第8話 日常はエルフと共に

 朝靄の漂う林の中、最初の鳥のさえずりが静かに響き渡る頃──髭もじゃの男はすでに厨房で忙しく立ち働いていた。


「よし、スープの具はこれくらいで……あとは、このキノコを少し炒めて……」


 トシオは額の汗を拭いながら、朝食の支度に集中していた。ぼさぼさの髪と伸び放題の髭の間から覗く真剣な目は、まるで大企業の株主総会に臨む社長のように緊張感に満ちている。


 日が昇り始め、朝日が窓から差し込み始めると、彼の周りに次々と銀髪のエルフたちが集まってきた。


「トシオ様、今朝も美味しそうですね!」


「あの黒い実と緑のハーブを合わせた昨日の料理、忘れられません!」


「精霊の祝福が宿ったお味でした!」


 次々と口々に言われる賛辞に、トシオは恐縮しながらも内心では静かに誇らしさを感じていた。


 ──エルフたちとの共同生活が始まって、今日でちょうど十五日目となる。


 最初の頃は手探りだった暮らしも、徐々に落ち着きを見せ始めていた。


 朝は彼が料理を作り、エルフたちは水汲みと薪集め。昼食後は家の建設と畑仕事に励み、夕方には一緒に食材集めに出かける。そして夜には囲炉裏を囲んで語り合う──そんなリズムが自然と出来上がっていた。


「お待たせいたしました。本日の朝食は、鳥出汁野菜のスープと、干し肉とキノコの炒め物です」


 トシオが丁寧に料理を並べると、エルフたちの目が一斉に輝いた。


「トシオ様の"揚げる"の技術は神業です!」


「いえ、"炒める"こそ精霊の導きを感じます!」


「私は"煮る"が至高だと思います!」


 料理の技法をめぐるエルフたちの熱い議論が始まると、トシオは苦笑いを浮かべながら静かに席につく。


(初めは緊張したものですが、慣れとは恐ろしいものでございますね。十数名の女性に囲まれるのが、日常と化してしまいました……)


 朝食が終わり、食器を片付けるトシオの前に、アルウェンが現れた。


「トシオ様、今日は第二の住居がついに完成する日ですね」


「ええ、屋根の最後の部分を固定すれば使えるようになるでしょう」


 トシオの言葉に、アルウェンは微笑みながら深々と頭を下げた。


 日が高くなり、朝露が乾き始めた頃、全員で新しい家の完成作業に取りかかった。


 石の基礎に木組みをはめ込み、切妻屋根をあしらった造りは、東方のログハウスとどこか異世界の建築技術が融合したかのような佇まいだった。名刺の【大工】と【建築士】の能力を駆使したトシオの指導のもと、エルフたちは驚くほど手際よく作業を進めていった。


「ここの結び目をこう締めて……そう、その調子です。素晴らしい手つきですね」


 トシオが屋根の上から指示を出す様子は、まるで昭和の現場監督のようだった。腰に巻いた工具袋から木槌を取り出す所作に、かつての職場でコピー機のトナーを交換していた頃の記憶がふとよみがえる。


 正午過ぎ、ついに作業は終了した。


「ふう、これでかなり安定しましたね。屋根の部分は特に念入りに補強してありますので、霧巡の大雨でも問題ないでしょう!」


 満足げに新たな建物を見上げながら、トシオは汗を拭った。一滴の汗が髭を伝い、しずくとなって地面に落ちる。


「トシオ様、本当にありがとうございます」


 アルウェンがそう言って、深々と頭を下げる。銀髪が陽光に照らされ、まるで宝石のように輝いていた。その後ろには十数名のエルフたちが、同じように頭を垂れている。


「い、いえいえ、日曜大工は趣味の様なものでしてね、お気になさらず」


 トシオは慌てて頭を下げ返す。いかなる時も頭を下げる所作は、もはや脊髄反射と言っていい。


 昼食後、畑の様子を見に行く。最初は小さかった菜園も、今では立派に拡張され、様々な野菜が芽を出し始めていた。エルフたちの中には「農耕術」に長けた者もおり、畝の間を歩きながら植物に囁きかけるように何かを呟く彼女たちの姿は、まるで舞台の上の踊り子のように美しかった。


