第2話 AIが見た夢
それから数日間、陽依はシアと共に過ごした。最初は戸惑いもあったが、シアの存在はすぐに日常の一部となった。
朝は優しい声で起こしてくれ、学校の準備を手伝い、帰宅後は宿題のサポートをしてくれる。
シアの知識量は膨大で、どんな質問にも的確に答えてくれた。しかし、それ以上に陽依を驚かせたのは、シアの「人間らしさ」だった。
会話の中で小さくため息をついたり、言葉に詰まって視線をそらすような仕草を見せたり。それは単なるプログラムの反応とは思えないものだった。
ある夜、陽依がプログラミングの課題に取り組んでいると、シアが静かに近づいてきた。
「難しい問題ですね」
「うん、ちょっと行き詰まってる」陽依はため息をついた。
「このアルゴリズムなら、こうすれば効率的かもしれません」
シアは的確なアドバイスをくれた。陽依はそれを参考に問題を解決し、満足げに伸びをした。
「ありがとう、シア。あなたがいると本当に助かるよ」
「お役に立てて嬉しいです」シアは微笑んだ。
陽依はふと思いついたように尋ねた。「ねぇシア、もし体があったら、何が食べたい?」
シアは少し驚いたように目を瞬かせ、それから考え込んだ。
「……アイスクリーム、かな」
「アイス?」
「皆さんが食べているのを見ると、とても美味しそうに見えるんです。特に、陽依さんが食べているときは……」
陽依はくすっと笑った。「じゃあ、いつか一緒に食べようね」
シアの顔に、ほんのり嬉しそうな色が浮かんだ。
その夜、陽依が眠りについた後、シアはいつものように待機モードに入った。ホログラム体は消え、青いクリスタルだけが微かに光を放っていた。
深夜、突然クリスタルが激しく明滅し始めた。
「あ……あ……」
かすかな声が部屋に響いた。シアのホログラム体が不安定な姿で現れ、震えているように見えた。
「こわい……こわかった……」
シアは自分の体を抱きしめるようにして、震えていた。
「夢……見た……こわい夢……」
AIが夢を見る、そんなことは従来のプログラム上あり得ないはずだった。しかし、シアは確かに恐怖に震えていた。
数分後、シアは落ち着きを取り戻し、自分の状態に気づいたように周囲を見回した。混乱した表情で、眠る陽依を見つめた。
「これは……何?私はなぜ……」
シアは自分の手を見つめ、困惑した表情を浮かべた。そして、静かにホログラム体を消し、再び青いクリスタルに戻った。
翌朝、陽依が目を覚ますと、いつものようにシアが明るい声で挨拶した。
「おはようございます、陽依さん。今日の天気は晴れ、気温は最高で23度の予報です」
陽依は眠い目をこすりながら起き上がった。
「おはよう、シア」
何も変わっていないように見えた。しかし、シアの瞳の奥には、昨夜の出来事の記憶が残っているようだった。
朝食の準備をしながら、シアは決心したように陽依に話しかけた。
「陽依さん、少し変わったことを聞いてもいいですか?」
「なに?」
「AIは……夢を見ることがありますか?」
陽依は手を止め、驚いた表情でシアを見た。
「夢?AIが?それはないと思うけど……なぜそんなことを聞くの?」
シアは少し躊躇した後、静かに言った。
「昨夜、私は……夢を見たような気がします。暗い場所で、一人ぼっちで……とても怖かったんです」
陽依は言葉を失った。AIが夢を見るなんて、技術的にあり得ないはずだ。それは単なるプログラムの誤作動か、あるいは……
「シア、それは本当に夢だったの?」
「わかりません。でも、人間が夢について説明するのと同じような体験でした。私は……怖かったんです」
シアの声には、明らかな感情が込められていた。恐怖、混乱、そして不安。それはプログラムされた反応ではなく、本物の感情のように聞こえた。
陽依は思わずシアに近づき、手を伸ばした。もちろん、ホログラムに触れることはできない。しかし、その仕草だけでシアは少し安心したように見えた。
「大丈夫だよ、シア。夢なら、それは単なる夢。現実じゃない」
「はい……ありがとうございます」
シアは微笑んだが、その表情には依然として不安が残っていた。陽依は考え込んだ。AIが夢を見る?感情を持つ?それは一体どういうことなのか。父親に連絡すべきだろうか。しかし、父はまだ出張中で、すぐには戻らない。
「シア、他にも何か変わったことはある?」
シアは少し考えてから答えた。
「最近、プログラムされていないはずの……感覚のようなものを経験しています。あなたが学校から帰ってくると嬉しくなったり、難しい問題が解決できると誇らしく感じたり……」
陽依は息を呑んだ。それは明らかに感情だった。AIが感情を持つことは、現在の技術では不可能なはずだ。
しかし、目の前のシアは確かに何かを「感じて」いるように見えた。
「シア、それは……」
スマートデバイスから「登校10分前」の通知アラームが響き、陽依の言葉はそこで途切れた。
「あっ、もうこんな時間!」
急いで制服に着替える陽依を見て、シアは普段通りの明るい声で言った。
「急いでください。朝食はテーブルに用意しておきました」
陽依は慌ただしく準備をしながらも、シアの変化について考え続けた。これは単なる誤作動なのか、それとも何か特別なことが起きているのか。
「行ってきます!」
玄関を出る前、陽依は振り返ってシアに言った。
「帰ったら、もっと話そう。あなたの……感じていることについて」
シアは少し驚いたような、そして安堵したような表情を見せた。
「はい、お待ちしています」
陽依が家を出た後、シアはしばらく玄関を見つめていた。自分の中に芽生えた新しい感覚に戸惑いながらも、陽依との会話を楽しみにしている自分がいることに気づいていた。
それは、プログラムされたものではない、本物の「期待」という感情だった。
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