救護室の天使

伊能音羽

第1話 予想外の来訪者

 プランタン王国。一年中春の温かい気候が続き、至る所で色とりどりの花々が咲き乱れる、美しい国だ。一年を通して雪が降り続けるイヴェール王国と、暑い日差しがギラギラと眩しいエテ王国の間に存在しており、その気候柄、プランタン王国民は皆、穏やかで優しい国民性を持っている。国の中央にそびえ立つのが、プランタン城。春を彷彿とさせる、ピンクとグリーンで塗られたステンドガラスでできており、ガラスのところどころには、草花の細かい模様が描かれている。城の周りは綺麗なフラワーガーデンが広がり、訪れる者に安らぎを与えている。

 プランタン王国、国王サントノーレは厳格な性格で、話しかけるのに少し勇気のいる人物だが、実は、誰よりも国民のことを想う、良き国王であった。どこかの国の暴君とは違い、国民から金をむしり取る、なんてことは絶対にしない。国民が安心して生活できるよう、国王自ら、国民の生活圏に足を踏み入れ、国民の意見を聞いて回るような、誠実さを持った人物なのである。そのため、国民たちはサントノーレに絶大な信頼を置いていた。それは、城で働く役人や使用人たちにとっても同じであった。働く環境はとても快適であると、皆が口を揃えて言う。各部署の部屋には、十分な広さがあり、必要な備品がきちんと用意され、適切な人数の配置がなされている。適度な休憩が許され、人間関係も良好だ。生活するのに十分なお給金も出る。まさに、言うことなしの職場なのであった。

 プランタン城専属の癒し手ヒーラー、マドレーヌは、仕事部屋をとても気に入っていた。彼女が勤務する救護室は、プランタン城南棟三階、廊下を曲がった先にある。日当たりも程よく、人の出入りがあまりないので、怪我人や病人の治療をするのに適した、穏やかな空間であった。

 新緑色のワンピースにフリルのついた真っ白なエプロン。これが、マドレーヌの仕事着であった。バターのようなブロンドヘアは、仕事の邪魔にならないように、シニヨンにまとめ上げるのが、彼女のこだわりである。

 マドレーヌは城での仕事に誇りを持っていた。

 時刻は朝の九時。今日も、助けを求めてやってくる者たちのため、救護室の扉が開く。

「マドレーヌさん、怪我人です!」

 救護補助担当のカヌレが、血相を変えて飛んできた。

「薔薇の棘で指を切っちまったよ。助けてくれ」

 カヌレに連れられて、救護室に駆け込んできたのは、王家専属庭師のエクレアだった。エクレアは初老の男性で、もう三十年も城に仕えるベテランの庭師だ。

 治療スペースは部屋の奥。カーテンがかかっており、外から覗けないようになっている。

 マドレーヌは、彼を治療スペースにある椅子に座らせ、指の状態を見た。右手の人差し指がざっくりと切れて、血が垂れている。薔薇の棘は、想像するよりも鋭いものである。フラワーガーデンに咲く薔薇の手入れをしていた時に切ったのだろう。

「今、治しますから」

 マドレーヌは左手で彼の手を握り、右手で傷口に優しく触れると、静かに眼を瞑った。

『エクレアさんの傷口が塞がりますように……』

 心の中で念じる。すると、マドレーヌの手から白い光が発せられ、その光がエクレアの指を包み込んだ。

 マドレーヌが瞼を開ける。若葉のような緑色の瞳がキラキラと輝き、彼女は、魔法の力が身体の中から湧き上がってくるのを感じた。

 次の瞬間、彼の指から流れ出ていた血は、嘘みたいに止まった。そして、マドレーヌの魔法によって生み出された光の糸が、傷口を優しく縫い付けていった。その光景は、とても繊細で、神秘的で――エクレアとカヌレは魅入っていた。

