君の首筋に嚙みつきたい

Yuki@召喚獣

そう言って、僕の首筋に牙を突き立てるのだ――

「私、ヴァンパイアなの」


 そう耳元で囁く彼女の声は、熱く、艶めかしく。


「ね、あなたのこと……吸いつくしもいい?」


 そう言って、僕の首筋に牙を突き立てるのだ――






 僕が幼稚園に通い始めたころだった。

 僕の家の隣に、一組の家族が引っ越してきた。


 それが、僕と彼女の出会い。

 僕の幼馴染にしてヴァンパイア――綾との出会いだった。


 綾は幼い頃から引っ込み思案で、人としゃべるのが少し苦手な女の子だった。

 日中に出歩くと気分が悪くなることも相まって幼稚園や小学校も休みがちで、家にいる時間も長いからか肌も青白くて、一人でいる時間の方が長い、そんな幼少期だったと思う。


 小さい頃の僕と言えば、そんな綾のことを傍若無人にも公園や学校なんかに連れ回して強引に友達の輪に入れて遊んでいた。

 子供が活動する時間帯にそんなことをしていれば綾の体調が悪くなるなんて言うことは当然で、僕は何度か自分の親とか学校の先生とかに叱られたり注意されたりしたけど、綾を連れ回すことを止めたりはしなかった。


 今から考えるとそれは僕の跳ねっ返り精神がそうさせていたんだけど、それ以外にも綾の両親に感謝されたり、何より綾が「嫌だ」とは一度も言わなかったことも影響していたと思う。

 最初は僕が綾の手を引っ張っていたけど、いつからか綾は何も言わなくても僕の後ろをちょこちょことくっついてくるようになった。


「おいてかないでよぉ」


 なんて言いながらも、綾は僕が行くところにはできる限りついてこようとしていた。

 そんな小学生時代を過ごした後、僕と綾は中学生になった。


 相変わらず綾の日中歩き回ると体調を崩す病弱な体はそのままだったけど、だんだんと引っ込み思案な性格は鳴りを潜めて自分から人に話しかけるようになっていた。

 それに加えて体の成長っていうのは女の子の方が早いなんてこともあって、中学に上がってから綾の体は急激に女の子として成長していて。


 背が伸びて少し女性らしい丸みを帯びて、以前よりも明るく振舞うようになった綾は徐々に人の輪の中心にいるような女の子になっていっていた。

 一方の僕はというと、小学生の時に綾を連れ回していた傍若無人な人間はどこへやら。常識と自制を覚えた僕という人間は、その反動からか仲のいい友達を数人作ってクラスで穏やかに過ごすだけの、とても地味な人間になっていた。


 人の輪の中心に自分から飛び込むのもなんだか疲れるし。

 綾は綾で人に囲まれて楽しそうに日々を過ごしているから、僕が話しかけてその空気を壊すのもよくないことだし。


 そんなことを考えていた僕は、だんだんと綾に話しかけることも、近づくこともなくなっていった。

 そんな折にたまたま放課後、綾がクラスの男子から告白されているところを見たということもあって、なんだかいたたまれないというか、何とも言えない気持ちになって話しかけづらくなっていたというのも重なった。


「ねぇ、どうして最近話しかけてくれないの?」


 いつかの放課後、たまたま綾と帰り道が重なった時にそんなことを聞かれた。


「えっと……その……」


 僕は綾のその問いに答えることができなかった。

 思春期真っ盛りの子供だった僕は女の子と話すのがなんだか恥ずかしいことだと思う気持ちがあったし、綾としゃべるのは殊更そう思う気持ちもあって。


 それに、仲のいい友達はみんな男子で、綾以外の女の子としゃべる機会がほとんどなかった僕に対して、あの日見た光景のように綾は男子から人気のある女の子に成長していたから。

