第29話 NO-FUTURE

 空が静止していた。

 雲が流れない。風が吹かない。時が、どこにもなかった。


 リクはただ、弓を構えていた。

 目の前には神罰兵リレイス=アクシオン。未来のない存在。

 その対に立つ者として、リクは“自らの未来”を完全に手放した。


【未来存在率:0.00%】

【第七階層起動条件——達成】


 ゼロが告げるたびに、視界の中から“予感”が剥がれていく。

 戦闘の流れも、敵の動きも、自分の行動の結果も、何一つ予測できない。

 ただ今この瞬間を、“今”として生きるしかない。


 その異常な世界の中で、彼は思った。


(……なのに、こんなに澄んでいる)


 苦しみも、痛みも、恐怖も、今は不思議とない。

 ただ、“撃つべきだ”という一点だけが、揺るぎなく胸にあった。


 足元には、ミオがいる。

 泣きながら、彼の背を見つめている。

 リクはそれを見ず、けれど確かに“そこにいる”と感じていた。


【問:その一矢に、あなたは何を託しますか】


 ゼロが最後の問いを繰り返す。

 リクは、静かに呟いた。


「……ミオの、笑顔だ」


 その言葉に応じるように、ゼロが形を変えた。

 右腕が変形し、白銀の外装が音を立てて開いていく。

 黒い機構がせり上がり、まるで“神の矢”を放つための装置のように、その姿を変貌させていく。


 そして、放たれる。


 ——音はなかった。

 衝撃も、風も、震動もなかった。


 ただ、リクが放った矢が、“既にリレイスを貫いていた”。


 リレイス=アクシオン。

 未来を持たない存在。演算も予測も拒む存在。


 その胸の中央に、矢が突き刺さっていた。

 ゼロの未来演算を使わずして、“確実に命中していた”。


 なぜか。

 それは、この矢が“未来に依らなかった”からだ。

 撃った者自身が、未来を捨て去った者だったからだ。


 そこには、演算も、必中も、運命もなかった。

 ただ、“今ここに撃つ”という確定した意志だけがあった。


 リレイスが、動いた。

 ほんの一瞬、顔を傾ける。目が見開かれた。

 それは“驚愕”だった。神罰兵が初めて示した“感情”。


 矢が、リレイスの胸元を貫いた。

 そこに、確かな“存在の裂け目”が生まれる。


 未来を拒絶していた存在に、未来を捨てた者の一矢が届いた——その瞬間。


 リレイスが、動いた。


 ゆっくりと顔を上げる。

 感情を持たないはずの義体が、わずかに眉を動かす。

 それは、“驚愕”だった。世界に対する違和。想定外の結果への拒否反応。


 ——そして。


 リレイスの全身が、淡く光を帯びた。

 黒い空間が割れる。時間の外側、ゼロも予測できない“存在の断層”から、何かが現れる。


【警告:起動因子異常】

【演算不能領域からの波動を検出】

【名称不明——未定義概念兵装:■■■】


 ゼロが警告する。

 その瞬間、リクの胸に、直感が走った。


(くる。……リレイスが、“撃ってくる”)


 リレイスの右腕が、空間そのものを裂くように変形する。

 そこから放たれるのは——“一撃”ではなかった。


 それは、“否定”だった。


 未来のない存在が放つ、“現在そのものを拒絶する”反撃。

 あらゆる時間軸から隔絶された特異点が、まるで爆心のように展開する。


「ゼロ——」


 リクは叫んだ。だがゼロはもう演算できない。

 この敵は、未来ではなく、“今”すら書き換えてくる。


 だが、リクの中で何かが変わった。

 ゼロの神経接続率、99.9%。


 最後の同期が完了する。

 ——リクとゼロが完全に融合する。


【指令:最終演算中止】

【直接制御に切替】

【制御権、完全譲渡】


 リクの目が、冷たく光る。

 彼の肉体が、ゼロの意志と完全に一致する。


 そこにあるのは、たった一つの意思。

 「この一矢で、守る」


 リクの矢と、リレイスの“否定の波動”がぶつかる。


 衝突点が空間を歪める。

 時間が折れる。因果がよじれる。

 “今”と“存在”が削り合い、崩れていく。


 だが、リクの矢は止まらなかった。


 それは“撃つ”ために生まれた矢ではない。

 “届かせる”ために存在する、たったひとつの祈り。


「おまえに、否定される“今”じゃない……!」


 リクが吼える。

 矢が震える。ゼロが唸る。全存在をかけた対話が、時の外側で激突する。


 そして——


 矢が貫いた。

 リレイスの“否定”を超えて、“存在”を断ち切った。


 波動が散る。

 リレイスの身体が崩壊する。

 初めて、彼の口がわずかに開かれたように見えた。だが、声はなかった。


 未来も、過去も、今さえも持たない存在が、すべてを失って、消えていく。

 その最後の瞬間、わずかに空間に残ったものがある。


——《共鳴なし。断絶確認》


 ゼロの内部ログに、それだけが記録された。


 ミオが、駆け寄ってくる。


「リク!!」


 彼女の声は確かに届いた。

 けれど、その言葉に“どう返せばいいか”が、わからなかった。


「リク……お願い、返事して……」


 手を取られる。温もりが伝わる。

 だが、“嬉しい”とも“ほっとした”とも感じられない。


 未来がなくなったとは、こういうことだった。

 ミオと話す明日も、共に笑う数分後も、想像できない。

 思考が常に“今”だけに閉じ込められている。


 それでも——


「……かえってきて、くれて……ありがとう」


 ミオはそう言って、リクの手を握りしめた。


 リクの瞳が、わずかに震えた。

 言葉にはならなかった。感情としてすら認識されなかった。


 けれど、そこに確かに——何かが、あった。


 ミオは、ゆっくりと微笑んだ。


「未来なんてなくてもいい。今ここにいてくれるなら、それで、いいよ」


 その笑顔だけが、リクの胸の奥に、最後に焼きついた。


 空の上。

 《ゼロ》の演算空間、その最奥。


 すべての演算ログが、ひとつずつ閉じられていく。

 世界は、更新された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 12:00 予定は変更される可能性があります

NO-FUTURE SHOOT @braaa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