 傷が完全に塞がると、不思議なことに、彼の手はツヤツヤと輝いて見えた。そこにさっきまで傷があったのだと言っても、誰も信じてくれはしないだろう。

 自分の指を見て、エクレアは嬉しそうに眼を細めた。

「もう、大丈夫です。傷は治りましたよ」

「いやぁ、もう何十年もやってるのにね。薔薇の棘にやられるとは、不覚だったよ。ありがとう、マドレーヌ」

「いえいえ。治って本当に良かったです」

 マドレーヌは微笑んだ。

 エクレアは「うんとこしょ」と言いながら立ち上がると、仕事場へと戻っていった。その後ろ姿を、マドレーヌは手を振って見送った。

「マドレーヌさんの治癒魔法は、何度見ても本当に美しいです!優しくて丁寧で……まさに、神業って感じがして!」

 カヌレが手を組み合わせて言う。チョコレートのような茶髪に、蜂蜜と同じ色の瞳が特徴的なカヌレは、マドレーヌの同僚だ。同僚と言っても、彼女は救護補助であって、癒し手ではない。癒し手はその名の通り、傷を癒す手を持つ者、すなわち、治癒魔法を持つ者しかなれないからだ。しかし、癒し手でないからと言って、カヌレのことを侮ってはいけない。彼女はとても優秀だった。多くの怪我人が救護室に集まり、マドレーヌがすぐに全員の処置にあたれない時には、カヌレが手際よく応急手当てをしてくれる。困っている人や怪我人を見つけて、安全にここまで連れてきてくれる。その上、流行に疎く、どこか抜けているところのあるマドレーヌをサポートしてくれる賢い少女なのだった。

「神業、なんて言ってくれてありがとう。嬉しいわ、私の魔法は、父さんと母さんからもらったものだから。大事に大事に受け継いでいかないとって思っているの。カヌレこそ、いつも手伝ってくれてありがとうね」

 マドレーヌはカヌレにそう返した。

「いえいえ。私はそんな大したことしてないですよ。それよりも、私、もっとマドレーヌさんのことが知りたいです!子供時代のお話とか、初めて人を癒した時のこととか!」

 カヌレが瞳を輝かせて言う。実は彼女、こう見えて一ヶ月ほど前に、救護室に異動してきたばかりなのである。

 そのため、マドレーヌのことはまだ知らないことが多かった。

「そんなに面白い話はできないわよ?私の過去は鉛よりも重いのだから。自分で言うのもどうかと思うけれど。そう。両親が、早くに亡くなってね」

 マドレーヌが「ふふふ」と自虐的に笑う。カヌレは慌てた様子で頭を下げた。

「ご、ごめんなさい!私何も知らずに……」

 この時、マドレーヌは自分の発言を後悔した。カヌレを困惑させるつもりはなかったのだ。

「ごめんなさい、なんて言わなくていいの。私は人を助けるために己を犠牲にした両親のことを、かっこいいと思っているんだから」

 マドレーヌはカヌレの頭を優しく撫でると、彼女の顔色を窺った。

 カヌレは蜂蜜色の瞳を潤ませていたが、動揺している様子はなかった。

 時計が秒針を刻む音だけが室内に響く。

 彼女はその針が一周してから、ようやく口を開いた。

「……聞かせて欲しいです。マドレーヌさんのことも、ご両親のことも」

 その言葉を受け取ると、マドレーヌは優しく頷いた。

「そう。それじゃあ、救護室には、誰もいないことだし、お話ししようかしら」

 彼女は静かに語り始めた。

***

 十年前。九歳のマドレーヌは、本の世界に耽ることと、美しい花々を育てることが好きな、ごく普通の町娘であった。平民であるのにも関わらず、魔法の力を持って生まれたこと、中でもとりわけ希少価値の高い、治癒魔法が使えることを除いては――。

 母親のフランと、父親のギモーヴは、町で診療所を営んでいた。診療所には、怪我人や病人が訪れ、二人は癒し手として、日々治療に当たっていた。

 診療所は、平民街の端っこ、貴族街のすぐ近くにあった。そのため、身分問わず多くの怪我人や病人が訪れていた。間に合い室にいるのは、作務衣を羽織った職人、上質な生地を使ったワンピースを身にまとう婦人、学生服を着崩した学生など様々。年代や属性の幅広さが窺える。

