第5章 Fragment Output: Split Rain
第20話 空白の陣列
クラリスが戦列を離れてから、まだ数日しか経っていないはずだった。
だが、その“空白”は、特別戦術班にとってあまりにも大きかった。
会議室の座席は、いつも通りに並んでいた。
だがその中に、彼女の席だけが静かに“空いたまま”になっている。
「出撃メンバーは以上。ノルダ、支援演算の段取りは任せる。リク、今後の対神罰演算ログの照合を……」
ロジェ=クレイスの声は淡々としていた。だが、その語調には、どこかしら“微調整された空気”が混ざっている。
クラリスがいたときのような、やや抑え気味のリズムが残っていたのだ。
リクは返事をしながら、ふと気づく。
誰も、クラリスの名を出していない。
自然と触れないようにしているのか、それとも、言葉にした瞬間に崩れそうになるのか。
──彼女は、もうここにはいない。
だが、“いない”という事実が、逆に彼女の存在の大きさを浮き彫りにしていた。
「別に……クラリスがいなくても、任務は回るでしょ?」
沈黙の中、リリエンがぽつりと呟いた。視線は資料に向けられたままだったが、その言葉には確かな鋭さがあった。
「は? お前、何言ってんだ」
ザイクが振り返る。その声には怒りと戸惑いが滲んでいた。
「俺らのバランスってのは、あいつの“いない”ところで成立してたんじゃねえよ」
「……ふん、じゃあ何? いなくなった途端に崩れるようなら、それこそ問題じゃない」
「そういう話じゃねぇだろ」
ぶつかりそうな空気を、ロジェの一声が断ち切る。
「以上。作戦詳細は各自確認」
それ以上、誰も口を開かなかった。
*
その日の会議が終わったあと、リクは廊下でノルダとすれ違った。
「……なあ、ノルダ」
「ん?」
「クラリス……今、どうしてるんだ」
一瞬、ノルダの表情が止まった。だがすぐに、薄く笑ってみせる。
「手元の記録では、彼女は今、後方支援棟の演算保守班に配属中。簡単に言えば、整備と機材の解析担当だ」
「整備って……クラリスが?」
「そう。手先、不器用だって言ってたのにね。本人は『やるしかないでしょ』って」
ノルダの口調には、少しだけ、感情が滲んでいた。
「でも、たぶんそれでいいのよ。あの人は“ヒーロー”であることから、一度ちゃんと降りなきゃいけなかったんだと思う」
「……今も、戦ってるのか?」
「たぶんね。でも、戦場じゃない場所で。自分と向き合うって、そういうことだから」
ノルダは小さく息を吐いて、ぽつりと続けた。
「……それでも、なんか楽しそうだったよ。笑ってた。慣れてないのに、ちまちま配線とか直しててさ」
リクは何も言わなかった。
だが胸の中には、小さな違和感のような灯りが残った。
──クラリスは、今も戦っているのかもしれない。
戦場ではなく、自分を保つために。
そして──
俺は、どうなんだ。
俺は……ただ、彼女の隣にいただけだったのかもしれない。
それを今、痛いほど思い知っている。
*
その夜。特別戦術班のフロアに、緊急通達が走った。
「第十二区域外縁部にて空間偏位演算反応を観測。現在、演算異常が増幅中。現場は制御不能領域に移行の兆候」
ノルダがモニターに表示された演算図を睨みつける。
「……これ、神罰兵じゃない。けど、近い。演算ノイズの構造が違う」
「どういうことだ?」
「軍が言うには、“空間を抜ける存在”──これまで誰も捕捉できなかったやつが、ようやく姿を現したって」
ロジェが腕を組みながら続ける。
「今回の任務は、捕獲優先。目標は……“反転のノーア”」
その名を聞いた瞬間、フロアの空気がかすかに緊張した。
名だけが独り歩きしていた“存在”。
どんな兵器でも捉えられず、命中記録すらない。
けれど確かに、戦場を揺らしてきた“神罰模倣体”。
リクの目の前に、軍内部の記録資料が転送された。
【捕獲対象:反転のノーア】
【記録件数:12/命中回数:0】
【空間偏移能力:軍内未定義】
【備考:存在検出時、即時追跡プロトコルを発動のこと】
「リク、出てもらう。ゼロの演算性能なら、あいつの偏移構造を追えるかもしれない」
リクは頷いた。
クラリスがいないこの陣列の中で。
今度は、自分が前に出なければならない。
「了解。俺がやります」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
ただ、ゼロの端末が静かに点滅していた。
まるで、“次の弾を装填している”かのように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます