暗く静かな海にて
十二領 海里
01. 空軍士官ヴィヴィアーナ・カンタレッリ(前)
壁も床も天井も全て
中央には机と椅子があり、机を挟んで2人の男が向き合っていた。
「人間ってのは、夢を見る動物だ」
鉄格子を填められた窓を背に、紙巻煙草を喫う男は、彼の向かい側で、机の上の書類に書き込みをしている男に向かって語り出した。聞き手の男はその手を止め、視線を上げた。
「今より良い地位が欲しい。良い家に住みたい。良い服を身に着けたい。良い食い物にありつきたい。より良い明日を求め続ける生き物だ」
くつくつと笑いながら、「君もそうだろう?」と煙草の男は向かいの男に問い掛けたが、向かいの男は微動だにしない。
それも最初から分かっていたとばかりに、煙草の男は続ける。
「ただ、人々が求めるものも、実際に得られるものも、平等でもなければ同じ方向とも限らない。王様が求めるものと、奴隷が求めるものは全く違うだろう。だが――」
男は懐かしむように目を細め、自らの頬に走る大きな傷跡を
「共通しているのは、誰もが自らの自由と未来を夢見ているということだ」
向かいの男は再び視線を書類に落とす。
煙草の男は1度紫煙を吐き出し、話を続けた。
「民衆と共に生き、民衆が夢を追いかけるのを手伝うのが、我々の生き方だ。職業じゃない。生き方なんだ」
男は不遜に笑って見せたが、向かいの男は特に何の反応も示さない。
しかし、次の言葉にはまた視線を上げた。
「そんな生き方をするのに最も必要な資質とは、何だと思う?」
向かいの男は答えない。
20秒程の沈黙。窓から差し込む日差しを背に受け、煙草の男はその口を開いた。
「愛だよ」
* * *
「カンタレッリ大尉! カンタレッリ大尉!」
何度も扉を
その視線は少しばかり迷走した後、自分を心配そうに
身体を起こし、少女の頭を撫でながら寝台から立ち上がると、そこでふと自分が一糸
当然ながら、扉を叩く音も、その向こうから呼ぶ声は全くお構いなしで彼女を呼び続けている。
「ちょっと待って
目を擦りながらそう不機嫌な声を掛ければ、扉は静かになった。
寝台の上に脱ぎ散らしたままだった下着を身に着けると、少女が気を利かせて衣類掛けごとヴィヴィアーナの衣服を持ってくる。
礼を言いながら下衣を履いて、上衣の袖に腕を通すと、あっという間にアズーリア帝国空軍の女将校ヴィヴィアーナ・カンタレッリの完成だ。
長靴も履き、寝台横の小卓に置いたままだった略帽を手に扉へ向かうと、これまた少女が気を利かせて扉を開こうとしたが、それは流石に止めた。
ヴィヴィアーナが目を覚ますより先に起きていた少女は、しかし未だ下着しか身に着けていなかったのだ。それを扉の向こうの見知らぬ男の目に触れさせたくないと、彼女は思ったのである。
「ヴィヴィアーナ・カンタレッリ大尉ですね?」
「うん。あたしに何か用? 1200には基地に戻るって言ってた
少女を出入り口から見て死角に入る位置に行かせ、不機嫌な顔と声を作って扉を開くと、そこに立っていたのは2人の男だった。いずれも帝国空軍の制服を身に纏い、そしてその腕には空軍憲兵の腕章が付いている。
扉を叩いていたのは将校の方らしい。階級章はヴィヴィアーナより低い中尉だが、彼は敬礼もなく、そして表情にも声色にも敬意の欠片が見受けられない調子で言った。
「ヴィヴィアーナ・カンタレッリ大尉。貴官には上官侮辱罪及び児童買春の容疑がかかっています。直ちにオズウィングロスブール空軍基地へ出頭し、査問を受けてください」
* * *
中央大陸南西部を本土とし、南方大陸や新大陸にも豊かな植民地を持つ世界有数の列強国であるアズーリア帝国は、中央世界暦1651年9月現在、本土北方の衛星国アーテリア大公国を巡ってクラスニア連邦と戦争中である。
といっても、この約10か月で連邦軍は100万人以上の将兵を失い、現在も主力軍約12万人を大公国北部にて包囲されているという状況であり、戦況は既に帝国と大公国が圧倒的に優位なものとなっている。
そもそも兵士の練度も士気も、兵器の性能も稼働率も、帝国の方が圧倒的に高いのだ。国内の不平不満を外に向ける為にこんな無軌道な戦争を起こした連邦に負ける筈がなかった。
寧ろここ数週間の帝国軍内では、この戦争は最早身動きが取れなくなった連邦軍を徐々に追い詰める消化試合だというような雰囲気が漂い始めており、それ故に軍紀が乱れ始めているという指摘が増えてきている。