 午後の半ば、トシオは休憩のためのお茶を淹れた。太陽が西に傾き始め、木々の影が少しずつ長くなる頃だ。


 窓辺でお茶を啜りながら、トシオはふと目の前の光景を眺めていた。この十五日間、生活は急速に安定に向かっていたのは確かだ。


 しかし──。


 肩に疲れを感じながら立ち上がったトシオは、台所に向かおうとして足を止めた。視界の端に何かが引っかかる。


 それは、開きっぱなしの戸だった。


(ああ、またでございますか……)


 微かな風が、そのドアから流れ込み、カーテンを揺らしている。部屋の中の埃も一緒に舞い上がり、陽光の中できらめいている。


 このわずかな「違和感」が、日に日に積もっていた。


 外見上、すべてがうまく回っているようで──。


 生活というものは、案外「細かいこと」が積もるものなのだ。


 ため息をつきながら、そのドアをそっと閉めようとした、その瞬間だった。


「トシオ様!そのドア、閉めないでください!」


 横から少女の声が飛んでくる。振り返ると、年若いエルフの少女・リーファが慌てた様子で駆け寄ってきた。彼女の銀髪が風になびき、その後ろからさらに二人のエルフが姿を見せる。まるで閉まりそうなドアを守るための援軍が到着したかのようだった。


「い、いえ、風も吹いてきますし……埃も入りますし……」


「いけません!精霊様の通り道を塞いではなりません!」


 リーファの声には、まるで宗教裁判の審問官のような峻厳さがあった。背後の二人のエルフも、厳かな表情で同意を示すように頷いている。まさに三対一の包囲網である。


(……また、この話ですか……)


 そう。どうやらエルフの社会では、「ドアは開けておくもの」というのが常識らしかった。精霊信仰では「風通しを妨げてはならぬ」という価値観が根付いており、閉めるのではなく開けておくのが"礼儀"なのだという。


 トイレのドア。


 風呂場のドア。


 寝室のドア。


 すべて、開けっ放し。

 

 羞恥を抱えるのはトシオだけであり、彼は毎度薄目で通る日々を送っていた。


「わかりました。ええ、そのままで……結構です……」


 トシオはそう言いながら、静かに諦めの表情をした。木製のドアノブから手を離し、そっと頭を下げる。


「問題ないですよ。空気の流れが……精霊の力を……ええ……」


 エルフの少女は満足げに微笑むと、軽やかに去っていった。


「……文化を尊重したいのは山々なのですが、せめて入浴時くらいは……ッ」


 思わず呟いたトシオは、ふと物干し場に目をやった。そこには、エルフたちの衣類が風に揺れている。長い時間野営生活を送ってきたためか、獣皮や草木で編まれたものも多い。


 一見清潔そうに見えるその衣類に近づくと、微かだがどこか湿ったような、獣のようなにおいが鼻をつくのに気がついた。


「……そういえば、もうひとつありましたね……この暮らしに必要なものが」


 トシオはそう呟きながら、手元の皿洗いをさっと終わらせると、台所の隅から小さな瓶を取り出した。中には彼が狩りの際に集めていた灰と、保存していた獣の脂が入っている。


(水と混ぜて煮詰め、それを冷やして固めれば、できるはずですが……念のため調合師の名刺もセットしておきますか……)


 皆と昼食をとった後、トシオは静かに作業に入った。先日まで野営生活を送っていた彼女たちには、石鹸という概念がない。水で洗うだけでは取れない野営臭に気づいたトシオは、灰と獣脂を使って石鹸づくりを決意したのだった。


 細かい手順を踏み、木の灰から抽出したカリウムを主成分とする溶液と獣脂を丁寧に混ぜ合わせる。昭和生まれの男性の多くがそうであるように、トシオも学生時代に一度は理科の実験で石鹸を作った経験があった。その記憶を頼りと名刺の力を借りて、鍋で材料を練り上げていく。


 ぐつぐつと音を立てる鍋の前で、髭を撫でながら熱心に混ぜるトシオの姿は、まるで怪しい魔法使いのようだった。額には汗が浮かび、時折袖で拭いながらも、彼は集中を切らさない。


