第十三話 私の隣にあなたはもういない(後)

「トイガンでサバゲー……ボツっと」


 そう言って晃誠は左の山からとったプリントを、右の山に移動した。


「今さら斬新で現実的な競技の案も出ないと思うけど」


 正面からの女子の声に視線を上げると、目の前にいるのは汐見蒔絵だ。

 視線は手元のまま、プリントを確認しながら、シャーペンで別の用紙にチェックを入れていく。


 魅恋から蒔絵の話を聞き出したその放課後、晃誠と蒔絵は机を向かい合わせ、クラスでとったアンケートの集計をしていた。


 体育祭で例年定番の種目の中からやりたい物に投票の他、スローガンや、競技の提案があれば自由欄に記入するというものだ。

 実行委員会の会議で、今年はどんな種目を行うか、またそれに参加する学年や性別を決める資料となる。

 提案の内容としてはやはり多少ふざけているものが多く、大喜利か何かと勘違いしているようなものも少なくない。


「そうだろうけど……いや、これはいけそうだな。人物限定借り物競走『人借りいこうぜ』――個別に引いたランダムなお題に沿った人物を連れてゴールする」

「借り人競争ってやつね。お題次第だけど、レースの停滞防止に実行委員側でも条件の人物を仕込んでおいたりでっちあげたりできそうだし、いいかも」

「内容は特に目新しくもねえけど、名前はゲームのキャッチコピーをもじったものっぽくて悪くないな。じゃあこれは会議に提出でいいか」

「そうね」

「こっちは……『たんたんたぬきの金玉入れ』副題が『ゴールデン・投げっと』。玉入れ、ただし金の玉を入れたら五百億点とする。相手は死ぬ」

「副題でいいじゃないのよ、それさぁ。五百億点はともかく、ポイントの違う玉が混ざってる玉入れっていうのはありでしょうね。複雑にすると集計が大変だから、わかりやすい一種類だけにするべきでしょうけど」

「だな、まあ一応提出と」


 蒔絵は不良と評判の相手にも遠慮する様子もない。突き放すようなぶっきらぼうな物言いだが、晃誠としてはこのくらいの方がやりやすくていい。


 そうして再び沈黙が落ちる。


(これは――絡んでみる機会かな)


「――汐見さ」

「なあに」


 声をかけると、蒔絵は作業を続けながら返事をした。


「姫萩から二人の小学校時代の武勇伝を聞いたぜ。五年生の時にいじめを止めたんだって?」


 ぴたりと手を止め、こちらをまじまじと見つめてくる。


「古峰くん、最近ずいぶんと姫萩さんと仲いいみたいだね。ろくに人付き合いのない私にも噂が耳に入ってくるくらい」

「一応言っておくが男女的な意味でつきあっているわけではない」


 蒔絵はあまり興味なさそうに「そうなんだ」と言って作業に戻る。


「余計なお世話だとは思うが、お前らまたつるんだりしないのかなぁ、と。いや、本当にお節介だとは重々承知の上なんだが」

「古峰くんも、少なくとも学校には友達いないっぽいよね……いや、今は姫萩さんがそうか。それで、私の交友関係も心配してくれたんだ?」

「だから、俺が言えた義理でもないと言えばそうなんだが……」

「古峰くんみたいなタイプなら理解してくれるかもしれないけど、友達って本当に必要だと思う?」


 そう言って蒔絵は再び手を止めて顔を上げた。


「例えばさ、友達がいないと変な目で見られるじゃない? あの子は友達が作れない、そういう恥ずかしい人間だって、そんな風に思われる。友達っていうのはいいものだ、必要だっていう圧力みたいなものもあるでしょ。世間体とか義務に追われてただ友達を作って、いいことなんて何があるんだろうね」


 なんだか卑屈な友達論だが、その感覚は晃誠もわからなくはない。確かにそういうところはあるだろう。


 友達がいるのは『普通』のこと。だが皆が『普通』にやっているはずのことが、自分にはうまくできない。そうした苦痛も晃誠だって無縁ではなかった。

 思えば、うまくできないこと自体より、それを他人に知られて笑われたり憐れまれたりするのが嫌で、友人を作らなければという義務感にかられるようなこともあった気がする。


「聞いたかもしれないけど、小学校の頃はフェルト人形とか、ビーズステッチのアクセサリーなんかを作って友達を釣ってたんだ、私。作るのも好きだったし、人にあげれば喜んでくれたし、それで友達もできたし」