ヴィヴィアーナ・カンタレッリ空軍大尉に対する査問は、そんな事案の1つであるといえた。
カンタレッリ大尉は現在大公国北部、オズウィングロスブール州の北ノランヴィル飛行場に駐留する第109戦闘航空団に所属しており、開戦当初から戦闘に参加する歴戦の戦闘機搭乗員だ。
航空団内では第1飛行隊第3飛行中隊の指揮官を務め、認定撃墜戦果は64機、その
特に上官である第109戦闘航空団司令ニベル大佐との仲の悪さは有名であり、6月には彼に対する侮辱で1度査問を受けていた。この時は直属の上官たる第1飛行隊長が仲裁に入ったことで不問とされているが、全く以て懲りた様子は見せていなかった。
また、
彼女は同性愛者を自認しており、実際に数多くの女性と関係を持っていた。
無論、
一方恋人になったり結婚したりといった関係にまで踏み込むことはなく、殆どの女性とは一夜限り、長引いても数日間程度刹那的に関係を持つに留めていた。それがまた、周囲から彼女へ向けられる目を厳しくしていた。
特にニベル大佐との確執もその性癖に由来しているともされる。
戦争が始まる前から、否、士官学校を卒業して任官された時には既に、数多の女性と浮名を流していたカンタレッリ大尉は、ある日そうとは知らずにニベル大佐の娘に手を出してしまったのである。
娘を同性とはいえ傷物同然にされ、それどころか「もう男性とは付き合えません」と言って出て行かれてしまったニベル大佐は怒り狂い、一時はカンタレッリ大尉を殺してしまいかねないところだったという。仲裁したのはこれまた第1飛行隊長と、当時直属の上官であった中隊長である。
そんな彼女だが、先述の通り飛行技術は帝国空軍内でも指折りの腕前で、開戦後初の実戦参加から今日までの僅か10か月で2度も階級を上げている程である。その職位も小隊長から中隊長に格上げされており、隊内では大いに尊敬を集める存在であった。
それがまたニベル大佐にとって癪に障るようではあったが。
して、彼女を本来所属している北ノランヴィル飛行場から30キロメートル以上離れたオズウィングロスブール空軍基地まで態々召喚して行われた査問会で、まず
これはどちらかといえばこの件そのものよりも、平素からのカンタレッリ大尉の言動に対しての追及であった。
彼女はこの時も不遜な態度を取り続け、挙句には「侮辱したつもりも暴言を吐いたつもりもありません。ただ事実を述べたのみであります」とまで言い放った。
これには査問委員らも
次に挙げられたのは、彼女が9月13日に児童買春を行ったという件だった。
9月11日に飛行停止処分が解かれた彼女は、12日に基地東方の地域で敵爆撃機迎撃に出撃、夕方に帰還した。帰還するなり外出許可を得ると夜のノランヴィル市に繰り出し、そこで13歳の少女に金を渡して宿に連れ込んだというのだ。カンタレッリ大尉は翌朝その宿から基地に戻ったが、16日――つまりこの査問を受ける直前にも外出して、また同じ少女を買った。
これは軍規違反というより、帝国の刑法に抵触する事案で、査問委員は先述のニベル大佐に対する暴言の件よりもこちらを問題視していた。つまりこれが本題である。
しかし、これにはカンタレッリ大尉は強く異議を申し立てた。
13日と16日の夜に連れ込んだ少女は確かに同一人物であるが、当人は17歳を自称していたし、実際彼女自身の見立てでも15歳から18歳であると。
何より、13歳は守備範囲外だ、とも。
しかし、査問委員会はこれらの異議をすべて却下した。
そして飛行中隊指揮官職からの更迭と、本国での軍法会議という処分を言い渡したのである。
その段階になって、カンタレッリ大尉はふと査問委員を務める少佐の顔立ちがニベル大佐に妙に似ていることに気付いた。また、査問委員長が以前ニベル大佐と親し気に話しているのを遠目に見た顔であることも。
――ハメられた……! 最初から決まってたのか……!
それを指摘しようとした時には、彼女は憲兵によって手錠を掛け直され、護送車に放り込まれていた。
突然指揮を放り出すことになってしまった中隊の部下達、いつも味方をしてくれていた飛行隊長、そして戦争が始まってこの地に派遣されて以来出会った大公国の女性達。
様々な顔を思い起こしながら、カンタレッリ大尉は帝国へと移送されていったのであった。
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