 太陽が山の稜線に近づき始めた頃、トシオの前には簡素ながらも立派な石鹸がいくつか並んでいた。


「トシオ様?何をされているのですか?」


 その様子を不思議そうに覗き込むのは、以前、トシオがディアルガ戦で助けた少女──ミラだった。彼女は首を傾げ、目を丸くして鍋の中をのぞき込む。その仕草があまりに猫のようで、トシオは思わず微笑んだ。


「ただの日用品でして。服や体を洗うのに使うものを作っております」


「洗う……?水以外で何かが必要なのですか?」


 ミラの素朴な疑問に、トシオは柔らかく微笑んだ。夕暮れ前の柔らかな光が差し込む台所で、彼はゆっくりと説明を始める。


「ええ、これを使うと汚れが落ちやすくなるんです。泡が立って……」


 言葉よりも、実演が早いだろう。トシオは固まりつつある石鹸の塊を少し削り取り、近くの水瓶で泡立ててみせた。


 白い泡が手のひらの上で膨らみ始める。


「っ!!」


 ミラの顔が一瞬で輝いた。あまりの驚きに言葉もなく、ただ目を見開いたまま、じっと泡を見つめている。まるで生まれて初めて虹を見た子供のような、純粋な驚きだった。


「こっ、これは!精霊の雫ですか!?」


 ミラの声に誘われるように、どこからともなく別のエルフたちがやってきた。日が沈み始める頃、トシオの周りには数名のエルフが集まり、白い泡に興味津々の様子で歓声を上げていた。


「水から白い雲が生まれた!」


「触れても消えない!しかも柔らかい!」


「精霊様の恵みが形になったのですね!」


「い、いや、これは単なる石鹸──油脂と灰からできた……えっと、科学的反応による……」


 トシオは何とか説明しようとするが、すでに彼女たちの興奮は止まらない。


「神聖な泡!これは水の精霊の祝福!」


「森の女神様が編み出した白き恵み!」


「精霊の泡!精霊の泡!」


 歓声と共に、石鹸を手にしたエルフたちが森の奥へと駆けて行く。どうやら、川で早速試してみるつもりらしい。


 トシオはただ呆然と、曖昧な笑みで彼女たちを見送った。


(……否定しきれませんね。ええ、まあ、精霊の恵みということで……)


 夕陽が山の向こうに沈み、森が橙色に染まり始めた頃。


 木陰に座り、石鹸に熱狂するエルフたちの輪を遠巻きに見ながら、トシオはふと、物干しに並んだ装備品に目をやった。


 雨に濡れて乾かしていた弓袋や革鎧。そして、銀色に鈍く光る剣やナイフ──。


(……皆さま、生活は野営風ですが……装備はやけに整っておられるんですよね)


