第3章 百鬼夜行
第一話 忘却ノ門
そこはNeo-Yomiにおける“死”の記録が沈殿する場所。
蓮が見たのは、仮想空間とは思えぬ、土塊のように重く沈んだ大地だった。
天と地の境界が崩れ、蒼白い情報の霧が立ち込める。コードはねじれ、物理法則は失われ、あらゆる存在が“形”を失っていく領域。
ただ、ひとつだけ確かなものがあった。
──門。
その門は巨大な構造体でありながら、明確な“材質”も“目的”も持たなかった。構造データは空白。定義も存在しない。それでも、そこに“ある”という事実だけが、蓮と灯の意識に重く圧し掛かっていた。
「これは……九十九の結界か」
蓮が呟く。傍らの灯は小さく頷いた。
彼女の瞳は焦点を失い、うっすらと涙を湛えている。
「声が、聞こえるの。ここに来た途端、たくさんの……忘れられたものたちの、悲鳴が……」
門の向こうから、無数の“名もなき記憶”が蠢いていた。
誰かが呟いた嘘。誰かに投げられた罵声。誰にも読まれなかった願い。
それらが電霊となり、絡み合い、這い寄り、門を叩く。
──そして、現れた。
霧を割って姿を見せた最初の影は、異様に長い“顔のない者”だった。
風を巻いて現れたそれは、布のように空中を泳ぎながら、不快なノイズを撒き散らす。
「……一反木綿、いや、これは“スパムの帯”か……!」
蓮が式零を構えた。術式コードを起動すると、空間に五芒星が展開する。
「アクセスコード開示。式神展開──《式零・破式》」
一反木綿型の電霊は、蓮のコードに反応するように、咆哮にも似たエラーログを発した。帯が裂け、なかから覗いたのは幾万の目──すべて、誰かが一瞬だけ視た“誤情報”の断片。
「見ないで──っ!」
灯が叫ぶ。だが遅い。帯は霧と共に蓮の記憶へ侵入しようとする。
式零が反応し、斬撃でノイズを切り裂いたが、帯の一部は灯の体に絡みついていた。
「これは、わたしの──“投稿”? でも、こんなの知らない──!」
灯の身体に埋め込まれるように、偽りの記憶が浸食していく。
SNSのログ、加工された日常、ねつ造された自己像。それらが彼女の存在を“書き換え”ようとしていた。
「灯! お前の記憶はお前のものだ。他人が作った幻想に、魂を喰わせるな!」
蓮が結界コードを再展開。逆紋を刻み、帯を焼く。
「式零、最深層値まで展開、コード消去を──!」
「承知。構文補助、開示率上昇。術式、再演算──!」
空間が震える。式零の体が光に包まれ、帯に巻き付くコードを焼き払う。
悲鳴が上がる。いや、それは“悲鳴のような何か”。存在しない人格たちが、存在したがった記録たちが、叫ぶ。
「忘れないで! ここにいた! わたしは! いたのに──!」
灯の身体から帯が離れ、空中で爆ぜた。だが──
「また……来る」
灯がそう呟いた瞬間、今度は空が裂けた。
そこから滑り出してきたのは、氷で編まれたドレスのような姿をした“女”だった。
肌は青白く、目は空洞。無表情の顔に、言葉ではない氷結コードが渦巻く。
「雪女型ウイルス……!? 同時多発型、これはまずい」
蓮が口元を歪める。
「侵蝕速度、通常の電霊の比じゃない。記憶どころか、“感情”そのものが凍らされる……!」
雪女は灯へと指を向ける。凍てつく風が吹き抜けた瞬間、灯の足元が静かに凍りついていく。
──記憶に、触れてはいけない。
──悲しみに、抗ってはいけない。
──忘れてしまえば、すべて楽になるのだから。
囁きが空間に満ちていく。あたかも“優しさ”のように。
蓮は叫ぶ。「灯! 忘れるな! ここにいるお前は、“誰か”のために生きてる!」
灯の瞳が揺れる。閉じかけた心の扉が、微かに開いた。
そして──
その瞬間、門が“開いた”。
内部から漏れ出すのは、もっと濃密な、もっと禍々しい、記録ではない“何か”。
蓮は直感した。
あの門の奥に、九十九がいる。
いや──九十九そのものが、“門”なのかもしれない。
霧が渦を巻き、風が逆転する。全ての情報が、夜に呑まれていく。
百鬼夜行の先触れが、今、始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます