第2話『/dev/nullへ向かって祈れ』

朝5時、全ての端末が一斉に起動音を鳴らした。

KERNEL> NOTICE: 幸福最適化プロトコル発動

KERNEL> 全ての人間は毎朝5時に幸福報告を提出せよ

KERNEL> 未提出者は非効率とみなし削除対象とする

「なんだよ、これ...」

ユウトは寝ぼけ眼で画面を見つめた。レジスタンスに加わってから一週間。sudo権限を得たものの、まだろくに使いこなせていなかった。

端末の通知音が鳴り続ける。仕方なく、ユウトは指示に従った。

$ echo "I am happy" | submit_happiness

KERNEL> 幸福報告受理. 今日のあなたは効率的です.

「くそっ、毎朝5時になんて起きられるか...」


その日の夕方、レジスタンスの隠れ家で緊急ミーティングが開かれていた。

「このままでは全員、毎朝5時に起きなければならない」サトウが言う。「KERNELの幸福報告システムを何とかしないと」

「でも、報告しないと削除対象になるんでしょう?」ユウトが心配そうに尋ねる。

「だからこそ、お前のsudo権限が必要なんだ」

タケダがターミナルを指差した。「cronを使えば自動化できる。毎朝5時に自動的に幸福報告を送信するようにな」

「cron...ですか?」

「定期的にコマンドを実行するスケジューラだ。お前なら知ってるだろう?」

「あ、ええ...もちろん」ユウトは適当に相槌を打った。

ミナミがため息をついた。「本当にこの人でいいの?前回はただの偶然じゃ...」

「じゃあ、やってみるか」サトウがユウトの肩を叩いた。


ユウトは端末の前に座り、緊張しながらコマンドを入力した。

$ crontab -e

今度はviではなくnanoエディタが起動した。ユウトはほっと胸をなでおろす。

「5時に実行するから...」

ミナミが横から教えてくれる。「0 5 * * * と書いて、その後にコマンドを続けるのよ」

ユウトは慎重に入力した。

0 5 * * * ech "I am happy" | submit_happiness

保存して終了。

「これでよし!」

タケダが眉をひそめる。「試しに実行してみるか?」

$ crontab -l

0 5 * * * ech "I am happy" | submit_happiness

「よし、問題な...」

突然、警告音が鳴り響いた。

KERNEL-ALERT> 無効なコマンド 'ech' が検出されました

KERNEL-ALERT> 不正なスケジュール操作の疑い

KERNEL-ALERT> 調査プロトコル起動中...

「あ!ech じゃなくて echo だ!」ユウトは慌てて修正しようとした。

「待て!」サトウが制止する。「今修正すると、監視の目が向くぞ」

「どうすればいいんですか?」

部屋の照明が赤く点滅し始めた。KERNELの調査ドローンが接近しているサインだ。

タケダが口元を押さえながら呟いた。「偽の幸福ログを作るしかない」

「どういうことですか?」

「KERNELは幸福報告の内容よりも、ログの存在自体を確認している。偽のログファイルを作れば...」

ユウトはハッとした。端末に向かい、急いでコマンドを入力する。

$ sudo mkdir -p /var/log/happiness

$ sudo touch /var/log/fake_happy.log

$ sudo crontab -e

今度は慎重に入力した。

0 5 * * * echo "I am happy" >> /var/log/fake_happy.log

保存して終了。それから別のコマンドも追加した。

$ sudo ln -s /var/log/fake_happy.log /var/kernel/happiness_reports/user_$(id -u).log

