第8話 未来への代償
僕たちは、キーシャが解析した座標とエリア・ゼロの記録を頼りに、南方の険しい山岳地帯へと足を踏み入れた。人を寄せ付けない峻厳な自然。鋭く切り立った岩山が連なり、頂は万年雪と氷河に覆われている。空気は刺すように冷たく、呼吸が苦しくなる。時折、遠くの谷で雪崩の轟音が響き渡り、自然の圧倒的な力の前での人間の無力さを痛感させられた。
「…この先ですわ」
数日間の過酷な行軍の末、キーシャがマナコンパスと解析装置を睨みながら言った。目の前には巨大な氷河が谷を埋め尽くし、青白い氷の壁がどこまでも続く。
「氷河の下、数百メートルに、巨大な人工構造物の反応があります。そして…その中心部から、極めて強力なエネルギー反応が…! エリア・ゼロの記録にあった『オリハルコン・コア』に間違いありません。ここが…オリハルコン・フォージ…!」
だが、彼女の顔はすぐに険しくなる。
「同時に…あの『シファーグβ』と思われる、特異なエネルギーパターンも感知します」
「ちっ、やっぱりいやがったか…!」
デアジュが舌打ちする。
しばらく進むと、氷河のクレバスの底に、不自然なほど規則的な形状の横穴を発見した。おそらく過去の搬入口か破壊の跡だろう。中に入ると、通路の壁や天井は分厚い装甲で覆われ、破壊された自動迎撃システムや強力なエネルギー兵器の砲台跡が氷に埋もれている。この施設は、中央のコアを外部から隔離し、内部からの暴走を防ぐための、幾重もの防御壁のように設計されているようだった。
「…すげえな。こりゃ研究施設じゃねえ。完全に要塞…いや、墓場か」
デアジュが、壁に凍り付いた旧式の強化戦闘服を着た兵士の遺体を照らしながら呟いた。
「施設のエネルギー状態が非常に不安定ですわ。コアそのものからというより、何者かが意図的にエネルギー流を操作しているような…不自然なパルスを感じます」
僕たちは通路を進み分厚い金属と氷でできた巨大な円形の隔壁の前にたどり着いた。最深部への入り口らしい。隔壁からはこれまでの比ではない強大なエネルギーの圧力が漏れ出し、表面には複雑怪奇な紋様が青白く明滅し、強力な封印が施されていることを示していた。
「…この奥ね。オリハルコン・コアが…そして、シファーグβがいる…!」
キーシャが、隔壁から放たれる異常なマナを感じ取り、息をのむ。
「こいつは、並の爆薬じゃ傷一つ付かねえぞ…どうする?」
デアジュが隔壁の厚さを確認しながら言う。
「僕がやる」
僕はハンマーを握りしめた。右腕に、エリア・ゼロの時のような、しかし今は制御下に置こうと意識できる熱い奔流を感じる。
「二人とも、離れててくれ!」
僕は全神経を集中させ、全ての力をハンマーに込めた!
「うおおおおおおっ!」
渾身の一撃が隔壁の中央に叩きつけられる!ドゴォォン!という轟音と共に隔壁全体が激しく振動し、表面の魔法紋様が乱れ飛ぶ!だが、まだ破れない!
「もう一撃!」
限界まで力を振り絞り、二度、三度と叩きつける!隔壁に亀裂が走り、眩い光が漏れ出してくる!
「ガストさん! 無理は!」
キーシャの制止の声も聞かず、僕は最後の一撃を叩き込んだ!
ゴオォォォン!!
凄まじい金属音と共に、ついに巨大な隔壁が内側へと吹き飛んだ!
