世界征服液

荒浪伴越

世界征服液

 「これは世界征服液、とでも呼ぶべきものであります」

 画面の男は堂々と言い放つと、褐色の液体で満たされた小さなガラス瓶を掲げた。

 「この瓶の中の液体一滴で文字通りこの世界の全てを手にすることができるのです。複製を防ぐため、具体的な原理の説明は差し控えますが、効果は確実であります」

 世界中の画面という画面に突然現れたこの男が、もしも無名の男だったら、そんな馬鹿げた話があるか、デタラメに決まっている、と誰もが一笑に付し、相手にしなかっただろう。しかし、この男は特別だった。

 彼は以前にとある偉大な発明をした科学者だった。その発明というのは、核爆弾に取り付けるだけで、遠隔で爆発時に放出される放射能を任意の量に調節できる、言い換えれば設定次第で核兵器による核汚染を事実上ゼロにできるという画期的なものだった。安価で量産可能なこともあり、世界中が彼を称えた、よく世界を核汚染の脅威から開放してくれた、と。

 しかし、人間は愚かしい。彼らはこの装置を科学者の意図とは正反対のことに用いることを思いついた。放出される放射能を任意の量に調節できるということは、設定次第で核汚染をゼロにすることも十倍にすることもできてしまうのだ。結果としてこの装置の量産は、核汚染の脅威の増大を招いてしまった。

 これに科学者は深く傷つき、ここ十数年の間、表舞台から姿を消していたのだった。

 そんな彼が何の前触れもなく、世界中の画面に現れ、おまけに前回の発明をも凌ぐ発明を片手にこんなことを言った日には世界がざわめいた。

 「私は、そろそろ無意味な争いが消え、世界が一つとなり、真の平和が実現されても良い頃ではないかと思っています。そこで私のように心から平和を希求する皆様の中で、私の現在の居場所を最初に探し当てられた方に、この液体を瓶ごと譲ろうと思います。そこから先の使い道はその方に委ねることとしましょう。それでは」

 彼が画面から消えたその瞬間、世界中の軍が動き出した。当然である。たった今人類史上最強の兵器の存在が明らかになったのだ。一刻も早くこの科学者を見つけ出し、彼の所持する謎の液体を誰よりも先に手に入れることが誰にとっても最善策であることは明白だった。

 各国軍はあらゆる手段を用いて科学者の居場所を特定しようと試みた。

 「きっとあの液体は新種の強力な放射性物質に違いない。上空から放射線量を計測すれば彼の居場所がわかるのではないか?」

 「いや、もしそのような代物なら彼はきっと見つからないようにうまいこと工夫をしているだろう。もっと他の方法を模索しなくては」

 「そもそも未だにあの映像の電波の発信源が特定できないのはなぜだ?」

 また彼らは互いに情報戦を仕掛け、敵国を出し抜こうと躍起になった。

 科学者の居場所を突き止めただの、あの液体の組成が判明しただの、嘘と矛盾だらけの情報がまことしやかに流布された。情報と思惑とが錯綜し、争いの火種がどんどんと撒かれていった。

 そしてついに一月後、全世界を巻き込む戦端の火蓋が切って落とされた。

 世界中で世界征服液をめぐる軍事衝突が勃発し、科学者の先の発明によって放射線量が何倍にも増した核爆弾の雨が、罪なき人々の上に降り注いだ。 地球全土が深刻な核汚染に蝕まれていった


 そして十年後、人類は、滅亡した。

 多くが戦火に焼かれ、辛うじて生き残った者たちも、皆放射線に体を食い破られ死んでいった。こんなこともあろうかと地下シェルターを建造し食料を備蓄していた者もあったが、これ程の事態を想定していた者はどこにもなく、もぬけの殻となった食料庫の前で一人、また一人と餓えに喘ぎながらこの世を去っていったのだった。


 だが唯一、あの科学者だけは生きていた。

 地中深くに埋まった冷凍睡眠カプセルの中で、彼は目を覚ました。

 「ようやく終わったか... 長かったな」

 ボソリと囁くと、科学者はカプセルの内壁についたボタンを押した。

 低い唸りを上げながらカプセル上部のドリルが起動し、カプセルは地表に向けて上昇していった。そして数分後、カプセルの影が地上に静かに出現した。

 辺りに小さくガスの噴射音が響き、カプセルの扉が開いた。

 科学者の目に地平線の方まで遮るものもなく延々と広がる灰色の荒野が映る。

 カプセルの外へゆっくりと歩み出ると、彼は空を覆う黒い雲の群れを見上げて呟いた。

 「静かだな... 少し味気ない気もするが、これで良かったのだ。人の世は常に争いが絶えないのだ。ならば、人の世を終わらせる他平和への道はないのだ」

 そして満面の笑みを浮かべた。

 「もうこれで二度と無意味な争いは起きない。ついに真の平和が、実現されたのだ」

 そういって科学者は瓶の栓を抜くと、中のウィスキーを飲み干し、降り始めた黒い雨の中へと溶けていった。

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