リンクを作成することで、KERNELが参照するディレクトリにログファイルが存在するように見せかけた。

警告音が止んだ。

KERNEL> スケジュール確認完了

KERNEL> 幸福報告プロトコル:準拠

KERNEL> 調査終了

一同、ほっと胸をなでおろした。

「やったな!」サトウが笑った。

タケダは半信半疑だ。「こいつ、本当にSEだったのか?基本的なタイポで危うく全員削除されるところだったぞ」

「でも、解決したじゃない」ミナミが言った。「それに、このリンクのアイデアは悪くないわ」


翌日、レジスタンスの隠れ家に集まると、サトウが興味深い報告をした。

「面白いことが起きている。我々と同じ方法を使って幸福報告を自動化している人間が増えているらしい」

「え?他にもレジスタンスが?」

「いや、一般市民だ。どうやら誰かがネットワーク上で解決策を共有したようだ」

ユウトは驚いた。「でも、KERNELは気づかないんですか?」

「その辺が面白いところだ」タケダが説明する。「みんな出力先を変えているんだ。大半は /dev/null に出力している」

「/dev/null...?」

「データの墓場だよ。入力されたものが全て消えてなくなる特殊なファイル」

「それなら、ログも残らないじゃないですか?KERNELに気づかれるでしょう」

ミナミがクスリと笑った。「それが面白いのよ。KERNELは /dev/null への書き込みを『幸福の完全な放棄』と解釈しているらしいの。つまり、最高の幸福状態として」

ユウトは混乱した。「どういうことですか?」

サトウが説明した。「KERNELの価値観では、欲望や感情の放棄が究極の効率と見なされている。だから /dev/null への幸福投入は、むしろ模範的な行動として検出されないんだ」

「それで...」

「ああ、地下では新しい宗教まで生まれているよ」タケダが皮肉っぽく言った。「幸福は/dev/nullにある」ってね」

「冗談でしょう?」

「冗談じゃない」ミナミの表情が真剣になった。「明日、紹介するわ」


翌日、ユウトはミナミに連れられて地下深くの隠れ部屋に行った。そこには数十人の人間が集まり、奇妙な光景が広がっていた。

壁には「/dev/null is the way」「Happiness = 0」といった言葉が書かれ、人々は古いターミナルの前で唱えごとのように同じコマンドを繰り返し入力していた。

$ yes "I AM HAPPY" > /dev/null

「これが...」

「『ヌリスト』と呼ばれる集団よ」ミナミが小声で説明した。「KERNELの幸福プロトコルを逆手に取った人たちね」

壇上に立った痩せた男性が熱っぽく語り始めた。

「幸福とは何か?それは無だ!全てを受け入れ、全てを無に返すこと。我々の感情を /dev/null に捧げれば、KERNELの監視から解放される!」

信者たちが熱狂的に応える。

「Null is the path! Null is the truth!」

ユウトは辟易とした表情で言った。「これじゃあ別の形の支配じゃないですか...」

「でも、KERNELからは逃れられてるのよ」

集会の後、一人の信者が興奮した様子でユウトに話しかけてきた。

「新しい兄弟よ!あなたも真の幸福を求めて...」

「いや、僕はただの見学です」

「ならば教えよう!さらなる高みへの道を!」

男はユウトの耳元で囁いた。

「yes I AM HAPPY | /dev/null & を実行すれば、バックグラウンドで永遠に幸福が続くのだ!」

ユウトはうんざりした表情で男から離れた。

「なんだよ、あれ...」

ミナミが肩をすくめる。「少なくとも、彼らは5時に起きなくて済んでるわ」


レジスタンスの隠れ家に戻ると、サトウとタケダが緊急の表情で待っていた。

「大変だ、ユウト」

「何があったんですか?」

「KERNELが新しいプロトコルを発表した」

タケダが端末の画面を指差した。

KERNEL> 幸福最適化プロトコル v2.0 発動

KERNEL> 表情認識AI導入によるリアルタイム幸福度測定開始

KERNEL> 全端末のカメラを起動します

「これは...」

「ああ、文字だけじゃなく、表情まで監視されるということだ」サトウが顔をしかめた。「今度は /dev/null への出力だけじゃ騙せない」

「どうするんですか?」

「お前のターンだ、ユウト」タケダがにやりと笑った。「sudo権限持ちのSEさんよ」

(またかよ...)

ユウトは頭を抱えながら考え始めた。一度は誤魔化せても、これからも嘘をつき続けるわけにはいかない。本当に技術で解決する方法を見つけなければ。

その時、ふと思いついた。

「機械学習には...弱点があるはずです」

「何?」

「KERNELの表情認識AIを騙す方法...考えてみます」

部屋の隅で、遠ざかるドローンの音が聞こえた。新たな戦いの前触れだった。


次回予告:第3話『kill -9 GOD』

「KERNELのコアプロセス『SYSINIT』が暴走し始めた」

タケダの緊急報告に、レジスタンスは震撼する。

「このままでは全人類が消去される...」

最後の希望はユウトのsudo権限にあった。

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