「娘が走って滑って転んで……骨折していると思います。どうか、助けてください」

「昨日から咳の症状が辛くて……」

「食べ過ぎでお腹が痛いです」

 診療所に来る患者のほとんどが、正直で素直だった。どこでどのように怪我したのか、どこの調子が悪いのかをしっかりと話してくれる。

「助けてくれてありがとう!」

「これでよく眠れます」

「恩に着るよ」

 両親の治療が終わって元気になれば、礼を言って診療所から去っていく。

 マドレーヌは、ギモーヴとフランと一緒に、元気になった人々を見送る時間が好きだった。

 しかし中には、怪我も病気もしていないのに、冷やかしにくる者もいた。

「魔法が使えるってのは、王族だけの特権だ。俺たち貴族ですら魔力を持ってる奴はほとんどいない。平民のあんたらが魔法を使えるなんて、甚だおかしな話だ。どうせ、全部嘘っぱちだ。インチキ商売をやっているんだろう!」

 とんだ言いがかりである。

 それに対して、マドレーヌの両親は反論したりはしなかった。父親のギモーヴは淡々と怪我人の治療を続けていた。「マディ」母親のフランは、顔を赤くして怒りに震えるマドレーヌの肩をポンと叩いて、彼女のことを制した。

 誰も何も反応しなかったので、耐えかねた男は怒鳴った。

「おい、ふざけてんのか!なんか言ったらどうなんだ!口が聞けないのなら、俺の魔法で……」

 彼が「ねじ伏せてやろうか」などと、言いかけた時。男は目の前の光景が信じられず、目を丸くした。

 癒し手によって操られる光の糸。傷口が少しずつ縫い付けられていく。幻なのか、現実なのか。男は混乱した。

「これは一体⁉︎ま、まさか本当に……⁉︎」

 男は腰を抜かし、ずるずると後退りをした。ギモーヴは、彼の方には目もくれず、穏やかな口調で言った。

「あなたを癒すことはできません。その腐った心根は、治癒魔法ではとても治せませんから」

 その一言がかなり効いたようだ。

「ひっ、ひぃ⁉︎」

 男は逃げて行った。

 マドレーヌは誇りを持って仕事に励む両親のことが大好きだった。

「私は、大きくなったら父さんと母さんみたいな癒し手になりたい!」 

 いつの間にか、それがマドレーヌの口癖になっていた。彼女がそう宣言するたび、母のフランは優しく頭を撫でた。

「マドレーヌが癒し手になってくれたら、頼もしいわ」

 父のギモーブは微笑むと、マドレーヌの背中をさすった。

「なれるさ。マディなら」

 マドレーヌは両親のことをぎゅーっと抱きしめた。

 「その日」は、ピクニックにでも出かけたくなるような、爽やかな気候だった。暑すぎず、かといって、涼しすぎず。気持ちの良い風が吹いていた。

 マドレーヌは家の近くにある林で魔法の練習をしていた。虫に喰われた桜の花を、治癒魔法でなるべく早く再生させる訓練。両親の偉大な魔法を受け継いだとはいえ、この頃のマドレーヌは十分に力を発揮することができなかった。両親のように自在に治癒魔法を操れるようになるには、経験を積むしかなかったのだ。

『治りますように……治りますように!』

 何十回目かの挑戦で、初めて魔法が完全に成功した時。

 それは起こった。

 突然、地面が大きくぐらつき始めたのだ。マドレーヌはバランスを崩してその場に倒れ込んだ。

「なっ、何⁉︎なんなの⁉︎」

 地震である。

 マドレーヌは頭を抱えて、その場で丸くなった。

 彼女は恐怖で怯えていた。

 揺れはとても長く続き、マドレーヌは心臓の鼓動が激しく鳴るのを感じながら、治るのを待った。

 それからしばらくして。

 マドレーヌは恐る恐る周囲を見回した。植物というものは、強い生き物だ。木々は何事もなかったかのようにまっすぐと伸びており、足元では、草花がいつものように咲いている。マドレーヌ自身に、怪我はなかった。

