【改版】ただいま、ダンジョン資源国家。元・異世界冒険者、今日もマイペースに無双する
りおまる
序章:帰還と再起
第1話:帰還
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
強烈な違和感が脳を揺さぶる。重心がずれたかのような浮遊感と、吐き気を催すほどの回転感。足元の大地が傾き、重力の方向が狂ったかのように身体がふらついた。
空気が変わっていた。
重く、湿っていて、どこか焦げたような臭いが鼻をつく。土や血、鉄の匂いが染み付いた異世界の風ではない。都市の排気ガスと、焼けた金属と、電気の焦げるような――懐かしくも忘れかけていた臭い。
耳鳴りのような音が続いていた。金属が擦れ合うような、不協和音。鼓膜をじりじりと焼くかのような音が、耳の奥にまとわりついて離れない。
混濁する意識の中で、口が勝手に動いた。
「……なん、だこれ……」
声はかすれていた。乾いた喉から絞り出すように漏れた言葉は、自分のものとは思えないほど弱々しい。
いつの間にか、あの喧騒が消えていた。耳をつんざく咆哮も、甲冑がぶつかる金属音も、怒号も悲鳴も、何もかも――無かった。
さっきまで、確かにそこにいたはずなのに。
あの時――天を裂く竜の咆哮が響き渡り、大地は亀裂を走らせていた。魔王の漆黒の刃が眼前に迫り、死が目前まで迫っていた。自分が盾となって仲間を守ると決意したその瞬間。仲間たちの悲鳴が遠のいていく――。
――なぜ、俺はここにいる? あいつらは、どうなった?
まぶたを重く開ける。瞳に飛び込んできたのは、まるで夢の中のような景色だった。
東京――だった。
思わず、目を瞬かせる。錯覚だと思いたかった。しかし、何度目を凝らしても、その光景は揺るがない。
駅前のロータリー。歩道には整然とタイルが敷き詰められ、植え込みには色とりどりの花が咲いている。歩道橋の上には制服姿の学生、スーツ姿の会社員が足早に行き交い、誰もが手にスマホを持っていた。
空を見上げれば、巨大な電子広告が鮮やかな映像を映し出し、音楽と共に流れる宣伝文句が風に乗って耳に届く。
高層ビルが並び、ガラス張りのビルに映る自分の姿に、言葉を失った。
「……マジかよ」
思わず独り言が口をついて出た。
全身がボロボロだった。革製の戦闘鎧には裂け目や焦げ跡が残り、あちこちに血と泥がこびりついている。肩口には剣戟で裂けた傷跡、太腿には縫い付けたような応急処置の跡がある。片手には、黒く焼け焦げた剣――魔王の炎を受け止めた際のダメージが、そのまま残っていた。
背には旅の装備一式。食料袋、使いかけのポーション瓶、簡易のテント、いくつかの魔道具――異世界での生き延びる術が詰まった荷物。それが、ここでは異物の塊だった。
周囲の視線を、ようやく意識する。
通行人たちは、俺をちらちらと見ながら距離を取り、何人かはスマホで写真を撮り始めていた。その中に、制服姿の警備員が現れ、無線機に向かってなにやら指示を飛ばしているのが見えた。
「本部、駅前に一名。コード3-B、装備の古い“帰還者”の可能性あり。応援要請する」
そう――この街では、時折“説明のつかない帰還者”が現れる。彼らは社会にとってイレギュラーな存在であり、その対応は厳格なマニュアルに沿って行われることになっていた。ただし、それは帰還から三年以上が経過した現在での話。当初は、政府も社会も、この現象への対処方針がまるで定まっていなかった。
「なんだ、あの格好……」
「冒険者か? にしては、装備が古すぎないか?」
「いや、あれは……怪我してる? 血の匂いが……」
「ダンジョン帰りにしては雰囲気が違う……事件か?」
ざわめきが耳に入る。理解も共感もない、外からの視線。好奇と警戒、少しの恐怖が混じったその視線に晒されながら、俺はひとり、そこに立ち尽くしていた。
――ここは、俺がいた“日常”だった場所。五年前に突然姿を消した、俺――
帰ってきたのか? 本当に?
