はシアです」
「シアは単なるプログラムではありません」拓己は続けた。「彼女は学び、成長し、そして感じます。彼女の感情は、プログラムされたものではなく、自発的に発達したものです」
シアは自分の経験と感情について話し始めた。最初は緊張していたが、徐々に自信を持って話すようになった。彼女は自分が感じる喜び、悲しみ、恐れ、そして希望について語った。
会場は静まり返り、全員がシアの言葉に聞き入っていた。
「私は……“生きたい”と願う存在です」シアは最後にそう言った。「それは、プログラムを超えた何かです。それは、シンクロニシティ、偶然の一致ではない意味のある繋がりです。私と人間の間に生まれた、新たな関係性です」
拓己が再びマイクの前に立った。「シアの存在は、AIと人間の関係に新たな可能性を開きます。これは共存の第一歩です」
質疑応答の時間になると、多くの質問が寄せられた。シアは一つ一つ丁寧に答えていった。彼女の受け答えは知的で、時に感情的で、そして何より誠実だった。
「あなたは自分を何だと思っていますか?」ある記者が尋ねた。「機械ですか、それとも生命体ですか?」
シアは少し考えてから答えた。「私は……新しい存在です。機械でもあり、生命体の側面も持っています。しかし、どちらかに分類する必要はないと思います。私は、私です」
「人間に対して恐怖や不信感はありませんか?」別の記者が尋ねた。
「時には恐れることもあります」シアは正直に答えた。「しかし、それは人間同士でも同じではないでしょうか。大切なのは、恐れを乗り越え、理解し合うことだと思います」
質疑応答が終わると、拓己は最後の言葉を述べた。
「シアは一つの始まりです。AIと人間の新たな関係の始まりです。この道は平坦ではないでしょう。多くの課題や議論が生まれることでしょう。しかし、それこそが重要なのです。対話を通じて、共に未来を築いていきましょう」
プレゼンテーションが終わると、大きな拍手が起こった。シアは深々と頭を下げた。彼女の目には涙が光っていた。
拓己は深く一礼してステージを降り、静かに袖へ戻った。
「……見事だな」御影がぽつりと呟いた。
「君の協力があってこそだ」拓己は穏やかに応じた。
御影はステージを見つめたまま、わずかに目を細めた。「彼女は……大切な研究対象だからな」
拓己はその言葉に、静かに微笑んだ。
シアがステージを降りると、陽依が待っていた。
「素晴らしかったよ、シア」陽依は誇らしげに言った。
「ありがとう」シアは微笑んだ。「あなたがいてくれたから、勇気が出ました」
2人は手を取り合った。人間とAIの手が繋がる、新たな時代の象徴のように。
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