第5話 未来の皇帝

 テオドール達が殺されかけた夜。

 アクトがそれに気付けたのは偶然ではない。

 

 勇者として生きてきた経験が、死の気配を察知したのだ。

 

 慌てて騎士団員を守るために飛び出し、イデアルを説得したが――

 

(あれは、イデアルに愛されているから成せた事。この先、別の相手に同じ手は通用しないだろう)

 

 まだ幼い事も有るが、昔からどうしても気が弱い。

 イデアルのように強大な圧で相手を封じ込めるなんて事はできそうになかった。

 

 あまりにもイデアルが優しい父親をするから、すっかり勘違いしていた。

 彼は決して国のために動いているわけではないのだ。

 

 自分と、その家族の事しか大切にしていない。

 

 そうでなければ国を護る盾であり、国を守る鉾である帝国騎士団を皆殺しにしようだなんて思わないだろう。

 

 善人と悪人の区別を付けれるように――意識しているつもりだった。

 が、足りていない。

 

 アクトは弱い。

 

「どうしたら……」

 

 改めて鏡を見る。

 くりくりの大きな目、ふわふわとウェーブを描く長い髪。

 可愛らしい、子供。

 

 大きくなればそれ相応の見た目になるだろうが、見ただけで圧倒されるような、そんな気迫は得られそうに無い。

 

『困っているようだな』

 

 アクトが鏡の前で悩んでいると、脳内に声が響いた。

 

 久しぶりに聞く声。

 ヴァルンドールだ。

 

「つよく、なりたい」

『そのようだな。良かろう。お前には少し無理難題を強いてしまったからな』

 

 少し……ではない気がするが。

 そんな事はどうでも良い。

 

 先程の出来事でよく分かった。

 自分が死ねばこの国は終わりだ。

 

『気迫と……そうだな、それに見合うだけの説得力も要るだろう。それから……うむ。これで大丈夫。明日からお前は誰もを圧倒する男だ』

「ありがとうございます」

『励めよ、未来の皇帝アクト』

「はい」

 

 頷いたアクトの目に、強い光が宿った。

 

 

 ――――――

 

 

 翌朝。

 

 朝日と小鳥の鳴き声で目が覚める。

 心地の良い朝だ。

 

「おはようございます、アクト様」

「あぁ。おはよう。良い朝だな。お前もそう思うだろう?」

「……へ?」

「え?」

 

 起こしに来た乳母と目が合い、互いに困惑する。

 つい昨日まで、舌足らずで言葉の数も少なかったアクト。

 可愛い幼子だったアクトが――

 

「き――急成長していらっしゃる……」

 

 叫びながら、乳母は倒れていった……。

 

(えぇぇぇっ!?)

 

 慌ててベッドから降りる。

 身体が成長した、なんて事は無いが……舌っ足らずは影もない。

 

 口調も、威圧感が凄まじい。

 アクトは「おはよう、良い朝だね」と言ったつもりなのだが!

 

 慌てて……とは言ったが、体は悠々と動く。

 想定内とでも言うように乳母を抱き起こした。

 

「ア……クト様……」

 

 悪夢でも見たような顔をしている乳母。

 初老の女性には驚きが強すぎたらしい。

 

「うむ。いかにも。突然の事で驚かせてしまったかな」

 

 乳母はコクリと頷いた。

 

(そうでしょうね!)

 

 アクトも驚いているのだから。むしろ乳母が驚いていてくれて良かった。

 これで受け入れられたらそれこそ大混乱だ。

 

「どれ、今医者を呼ぼう。私ではお前を運んでやれないからな」

「い……いえ、お手を煩わせるわけには」

「何を言う。を労わるのは当然の事だろう」

「まぁ! うふふ……お心だけで嬉しいですわ。おかげで元気になりました」

 

 頬を染める乳母。

 彼女の名前はサラ。

 イデアルの乱暴な扱いにより危うく死にかけたアクトを助けてくれたあの勇敢な乳母だ。

 

 実母は始め見た日以来一度も会っていない。

 どこで何をしているのかも知らない。

 

 離宮に居るとは聞いているが、それ以上は何も。

 

 だからサラは実質的な母親で……きっと彼女にとってもアクトは息子のような物だろう。

 

 それがこんな急成長を遂げてしまって、その内心はいかがなものだろうか。

 

「さぁ、心機一転なされたアクト様を城のみんなに見せて差し上げましょう。お着替えしますよ〜」

「頼む」

 

 心機一転。イメージチェンジ。

 

 先程驚いて倒れたのはなんだったのかと思う速度で受け入れられてしまった。

 

 そしてアクト自身は内心驚きでいっぱいなのに、そぶりは平静そのもの。

 テオドールやイデアルは今のアクトを見てどう思うだろうか!

 

 確かに威圧感と説得力は出ただろう。

 

 しかし他にやり方は無かったのだろうか……。

 

 メイド達に着替えさせられ、食堂へ。

 

「おはようアクト! 昨日はビックリさせちゃってごめんね? 痛い所とかなぁい?」

「えぇ。お父様の寛大なる御心により私も騎士達も皆無事でございます」

「えっ……」

 

 イデアルが驚きの声を上げる。

 何事かと、サラとアクトを交互に見た。

 

「アクト様、朝からこの調子なのですよ。きっと偉大なるお父上の真似をしていらっしゃるのでしょうね」

 

 おほほと笑うサラ。

 さすがに彼女程の順応力を持った人は早々居ないだろう。きっとイデアルはとても驚いて――

 

「なるほどぉー! さっすが僕の息子だね!」

 

 驚いていない!