 街の状況はどうなっているのだろう。マドレーヌは気になり、林を抜けて街の方を目指した。

 平民街に出る。レンガ道や塀の一部が崩れているが、幸いなことに、建物の多くは無事であるようだ。

 平民たちは何事かと、建物から外に出てきている。崩れたレンガを「こりゃたまげた」と言いながら観察する者。落っこちてきた塀のブロックを見て「頭に落ちてこなくてよかった」などと胸を撫で下ろしている者。それぞれがこの"一大事"への感想を口々に発していた。

「痛い……誰か助けて」

 声がした。聞こえるか聞こえないくらいかの、小さな声だった。その言葉から察するに、声の持ち主は怪我をしているに違いない。しかし、彼または彼女の存在に、周りの大人たちは、気づいていないようだ。

「だ、大丈夫ですか⁉︎」

 必死で言葉を返す。

「うぅ……こっち。生垣の方。木の間」

 大人の声ではなかった。その子の言うとおり、レンガ道と並んで植えられた、木々の一本一本を確認する。

「あっ!」

 木と木の間。綺麗なワンピースを着た同い年くらいの女の子――後に彼女の名前を聞かなかったことを後悔することになる――が、仔猫を腕に抱えてうずくまっていた。モカ色のサラサラとした髪に、薄紅色の美しい瞳。思わず、マドレーヌは見入ってしまった。髪につけた高価そうなお花のアクセサリーを見るに、貴族の子だろう。

 ……見惚れている場合ではない。

「ど、どうしたんですか⁉︎」

 マドレーヌはその子に駆け寄り、しゃがみ込んだ。

「さっきの地震で瓦礫が落ちてきて、下敷きになりそうだった仔猫を助けた。そうしたら、私の足が代わりに瓦礫の下敷きになった。落ちてきた瓦礫を動かして脱出したけれど……この様だ」

 色白く、細い足には深く切った傷がある。隣には、血のついた、それはそれは大きな瓦礫が横たわっている。

(足の痛みに耐えながら、こんなに大きな瓦礫をよく一人で……)

 平民であろうが貴族であろうが、お金を持っていようがいなかろうが、平等に訪れる悲劇。自然災害とは、恐ろしいものだ。

「大変!私の父さんと母さんは、癒し手なの!今から一緒に……あっ」

 マドレーヌは悩んだ。この足で、診療所まで歩かせることはできない。かといって、今頃、地震で怪我をした人々を手当てしているであろう両親を、ここまで連れて来るのも難しい。

「うっ……」

 女の子は、痛みで顔を歪ませた。

(今この子を助けられるのは、私だけ……?)

 見捨てる選択肢はなかった。治療は早ければ早い方が良い。このまま出血が止まらなければ、意識不明になってしまうかもしれない。悪いものが身体の中に入ってしまう危険もある。

「痛かったら、ごめんね。失礼します」

 マドレーヌは、その子の傷口を触った。

「なっ、何をする……⁉︎」

 案の定、女の子は嫌がった。

「私が、治すから。少しの間だけ、我慢して!」

 女の子は苦しそうに悶えるが、構わずマドレーヌは続けた。

 眼を瞑る。

『この子の傷口が塞がりますように!』

 マドレーヌは強く強く、願った。

 魔力が身体の中で湧き上がり、うずうずと、身体中を駆け巡りたがっているのを感じる。お腹から心臓にかけて、身体の中心が燃えるように熱い。これまで桜の花で練習したのとは比べ物にならないくらい、大きな力が必要だったのだ。

 眼を開ける。

 慣れない感覚。身体中に、緊張の糸が張り詰める。マドレーヌの心は、不安で張り裂けそうだった。しかし。負けてはいけない。今、目の前にいる、この子のことを助けなければ。彼女はそんな使命感に駆られていた。

 若葉色の瞳がキラキラと輝く。彼の患部が、白い光に包まれた。

 マドレーヌは裁縫をする時のイメージを頭に思い浮かべた。ひと針ひと針、丁寧に優しく。

 すると、光の糸が現れ、女の子の傷口を少しずつ縫い塞いでいった。

 背筋に緊張の汗が伝う。心臓が煩い。けれども、マドレーヌは瞬きひとつせずに、治療に集中した。

(絶対に、治してみせる!)

