第3話

 彼の背格好はヴェルニアとほとんど同じで、顔の造形は違いを見つける方が難しい。

 だが服装や所持品に明確な差異もある。左目はローブと同じ色の眼帯で覆われ、ローブの下には翡翠色のニットを纏っている。右手には使い込まれた雰囲気が漂う艶のある黒い杖を携えている一方で、左袖からは手が覗いておらず、肩から先にあるべき腕の存在が感じられない。指輪やピアスといった装飾品は一つも付けていなかった。

「ダンドリ……え? でもヴェルニアさまとお顔が、ええ?」

 男の全身をめつすがめつ、ビアナが当惑する。男は彼女の様子を面白がるようにますます笑みを深め、ナギカは仏頂面で彼を紹介した。

「ダンドリオンよ。お兄さまの双子の弟」

 どーも、とダンドリオンは肩をすくめて、杖を持つ手をゆらゆらと揺らしていた。

「それで、なんの用かって聞いたはずだけれど」

 ナギカは机の頬杖を突き、ダンドリオンを見上げた。ヴェルニアであれば直視しにくい顔も、ダンドリオン相手なら別である。仕草や表情が違いすぎて胸が高鳴らないのだ。

「相変わらず姫さんは僕のこと嫌いっぽいねえ」

 敵愾心てきがいしんを隠そうともしないナギカに、ダンドリオンが皮肉っぽく口の端を歪める。

「用なんて無えよ。本を探しに来たら声が聞こえて、誰が居るのか気になって見に来た。そんだけ」

「本を探しに? あなたに読書の趣味なんてあったの?」

「あるんだな、これが。意外?」

「いいえ、全然」

 見えない火花がナギカとダンドリオンの間で散る。「あのう」とビアナが躊躇いがちに口を挟んでこなければ、言葉の応酬はしばらく続いていただろう。

「失礼を承知でお聞きしますけれど、お二人は仲が悪いんですの?」

「そうね」とナギカがうなずくのと、「全然」とダンドリオンが首を振るのは同時だった。

「なにが『全然』よ! 一度だってあなたと仲良しだなんて思ったことないわ」

 眦を吊り上げて抗議しても、ダンドリオンは態度を崩さない。

「一周まわってむしろ仲良しだろ。少なくとも兄貴はそう思ってるっぽいぜ」

「とんでもない誤解じゃない! 早くお兄さまに訂正しに行かないと」

 ナギカは慌てて腰を浮かせたが、走り出す前に目線の高さに杖を掲げられて動きを止めた。なんだと口で訴える代わりにダンドリオンを一瞥すれば、彼はわざとらしく眉を下げて苦笑する。

「やめとけよ。どっかの誰かさんがぶっ壊した部屋を直すのに忙しそうだったからな」

 ダンドリオンの一言に、ナギカは頭から冷水をかけられたような心地で座りなおした。

 ――こういうところが苦手なのよ。

 昔からそうだ。優しく紳士的に接してくれるヴェルニアとは反対に、ダンドリオンはナギカのなにが気に食わないのか、からかい混じりに痛いところをついてくる。ヴェルニアから何度諫められてもどこ吹く風で、完全にこちらを面白がっているとしか思えない。

 理解したようで結構、とダンドリオンは得意げに杖で床をこつこつと叩く。たいしてして効果は無いと分かりつつ、せめてもの反抗心でナギカは彼を睨みつけた。

「んで、そっちの嬢ちゃんは誰?」

 杖の頭に手を添えたまま、ダンドリオンは不躾にビアナを指さす。ビアナは不愉快そうに一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに立ち上がるとドレスを摘まんで優雅に礼をした。

「お初にお目にかかりますわ。ビアナ・アマティスタと申します」

「アマティスタって――あれか、宝石商の」

「ええ、よくご存じで」

 ビアナの父は類まれなる審美眼を持つと噂される人物で、たった一代で宝石商としての財と地位を築き上げた。最近では〝宝石に関する相談なら絶対にここ〟と貴族たちが真っ先に名を上げるほどの人気を獲得しており、王族にもたびたびアマティスタ家が関わった宝飾品が献上されている。

