第1章 ろくろ首の都市
第一話 首のないログイン
都市は静かすぎた。
それが最初に蓮の警戒心を刺激した理由だった。
Neo-Yomi表層、第七情報区“YOMI-City:UraFront”。
常時ユーザー数一万を超える人気エリアで、現実の渋谷を模した華やかなアバター通りのはずが、今はただ、無人の広告ホログラムが空虚に瞬いていた。
「こんなはずはない……」
蓮はサイバー羽織を翻し、廃ビルの一角に足を踏み入れる。
そこはチャットルームを改造した闇サロン。かつては違法アバターの売買や記憶改変の密取引が行われていたと聞く。
壁に貼られたログインタグはすでに焼き切れ、部屋の奥には古いホストAIが死んだ目で突っ立っていた。
《ログイン確認……エラー。ユーザーID:不明。メンタルシグネチャ:不一致。警戒レベル:黄》
「いいから黙ってろ」
蓮が指先で結界コードを入力すると、ホストAIは不自然な笑顔を浮かべたままフリーズした。
その瞬間――
パチン。
何かが、音を立てて切れた。
蓮は即座に後方へ跳び、背後の空間を視認する。
虚空に現れたのは、一本の“首”。
否、“首のようなもの”。
それは透明なチャットログがねじれたものだった。吹き出しが無限に繋がり、過去の言葉が延々と流れている。
《うざい》《死ね》《好き》《またね》《誰?》《消えて》《助けて》《なんで?》
声と文字が交錯する。過去の通信履歴、忘れられたログ、断片的な感情。
それらが一つの“意識”を持って、今、こちらを見ていた。
「ろくろ首型電霊……!」
式零が警告音を発するより早く、ログの束が蓮の胸を貫いた。
「ぐっ――!」
だがそれは肉体ではない。
Neo-Yomiにおいて“ダメージ”は意識の撹乱を意味する。
映像、音声、感情の連鎖が洪水のように蓮の中に押し寄せる。
「誰かに否定された記憶」「言い返せなかった過去」「消し忘れた独白」。
“忘れたはず”の痛みが、神経のようなコードを通じて再生される。
≪記録ハ記憶ナリ。記憶ヲ消スナ。記録セヨ。記録セヨ。記録セヨ……≫
耳の奥で鳴り続けるノイズのような声。
それが徐々に人語を帯びていく。
≪蓮……お前も忘れたんだな。アイツの声を≫
蓮はその言葉に、何かが刺さったような感覚を覚えた。
“アイツ”とは、誰だ?
過去の記録を引き出そうとするたびに、白いノイズが走る。
「……黙れ」
蓮は懐から破邪式札を取り出し、ろくろ首型ログの束に叩きつけた。
データの火花が弾け、ログは一時的に散開する。
「式零、照射!《断絶ノ印》!」
式零が空間に陣を展開。
結界式による“通信断絶フィールド”が形成され、ろくろ首の首は切断されるように空中で凍結した。
ログの断面から漏れ出すのは、無数の“目”だった。
その一つひとつが、どこか人間めいた哀しみを湛えていた。
「目撃されたが、見返されなかった記憶か……」
蓮が呟いたとき、不意に背後から微かな声が聞こえた。
「……見えてるの?」
少女の声。澄んでいて、それでいて虚ろ。
蓮が振り返ると、そこに灯がいた。
まだ名前も知らない、“誰かの忘れた物語”が、そこに立っていた。
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