 さすが皇帝陛下……?

 

 どうやら驚いているのはアクトだけらしい。

 

 みんなもっと驚いてほしい。

 と言うか、イデアルを真似しても今のアクトにはならないだろう!?

 二人とも疑問を持ってほしい!

 

「あっそうだアクト、食べ終わったら訓練所行こうね! 良い物用意してあるんだ〜」

「それは楽しみです」

 

 朝からどっと疲れた。

 まだ、18歳までに皇帝になれなければ死ぬと言われた時の方が気持ち的にはマシだ。

 

 ろくに味も感じられないまま食事を終える。

 

 そしてこんな口調になったにも関わらずイデアルに抱き抱えられて移動。

 

 二歳児という肉体年齢のおかげで恥ずかしさを感じずに居られた運び方だが、喋り方がこんななのに父親に抱っこされて移動しているというのが凄まじく屈辱的だ。

 

 とても恥ずかしい。

 

 訓練所に到着。

 イデアルが入った途端、空気がピリッと張り詰めたのを感じる。


「やぁ! 昨日はみんなごめんね〜! 言った通り運んどいてくれた?」

「はっ!」

「さっすが仕事が早〜い」

 

 そう言いながら、イデアルはいつもアクトが座っていた辺りにアクトを下ろす。

 

「じゃじゃーん! 本当は三歳の誕生日にプレゼントするつもりだったんだけど、早めにあげちゃう!」

 

 いつもの椅子があった辺りには、アクトの大きさに合わせた豪華な椅子が置かれていた。

 

「玉座みたいでしょ? さすがに玉座はあげられないけど、それっぽいのを作らせたんだ!」

「……とても素敵です」

「でっしょ〜! 誕生日プレゼントとはちゃんと他に用意してあげるから、楽しみにしててね!」

「はい。お父様」

 

 本物の金と宝石がふんだんに使われている。

 

 ヴァルディア帝国の主産業は鉱石。

 山々に囲まれた内陸国であるヴァルディア。

 冬の厳しさと痩せた土地に適した農作物が少なく、鉱石を輸出する事で得た資金を元に生活物資を輸入している。

 

 この椅子一つで何人の民が救えるだろうか。

 

 今まで二年間、目を向ける機会なんていくらでも有ったはず。

 それなのにアクトは、ジェルヴェの死によって国民は救われたとばかり思っていた。

 

 昨日の夜、イデアルの蛮行を見てやっと、民は酷い暮らしをしたままである可能性に気付いた。

 

 己の不甲斐なさが情けない。

 

「それじゃあ僕はお仕事してくるから、良い子にしてるんだよ?」

「えぇ、分かっております」

「うん。いい子いい子」

 

 イデアルは愛おしそうに、優しい手付きでアクトを撫でた。

 暖かい父親の手。


 前世では孤児だったから、こんな父親に憧れて……甘えていた。

 

「じゃ、くれぐれもアクトに怪我が無いように気を付けてね」

 

 イデアルが騎士達に冷たく言い放ち、去って行く。

 

 去り行くイデアルを見詰めていたアクトは、いつの間にか騎士達がアクトの前に整列し跪いている事に気付いた。

 

「昨晩は我々のために身を呈して下さったこと、心より感謝申し上げます」

 

 団長が口を開く。

 

「そして我々の不注意が故に不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございません」


 騎士達が深々と頭を下げている。


 アクトは慌てた。

 謝るのはむしろ自分の方だと。


 しかし体は冷静そのもの。ゆっくりと大きく息を吸った。


「私こそ、申し訳ないと思っている。本来守るべき立場であるにも関わらず、私の軽率な行いで君達を危険に晒してしまった」


 騎士達に動揺が走る。

 本日三度目の反応。

 さすがに彼らはこの変化を受け入れてくれないだろうか。


「これからは行いを改め、としての振る舞いを心掛けよう!」


 ドカッと椅子に腰を下ろすアクト。

 口が勝手に大それた――そして、成さねばならぬ目標を言い放つ。


 騎士達がとても動揺しているのが空気から伝ってくる。


 縮み上がる内心とは裏腹に、アクトの振る舞いは堂々たるものだ。


 初めは不安げにアクトを見上げていた騎士達だが、互いに顔を見合わせる内にその表情が希望に満ちて行く。


「アクト様に尽きぬ忠誠を誓います!」

「俺も、あなたのためにより精進します!」

「こうして朝を迎えられたのはアクト様のおかげです!」

「本当にありがとうございます!」

 

 歓声が上がった。

 歓声を上げる騎士達は皆、小さく豪華な椅子に座るアクトに未来の皇帝を見ていた。


未来は明るいと信じる彼らの歓喜に満ちた声が訓練所内に響く。


 ――その声を、第一皇子が聞いているとも知らずに。

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