「姫さんと結構仲良さそうだけど、学校時代のお友だち?」

「お友だちだなんて畏れ多い! わたくしはただの侍女ですわ」

〝侍女〟と聞いた途端、ダンドリオンからすとんと表情が抜けた。数秒前まで笑っていたぶん変化が顕著で、まるで温度の感じられない暗く淀んだ眼差しは死人めいている。

 あまりの変わりようにぞっとして鳥肌が立つ。ナギカが腕を擦るのに対し、ビアナは異変を感じなかったのか「父が国王陛下と謁見した際の縁で」と仕えることになった経緯をつらつら述べていたが、ダンドリオンは「あっそ」とどうでも良さそうに遮る。

「ってことは、表にいたワンちゃんと違って姫さんの護衛じゃねえんだ」

「ワンちゃん?」

 ダンドリオンの言葉に、ナギカとビアナは顔を見合わせて首を傾げた。

 ――もしかして。

「エクトルのこと?」

 図書館にはエクトルもついてきていた。しかしナギカたちの読書の邪魔になってはいけないから、と中には入ってこず、今も入り口で姿勢よく待機しているはずだ。

 ナギカの問いに、ダンドリオンは「多分そう」と笑う。

「呆れた! 人を犬扱いするなんてどういう神経してるのよ」

「僕がここに入ろうとしただけで突っかかってくるような奴だぞ。敵を見つけてキャンキャン吠える犬と大差ねえだろ。『王族の許可なくここに立ち入ることは禁止されている』って、アホか。ちゃんと陛下から許可貰ってるっつの」

 彼のローブの胸元には星と王冠を模ったブローチが取り付けられている。衛兵や王族の同行が無くても王宮の敷地内はどこでも自由に出歩いていいという、いわば信頼と無害の証だ。

 エクトルはそれが目に入らず、図書館の入り口をくぐろうとしたダンドリオンを引き止めたらしい。そこで大人しくブローチを示せば穏便に済む話なのだが、彼の口ぶりから察するに、間違いなくエクトルをからかっている。

「『魔術師風情が調子に乗るな』って、顔真っ赤にして詰め寄ってくるもんだから面白くてさあ。他にもなんか言ってたような気がするけど、飽きたし時間の無駄になりそうだったから放置してきた」

「……とりあえずあとでエクトルには注意しておくわ」

 ナギカは眉間を揉んでため息をついてから、「けれど」とダンドリオンを見据えた。

「あなたもあなたで、魔術師の評判を落とすような言動は控えるべきだわ。ただでさえお兄さまと叔母さまは苦労してるみたいなのに」

「はいはい、すみませんね」

 謝っているとは思えない言い方だが、兄と母を理由に出されたことでダンドリオンは一応反省してくれた。口先だけの可能性ももちろんあるが。

「にしてもエクトルがブローチを見落とすだなんて」

 考えられない、とばかりにビアナは頬に手を添えて唸る。彼女のドレスの襟にもダンドリオンと同じブローチがあるため、エクトルが許可証の見た目を知らないはずがないのだ。

「理由なんてなんでもいいから喧嘩売りたかっただけじゃね」

 ダンドリオンはどこか疲れたように笑う。どうやら図書館までの道中でエクトル以外にも絡んできた輩がいたようだ。

「特に貴族はそんな奴ばっかりだ。今さら驚かねえよ」

「そんな、どうして」

「どうしてもなにも、貴族連中は『魔術師なんてろくな奴じゃない』って思ってるからな。あのワンちゃん、確かどこぞの伯爵家の三男坊だろ。魔術師憎しの教えを吹きこまれててもおかしかねえ」

