私がスエヒロ(自称)です

かたなかひろしげ

スエヒロ(自称)がやってきた

「こないだの地震すごかったですね。ガス爆発があったとかで近所のビルも傾いてましたよ。」


 子犬を抱えた初老の男性は、私が受付カウンターで処方箋の確認をしている合間に、そんな世間話をしはじめた。

 私が勤める動物病院は、まだ開業して数年の真新しい建物で、近隣の利用者も経済的に恵まれている人が多い。この男性も身なりはきっちりしているし、子犬の毛は手入れされすぎており、つやつやに輝いている。


 静かな音をたて、正面の入り口の自動ドアが開くと、鳥の入ったケージ鳥かごを抱えた中年男と、肩幅が広くがっしりとした青年が、院内に入ってきた。外の風は4月なのでまだ少し冷たく、獣臭で少し淀んでいた待合室の空気が、ゆっくりと撹拌されていくのがわかる。


「お忙しいところすみません。院長にお話しを伺いたく。お話の性質上、できれば個室が良いのですが。」


 体格の良い青年の男は、私に警察手帳を見せ、所属と要件を言うと、申し訳なさそうにカウンター前に陣取った。


 「スエヒロです! ワタシがスエヒロです」


 突然、もう一人の男が持っているケージの中の鳥───あれはオウムだろうか、それが、突然、片言でしゃべり始めた。


 待合室には数人の付き添いの方がいるだけだが、取り扱っているものが動物だけに、病院の中は常に騒がしい。だから鳥の真似た声などは、それ程珍しくはなく、話している内容も大したものではないこともあり、周囲の人も気を払ってはいないようだ。


 この自称スエヒロ君、それと飼い主と思われる男と、警察らしき男の二人と一羽は、空いていた診察室の一つに案内された。今日は珍しく、朝から出勤していた院長が応対をするようだ。窓口職員の中でも一番若手の私も、院長のフォローとして同席することになった。


 警察の男が言うには、この連れてきた男は、先日の大地震の後に道路の真ん中をふらふらと歩いているのを保護されたそうで、発見時に鳥かごを持っていたこと、更には一部の身の回りの記憶をなくしており、一つの事以外は、まるで思い出せないような状態であることが説明された。


 「私の名前は、スエヒロです。きっと、それは合ってると思うんです。」


 男は自信なさげにゆっくりと語る。すると、それに合わせるかのように、ケージの中の鳥がオウム返しで、「スエヒロです、スエヒロ、スエ……」と追いかけて鳴く。


 身元も不明で警察でも調べている最中だが、この動物病院の薬の袋が、ケージ下の引き出しに入っており、本人同伴で確認した方が良いであろう、と警察がここまで連れてきた、ということらしい。


 どうやら院長は事前に電話連絡で、簡単な経緯説明を聞いていたらしく、警察に質問を始めた。


 「警察さんの方で、足環あしわに刻印されていたコードから、日本獣医師会への登録情報の確認はできましたか?」


 「はい。最初は日本獣医師会に確認しましたが登録がなく、環境省の方に確認したら、実在する住所で、登録されている方も確認ができました。」


 院長は、手慣れた様子で鳥、───ヨウムの脚に付けられている、足環あしわのコードを確認すると、デスクの端末から検索を始めた。


 「では、わざわざこちらまでいらっしゃらなくても良かったと思いますが、今日はまたどうしてこちらまで?」


 「それが……登録されていた方は実在したのですが、今日連れてきましたこちらの方とは違う人なんです。こちらから連絡して署まで引き取りに来られたのですが、こちらの鳥が突然暴れ出しまして、ひっかいたり、脚で蹴ったり、とそれはまあもう手が付けられず。飼い主としてきた方も、こんな鳥は知らない、言い出す始末で。」


 院長は軽く首をひねって、聞き返す。


 「その方のご自宅には行かれてみましたか?」

 「はい。ですが、ご自宅の中は見せて頂けませんでした。令状もありませんでしたし。家に連れていけば落ち着くかと思い、念のためにこちらの鳥も連れて訪問したのですが、頑なに住居内での確認を拒否されまして。」


 「うーん、そうですか。」


 院長はひとしきり考えたふりをしつつ、また端末をたたき始めると、こちらを見ようともせずに、私に指示を出した。


 「ヨシイ君、読み取り機もってきて。」

 「はい。」


 私は、病院に幾つかある読み取り機のひとつを持ってきた。これは、動物に埋め込まれているマイクロチップの情報を読み取ることができる機械だ。今時は、ネット通販でも売られている。


 院長は読み取り機をヨウムにかざすと、情報を確認し、またデスクのPCで何かを確認し始めた。


 「あー。これは……。ほら、ヨシイ君、みてごらん。これが足環に登録されていた情報で、こっちがマイクロチップに登録されたIDに紐づけられていた情報。」

 

 院長は私に、2つのIDとそれぞれの情報を見せてくれた。


 「違いますね、これ。」

 「うん。そうだね。」


 警察の方が身を乗り出すように、デスクのモニターを見つめている。


 「マイクロチップの登録者、スエヒロさんってなってますね。」

 「おそらくこちらが本当の飼い主だろうね。足環の方は偽造された足環だよ。ご丁寧に環境省に登録までされている。プロの仕事だ。プロの動物ブローカーのね。」

 

 院長は警察の方に、マイクロチップ登録の説明をすると、警察の人も納得をした様だ。


 私はずっと気になっていたことを、院長に聞いてみた。


 「じゃあ、このスエヒロさんはどちらの方なんでしょうか?」

 「本来の飼い主じゃないかな、このヨウムの。チップの方に登録されている住所を警察の人と確認すればわかると思う。」


 *


 その後日、問題のスエヒロさんは、やはり正規の登録がされていたヨウムの飼い主であることがわかり、住所も判明、記憶も徐々に回復しているらしい。何故その状況が分かったかと言えば、本人がヨウムを連れて病院に挨拶に来たからだ。


 警察が足環の偽造の捜査で、問題の男の住居に入ると、盗品と思われる他の動物達も発見された。犯人宅も先日の地震に被災し、ケージが倒れた際に、ケージの入り口が開き、家の割れた窓からヨウムは脱出。


 ただ、飼い主の家も先の地震の被害に会い、ガス爆発により半壊。その上、肝心の飼い主は記憶の一部までなくしてしまっていた。逃げたヨウムは帰巣本能を働かせて、本来の飼い主の元まで戻ってからは、先の騒動の通りだ。


 こんな騒ぎになってしまって申し訳ありません、と男はしきりに恐縮していた。

 ヨウムを男から盗んだ犯人は、わざわざ足環を偽造して、環境省へ登録をしたまでは良かったが、実は一部の鳥は昔のまま、日本獣医師会への登録であることを知らなかったのが仇となった。しっかりと日本獣医師会へ登録していたのが功を奏したね。と、院長は飼い主の男を褒めていた。


 「でもどうして、自分の名前がスエヒロだ。ってわかったんですか? 鳥の言うことを信じた?」


 「はい。なんか信用できる気がしたんです。鳥の声に合わせて私もスエヒロだ、って言うと、なにか不思議としっくりくるような気がして。」


 男は嬉しそうにケージの中のヨウムをみつめている。


「ただひとつの不思議なのは、私、こいつに名前を───スエヒロと教えた覚えは全く無いんですよね。」


 あれ以来、家でヨウムが「スエヒロです」と鳴くことは一切無くなったらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私がスエヒロ(自称)です かたなかひろしげ @yabuisya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画