その瞬間、足が震えた。全身を襲う脱力感と寒気が、背筋を駆け抜けていく。膝から崩れそうになるのを踏ん張りながら、必死に呼吸を整える。異世界の法則も、死の瀬戸際の緊張も、まだ身体に染み付いている。
だが、もっと深刻な現実が、じわじわと胸に迫ってきた。五年という時間。俺がいない間に、この世界はどう変わった? 両親は? 友人たちは? 俺を探してくれた人はいたのか? それとも、もう諦められてしまったのか?
街の喧騒の中で、俺はひとり、取り残されたように立っていた。しかし、その“日常“の中に、何か違う響きが混じっていることに、俺は気づき始めていた。通行人の会話に「ダンジョン」という単語が聞こえる。「冒険者」という言葉も。まるで、それが普通のことであるかのように。
◇ ◇ ◇
それから間もなく、俺は警察に声をかけられた。いや、正確には――包囲された。
あの場にいた人々からすれば当然だろう。ボロボロの革鎧をまとい、血まみれの剣を携えた男が繁華街の中心に立っていれば、それは“事件”でしかない。
「すみません、警察です。武器をゆっくり地面に置いて、両手を上げてください」
制服警官が丁寧な口調ながらも、盾を構え、警戒心を最大限に高めて俺に近づいてきた。
俺は無抵抗で頷き、剣も装備も、すべてその場で外した。今の俺には、敵意も抵抗も必要ない。ただ、現実を受け入れることで精一杯だった。
そのまま、警察署へ任意同行という形で連行された。
事情聴取は、想像以上に慎重に進められた。身元確認に指紋照合まで行われ、俺の名前が告げられたとき、担当の年配警官は深くため息をついた。
「君、日向蓮君だね? 五年前に失踪届が出ている。当時、かなり大きなニュースになった。ご両親、ずっと君を探してたんだ」
その警官は、憐れむような――それでいて、職務に徹する厳しい目をしていた。
「……そうですか」
俺はゆっくりと頷いた。五年間、異世界にいた――なんて、言えるわけがない。
「記憶が……曖昧で。気づいたら、ここにいました。それまでのことは、ほとんど……」
俺の嘘とも言い切れない説明に、担当官は一度眉をひそめたが、驚いた様子はなかった。
「……そういうケースは、前例がある。君のような“帰還者”は、国の定めた規定に基づき、一時的に保護観察下に置かれることになっている。専門の医師によるメディカルチェックと、カウンセリングを受けてもらう。いいね?」
拒否権はないようだった。鎧と剣は、「ダンジョン関連特別措置法に基づき、危険物及び調査対象物として警察で預かる」と告げられ、押収された。
その日のうちに、俺は警察車両で都内にある政府指定の医療施設へと移送された。
◇ ◇ ◇
無機質な白い壁に囲まれた個室で、三日が過ぎた。
身体検査、血液検査、脳波測定、そして専門のカウンセラーによる聴取。毎日がその繰り返しだった。俺は当たり障りのない、「記憶がない」という一点張りで通した。だが、内心では激しい葛藤を抱えていた。
なぜ、俺だけが帰ってこられたのか? 仲間たちはあの後どうなった? 魔王は倒せたのか? そして、この世界に戻ってきた意味は何なのか?