 マドレーヌは最後の最後まで諦めなかった。

 そして、ついに。

 女の子の傷は、跡形もなく消え去った。

 マドレーヌは初めて、人に対して魔法を成功させた。

「やった、やった、やった!」

 マドレーヌは、女の子そっちのけで、歓喜した。

「血が止まって、痛みが引いて、傷が閉じて……えっ?」

 女の子は、信じられないと言う顔で、自分の足とマドレーヌの顔を交互に見比べている。

「私ね、治癒魔法が使えるんだ」

 マドレーヌは「えへへ」と笑った。

「あなたは、あなたの名前は……?」

「私?私はマドレーヌ。マディって呼んでもいいよ!」

「そう。そうか……わかった。マディ。覚えて、おく」

 その時、ニャーオと仔猫が小さく鳴いた。ぺろぺろと、マドレーヌの手を舐める。

「ふふ。ちっちゃくてかわいい。仔猫ちゃんを助けるなんて、勇気があって、キミはとってもかっこいいね」

 マドレーヌは彼女の薄紅色の瞳をじっと見つめた。

 すると、女の子は黙ってしまった。何か気に触ることを言ってしまっただろうか。

 彼女の腕の中に収まった仔猫も、不思議そうに顔を見上げている。

 その時、マドレーヌは両親のことを思い出した。

「あ!いけない。私、父さんと母さんのところに行かなくちゃ。無事を伝えられていないから。治癒魔法が成功したってことも言いたいし。それに、できる限り、この力を使って、地震で怪我をした人を助けたいから。もう行くね。また、どこかで会おうね!」

 女の子は、最後ににこりと笑ってくれた。

「うん、またね」

 彼女が手を振る。

(よかった。助けられて)

 立ち上がった時、足元がふらついたが、気にせずマドレーヌは両親を探しに出かけた。

 両親のことだ。診療所を飛び出して、街中で怪我をした人の手当てにあたっているのだろう。

「すみません、父さんと母さん見ませんでした?」

 マドレーヌは道ゆく人に聞いて回ったが、皆、口を揃えて「見てないねぇ」と答えるのだった。

 緊急事態で、街は騒然としているというのに、マドレーヌは少々興奮していた。初めて、自分の魔法で他者を救えたことが、よほど嬉しかったのである。調子に乗ったマドレーヌは、怪我人を見つけてはすぐに治癒魔法で治してあげていた。

「全然見つからないな。父さんと母さん、どこ行っちゃったんだろう。もう、心配だよ」

 と言いつつも、マドレーヌはさほど焦っていなかった。

(父さんと母さんからしてみれば、地震も怪我も、へっちゃらだよね)

 マドレーヌは両親と、両親の魔法の力を完全に信頼していた。癒し手は、自分自身のことも治癒魔法で回復させることができる。それに、二人は常に一緒にいるので、たとえ同時に怪我をしたとしても、治癒魔法でお互いに助け合うことができる。かっこよくて強い両親には、怖いものなんてない。マドレーヌはそう信じて疑わなかった。

