黒曜の髪 蒼玉の瞳 ~輪廻の先で出会った君を救うため、僕はこの世界で生きると決めた~ 転生医師の異世界奮闘記

神崎水花

第一章 転生で初めて人の温もりを知る

第1話 転生なんてキャンセルだ

 俺の親父は厳しかったよ、そりゃもう半端なく。


 中学から高校卒業までの六年間といえば、皆は何を思い浮かべるだろうか。

 初めての恋人と充実した日々や、友人たちと時を忘れてゲーム三昧なんてのも。あぁ、時間を持て余し『暇だ暇だ』とボヤく毎日というのもよく聞く。


 そんな日常が心の底から羨ましいと思う。

 同じように過ごしたかったよ。経験してみたかったさ。なぜなら俺の青春は、勉強のみで終わったから……。携帯ゲーム機を持ち寄り楽しそうに談笑する声も、夜中のコンビニ前に集まる姿も、自由の無い俺には何の関係もない。近くて遠い世界。

 学校と食事に習い事、それらに風呂以外の時間は全て勉強なんてありえない。時に強く反抗を試みることもあったけれど、親父に「親の言うことも聞けんのか!」と叱られ、拳骨を受けて終いさ。


 我が家は、曾祖父から父に至るまで代々続く医者の家系で、地元では名士という評価を得ていた。そんな我が家では父の言うことは絶対で、誰も異を唱えることなどできない。

 そんな環境であってすら、反発したくなるのが子供ってものだよな。でも、その時期を過ぎて、少しずつ歳を重ね成長すると否応なく悟ってしまう。


 幼少のみぎり、我が家へ遊びに来た同級生達は口を揃えて同じことを言うんだよ。

「うわ、おうちが広い!」

「スゲー! お前んち金持ちだな!」

「お父さん社長?」なんてね。

 手入れの行き届いた広い庭に、リビングには最新の大型テレビ。車庫には父の趣味である高級車がずらりと並ぶ。服や持ち物の全てが一流の品々で用意され、そんな家だ、当然飯だって旨いに決まっている。極めつけは、その辺の芸能人よりずっと美人な母か。


 そんな所でずっと育てばわかる。幼い頃から散々に言い聞かされてきた、

『この世は競争社会だ、一瞬でも気を抜けばすぐに置いていかれるぞ。なぜ机に向かわん、死ぬ気で努力せい!』

 最初は反吐が出るほど嫌いだった、この呪いのような言葉がだんだんと、世界の真理のように思えてくるから恐ろしい。


 子供ながらに社会の仕組みを理解した俺は、皆が人生を謳歌するなか必死に勉強した。そうする以外に道はなかったともいえるけど……。 

 努力が実を結び、日本でも指折りの有名私立大学医学部への入学を果たした俺は、

『これで俺の世界は変わる。モテ期到来!』真剣にそう思ったさ。

 皆思うでしょ、医学生だよ? 某有名私立だぜ? ブランドじゃん。


 けど、俺のターンは始まらなかった。

 人生で未だ始まったことすらない、俺のターン。


 なぜかって? そんなのは簡単さ。

 中高と勉強漬けだった俺達医学部生はどうやら、その有名私立大学の中にあっては所謂いわゆる陰キャとやらにカテゴライズされてしまう。悲しいことに学内の見目麗しい女性達は、華やかな衣装に身を包み、見た目も社交も併せ持つ他学部の男達に持っていかれてしまうのさ。


『ならば仕方がない』

 と、半ばやけくそ気味に同学部の女に淡い期待を寄せるのか?

 そうじゃないだろ。

 自分は陰キャカテゴライズでも、相手も同じカテゴリーは嫌なんだ。そんな為に努力を重ねて来た訳じゃあない。昼は清楚で誰よりも美しく、けど夜は情熱的で、街を行けば誰もが振り返る。そんな優しい美人がいい。

 ちなみに肉食系は却下で、優しいのが必須条件だぞ。

 なぜなら、俺たちの精神が耐えられないからな! ふっ。

 夢くらい見たっていいだろ……、くうぅ。

 

 知ってる? 苦労して入った医学部も軽い地獄が続くのを。

 朝から晩まで専門用語が飛び交う講義に、毎週のように課されるレポートの山。学ぶことは多く、先のスケジュールもびっしりと埋まってるのに、四年からはソコに病院実習も加わるときた。遊ぶ暇なんてこれっぽっちも無い。

 ハハハ、笑いも枯れるわ。ホント。

 

 そんな地獄のような学生生活を終え、医師として勤め、気が付けばもう十年の歳月が流れていた。


 想像してほしい。初めて現場に立たされた時の怖さがどれほどか。

 頼れる先輩医師が不在の夜勤が、一体どれほどの恐怖かを。シンと静まり返った深夜の病棟、ナースステーションの明かりだけが廊下をぼんやりと照らし、患者の状態を知らせる無機質な音がやけに大きく響くんだ。

 

 若造に、人の命が重くのしかかる。

 その怖さを克服するためには、知識で武装するしかない。

 結局、いつまでたっても勉強なのさ。


 そうして気づけば、俺はこの年齢になっても唯一人ってわけ。

 物質的な豊かさだけでは決して満たされない。癒しの無い世界。

 こんな医療ロボみたいな毎日が、俺の望んでいた将来なのか? もう疲れたよ。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 たぶん、俺は死んだのだと思う。

 当直明けの当直という、死への行進デスパレードと言っても差し支えない激務に続いての応援要請、無理に無理を重ねた帰り道だった。どしゃ降りの雨中、にじむフロントガラス。対向車のヘッドライトが眩しく目に飛び込む瞬間、身を襲う激しい衝撃と浮遊感。

 そこで俺の記憶は途切れている……。


 いやいや、死んだら説明できないだろって?