 諦めと嘲りが混ざったような吐息をこぼして、ダンドリオンがどこか遠い眼差しで窓の外を見やる。

「姫さんはさあ、兄貴から神力のことなんて教わってる」

 いきなりなんだと眉を寄せつつ、ナギカは訓練初期にヴェルニアから言われた台詞を思い浮かべた。

「〝なんでも出来る超能力〟って聞いたわ。得意な術は個人によって違うけど、雨を降らせたり空を飛んだり、病気を治すことも出来るって」

「正解。けどまだちょっと足りねえかな」

「……足りない?」

 なにが、と問おうとした矢先、ばさばさとどこからか羽ばたく音が聞こえた。風を強く叩くようなそれは重みがあり、窓がかすかに振動する。

 程なくして、本棚の群れの奥から一羽の鳥が現れた。見た目と大きさは鷲に近いが、羽毛は夜明けの空を映したかのような鮮やかな曙色。とろりとした飴色の嘴は先端に黒い斑点が散り、獲物を見定める鋭い瞳は右が鉛色、左が紅色の輝きを湛えている。

 しなやかな筋肉がたくましい脚の先には黒曜石のような爪が備わり、ひと蹴りしただけでいとも簡単に肉を切り裂けそうだ。その印象とは正反対に、両脚で器用かつ丁寧に本を二冊も挟んでいる。

 突然現れた鳥に、悲鳴を上げたのはビアナだけだった。鳥は通路をするりと飛びぬけて三人の頭上で舞うと、ナギカの腕よりもさらに大きな翼をはためかせて慎重にダンドリオンの傍らまで下がってきた。

「やっと来たな。気になる本は選べたか?」

 ダンドリオンが杖を擦りつけるようにして鳥の頭を撫でる。くるる、と鳥が喉を鳴らしたのは甘えているあかしか。

「な、なんですの、この鳥は」

 襲われるのではないかと怖がって縮こまるビアナに、ナギカは鳥にそっと手を伸ばして頭を撫でてやりながら危険性は無いことを示した。

「ダンドリオンが飼ってるのよ。ラサラスっていうの。飼い主と違って誰彼構わず喧嘩を売ったりしない賢い子だから安心していいわ」

「おいおい、僕が片っぱしから喧嘩売ってるみたいな言い方だな」

 ダンドリオンの苦言を無視して、ビアナに挨拶するよう、ナギカはラサラスを促した。ぺこり、と頭を下げる仕草はなんとも愛らしい。ナギカに倣ってビアナも恐る恐る手を伸ばして頭を撫でていたが、そう簡単に緊張がほぐれたわけでもないようで、手つきはかなりぎこちない。

「鷲……ですかしら、珍しい色をしていますけれど」

「そりゃそうだ。こいつ、だから」

 ダンドリオンの説明に、ああ、とナギカは天井を仰ぐ。

 貴族たちが魔術師を忌み嫌うきっかけになった存在――それこそが幻獣である。

 ビアナはその存在をよく知らないのか、ナギカの渋面とラサラスの精悍な眼差しをおろおろと交互に見やっている。

「やっぱり嬢ちゃんは幻獣知らないクチか」

 おいで、とダンドリオンが杖で肩を叩けば、ラサラスは脚に挟んだままだった本を机に下ろして、叩いていた箇所に留まった。

「幻獣ってのは魔術師が作ったんだ。分かりやすく言やぁ、人工生命体だな」

「……作った?」

 息をのんだビアナに、ダンドリオンは軽快にうなずく。

 神が人を作った際の名残と言われるだけあり、神力とそれを操る魔術師の歴史は古く長い。その長い歴史の中で、およそ二百五十年前、一人の魔術師が閃いた。

『神が人を作り出したように、我々も命ある存在を作り出せるのではないか』と。

 紆余曲折を経て、試みは成功した。伝説や神話に登場する空想上の生物を基にした人工生命体――〝幻獣〟が完成したのだ。幻獣は神力の塊である〈核〉を心臓の代わりとし、それが摘出か破壊されない限り、半永久的に動き続けるまったく新しい至高の存在だった。

 魔術師たちは偉業を成したとして持てはやされた。幻獣の中には民に癒しや実りをもたらしたり、肉体労働に手を貸したりと役に立つ種類もあり、地域によっては幻獣信仰も芽生えたという。