「別に悪いことじゃないだろ。誰かの特技に人が集まるなんて当たり前のことじゃねえの」

「だからね、姫萩さん――魅恋ちゃんが、仲間外れの子に寄り添ったのは、凄く衝撃的だったの。何の得もないのに、何の武器もないのに、そういうことができるの、本当に凄いと思った。私もなんとかしてあげたいって思ったけど、動いたのは魅恋ちゃんだった。だからあの件で凄いのは魅恋ちゃんだけ」


 言いながら、くるくると手の中でシャーペンを回して弄ぶ。


「そういえば、手芸を教えてって言われたのも、魅恋ちゃんが最初で最後だったな。ビーズのブレスレットくらいなら他の子と一緒に作ったりもしたけど。魅恋ちゃんとは作ったぬいぐるみの交換なんかもして、その時の作品は今も持ってる。――そうそう、魅恋ちゃんにも武器はあったか。ヘアアレンジが得意で、みんなの髪の毛いじったりしてた、私も教えてもらったよ」


  そう言って、後頭部でねじり上げた髪の毛を留めているバンスクリップを、シャーペンでこつこつ叩いて見せた。


「中学で入った手芸部じゃ、同学年のリーダー格の子がメタルパーツと天然石を使った、わりと本格的なアクセサリー作りを趣味にしてた。母親がアトリエを持ってるような熱心なハンドクラフト畑の人で、中学ではレジンを教わって始めるって。だから私も他の子と一緒にそれに合わせたの。そうしないと仲良くなれなさそうだったから」


 晃誠は手芸やハンドクラフトに疎く、ジャンルの違いがわからない。

 とりあえず話の腰を折らないよう、先を促すように黙って続きを聞く。


「手芸部の先輩にぬいぐるみを作ってる人がいて親しくしてもらってたら、リーダー格の子に言われたわ。『汐見さん、無理に私たちとレジンやるより、先輩とぬいぐるみ作ったらいいんじゃない』って。私は慌ててレジンの方がいいって言ったよ。仲間外れは嫌だものね?」


 そうして、蒔絵は静かに首を振る。


「バカみたいだよね。結局、私は何かを差し出すことでしか友達が作れなかった。小学生の頃は好きで作って差し出してたけど、中学生になったら自分の好きな物すら差し出しちゃうんだもん。その先輩はもちろん、魅恋ちゃんとの思い出も裏切った気がした。――こういうの、『友達料』っていうのかしら」


(気持ちはある程度わかる……が)


 晃誠の感覚ではそこまでしないといけない相手は、もはや友達ではないだろうという意識もある。が、孤立を避けたいという、中学生のいじらしい気持ちまで否定できるほど、恵まれてはいない。


 自分は中学の頃には早い段階で自身の非社交性とある程度の折り合いをつけ、色々諦めていた気がする。いや、そうでもないからちょっと前まで荒れていたのか?

 少なくとも蒔絵ほど必死に、周りと比べての『普通』を維持しようとしたことはないとは思う。


 柔道教室にせよMMAのジムにせよ、学校の外の大人が提供してくれる、「優しい世界」に逃げていたのではないだろうか。同世代の人間とのつきあいは難しかったから。

 晃誠が両親以外の大人や社会に対する信頼を失わずに済んだのは、外に出れば世の中ほかに居場所というのは案外用意されているものだと知ったからでもあるので、痛し痒しだが。


「別にバカではないだろ。大抵は、友達関係とか距離感とかを慎重に測りながら、つきあいのために何か犠牲にするようなこともあるんじゃないのか。俺もそういうのが嫌でそこから抜けたと言えばそうだけど。バカっていうなら、今俺がこんななのは女にフられたからってみっともない話だぞ」


 雰囲気を変えようと、晃誠は自分の金髪をつんつんと引っ張りながら、冗談めかして自分の弱みを暴露した。

 蒔絵もそれを受け、沈んだ表情を吹き払うようにわざとらしく目を見開く。


「えっ、それでそんな不良やってるの? 悲しき怪物ね」

「しょせん高校デビューだからな。きっかけで言えばそうって話だよ。物心ついてからの積み重ねとか、色々うまくできてなかったことが爆発したというか……。だけど俺たちの歳で、一時期うまくいってなかったからって、そんな卑屈になったり拗ねたりすることないんじゃないか。これも俺が言う権利ないって話になるが」