 ああ、その通りだね。愚かなことを言ってる自覚はある。

 なぜ説明できるかというと、簡単さ、俺、目が覚めたら違う人だったんだよ……。ハハハ、笑えない。こんな話、誰が信じるというんだ。


 ──時は少しさかのぼる。

 

「まぁ、ぼっちゃま。お目を覚まされたのですね」

 重たい瞼をゆっくりと持ち上げると、視界に飛び込むのは、メイド服を着た若い女性の姿だった。メイド……? それに、ぼっちゃま?

 状況が理解できず、頭の中は疑問符でいっぱい。疲れてうっかり寝てしまったのかもしれないが、ここは一体どこだろう? それになぜメイドが? 

 メイド喫茶に入店した覚えも無ければ、当然、如何わしいサービスの類を頼んだ覚えもない。


「ご両親を呼んで参りますから、そのまま安静にしていてくださいね」

 部屋を出ていくそぶりを見せたメイドが、振り返り念を押していく、

「絶対ですよ?」と。

 まるで子供に言い聞かせるような台詞に、少々面食らう。三十代の大人相手に『ご両親』と言う表現も何だか腑に落ちない。


 そもそも、まだ状況を把握しきれていない!

 狼狽えるこちらの様子などお構いなしに、彼女は駆けて行った。

 

 それからしばらく、慌てて部屋を飛び出した彼女が二人の男女を連れて戻ると、そのうちの一人がいきなり「フェリクス。母様よ、目を覚ましたのね」と涙ながらに俺を抱きしめる。

 な、なんなの? 突然。


 ふわっと頬を包む、とても柔らかな二つの膨らみ。生まれてこの方三十数年、初めて訪れた至福の感触に脳内がピンク一色に浮かれゆくなか、精一杯の抵抗を試みる。


 あ、後で高額請求がくるパターンかも知れない。し、しっかりしろぉ。

 まずは落ち着け。慌てる乞食は貰いが少ないともいう……いや違う、それではまるで、パイ包みの延長を求めてるみたいじゃないかっ。ああ、でも柔らかいし、ほのかに甘い香りまでぇぇ……。

 

「ど、どど、どちら様ですか?」

 まるで赤ちゃんの頬みたいに柔らかくも温かい、そんな夢のような心地に包まれながら、思考を停止させまいと懸命に問いかける。そんな俺の台詞を聞いた途端、自称『母様』が大げさに泣き崩れてしまい、俺のマシュマロパイ包みタイムは終わりを告げた……。痛恨の台詞ミス……。


「そんな……私がわからないの?」

「フェリクス、私はわかるかな?」

「いえ……」

 フェリクス? 状況がさっぱり掴めない。

 ただ、ベッドに横たわる状況から察するに、何処かで倒れた俺は、このメイド喫茶? の方たちに助けられたのだろう。するとこの男性は店長で、差し詰めこの女性はバイトリーダーあたりと思うのが妥当か。

 

「どこで倒れたのか存じませんが、お店にご迷惑をおかけしてしまったようで……本当に申し訳ない」

「フェ、フェリクス。一体何を言ってるんだ? お、おい、どうなっている。何とかしろ!」

 店長が必死の形相で、白髪交じりの老人の肩を揺らしていた。

 皆なかなかの演技だと思う。本当に感心する。

 

「おそらく、落馬の際に頭を強く打たれたのでしょうな。記憶喪失でしょう」

「き、記憶が無いだと!?」

「ええ、無理に思い出させるのはご子息を追い詰め、却って良くないですな。しばらくは安静にしてあげるのがよろしいかと」

「なんてことだ……」

 何言ってんだこのバカ、誰が記憶喪失アムネシアだよ。

 

「フェリクス、急に押しかけてすまなかった。落ち着くまでゆっくりするといい」

 俺は、一連の迫真の演技にどう返してよいかわからず、ただ黙って眺めるしかできないでいる。自分だけ台本無しとか、無理でしょ!

「さあ、エミリー行こう。医者も言ってただろ? 今は目を覚ましただけで良しとしようじゃないか、ゆっくりさせてあげるんだ」

「ええ、わかったわアナタ。グスッ」

 え? ちょっと待って、あいつ医者役だったの?

 意識を失う程、強く頭を打ったなら普通検査だろ。硬膜下血腫こうまくかけっしゅとか気にならないのか? 職業柄この辺りの設定が甘いと、どうしても気になってしまう。

 突っ込まずにはいられないんだよね。

 

 ──喧騒からの静寂。

 皆が去り、知らぬ部屋にポツンと一人。

 どうにも落ち着かない俺は、薄暗い部屋の中を色々と物色し始めた。磨き上げられた木製の家具や、壁に掛けられた古めかしさを感じる絵画。足は、自然と甘い香りがかすかに漂う鏡台へと向かう。


 鏡台の前に立ち、意図せぬ自分の姿を見て、思わず腰を抜かしそうになる。

「うわああああ、嘘だろ? え? え?」

 そこに映っていたのは、見慣れた自分の姿ではなかったんだ。金髪。それも、どう見ても若すぎる、まるで子供じゃないか!

 混乱する頭で、必死に状況を理解しようとする。

 まさか、これが異世界転生、ってやつなのか……?

 

 ご都合満載で、俺が死ぬほど嫌いなやつじゃないかっ。

 死ぬほど勉強してやっと医者になった。これからセレブな生活と美人な奥さんを手に入れる予定だったのに! ふざけるな、こんなの認められるか!

 ……元の世界に戻してくれ、頼むから。


「転生なんてキャンセルだぁぁぁ」

 心の底から、そう叫んでいた。

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