 小学校の頃のように綾に気軽に話しかけることができないでいた。


 でも、その頃の僕にはそんな思いを上手に言葉にすることも、整理して伝えることもできなくて。


「別に……綾には関係ないでしょ?」


 なんて。

 誰が見ても答えとして失敗しているような、そんな返答しかできなかった。


「ふーん……そうなんだ」


 その時の綾は興味なさげなそんな返事を一つだけ僕に返して、それ以降喋ることはなかったけど。

 その日以降からだったと思う。綾の僕に対する態度が露骨に変わったのは。


 いや、正確には変わったわけではないのかもしれない。僕の感じ方が変化しただけで。

 でも……そう。やっぱり、変わったと思うんだ。







「うん。それでね――」


 綾は、僕の前で積極的に男子としゃべるようになった。

 男子と軽口を交わして、冗談を言い合って。


 男女混合のグループでもそうしたし、男子と一対一でしゃべる時もあった。

 そして、それを毎回僕の目につく範囲でするのだ。


 最初は偶然だと思っていた。

 だってそういう場面はだいたい教室の中とか、運動場での出来事とか、廊下を移動中とか、そういった学校の中での出来事だったから。


 僕が話しかけなくなったことによって綾の中で何かが変わったのかは知らないけど、交友関係を広げて、同性だけじゃなくて異性とも積極的に話すようになっただけ。

 学校の中でそういう話をしているから、僕の目につくだけなんだ。


 そう思っていたのに、ふと遠目で彼女のことを見たとき、彼女と目が合って。

 その時はすぐにふいと逸らされたんだけど、それからも彼女の方を見ると度々目が合うことがあって。


 彼女はたぶん、僕に見せつけているのだろう。僕以外の男子と仲良くしている姿を。

 どうして? なんて理由はよくわからない。僕はその頃の彼女の考えていることなんて知らなかったから。


 僕への当てつけなのだろうか。

 中学に上がって話しかけなくなった僕への。彼女の問いかけに中途半端に返答をした僕への。


 彼女が僕に対してどんな感情を持っていたかなんてわからないけど。

 でも、男子と仲良く話している彼女を見ていると、胸の奥がキューっと縮こまる思いがして、苦しく感じる心が僕の中にあったのは確かで。


 その時に思ったのだ。

 たぶん僕は、いつの間にか綾のことが好きになっていたんだって。


 そう自覚すると、彼女が他の男子としゃべっているところを見るのがだんだんと苦しくなっていって。

 他の男子とあれだけ楽しそうにしゃべっているのに、僕には話しかけに来てくれることはなかったから。


 僕は、ますます綾から離れていかざるを得なかったのだ。

 小学生の頃、綾の手を引っ張ってどこにでも連れ回していた僕たちの関係は、中学を卒業するころにはすっかりと様変わりしてしまっていた。






 高校に入学して一番驚いたのは、なぜか同じ学校に綾がいたことだった。

 中学の頃話しかけなくなってから、僕は綾の進路の話なんて一度も聞いたことがなかったから、もちろんどこの高校に進学するかなんて知らなかった。


 これで綾との縁も切れるかな、でも家が隣同士だし、もしかしたらいつかまた話せる時が来るかな、なんて思っていたのだけど。

 ふたを開けてみれば、綾が同じ学校にいて。


 さすがに違うクラスだったんだけど、思い返してみれば中学三年間ずっと綾と一緒のクラスだったから、中学以降初めてクラスが分かれたんだな、なんて思ったりもして。

 でも、クラスが同じだろうが別々だろうが、結局はお互い会話なんてしないから一緒だよな、なんて。


 一つだけ嬉しいことがあったとすれば、クラスが違うなら綾が他の男子と仲良くしているところ見なくて済むということくらい。

 綾は成長するにつれてますます綺麗になっていって、凡庸な僕とは大違いだった。


 高校に入学してから暫くすると、綾に告白しただの、綾が告白されているのを見ただの、そんな話が男子の間で飛び交うようになって。

 誰よりも近くにいたはずなのに、今では話しかける勇気すらなくなってしまった僕には縁遠い話ではあったのだけど、綾のことになるとどうしても気になってしまう自分がいたのだ。


 そんな自分が情けなくて、ため息を吐いて、いい加減変わらなきゃというか、綾のことはもう小さな頃の思い出と割り切って、新しく気持ちを切り替えて前を向こうと思ったのが、高校一年生の秋ごろの話だ。

 それまで僕は部活には何も入っていなかったけど、心を入れ替えるためにも何か始めようと思って、部活に入ることにした。


 さすがにこの中途半端な時期に運動部に入るなんてことはできなくて、僕はとりあえずということで敷居の低そうな文芸部の門を叩いたのだ。

 文芸部は部員は少ないけどみんな真面目で、季節ごとのコンクールに作品を出品したり、文化祭でも部誌を作成して配布したり、精力的に活動している部活だった。


 中途半端な時期に入部した僕のことも歓迎してくれて、それまで詩や小説なんて書いたことがなかった僕にも優しく丁寧に書き方を教えてくれた。

 特に僕と同じ学年で、クラスも一緒だった齋藤さんという女の子が熱心に教えてくれたのを覚えている。


 齋藤さんはクラスでは目立たない女の子だけど、教室にある花瓶の水を朝早くに交換していたり、授業で当てられても臆せず丁寧に応えたり、なんだか「自分」を持っているように見える、そんな女の子だった。