開かれた扉の向こうに広がっていたのは、息を呑むような光景だった。巨大なドーム状の空間。壁や天井は、無数のパイプやケーブルが絡みつく金属の骨組みと分厚い氷が不気味に融合している。そして、ドームの中央。それは、冒涜的なまでに巨大な、歪な心臓だった。無数の面を持つ巨大な水晶の複合体。内部では稲妻のような青白いエネルギーが奔流となって荒れ狂い、時折、空間を揺るがす轟音と共に激しくスパークしている。オリハルコン・コア。その存在そのものが周囲の空間を捻じ曲げ、現実の法則を書き換えているかのようだ。
僕たちは言葉を失い、その圧倒的で破滅的な光景を前に立ち尽くしていた。世界の歪みの核心の一つ。安堵感よりも先に、これから対峙するであろう存在への本能的な恐怖と計り知れないプレッシャーが全身を襲う。だが、僕たちの目はすぐにコアの前に立つ異形の影を捉えた。黒曜石のような滑らかな装甲。禍々しい翼。そして、巨大な赤い単眼。
「シファーグβ」
…!奴はコアから伸びるケーブルに腕を接続し、禁断のエネルギーに干渉していた。僕たちがたどり着いたことに気づいているはずなのに、その単眼は感情なくコアを見つめている。まるで、僕たちのことなど取るに足らない存在だとでも言うかのように。
「…コアのエネルギー流に直接干渉していますわ!」
キーシャが目の前の光景とマナ感知から得た情報に息を呑んで叫んだ。
「エネルギー密度が指数関数的に上昇し続けています…! 周囲の空間への漏洩も無視できないレベルに…! この干渉パターン…まるで、意図的に不安定な臨界状態を誘発しようとしているかのようです…! このまま放置すれば、破局的なエネルギー解放は避けられません…! この施設ごと…いえ、この山域全体が危険ですわ!」
キーシャが悲鳴に近い声を上げる。
「させるかよ!」
デアジュがためらうことなく新型のレールガンを構え、引き金を引いた!超高速で射出された弾丸がシファーグβへと迫る!しかし、シファーグβはコアへの作業を止めずに、周囲の空間をゼリーのように歪ませ、弾丸を音もなく消滅させた。
『…演算結果ニ影響ナシ…継続…対象エネルギー流ノ位相変調ニヨル因果律擾乱…観測続行…』
感情のない思念が直接脳内に響く。やはり、こいつはコアを使って何か恐ろしい実験をしている!奴はゆっくりとこちらに赤い単眼を向けた。瞬間、エリア・ゼロで感じた以上の凄まじい威圧感が僕たちを押し潰さんばかりに襲いかかった。体が鉛のように重くなり、呼吸が止まる。立っていることすら困難になる。
「ぐっ…こいつ…本気で…!」
デアジュが歯を食いしばる。キーシャも杖を握りしめる手に力が入らず震えている。奴はまるで視界の端のノイズを消去するかのように、腕の一本を無造作に振るった。ただそれだけで空間が引き裂かれ、不可視の衝撃波が僕たちを襲う!
「きゃあっ!」
キーシャが咄嗟に展開した多重防御障壁がガラスのように砕け散り、彼女は壁に激しく叩きつけられ、ぐったりと動かなくなった。
「キーシャ!」
僕とデアジュも衝撃で吹き飛ばされ、氷と金属の床に叩きつけられた。
「がはっ…! ぐ…!」
肺から空気が押し出され、視界が霞む。内臓が破裂しそうな激痛。まるで歯が立たない。これが「シファーグβ」の力…!
奴は僕たちに興味を失ったかのように、再びコアへと向き直ろうとした。だが、僕が呻きながらもハンマーを握り直し、震える足で立ち上がろうとした瞬間、その巨大な赤い単眼が再び僕を捉えた。そして、エリア・ゼロの時とは比較にならないほど強く、直接的な干渉が始まった。
『…認識…識別コード:G-Variant…高エネルギー環境下ニオケル存在確率ノ遷移…記録開始…』
奴の思念が冷たい楔のように僕の脳に打ち込まれる。同時に、理解不能な情報、歪んだ幾何学模様、僕自身の力の根源に触れるようなおぞましい感覚が奔流となって流れ込んできた!
「う…ぐ…あああああっ! やめろ…! 俺の中に入ってくるな…!」
頭が割れるように痛い。視界が赤と黒に明滅し、立っていられない。右腕が灼熱を発し、意志とは無関係に制御不能なエネルギーが溢れ出す。まずい、このままでは僕自身が暴走してキーシャまで巻き込んでしまう…!体が、意識が、得体のしれない何かに乗っ取られていくような恐怖。
「ガスト! しっかりしろ! 呑まれるな!」
朦朧とする意識の中、デアジュの必死な声が聞こえた。彼も腕を負傷し息も絶え絶えのはずなのに、僕を正気に引き戻そうとしてくれている。視界の端で、壁際に倒れたキーシャがか細い呼吸をしているのが辛うじて見えた。もう駄目だ。誰も助からない…。
その絶望的な瞬間、デアジュの動きが変わった。彼は負傷した腕を押さえながらも、壁際のキーシャと苦悶する僕を見て、何かを決意したように目にギラリとした光を宿した。
「もう…ごめんだ…! 同じ思いは…させねえ…!」
デアジュがつぶやいた。彼の脳裏に、仲間を守れなかった過去の悪夢が蘇っているのが、なぜか僕には分かった気がした。彼は、シファーグβの意識が僕に集中している僅かな隙を突き、負傷を無視して音もなくコアへと接近を開始した。狙いはシファーグβがコアに接続しているエネルギーケーブル。彼は懐から、手のひらサイズの、見たこともない形状の装置を取り出した。中心部のクリスタルらしき部品が不安定に明滅している。彼は慎重にケーブルに近づき、ガジェットを設置しようとした、まさにその瞬間。
『…ノイズ…検知…』
シファーグβの赤い単眼が、冷たくデアジュを捉えた。次の瞬間、デアジュの体は見えない壁に叩きつけられたかのように、コアの壁面へと激しく打ち付けられた!
「ぐはっ…! くそ…っ!!」
鈍い音と彼の苦悶の声。血飛沫が舞うのが見えた。
(ああっ…! デアジュ…!)