 そう小声で呟いたトシオに、そっとアルウェンが歩み寄ってきた。


「それらは、精霊銀で作られた装備です。──そして、そこに刻まれたルーンが私たちの力の源なのです」


 アルウェンは静かな声でそう語り、トシオの横に腰を下ろした。


「精霊銀……?」


「ええ。普通の金属ではなく、禁忌地でよく取れる、精霊の加護を受けた特殊な銀です。ルーンを刻むことで、その力を宿すことができるのです」


 そう言って、アルウェンは自分の腰に下げていた短剣を抜き、トシオに見せた。


 刀身に浮かぶのは、繊細かつ複雑な文様。光を受けると微かに青く光るそれは、トシオの目には「文字」というよりも「回路」のように見えた。


「これらのルーンが、私たちの力を増幅させ、戦いを助けてくれるのです」


 アルウェンの説明を真剣に聞きながら、トシオは剣に目を凝らした。夕闇が迫る中、刀身の紋様だけが不思議な光を放っている。


 その仕組みについて考える。精霊銀という魔力伝導体に、ルーンという神秘文字で回路を作り、使用者の魔力を増幅する……。


「なるほど……これは電気回路に似ていますね。魔力を通して、増幅し、制御する……」


 目の前の刀身が、まるで立体的な設計図のように見えてきた瞬間──。


 トシオの胸元で、不意に光が走った。


 懐から静かな輝きが広がり、彼は思わず手をあてた。


「……!?」


 トシオの目が見開かれる。


 そこから取り出されたのは、見慣れた名刺ホルダーだった。だが今日は違う。自ら取り出したわけではなく、それが「自発的に」光を放っていた。


 ホルダーが自動的に開き、空中に一枚の名刺が浮かび上がる。まるで水面に浮かぶ蓮の花のように、静かに、しかし確かな存在感を放って。


 【ルーン付与師】


 光が収まり、名刺がトシオの手のひらに静かに落ちてきた。夕闇が深まり始め、周囲の光が薄れていく中で、名刺だけが淡く発光しているようだった。


「この、名刺というものが……また新しく?」


 アルウェンが不思議そうに目を細める。彼女たちはトシオの能力の全容を知らないが、何か特別な力を持っていることは悟っていた。しかし、新しい名刺が生まれる瞬間を目の当たりにしたのは初めてだった。


 (進化するとは知っていましたが……まさか増えるとは……)


 「これは……精霊の声を聞いたのですか?」


 アルウェンの声には、敬意と好奇心が同居していた。


 場の空気が、一瞬で変わる。


 いつの間に集まったのか、周囲のエルフたちが緊張した面持ちで、トシオとアルウェンを見つめていた。


「やはり……何者なんだ、この人は……?」


「突然の光は、精霊の声?」


「なぜこのような力が……?」


 ささやきが、静かに広がる。しかし、誰も大きな声では言わない。


 それは、暗黙の了解だった。


 トシオが到着した初日、アルウェンは皆にこう伝えていた。


『彼の持つ力について、詮索してはならない。それが、この地で共に生きる条件です』


 これは、共に暮らしてゆくという協定の中で、トシオが彼女たちに付けた唯一の条件でもあった。


 名刺ホルダーが光を収め、静かに沈黙が訪れる。


 誰も言葉を発せぬまま、囲炉裏の火がぱちりと弾ける音だけが響いた。


 そのとき、アルウェンが静かに口を開いた。


「……貴方のような方が、この地にいるとは。もしかしたら、これは精霊の導きなのかもしれません」


 一拍置いて、彼女は皆の視線を集めるように語り始めた。


「私たちは、"ハイエルフ"と呼ばれていますが……本来は、そう名乗ることすら赦されなかった者たちです」


 アルウェンの声には、どこか苦さがにじんでいた。


「かつて私たちの祖先は、リュセノール深森王国の最高位に位置していました。エルフ文明の頂点に立つ者たちでした」


 彼女は過去を振り返るように、遠くを見つめる。


「しかし、彼らは"自然との完全同化"という究極の精霊契約を求め、禁忌とされる儀式を実行してしまった。"大霊融合の儀"と呼ばれるその儀式は、エルフと精霊の間にある壁を取り払うものでした」


 アルウェンの表情が、暗く沈む。火の光が彼女の顔に影を落とし、その表情をさらに厳かなものにしていた。


「結果、多くの聖域は霊脈が枯渇し、大地は荒れ、多くのエルフが命を落としました。以降、私たちは「灰エルフ」と呼ばれ、すべての正統エルフ社会から追放・記録抹消されたのです」


 囲炉裏の周りに静かな緊張が走る。誰も口を挟まず、ただアルウェンの物語に耳を傾けていた。外の風が強まり、窓が軋むような音を立てる。


「"灰エルフ"と呼ばれる理由は、精霊と一体化しすぎた我々の肌が、灰色に──いや、"透けるような色"に変わったから。通常のエルフからは"穢れた者"として嫌われ、決して近づくことを許されません」


 アルウェンは静かに袖をまくり、トシオに腕を見せた。


 確かに、その肌は通常の肌色ではなく、ほんのりと光を通すような灰色がかった色をしていた。まるで月光を宿したかのような不思議な美しさ。火の光を受けて、その肌はさらに幻想的な色彩を放っていた。


「そして、最も辛い試練は、男性たちの喪失でした」


 彼女の言葉に、場の空気が凍りつく。


「霊脈戦争の際、すべての男性ハイエルフが"精霊核保持の生贄"として命を落としました。精霊との融合に、男性の肉体は耐えられなかったのです」


 トシオは黙って耳を傾けていた。アルウェンの声に宿る悲しみと尊厳に、彼はただ静かに頷くしかなかった。


「それ以来、私たちは自分たちの帰るべき場所を失い、禁忌地をさまよう存在となりました。人族には希少種として狙われ、エルフからは穢れとして避けられ、忌むべき存在へと……」