 綺麗な長い黒髪と、校則にきっちり従って着こなした制服に、フレームレスの眼鏡が特徴的だ。


「君、小説書く才能があるよ!」

「そうかな……?」

「絶対そう! だってこんなに面白いんだもん!」


 齋藤さんはよくそう言って僕が書いた小説を褒めてくれた。

 それは多分に僕のやる気を引き出すためのお世辞が入った言葉だったのだろうけど、それでも僕はそうやって人から褒められるのが嬉しくて、調子に乗って小説を書き綴った。


 齋藤さんはそんな僕を手伝ってくれて、よく図書室で小説を書くための資料を探してくれたり、放課後の部室でプロットを一緒に考えてくれたり、僕が書いた小説を読んで校正をしてくれたり。

 いつしか部活以外でも齋藤さんと過ごす時間が増えていって、僕たちの仲は深まっていった。


 いつしかこの友情が、もしかしたら恋心に変わるかもしれない。綾のことも吹っ切れて、前に進めるかもしれない。

 そんな気持ちを持ちつつ、高校二年生になった時のことだった。


 様子のおかしい綾が僕の前に現れたのは。






 高校二年生の始業式を終え、その日は部活もなかったから早く家に帰った。

 高校二年生ではまた齋藤さんと一緒のクラスになれて、僕はそのことに素直に喜びを表せられるようになっていた。


 偶然にも綾とも一緒のクラスだったけど、このころにはもう僕は綾としゃべることなんてなかったし、綾も僕に話しかけてくるようなこともなかった。

 相変わらず綾は人気者で、クラス替えがあった直後なのにすでにグループを作っていて楽しそうにしゃべっている、そんな状態。


 だから僕も綾の方を見ることなく、齋藤さんの隣に腰を掛けて談笑をしていた。

 話した内容なんて他愛のない日常の雑談だ。少し小説の話もしたと思う。他人に聞かれて恥ずかしいこととか、困るようなこととか、それこそ驚かれるようなことなんて何も話してなかったのに。


 突然教室で「ガシャン!」と何かが割れるような、飛び散るような音がして。

 その音の発生源に目を向けると、綾が真っ青な顔で僕の方を見ていて、その足元には綾のだろう筆箱とその中身が飛び散っていた。


 周りの子は綾の落とした筆箱の中身を拾ってあげていたみたいだけど、何故だか綾は僕の方から目を逸らさずにいた。

 どうしてそんな目で僕を見るのだろうか? 僕が何かしただろうか? 話しかけてすらいないのに。理由がわからない。


 真っ青な顔でじっと僕を見つめてくる綾から視線を外せなかった僕に「どうしたの?」と齋藤さんが声をかけてきて、僕はそこでようやく綾から視線を外して齋藤さんに目を向けることができた。

 少ししてからもう一度目を向けた綾は、すっかりいつも通りに戻っていて「あれは何だったんだろう?」なんて思ったりもしたのだけど。


 その後は特に何もなく学校生活を過ごして家に帰ったら――何故か僕の部屋に制服姿の綾がいた。


「は……?」


 部屋の扉を開けたら、綾が僕のベッドの上に座っていた。

 正直に言って、意味が分からなかった。


 綾が僕の部屋に入るなんて何年ぶりだろう。小学生の頃はよく来ていたけど、中学に上がってからは一度もなかった。

 今後上がることもないだろうとも思っていた。


 それなのに、その綾がどうして僕の部屋に――


「ねぇ」


 僕のベッドに膝を抱えて座っている綾が声を発する。

 それは今までに聞いたこともないような低く、歪んだ綾の声で。


「あの女、誰?」

「あの女……?」


 まだお昼を少し過ぎたくらいの、明るい時間帯。

 それなのに、僕の部屋は何故だか真夜中になったかのように暗く、淀んだ空気が流れているような気がした。


「教室で仲良さそうに喋ってた、あの女」

「あ、ああ……齋藤さんのこと?」

「齋藤さん……?」


 綾と久々に喋っているのに、そんなことが吹き飛んでしまうような異様な雰囲気の綾。

 僕はそんな綾にかける言葉が見つからずに、視線を右往左往させる。


「こっちきて」


 軽く発せられた、短い言葉。

 何故だか僕はその言葉に逆らえずに、綾の元へ近づいていく。


 綾の前にたどり着いた瞬間、綾に腕を掴まれてものすごい力でベッドに押し倒された。


「――っ! 何するんだっ」

「私さ。反省してたし、我慢もしてたんだ。でも、それが間違いだったみたい」


 ベッドに倒れた僕の上に馬乗りになった綾は、か細い女の子とは思えない力で僕を押さえつけた。


「最初からこうすればよかった」

「な、何を言って――」

「ヴァンパイアってさ、嚙んだ相手を自分のものにできるんだって」


 そう言うと、綾は僕の耳元にその可愛らしい唇を近づけた。


「――私、ヴァンパイアなの」


 そう耳元で囁く彼女の声は、熱く、艶めかしく。


「ね、あなたのこと……吸いつくしもいい?」


 そう言って、僕の首筋に牙を突き立てたのだ――

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