「けど幻獣ってのは神力だけで出来てるわけじゃねえ。料理と一緒だよ」

 翼が生えた巨大なドラゴンを作りたければトカゲと鳥を、脚が八つある馬を作りたければ馬を八頭など、必要な材料を用意して神力で混ぜ合わせる。

 日々新たな幻獣が作り出される中で、ある時、上半身は人間、下半身は馬という個体が現れた。

〝人間が材料として使われた〟というのは、誰が見ても明らかだった。

「初めはそんなに問題にならなかったんだぜ。材料にされた人間ってのが奴隷とか身寄りのない子どもだったからな。人型の幻獣は労働の助っ人とか見世物とか、愛玩動物代わりにどんんどん作られていった」

 杖の先をぐりぐりと回して、ダンドリオンは外を見つめたまま滔々と語る。

「けど、ついに貴族の中から幻獣の材料にされた奴が出てきた。それまで自分たちが材料にされるはずがないって余裕ぶっこいてた連中は慌てるよな。『魔術師は危険だ、排除すべきだ』って叫び始めた」

 結果、魔術師たちは迫害と差別に晒されて次々に捕らえられ、ろくな裁判も無しに処刑台に送られた。運よく逃れた者たちもいたが息を潜める道を選ぶのが大半で、かつて十あった高名な家系は二つにまで減り、魔術師たちは表舞台から姿を消した。

 エストレージャ王国にいるゼクスト家は、残った家系のうちの一つだ。ゼクスト家は魔術師として名を馳せる以前から薬師としての腕を認められており、幻獣は作成したものの人間を材料に用いなかったのを理由に、今に至るまで存続を許されている。

「貴族ってのはずいぶん怖がりらしい。今でも『幻獣の材料にされるかもしれない』って怯えてるからいちいち突っかかってくんだよ。面倒くせえ」

 ナギカもそんな場面に何度か遭遇したことがある。王宮に出仕している貴族たちはヴェルニアやダンドリオン、彼らの母を敵視していた。無言で睨みつけるのは日常茶飯事で、すれ違いざまに露骨に文句を吐く者も少なくない。

「以上、貴族連中が僕にいちいち突っかかってくる理由でした。お分かり?」

 ダンドリオンが鼻を鳴らして締めくくる。

 ナギカは以前に教えられたことがあったため知っていたが、改めて聞くと複雑な心地になる。昔も現代も、ゼクスト家の魔術師たちは人々のために力を使っているのに、処刑された別の家系と十把一絡げにして「魔術師は悪だ」と侮蔑されているのだ。

 それに。

 ――神力を使える人を魔術師と呼ぶのなら、私だって魔術師だわ。

 王族の血を引きながらも魔術師の力を宿すナギカを、貴族たちはどう考えているのだろう。仕えるべき未来の主君か、忌み嫌って避けるべき存在か。

 ――どちらかなんて、なんとなく気づいているけれど。

 ふと顔を上げてビアナを見れば、椅子の背もたれに目いっぱい体を張り付けて硬直している。まるで、この場から逃げ出したいがナギカを置いてそれは出来ないため、可能な限りダンドリオンとラサラスから距離を取ろうとしているように。

「どうしたのビアナ。顔が真っ青よ」

「だ、だってナギカさま。その鳥は幻獣なのでしょう? ということは――」

 人間を材料にしているのでは。

 ビアナははっきり言葉にはしなかったが、言わんとしていることはダンドリオンに伝わったようだ。彼は面倒くさそうに「さあなぁ」と大仰に首を横に振る。

「ラサラスの材料がなんだったかなんて僕には関係ない。一人でいるこいつが寂しそうで可哀そうだったから手元に置いてる。そんだけだし」

 心の底から本気でそう思っていると分かる、突き放すような言い方だった。

 今にも凍りそうなほど冷ややかな空気が、三人と一羽の間に漂う。カア、と外で鳴くカラスの声だけがどこか間抜けだ。ナギカは視線を彷徨わせて、ラサラスが先ほど持ってきた本に手を伸ばした。

「懐かしい。久しぶりにこの本見たわ」

 ずっしりと重厚感のある革の表紙に見覚えがあった。庶民の間で語り継がれてきた昔話や教訓が百題以上も収められている一冊で、歴代の王族に読み継がれてきたであろうことが背表紙の擦り切れ具合からよく分かる。