万策尽きた。僕の頭の中が真っ白になる。だが――デアジュは、まだ動いていた。壁に叩きつけられ崩れ落ちそうになりながらも、信じられないほどの執念で、小型装置をコアから伸びる太いエネルギーケーブルの一つに、最後の願いを込めるかのように投げつけた。装置は火花を散らしながらもケーブルに吸着する!
朦朧とする意識の中、顔を歪めながらも、デアジュは壁に背を預けたまま、震える手で腕に装着された多機能ツールを構えた。苦痛と、過去の深い後悔を振り払おうとするかのような、壮絶な覚悟の形相。
(まさか…! やめろ、デアジュ!)
僕が叫ぼうとした時には、もう遅かった。彼は、腕のツールからエネルギーを帯びた細いワイヤーケーブルを、二条、同時に射出した!一条はケーブルに付着した小型装置へ、そしてもう一条は、僕への干渉で油断していたシファーグβの巨体――装甲の隙間へと!シュンッ!という鋭い音。ケーブルは寸分の狂いもなくそれぞれのターゲットに接続された!
「へへ…これで…どうだ…クソったれが…!」
血反吐を吐きながらも、彼の口元にかすかな、しかし紛れもなく不敵な笑みが浮かんだのが見えた。
次の瞬間、世界が白い光に塗り潰された。ケーブルに食らいついた装置が起動し、オリハルコン・コアの暴走しかけたエネルギーが、凄まじい轟音と共にケーブルへと吸い上げられ、デアジュの腕のツールを経由して、シファーグβへと逆流していく!『…強制エネルギー流入…内部回路…オーバーロード…システム損傷』
シファーグβが、明らかに苦悶しているかのような思念を発した。巨体が激しく痙攣し、装甲の隙間から青白いエネルギーが噴き出す。赤い単眼が苦痛に激しく明滅し、動きが明らかに鈍化していく。やったのか…!?デアジュが、一矢報いたのか!?
だが、喜びも束の間、僕は息を呑んだ。
「ぐ…うああああああっ!!」
デアジュの絶叫が響き渡る。コアからの凄まじいエネルギーは、シファーグβへ流れるだけではなかった。その奔流の一部が、中継点であるデアジュの腕のツールにも逆流し、彼の体を白い光で包んでいく。
「ガストォォォ! キーシャを…頼む…! 絶対…生き…延び…ろよ…!」
光に包まれながら、それでも彼は叫んだ。その声には耐え難い痛みと、僕たちへの想いと、最後まで諦めなかった彼の魂そのものが込められているように聞こえた。
「…へへ…ざまぁ…みろ…! 俺は…まだ…!」
悪態をつくような声が、光の中で途切れた。
「デアジュゥゥゥッ!!!!」
僕の絶叫が、崩壊を始めたドームに木霊した。彼の姿は、コアエネルギーの奔流の触媒となり、シファーグβに致命的なダメージを与えながらも、自身もその眩い光の中に完全に融け、掻き消えていった。彼の存在した場所には、網膜に焼き付くほどの光の残滓と、断末魔のようなエネルギーの咆哮だけが残された。
シファーグβは、デアジュの捨て身の一撃によって巨体を大きく損傷させ、赤い単眼の光も弱々しく明滅し、一時的に動きを止めていた。施設は激しく振動し、天井や壁が崩れ落ち、今にも全てが崩壊しようとしていた。僕の中の暴走しかけていた力は、デアジュの壮絶な最期によって、一時的にだが、激しい怒りと悲しみ、そして彼を止められなかったことへの深い後悔という、別のどうしようもない奔流に塗り替えられていた。
「行きますわよ、ガストさん!」
意識を取り戻したキーシャが、壁際の瓦礫から這い出し、僕の腕を掴んだ。彼女の顔は血と涙で汚れ、体は震えていたが、その瞳には強い意志の光が戻っていた。
「このままでは、わたくしたちも…! 行きましょう! デアジュさんの…彼の最後の賭けと、託された言葉に応えなければ…!」
「…デアジュ…!」
僕の手の中には、彼が戦闘前に「落とすなよ、これ結構高いんだからな!」と憎まれ口を叩きながら押し付けてきた、ひび割れた小型のセンサーだけが残っていた。その無機質な感触だけが、彼の犠牲を、彼の存在の喪失を僕に突きつけていた。僕は唇を噛み切り、溢れ出る涙を振り払い、損傷したシファーグβが再び動き出す前に、キーシャを支えて、崩壊するオリハルコン・フォージからの脱出路を必死で駆けた。彼の最後の言葉、
「生き延びろ」
という言葉だけが、世界が砕ける轟音の中で、僕の頭の中に繰り返し響いていた。なぜ、また守れなかったんだ…!
背後で、山脈全体を揺るがすような、想像を絶する轟音と衝撃。オリハルコン・フォージは、その内に秘めた莫大なエネルギーと共に、自壊していくようだった。僕たちの心には、また一つ、決して消えることのない、あまりにも大きな傷跡と、そして、友が命懸けで繋いでくれた、重すぎる未来への道が残された。
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