「そうなのかもね」


 蒔絵は肩をすくめた。


「でも、今の私はもう魅恋ちゃんの知ってる私じゃないから。いまさら魅恋ちゃんに幻滅されるのだけは嫌なの。――それに結局、あっちから話しかけてくることだってなかったわけだし。友情なんて、もう壊れてるんだと思わない?」



 ◇◆◇◆◇◆◇



(気持ちが若干疲れた……)


 家族が増え、学校でも魅恋と話すようになって、ここのところ日常会話量が爆発的に増えた晃誠だったが、相手の感情に踏み込むような危うさのある会話というのは本当に久しぶりで、精神の消耗を実感する。


(しかし、汐見は意外というか驚いた……)


 魅恋を話のとっかかりに使ったとはいえ、事務的会話以外をしたことのない晃誠に、あんなにベラベラと自分語りをしてくれるとは思わなかった。たがが外れたようにというのはああいうのを言うのだろうか。


 だいぶ精神的にまいっているのかもしれない。ゲームのシナリオではそこにつけこまれるのだが。


(ともだち……ともだちか……ともだちってなんだろうな)


 晃誠は思わず考え込んでしまう。


 世間的には尊いもの、素晴らしいものとされる一方で、同調圧力のようなものの温床にもなる。友情をたてに何かを強制する凶器にもなる。いなければ人を不安にし、陰口も生む。


 チャットアプリの既読即レスは友達の義務だろうか。相手のメッセージに返事をせずに自分の手番で会話が途絶えるのがなんとなく嫌で、無理に返事をひねり出すのは友情の証だろうか。そこに相手の返事がつかずに会話が終わり、ほっとすると同時に何か釈然としない気持ちになるのは他者との繋がりの苦さだろうか。


 お互いに何かを差し出さなければ、義務の履行を行わなければ、友情の形は確認できないのか? お互いどころか一方的な搾取――蒔絵の言うところの『友達料』――ではただの主従関係ではないのか。


 そんなもの友達でも友情でもないと切捨てるのは簡単だが、そうした悪意や苦痛を生み出す概念な時点で、友達も友情も、無批判にもてはやしていい物ではないという気がする。


 そもそも友情に限った話ではない。愛とか自由とか夢とか、そんな耳障りばかりいい言葉たちが万能な手形のように人口に膾炙していると、いかがわしさや息苦しさを覚えることの方が多いのは自分がひねくれているからか?

 押しつけられても拒絶し難いああした言葉は、時に無責任な凶器となって人を傷つけていると思うのは被害妄想だろうか。


(――いや、それよりも優先すべきは魅恋と汐見のことだな)


 哲学に染まりかけた思考の軌道修正をする。


 二人は共通して、相手に嫌われること――あるいはそうであると確認してしまうこと――を恐れているようだ。聞いた限りでは晃誠には杞憂としか思えなかったが。


(結局あいつら、お互いを好き過ぎてこじらせてるだけじゃねえのか)


 そんなことを考えつつ、早めの夕食の席に着く。父、雄大は仕事で遅くなるらしく、継母義妹と三人だ。

 その日の夕食は鶏肉と茄子、ししとうの揚げびたしに、ほうれん草のおひたしだった。


 いただきます、と茄子にかぶりつき、やわらかな繊維を噛みしめて染みこんだ味を楽しむ。


「ねえ、次の休みに真面目にケーキを焼こうと思うんだけど、睦希手伝ってくれない?」

「は?」


 食事中の唐突な睦美の発言に、揚げびたしの皿から睦希が視線を上げた。その隣で晃誠もご飯のかたまりを飲み込み、食事の手を止める。


「次のお休み、私、ケーキ焼く、睦希、一緒」

「なんで片言なの」

「ねえ、いいでしょ。せっかく私の手が空くようになったんだし」

「まあ、小学生の頃はけっこうケーキ焼いたりとかしてた気もするけど。――いやここ数年もバレンタインは一緒にやってたよね」

「もっとね、しっかりしたのを作りたいの」


 甘えた声を出す母親に辟易した様子の睦希。


 睦美は再就職か、主婦としてパートか何かをするかはまだ迷っているそうだが、当面は子供をかまって過ごしたいと同居前の食事会で言っていたのを晃誠は思い出した。


「だって今までは親の義務を優先しないといけなかったし。ここで少し親の愉しみを取り戻しておきたいわけよ。私ね、我が子とのお菓子作りとかレクリエーションがもっとしたかったから」

