第三話 記憶の棲む路地裏

都市の裏層――表層のパッチワークに隠された、アクセス不能な古いバックアップデータの溜まり場。

通称「デッドログ街区」。忘れ去られた記憶の断片が、光の届かぬ路地に沈殿していた。


蓮は灯を連れて、その地下領域に足を踏み入れた。


空間は歪み、時間感覚さえ狂い始める。

数秒前の出来事がループし、未送信のメッセージが空中に漂い、誰かの嗤う声が通路の奥から断続的に響いていた。


「ここ、懐かしい……ような、怖いような……」


灯がぽつりと呟いた。

その言葉に、蓮は一瞬だけ足を止めた。


「記憶があるのか?」


「ううん、記憶じゃなくて……体の奥がざわつくの。まるで、自分がここから生まれたみたいに」


その直後、ノイズの嵐が走った。

蓮の視界に、膨大な“既読ログ”が流れ込んでくる。断片的な日常、誰かの愚痴、告白、後悔、悪意……そして、沈黙。


《注意。電霊濃度、臨界点突破。》


式零が警告する間もなく、闇の中から“それ”は現れた。


首。

首。

また首。


仮想空間のコードが軋む音とともに、ろくろ首型電霊が姿を現す。

通信ログを縒り合わせた首が、幾重にも巻かれて天井を這い、アバターの“顔”を模した仮面を数十もぶら下げていた。


「“おぼえてる?”」「“ワタシのこと。”」「“ねえ、なんで返してくれないの?”」


声が、無数の端末から同時に流れ出す。

ログの残響、忘れられた言葉たち。無視され続けた会話は、恨みに変わって形を持った。


灯が呻くように耳をふさぐ。

「この子……自分が誰か、分からなくなってる……!」


蓮は懐から札を取り出し、空間に即席の式陣を展開する。


「“退去(たいきょ)”の式……記憶に還れ!」


札が空間に焼き付く。

だが、電霊は笑った。

仮面のひとつが裂け、“君のことを忘れたくなかった”と囁く女の声を漏らす。


《失敗。除霊不可。電霊は未練の起点を自覚していない模様》


つまり、“誰に忘れられたか”を理解していないのだ。

だから消えない。

だから探している――“あの人”を。


そのとき、灯が前に出た。


「私、思い出せないけど……あの声、どこかで……」


蓮が止めようとしたが、彼女はそっと電霊に語りかけた。


「……あなた、ずっと誰かに返事がほしかったんだよね」


仮面の一つが、微かに震えた。


「“見てる?”」「“ちゃんと見てる?”」「“私、ここにいるよ”」


首がほどける。チャットログが千切れ、少女の足元に溢れた。


灯はそれを一つ一つ拾い上げるように、静かに呟く。


「うん、ちゃんと……見てるよ。あなたのこと、誰かが忘れたとしても……」


一瞬、ろくろ首型電霊の仮面に“涙”のようなコードが走った。

だが――


「“ウソツキ。”」


闇が牙を剥いた。

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