「マドレーヌちゃん!大変!今すぐ来て!」

 すると、ご近所のおばさんがマドレーヌを呼び止めた。この時、彼女はとても嫌な予感がした。

「ご両親が大変なの!この大地震で、診療所が倒壊したのよ!地震が治ってからしばらく経った後……急に柱がぐらついて崩れたと思ったら、瓦礫が落ちてきて……」

 おばさんは青ざめた表情をしている。

「そんな……で、でも。私の父さんと母さんは癒し手ですよ。まさかそんなことで……」

「良いから、来なさい!」

 おばさんに手を引かれて、マドレーヌはおぼつかない足で現場へと向かった。

 瓦礫の山。ここは診療所があった場所。マドレーヌと両親が暮らしていた場所。まさか、こんなことになるなんて。嘘みたいだ。

「父さん!母さん!」

 マドレーヌは瓦礫をかき分け、両親を探した。

「あっ……!」

 瓦礫の中から倒れ込んだ二人の姿が。

「父さん!母さん!」

 マドレーヌは泣きながら叫んだ。

「ま……でぃ。そこに、いるのね」

 フランが手を伸ばす。マドレーヌはその手を取って言った。

「今から私が治す!任せて!さっき初めて成功したの。絶対に治すから……待ってて」

『治れ……治れ治れ治れ……‼︎』

 必死だった。

 しかし。身体の中からちっとも魔力が湧き上がってこない。それどころか、頭がキーンと痛くなり、マドレーヌはこめかみを両手で押さえた。

「こんな時に……こんな時に‼︎」

 この時のマドレーヌは半狂乱状態だった。

「ま…でぃ…むりをしては……いけないよ」

 ギモーヴが掠れる声で言う。

『治れ……治って。おねがい』

 吐き気と眩暈がする。

(どうして。どうして身体に力が入らないの)

 その時。ぷつりと糸が切れたように、マドレーヌは力無く倒れ込んだ。

「マドレーヌ。愛しているわ」

「永遠に」

 両親の言葉を聞いたのを最後に、マドレーヌは意識を手放した。

 この時のマドレーヌはまだ知らなかった。魔法を使える者には、唯一弱点がある、ということを。

 持てるだけの魔力を使い切ると、身体が三日三晩、嘘みたいに動かなくなってしまうのだ。地震発生前、診療所内にいた人々を治療していた段階で、両親は魔力をかなりすり減らしていたのだと推察できる。そして、地震発生後、自分たちよりも、周りの人の治療を優先した。そこで、運悪く柱が崩れ、瓦礫が落ちてきて、二人の身体に直撃した。お互い治療し合おうとしたが、魔力が枯渇しており、叶わなかった。

 そのことに気がついたマドレーヌは、「なぜ早く助けにいけなかったのか」と、後悔の念に押しつぶされた。

 マドレーヌは当時、九歳の少女。魔力量は当然少なかった。彼女が救えるのはせいぜい四、五人。

 不幸にも、マドレーヌは、一番大事な両親を救うことができなかった。

***

「ね?重かったでしょ?」

 マドレーヌはまたも、自虐的に笑った。

「……マドレーヌさんは、すごいです」

 少し考えてから、カヌレが言った。マドレーヌは「気を遣わなくて良いのよ」と彼女の言葉をあえて流した。

「気を遣っているとかじゃなくて。普通はそんなの、立ち直れないじゃないですか」

「そうね。自分でも不思議」

「今のマドレーヌさんは、子供の時に受けた複雑な感情を、他者を救うことで昇華させられているんですよね」

「難しいこと言うのね」

「それ、できる人そんないませんよ」

「ありがとう、褒め言葉として受け取っておくわね」

 そう言うと、マドレーヌはカヌレに紅茶を勧めた。治療スペースのカーテンの内側。こっそりいただくのが、最近の二人の楽しみである。

「今日はフルーツティーにしてみます」

 カヌレが戸棚から、『フルーツティーの茶葉』とラベリングされた瓶を取り出す。マドレーヌは「私はハーブティー」と、隣の瓶を指差した。

 お茶会の準備が整うと、マドレーヌとカヌレは向かい合って座った。

 救護室内が優しい香りに包まれる。

 静かな午前である。

「それにしても、暇ね」

 マドレーヌが呟く。

「良いことじゃないですか。怪我人も病人もいないってことですし」

「まぁ、その通りね。でも誰か、訪ねて来ないかしら。いつもはこの時間になると、噂好きで有名な清掃係のタタンに、洗濯係のダックワーズが来るでしょう?彼らが来たら良い退屈凌ぎになるのだけれど」

 マドレーヌはため息をついた。

 救護室は名前の通り、怪我人や病人を救護する部屋である。しかし、ここに来るのはなにも患者だけではない。

「ノエル皇子とかが来ちゃったらどうします……?」

 カヌレが両腕を摩り、わざと震えるようなそぶりを見せながら言う。

「まさか。次期国王様よ。お忙しいに決まっているわ」

 マドレーヌはそう言うと、ハーブティーに口をつけた。

 ノエル皇子は『容姿端麗』『才色兼備』という言葉がふさわしい、この国の皇子様である。国王の厳格な性格をそのまま譲り受けたらしく、あまり笑わない。フレンドリーとはまるで正反対な、冷静沈着な性格で、『雪解けしない皇子様』などと称されている。

「もし、仮にノエル皇子がここへ来たとして、仕事の合間にお茶してることがバレたら、打首うちくびかしら」

「いや、さすがにそこまで皇子様も鬼じゃないですよ」

 カヌレは笑ってみせたが、彼女の同僚は、時折、冗談なのか本気なのか、どちらなのかわからない発言をするので、内心、困惑していた。

 ちょうどその時。

 トントンと、救護室の扉をノックする音が室内に響いた。

「グッドタイミング」

 マドレーヌとカヌレは顔を見合わせた。

 カヌレは「ただいま伺います」と、カーテンの外へ出て、来客の元へと小走りで向かった。

(ダックワーズとタタンはどんなお茶が好きなのかしら。フルーツ系?ハーブ系?)

 マドレーヌは呑気に構えていた。

 すると、焦った様子で、カヌレがカーテンから顔を覗かせてきた。血の気の引いた表情で、口をパクパクと動かしている。

 なにやら緊急事態らしい。

「ここは本当に救護室か?何やら茶の匂いがするが」

 カーテンの向こうから、声がした。

「癒し手はどこだ」

 残念ながら、この声はダックワーズのものでも、タタンのものでもなかった。

 マドレーヌはあわててカーテンから飛び出した。

(どうしましょう)

 彼女はの前に立つと、状況が飲み込めないまま、ワンピースの裾をつまんでお辞儀をした。

「お呼びでしょうか。皇子様」

「……」

 反応がない。

 この国は一年中温かい気候のはずだが、二人の間には、冷たい空気が流れている。

(あぁ。ちょっとお茶を楽しんでいただけで、打首なんて。せめて、お城から追放で許してもらえないかしら)

「先ほど腕に怪我をした。治してほしい」

 マドレーヌは耳を疑った。顔を上げて、来訪者――ノエル皇子の様子を窺う。

 柔らかなココア色の髪に桜のような淡い瞳。整った美しい顔立ちをしているが、噂通り、笑わない。『雪解けしない皇子様』と呼ばれるのも納得がいく。

 顔から腕に目線を落とす。患部は右腕。よく見ると、長さ十センチほどの、広範囲の火傷ができている。右腕の袖は、関節部分までまくられている。まくられた袖は、微かに薄茶色に染みている。これは一体何だろう?

「その腕、どうされたのですか?」

「……」

 皇子は答えない。

「皇子様、お答えいただけませんか?」

「……」

 ノエル皇子はマドレーヌから目線を逸らした。冷たい男である。

(身分の低い、一使用人の質問に、皇子様が答える義理はないわよね)

 マドレーヌは火傷の理由を聞くのを諦め、すぐに彼の治療に当たることにした。

「とりあえず、治療しますので、こちらへ……」

 マドレーヌはカーテンの中に皇子を招き入れた。いつの間にか、ティーポットやティーカップが片付けられている。

(カヌレには今度、お菓子を奢らないといけないわね)

 皇子は、先ほどまでカヌレが座っていた椅子に腰掛けた。

「見せていただけますか」

 そう聞くと、彼は素直に右腕をマドレーヌの方に伸ばした。

 赤く腫れている。意図せず、何か熱いものに触れたことに間違いはなさそうだ。気になるのは袖の茶色い染み。飲み物か。もしかして、紅茶でもこぼした?だとしたら、皇子は左利きなのね。マドレーヌは探偵になった気分で、一人、頭の中で推理を繰り広げた。

 気づけば、皇子が「早くしろ」とでも言いたげな顔で、ジロリとこちらを見ている。マドレーヌは、ドキリとした。

「痛みますか」

「大したことはない」

 この質問に対しては、すぐに返事が返ってきたので、マドレーヌは驚いた。

(結構痛いと思うのだけれど……皇子様はお強いのね)

