家出

焼おにぎり

それはプチ旅行気分

 きのうの夜、一人旅をする母から電話があった。

 その流れで、ふと思い出したことがある。


 ◇◇◇


「今から家出するから、準備して」


 父と掴み合いの大ゲンカをしたあと、母はそう言って私と妹を連れ出すことがあった。

 私が小学生で、妹はまだ幼稚園児だったろうか。


 家出。

 ……それも、成人女性の。


 今思えばシュールなギャグのようだけれども、当時はあんまり笑っていられる状況ではなかったような気もする。

 両親のケンカは、それこそギャンギャン大騒ぎだったし、物は投げるわ、引っ掻くわ、流血沙汰になるほど激しかった。


 それで、ケンカの最後はお決まりのパターン。

 父が「出て行け!」と言い放ち、母は「ああ、出てってやる!」と捨て台詞。


 私に緊張が走るのは、このときだ。

 家出するママが、私たちも一緒に連れ出してくれるかどうか。それにかかってる。


「ほら、早くして!」


 そんな風に声を掛けてもらえると嬉しかった。

 なんならプチ旅行気分である。


「明日はそのまま学校に行くから、授業の支度もするんだよ」


 言われるがまま、翌日使う教科書やらノートやらを、ランドセルへとせっせと放り込む。着替えも準備する。それを背負って、私は玄関へと続く。玄関では、まだ小さい妹を抱いた母が、靴を履いて車のキーを握りしめている。


 そのまま、夜のドライブが始まるのである。


 母には贅沢に使える資金がある訳でもなかったし、公衆浴場に行ったあと、その駐車場で車中泊をするのが定番だったように思う。


 しかし、それが逆に非日常っぽくて、私にとっては特別な夜だった。


 うちは家族旅行をする家庭じゃなかったから、広いお風呂に入れるだけでも珍しかった。

 朝ごはんとして買ってもらったパンも、車の中で食べると特別に美味しかった。


 そんな家出。


『家出してるのに、朝、ふつうに登校してる。』


 そんな、非日常と日常がまざりあった不思議な状況が、私には誇らしかった。


 学校の先生に「いま、お母さんと妹と一緒に、家出してるんだ」と自慢げに伝えたら、先生は「それは家出って言わないんだよ」と笑っていた。

 当時の私は「本当に家出なのになあ」と不満に思ったはずだけど、他人の目から見て、それだけ深刻そうには見えなかったってことなんだから、結果オーライだったってことだろう。


 ◇◇◇


「いま仁和寺にいるんだけど、御朱印ほしい?」


 今日の16時、母からメッセージを受信していた。

 私、バリバリ勤務時間中である。


「ごめん、仕事しててスマホ見てなかった」


 17時を過ぎたあとにそう返信したら、

「そっか、仕方ない。またの機会に」

 と返ってきた。


 52歳になった母。彼女なりに、一人旅を楽しんでいるらしい。


 ゴールデンウィークは、母の土産話でもゆっくり聞きに行こうかな。

 そんなふうに感じる、春の日の話でした。



(近況ノートに置いている、前段の母からの電話の話)

https://kakuyomu.jp/users/baribori/news/16818622173160370484


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