「しょーがないなあ。こっちだって年齢ってものがさぁ……そもそもそういうのって後から取り返せるようなもの?」


 ぶつくさ言いながらもまんざらではなさそうな睦希。

 十年余の母子家庭という環境は、この二人には良好に働いたのかなと晃誠は思う。正直うらやましくはある。


「で、晃誠くんも一緒にやってくれたら嬉しいんだけど」

「えっ、俺もですか」

「聞かなくてもいいよ晃誠さん。親の趣味につきあう義務なんてないんだから」

「いや、まあ、義務とか思わないよ。菓子なんて家庭科でクッキー焼いたくらいで、指示されないと見てるだけになっちゃいそうだけど、それでもよければ」


 晃誠がそう言うと、睦美はガッツポーズでもとるかのように箸をもった手を肩の高さで軽く振る。


「やった。この歳で素直な息子ができるなんて、一人娘のために身を粉にして働いてきた甲斐があったってものね。思えば睦希の相手も母親として十分にできていたか不安で不安で。義務ばかり優先する生き方っていうのはねえ、自分にも他人にも苦痛を強いるものなのよ」

「お母さんけっこう自由に私を振り回してた方だから真に受けないでね。小学生の頃はよく一緒にゲームやったりもしてたし」


 睦希がため息をつき、晃誠の肩をつついて聞こえよがしに耳打ちする。晃誠は曖昧に微笑んだ。


「でもあのオーブンレンジ、随分と立派だと思ったらそういうのが趣味だったんですね」


 キッチンの片隅に鎮座する、フラットテーブルタイプの大きなオーブンレンジを見る。有名電機メーカー製のそれは古峰家にもともとあったものではなく、睦美たちが持ち込んだものだ。


「ひょっとして、前のバレンタインに親父が貰って帰ってきたチョコレートケーキって……」

「多分、はい。私も手伝ったやつです」


 睦希が片手を軽く上げ、弾んだ声で言う。


「ありがとう、美味しかったよ。――俺も食べたけど親父何も言わないから、何もお礼してなかったな」

「そのへんはお互い来年を楽しみにしましょう」


 睦美がにっこりと笑った。


「でもそうか、そういう経験があるから睦希ちゃんもこないだケーキ作ってたのか」


 夫婦が出かけた休日、睦希がおやつにマフィンを焼き、晃誠もご相伴にあずかったことがあった。


「そりゃたまには作るけど、ケーキって言っても、常備してるホットケーキミックス使ったお手軽なやつだよ? ちょっと甘いもの欲しいなって思ったらすぐ作れるようなのもあるし、そういうのはみんな作るでしょ。こないだは晃誠さんいたから丁度よかったけど、全卵一つ使ったお菓子ってたいてい一人で食べきるには多いから、一回作れば次の日のぶんにもなるしね」

「たぶん甘いもの食べたくなった人の大半は店に買いに行くんじゃないかな……」

「そうかなぁ」


 睦希は首を傾げる。自分で作るという発想が当たり前になっていて、あまりぴんとこないようだ。


「プレミックスの粉物にしても、大阪ならたこ焼きミックス、広島ならお好み焼きミックスを常備している家の方が多いくらいだと思うね。――というか、睦美さんが母親として睦希ちゃんにそういう習慣が自然に身につくようにやってきたってことなんじゃない?」


 ――えっ、そうなの? という顔で睦希が母に視線を向け、晃誠の視線もそれを追う。

 そこには、――えっ、そうなの? という顔の睦美がいた。


「なんでお母さんが驚いてんの」

「だって、そこまで娘をコントロールしようとは思ってないわよう。まあ、特技の一つとして身につけておいてくれたら、将来何か役に立ったり、自信に繋がったりするんじゃないかなくらいの期待はあったけど。でも確かに、自分で作る習慣がついたのは嬉しい誤算ってやつかもね。――基本的には、私が睦希とお菓子作るの好きだったからつきあってもらっただけ」


 睦美はそう言って苦笑した。


「いいじゃないですか、俺も料理とかそういう習慣ができてたら良かったんですけど。今度はあやからせてもらいますよ」

「ま、たまには本格的なの作るのもいいか」


 母娘は何のケーキを作るか話し合い始める。

 晃誠はその会話を心地よく聞きながら、ひとつ国見の言葉も思い出していた。


(好きだ、って気持ちだけでか……)

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