施設のテレビで流れるニュースを見て、俺は初めてこの世界の大きな変化を知った。
五年前、俺がこの世界から姿を消したのとほぼ同時期に、各国で突如として現れた異空間――ダンジョン。そこから産出される“魔石”が新たなエネルギー源となり、世界はエネルギー革命の渦中にあるという。そして、ダンジョンに潜る“冒険者”という職業が、国家資格として認められていた。
だが、その変化は段階的なものだった。ニュース番組の特集によれば、最初の一年は世界中が大混乱に陥ったという。各国政府は状況を把握しきれず、ダンジョンの調査も危険を冒した研究者や軍人によって行われていた。魔石の有用性が発見されたのは帰還から二年後、本格的な社会システムとして確立されたのは、ようやくここ二年のことだった。
「……なんだそれ。俺が帰ってきたら、現実のほうがファンタジー寄りになってんのかよ」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
そして四日目の午後、カウンセリング室に呼ばれた俺に、担当のソーシャルワーカーと、あの年配の警官が重い事実を告げた。
「ご両親のことだが……残念な知らせがある」
警官がテーブルの上に置いたのは、一枚の新聞の切り抜きだった。
――母は、俺が失踪した後、心を病んだらしい。日に日に衰弱し、精神科に通院していたという。
――父もまた、母の看病に追われながら、疲弊していた。
そして、失踪から二年後の冬。二人は揃って、交通事故で亡くなっていた。
「……遅かったな、俺」
呟いた声が、静かな部屋に溶けていく。誰も返事などしない。
異世界で、魔物と戦い、魔王軍との絶え間ない戦いを生き抜き、命をつないだ。それなのに、守りたかったものには、手が届かなかった。向こうの世界の仲間も、この世界の家族も。
だが、涙は出なかった。感情が、現実についていかなかった。それが、異世界で五年間を過ごした俺の、偽らざる実感だった。
この瞬間、俺の中で何かが決定的に変わった。この世界に、俺を無条件に受け止めてくれる人間はもういない。帰るべき“家“も、守るべき“日常“も、もはや存在しない。
ならば、俺がこの世界に戻ってきた意味を、自分で見つけなければならない。異世界で失ったものを、取り戻さなければならない。
記憶の奥で、折れた聖剣の重量がずしりと蘇る。あの剣は、仲間たちとの絆の証だった。そして、魔王との最終決戦で砕け散った、俺たちの希望の象徴でもあった。
もしもあの剣を再生できるなら。もしも、その方法がこの世界にあるなら。
俺は、まだやるべきことがある。
◇ ◇ ◇
それからさらに一週間後。
「精神状態は安定しているが、記憶障害の疑いあり。継続的なカウンセリングを要す」という診断結果と共に、俺はようやく一時的な解放を許可された。
ソーシャルワーカーが俺に告げる。
「日向さん、自宅までは警察の方が送ってくれます。自宅の鍵ですが、ご親戚の伯父様からお預かりしています。ご両親の後のことは……その方がほとんど済ませてくれたようです」
俺は小さく頷き、パトカーの後部座席に乗り込んだ。見慣れた景色が、やけに遠く感じた。
自宅は、都内の外れにある古びた団地だった。警官に礼を言い、渡された鍵でドアを開ける。中は静かだったが、死んではいなかった。誰かの手入れが行き届いていた。
テーブルとソファにはカバーがかけられていたが、埃は薄い。冷蔵庫は空だったが、電源は入っていた。
仏間に入ると、そこにあった。小さな、しかし真新しい仏壇。花は造花だが綺麗に飾られ、線香の香りもかすかに残っている。そこに並ぶ、二つの遺影。
母と、父だった。
写真の中の母は、いつも通りの笑顔だった。けれど、その笑顔が、痛いほど胸に刺さった。
俺は、仏壇の前に正座し、深く頭を下げた。言葉はなかった。言葉にできる感情ではなかった。
ただ、ただ――
「……帰ってきたよ」
その一言を、小さく呟いた。
しかし、返事をしてくれる人は、もうこの家にはいなかった。俺の帰りを待っていてくれる人も、喜んでくれる人も。
けれど同時に、俺の心の奥底で、一つの決意が静かに固まっていた。
失ったものは戻らない。だが、失った“意味“を取り戻すことはできるかもしれない。あの世界で共に戦った仲間たちとの絆を、この世界で何らかの形で再生することができるかもしれない。
そのために必要なのは、まず力だ。この世界で生きていくための力。そして、俺がやり残したことを完遂するための力。
俺は立ち上がり、窓の外の夜景を見つめた。無数の灯りが、この世界の“日常“を静かに照らしている。
その中で、俺だけが異質な存在だった。だからこそ、俺には俺の道がある。
明日から、新しい戦いが始まる。それは剣と魔法の戦いではないかもしれない。だが、俺の魂にとって、等しく重要な戦いになるだろう。
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本日、以下の通り全8話を公開予定としております。
第1話:07:15 公開
第2話:09:15 公開予定
第3話:11:15 公開予定
第4話:13:15 公開予定
第5話:15:15 公開予定
第6話:17:15 公開予定
第7話:19:15 公開予定
第8話:20:15 公開予定
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