「あら、確かわたくしの家にもその本がありますわ」

 どうにか幻獣のことを頭のすみに追いやりたかったのか、ビアナが努めて明るい声音で言いながら顔をこちらに向けてくる。

「小さな頃は両親に読んでもらったりして、お気に入りの話は何度もねだったものです」

「私も。寝る前によく読み聞かせてもらってたわ」

 他でもない、亡くなってしまった侍女に。

 表紙を開くと、紙に染み付いた本棚の香りがふわりと香る。時間の流れには抗えなかったのか、記憶の中にあるよりいくらか古ぼけて痛んでしまった部分もあるが、ざらりとしたページの質感は変わらない。一枚ずつめくるたびに耳の奥で侍女の澄んだ声が響いた気がした。

「一日一話ずつ読んでいきましょうねって言われたのに、次の話が気になって早く読んでってせがんだのを覚えてる。せっかく読んでもらったのに途中で寝ちゃって朝までぐっすり、なんてこともあったけど」

 ありがとう、とラサラスに本を返そうとして、ナギカは目を瞠った。

 ダンドリオンの瞳に、薄っすらと涙が溜まっていたのだ。唇は笑みを浮かべていたものの意地悪なそれではなく、慈しみすら感じられる。

 表情を失くした時とは違った驚きに言葉を飲みこんだ。よく確かめようとしたが、それを避けるようにダンドリオンに顔を逸らされてしまった。

「……ところでさあ、姫さん」

 ず、と洟をすするような音がかすかに聞こえたあと、ダンドリオンは顔を窓の方に向けながら横目でナギカを窺ってくる。

「ワンちゃんって姫さんの護衛なんだよな?」

「そうだけど……」

 自身に神力が流れていると判明して以降、ナギカの周囲では不穏な動きが相次いだ。

 ダンドリオンが評するところの「怖がりな貴族」たちに命を狙われたのだ。

 神力がまたいつ暴走するか分からず、その制御を指導しているのはゼクスト家の魔術師だ。力を扱えるようになったとして、それを良からぬことに――幻獣作成に使うのでは、といささか突拍子もない危惧を抱く者が一定数存在している。

 ある時は食事に毒を盛られたし、またある時は出かけた先で拉致されかけたこともあった。そんな不届き者の魔の手からナギカを守るべく護衛についているのがエクトルなのだ。

「どうせ僕が言ったところで聞かねえだろうから、姫さんから伝えといてほしいんだけどさ」

 ダンドリオンがおもむろに杖を掲げ、その頭を窓の外に向ける。いきなりなんだ、とナギカは訝しみながら杖の先を目で追った。

 空はヴェルニアと訓練していた時から変わらず、青く晴れ渡っている。そこを飛んでいるのはやはりカラスだ。ギャアギャアと忙しなく何度も鳴いて、図書館の周りを行ったり来たりしている。

 よく見れば、カラスの体にはなにかがまとわりついている。

 ――黒い、霧?

「護衛っつーのはさ、姫さんのそばにずっといてこそだと思うわけ。扉の横に突っ立って威嚇してるだけじゃ、そりゃただの門番だ――〈開けアビエルト〉」

 誰が鍵を外したわけでもないのに、ダンドリオンの言葉に合わせて窓がひとりでに開いていく。それを待ち構えていたように、カラスの嘴が急にこちらに狙いを定めた。速さは本を運んできたラサラスよりも鋭く、弓から放たれた矢のような勢いだ。

「〈痺れろトルエノ〉」

 ダンドリオンが密やかに呟くと同時に、きゅい、と甲高い音が鼓膜を揺らし、落雷じみた閃光が視界を覆った。目が慣れて元の景色が戻ってくると、カラスが頭を下にして無抵抗にひゅるひゅる落ちていくのが見えた。

 なんだ今のは。ナギカとビアナが愕然と身を縮める中、木を焦がしたようなにおいが鼻をくすぐり、ダンドリオンの嗤笑が耳に届いた。

「だからこんな風に襲撃されても、姫さんを守れねえんだよ」

 かつん、と床を叩いた彼の杖からは、白く薄い煙が立ち上っていた。

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