革命讃歌

無邪気な棘

第一話「会談」

1908年、マレーシア北西部のペナンの一軒の邸宅で、二人の男が会談していた。


椰子の木の葉が静かに揺れる外に、窓は解き放たれていた。


ジュニ=ヤニンは静かに、しかし敬意を持って相手に問い掛けた。


「先生、最期に一つ。革命にとって、最も必要な要素とは何でしょうか?」


すると、相手は優しく、穏やかに、それでいて、威厳と自信に満ち溢れた声で返した。


「情熱です。」と。


ジュニが会談したこの相手こそ、かの偉大な中国革命の父、孫文その人であった。


会談を終えると、ジュニは邸宅を後にするのだが、邸宅の外では、弟子のヴィク=ラマが待っていた。


「お帰りなさいませ、先生。」


ヴィクがようやく懐かしい人物に再会出来たかの様に微笑ましく声を発した。


「会談は如何でしたか?」


ヴィクが師に聞く。するとジュニが満足そうに笑みを浮かべて返した。


「素晴らしい。ああ、そうだ。素晴らしいの一言に尽きる。」


そう言うと、ジュニは弟子の運転する車で土地を後にするのだった。


ジュニ=ヤニン、1876年生まれの32歳。


厳しくも優しい顔立ちに、鋭く光る瞳の奥には、祖国を解放する志しが静寂の中に秘められていた。


ラミヤムドネシア王国はミンダナオ島の東、ニューギニア島の北に位置する、面積230,000km²の島国であった。


当時の人口は約7,500万人。主要な産業は農林漁業であった。


アジア諸国が欧米列強の植民地と化す中で、独立を保つ数少ない国の一つである。


「孫先生は何と仰いましたか?」


ヴィクがハンドルを握り、ギアチェンジしながら師に問うた。


すると師曰く「情熱だよ。」


ヴィク=ラマ、ジュニの一番弟子である。1886年生まれの22歳。


美しく穏やかな表情に煌めく瞳、この一見すると優しさに溢れる様に見える青年の精神の奥は、祖国への変革の野望に満ちていた。


このジュニとヴィクはラミヤムドネシア人であった。


ラミヤムドネシアは南北に長い島であり、北部、中部、南部の三つに大きく分ける事が出来る。


二人は共に北部の出身であった。


その国家は実り豊かな土地であったが、王権による独裁と暴虐、そして汚職に塗れた官僚らによって、国家は傾き、民衆は貧しく疲弊していた。


特に、当時の国王グルラシャサカ三世の治世は業火の暴風雨の最中であった。


ある農夫が言った。


「ここに比べれば地獄の方が、まだマシだわ。」


と。


ジュニ=ヤニンは、代々、王家に仕える役人の子として生まれ、また、彼自身も海外留学を経て、官吏の道を歩んだ。


しかし、正義感が強く、曲った事を何よりも嫌う彼は、同期の者達よりも、出世が遅かった。


彼はそんな腐敗した官界から若くして引退し、正しい政治を実現させるべく、教育と政治家の育成の為の私塾を開いた。


その私塾に入門してきた学生、それがヴィク=ラマであった。


ヴィクは師の教えと知識を次々と吸収し、やがて、この塾生の主席を務め、師の一番弟子としての地位を不動のものとした。


1907年の事である。ジュニは地元紙に、ある論文を掲載した。


「今日におけるラミヤムドネシアの腐敗と破滅」と題したこの論文は、当時の王家と政治家、官僚らの堕落と腐敗を徹底的に批判したものだった。


これにより、ジュニは当局から、国外追放となってしまうのである。


そういう経緯があり、彼や彼の弟子らは、マレーシアに亡命したのだ。


水田に囲まれた道を車は風を切り走り抜ける。


「やはりこの地を逃亡先に選んで正解だったよ。革命指導者にいつでも教えを授かる事が出来るのだからね。」


師は弟子の背中に語り掛けた。


「孫文先生の事ですね。」


弟子が答えた。


車はスピードを上げてアジトに向かった。


南国の熱い風が男達の魂を揺さぶった。


アジトはペナンの外れにあった。


すっかり日が落ちて辺りが暗くなった頃、車は静かに停車した。


「先生、到着です。」


ヴィクが運転席から身体を捻り、後部座席のジュニに告げた。


するとジュニは洋服のネクタイを整え、上着のシワを伸ばすと、ゆっくりと車を降りてアジトへ向かった。


その後をヴィクが追うのだが、彼も師の真似をして、ネクタイと上着を整えながら、アジトへ向かった。


このアジトは古い洋館であり、昔、イギリスの東インド会社の関係者の邸宅であったが、長らく空き家になっていた。


そこを彼らが資金を工面して買い取ったのだ。


二人がアジトに入ると、他のジュニの弟子らが待っていた。


弟子はヴィクを入れて十七人。


皆、それぞれ、洋服だったり、軍服だったり、或いは、ヴァサナ(ラミヤムドネシアの民族衣装で日本の着物に似ている)などを着ていた。


居並ぶ弟子らにジュニが語ってみせた。


「同志諸君、孫文先生は近いうちに行動を起こされるであろう。それが何時かは分からんが、その日は近いと思われる。他言無用だ。」


師は弟子らを見渡すと、静かに椅子に腰掛け、弟子らにも座る様に促した。


「本国との連絡は?」


ジュニが弟子の一人に問う。


するとその弟子が応える。


「王国軍の若い将兵らと連絡を取り合っています。現段階において、我々に対して協力的な人物は、まだ五十三人であります。」


するとジュニは、笑みを浮かべて口を開いた。


「勝ったも同じだ。『まだ五十三人』ではなく『もう五十三人』もいるのだから。」


王国軍の若い将兵には、貧しい農家の出身者が多くおり、国王に対する潜在的な不満分子となりえる。


彼らと連携し、また、啓蒙する事によって、革命を有利に進めようというのが、彼らの狙いだった。


アジトでの会合を終えるとヴィクが師に尋ねた。


「先生、我々の革命はいつですか?」


すると、ジュニは彼の方を向き、こう答えた。


「既に始まっているよ。」


と。


中国で辛亥革命が起こる三年前の事であった。

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