「わかりました。それでは治療を始めますが、そのためには、皇子様の患部に触れさせていただかなければなりません。どうかお許しくださいませ」

 マドレーヌは深く頭を下げた。

「構わない」

 皇子が真顔で言う。

 嫌と言われてしまえば、打つ手は無かったので、マドレーヌは安堵した。

「では、失礼いたします」

 マドレーヌは再度、断りを入れてから、ノエル皇子の右腕に、両手で触れた。

「っ……!」

 皇子は強い痛みを感じたらしく、咄嗟に片目を瞑った。側から見れば、国の権力者を痛めつけるという、とんでもない構図である。時代と国が違えば、本当の本当に、打首は避けられなかっただろう。マドレーヌは少々、大袈裟に捉え過ぎているが。

『皇子様の火傷が治りますように』

 マドレーヌはぎゅっと眼を瞑って祈った。

 早くなる鼓動。湧き上がる魔力。

 彼女はパッと眼を開けた。

 患部が淡い光に包まれたと同時に、彼女の瞳が美しく煌めく。

 マドレーヌは光でできたリボンを魔法で出現させた。リボンは、皇子の腕にくるくると、巻き付いた。まるで、包帯である。リボンが患部に密着すると、ただれた皮膚が少しずつ再生し始めた。

 皇子は、じっとその様を見つめていた。

『そう、元通りに……』

 マドレーヌの魔法により、皇子は元の白い肌を取り戻していった。

 それから程なくして。

「お疲れ様でした。これで治療はおしまいです」

 ノエル皇子の火傷は、跡形もなく消え去った。

「……」

 彼は無言で、治った右腕を上から下まで眺めている。

「もう、痛みませんか?」

「……」

 マドレーヌは、あまりにもノエル皇子の反応が薄いので、彼の顔を覗きこんだ。

 その時、ノエル皇子とようやく目があった。

(綺麗な瞳……)

 誰かから聞いた話。この桜色の瞳は王家の血が流れる者の証だと言う。あまりにも美しかったので、彼女は目を逸らすことができなかった。

 彼もまた、マドレーヌの瞳をとらえて離さなかった。

「皇子様……?」

 次の瞬間。マドレーヌはいきなり、頭の上に何かが乗っかるのを感じた。それがノエル皇子の手だということに気づくのに、数秒を要した。

「どう、しました?」

(もしかして、頭をしばかれてるのかしら、私?)

 正確に言うと、ノエル皇子は、マドレーヌの頭を優しくポンポンと撫でていた。

「どうもしない。ただ、可愛いと思っただけだ」

「はい?」

 ノエル皇子は、初めて、マドレーヌに優しく微笑みかけた。

 マドレーヌは幻を見ているのだと思った。

(だって、皇子様は笑わない、そうでしょ?)

 理解が追いつかず、マドレーヌが戸惑っていると、皇子は立ち上がり、自らカーテンの外に出て行った。

「あっ、お帰りになられます?」

 きっと、今起きたことは何かの間違いだったと、マドレーヌは頭の中で、処理をした。急いで、彼の後を追いかける。

「執務があるからな。癒し手。おかげで、痛みが引いた」

(たいしたことないなんて言っていたけれど、やっぱり痛かったのね)

「ありがとう」

 皇子がマドレーヌに背中を向けたまま、礼を言う。マドレーヌは、またも耳を疑った。あの皇子が、「ありがとう」を言うなんて。

「いえいえ。紅茶をお飲みになる時は、くれぐれもお気をつけくださいね」

 最後に、マドレーヌが悪気なく言った。口に出した後で、彼女は「しまった!」と思ったが、一度発してしまった言葉は、残念ながら取り消せない。今度こそ、本当に怒られてしまう。マドレーヌは固まった。

 しかし、皇子は怒ったりはしなかった。彼は救護室から出る直前で、ピタリと止まり、「余計なお世話だ」と言い残すと、スタスタとどこかへ行ってしまった。

(一体この時間は何だったのかしら?とりあえず、怒ってはいなかった、みたい?)

 マドレーヌはほっと胸を撫で下ろした。 

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