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  • 編集済

    あぁ〜、なるほど...

    なんだか、少し前の僕を思い出してるようでした
    実は、僕も一昨年の1月に小学校からの親友が不慮の事故でなくなってしまって...

    仲が良い状態のままでお別れとなってしまったので満足は満足だったんですが、
    やっぱりもう少し一緒に遊びたかったなぁ〜とかいろいろ考えちゃいますよね

    お世辞なしで、本当に素晴らしい作品でした。
    これからもがんばってください(σ・∀・)σゲッツ!!

    P.S. ちなみに、ここにでてくる灘高はあの灘高ですか?
    そしたら、めちゃくちゃ天才ですね(*´艸`*)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ぴぽこ様。つらい思いをしましたね。僕も、大好きだったおじいちゃんが急に畑でなくなっていたことを知って本当は死んでないんじゃないんか。って現実逃避していました。

    応援ありがとうございます。これからも頑張ります!


    ......ちなみに、えー。言いづらいのですが。灘高は先程、調べました_| ̄|○ il||li 

    勉強は馬鹿ですが、ゲームは天才ですよ(・∀・)」

  • 初めまして、「哲学カフェ日記」を執筆しております。海月と申します。

    読み終えたあと、胸がじんわりと熱くなりました。手紙のような語り口がとても自然で、そして何よりも、君との思い出の一つ一つが、まるで自分の記憶のように感じられました。

    この物語は、単なる友情の追憶にとどまらず、「存在とは何か」「死とは何か」という深い問いを静かに浮かび上がらせています。君はもうこの世にいない。それでも「親友」としてそこにいて、心に語りかけてくれる。この不思議な感覚は、まるでマルティン・ブーバーの「我と汝」の関係のように、物理的な距離や死を超えてなお続く「対話」の形なのかもしれません。

    また、ラストの風鈴の音とアイスの味――日常のなかに溶け込むように君の面影が生きていることが、とても美しかったです。死は終わりではなく、私たちの記憶や行為、声の中に生き続けるという意味で、「魂とは記憶である」という哲学的命題にもつながっているように感じました。

    「かけがえのない存在」とは、その人の代わりがいないということだけでなく、私自身がその人によって形作られている、ということなんですね。この物語が、そんな大切なことを教えてくれました。素敵な作品をありがとうございます。

    作者からの返信

    とても嬉しいコメントをありがとうございます。

    僕が伝わってほしいって思ったことをすべて理解して読んでくれました(T_T)。本当にありがとうございます。

    僕はおじいちゃんを亡くしてしまい、1年ぐらいずっと夜な夜な泣いていました。でも幻なのか現実なのかわかりませんが、おじいちゃんの声が聞こえた気がします。それのお陰で今、僕はおじいちゃんとの思い出を胸に生きています。

    海月さん、本当にありがとうございます。僕の心を、理解してくれるような人に出会えて、そして読んでいただいて嬉しかったです。