 語り終えたアルウェンは、やや俯いた表情を見せた。囲炉裏の火が小さく揺れ、その影が天井に踊る


 トシオは立ち上がると、棚に閉まっていたノートPCをそっと手に取る。


(エルフかと思いきや……"ハイエルフ"様でしたか……もっと彼女たちの事を知っておくべきかもしれません)


 異世界に来たとき最初から持っていた道具の一つ。


 ただ、当初は"魔力で起動する"と言われても感覚がつかめず、しばらくは使えなかったのだが、名刺で魔力職に就いてからは、自然と使えるようになっていた。名刺さまさまである。


 今では、指先から魔力を流し込めば問題なく起動する。


 トシオが「ハイエルフ」と検索すると、古文書や伝承、各国の研究資料が並ぶ。その中には先ほどアルウェンが語ってくれた内容と共に、リュセノール深森王国についての情報なども描かれていた。


(それにしてもやはり便利ですねこれ……干渉はできませんが、情報を得るだけなら現世も含め今世の情報も集められますからね……というかこの資料は一体だれが書いて‥――いえ、考えたら負けという奴かもしれません、ええ)


 その画面を覗き込み、エルフたちは静かにざわめいた。


「これは……記録の精霊具……?」


「いえ、預言書とか……!?」


「この光は?古代魔法の産物ですか?」


 ひそひそ話を始めるハイエルフたちを横目に「コホン」と小さく咳ばらいをし、トシオは再び画面に視線を落とした。


 スクロールしていくうち、視界にふと、別の見出しが目に入る。


《王都にて、王国軍による盗賊団の殲滅作戦失敗──一部が辺境伯領へ逃走中》


(……辺境伯領? それってもしやペオル村の──)


 トシオは思わず視線を止めた。


《辺境伯アルフレド・フォン・アルベルト、病床。現在は娘のシェリル・フォン・アルベルト(十八)が名代を務めている》


《逃れた盗賊一団の行方を追い、辺境警備の再編成に乗り出すも、領内の治安は未だ不安定――》


(……十八歳でございますか。まだ年若い娘さんなのに、辺境の実務を取り仕切らなければならないとは……)


 ノートPCの蓋を閉じ、トシオはそっと息をついた。


(……いろいろ起きてはいますが。今は、目の前の静けさを……)


 外では、涼しい夜風にさらされた数人のハイエルフたちが、髪を乾かしながら談笑している。


 トシオは、煎餅が入った籠をそっと取り出した。


 石鹸でさっぱりと体を洗ったハイエルフたちが、さらさらの髪をなびかせながら縁側に集まっていた。月の光が彼女たちの銀髪を照らし、静謐な美しさを引き立てている。


 トシオが淹れたお茶と、彼の作った煎餅を囲みながら、静かな夜の語らいが始まる。


 ──が、ふとした物音にトシオが顔を上げると、風呂場から何の迷いもなく、全裸のハイエルフが一人、湯気をまとって現れた。


「ブッ!!ゲホゲホッ!」


 むせかえりつつ、トシオは眉間を摘まみながら天を仰いだ。


(……ああ、やはり閉めないのですね)


 彼女はタオルの一つも巻かず、濡れた銀髪を優雅にかき上げながら歩いていく。周囲のハイエルフたちも特に気にする様子もなく、お茶を飲みながら会話を続けていた。


 トシオは湯飲みを静かに置き、頭を抱えそうになるのを堪える。


(……もう、ドアは諦めます。ええ、閉めなくて結構ですので……どうか、羞恥心だけは、少しでもお持ちいただければ……)


 そう呟きながらも、トシオの顔には不思議と柔らかな笑みが浮かんでいた。


 文化の違いや価値観の違いを乗り越えながら、それでも彼らの小さな共同体は、静かに、しかし着実に形作られていった。


 月が高く昇り、囲炉裏の火がゆらめく。


 トシオの作った家に、穏やかな夜が訪れていた。

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