まぶしさの奥に

 開始を告げるチャイムが鳴り、校舎内が一斉にざわつき始める。廊下に吊られた風船の列、教室の前に並んだ案内板。制服じゃない来場者たちの楽しげな声――教室の外は、文化祭のワクワクが溢れていた。

 でも、俺は最初から浮かれてはなかった。


 自分のクラスの展示ブースの前を、一歩引いた場所から眺めている。


(……やっぱ、俺の居場所って感じじゃないな)

 装飾も仕掛けも、昨日までの準備の成果が出てる。頑張った。実感はある。でも、俺はその一部になれていないような感覚が、胸に残る。


 クラスメイトたちは、受付や案内係としてそれぞれ持ち場に散っていた。俺には役割がなかった。というより、希望しなかった。怖かった。準備の時の役割を決める時、長い時間俺だけ決まらず困らせたことを思い出して。

 俺はきっと、居ない方が皆気を遣わなくて済むと思う。そう考えて孤立した。


 歩いていると、昨日頑張って切り貼りした“謎の地図パネル”が壁に貼られていて、そこを指差して笑ってる子を見かけた。問題の紙には“どこかに隠されたキーワードを探せ”とあって、展示の中を歩き回る仕掛けになっていた。

 正解を指差して、友達と笑いあう子たちの姿。その光景を、ただ眺めていた。


「久志くん、いたいたー!」

 呼ばれて、振り返ると時波さんがこちらに走ってきていた。制服の上に黄色い腕章が見える。「文化祭実行委員」と書かれている。


「今ちょっとだけ手が空いたからさ、様子見に来たの!」

 息を弾ませながら、俺の隣に立つ。


「みんな、いい感じに楽しんでくれてるよ。久志くんも見ててそう思った?」

「あ……うん。なんか、結構悩んでたりしてるの見てた」

「でしょー! さっき、“やばい全然わかんない”って言ってた子がいてね、“それなー!”って盛り上がってた!」

 時波さんは、参加者のリアクションを思い出して笑う。


「自分たちで作ったものがさ、ちゃんと遊んでもらえてるって、めっちゃ嬉しくない?」

 その言葉に、胸がじんとした。

「……うん。嬉しいよ、ほんとに」

 自分の居場所は分からなくても、作ったものが誰かの思い出になるなら――それだけで、十分だった。


 俺がやったのは、机を拭いたり、片隅で手伝ったことだけ。でも、そんなことでも、誰かの『楽しい』の一部になれるんだなって思ったら――胸の奥が、じんわり温かくなった。


 昨日までの、雑巾を持って机を拭いてた俺にとって。この「誰かが楽しんでくれてる」って実感は、何よりも報われるものだった。俺はふと表情が緩み、にやけるのが恥ずかしくなり、口をむずむずとさせる。


「……ね、久志くん、ちょっとだけ抜けよっか」

「え?」

 時波さんがこっそり耳打ちをする。

 突然の囁きに、変な声が出た。うわ、俺なにやってんだ……。恥ずかしさで耳が熱くなる。


「このまま話してると、文化祭の空気に飲まれそうでさ。ちょっとだけ、静かなとこ行きたいなって」

 そう言って、時波さんは少し首を傾げながら笑った。

「サボりじゃなくて、休憩ってことで」

「……うん」


 言われるがままに頷いて、俺は彼女のあとをついていく。正面玄関を避けるようにして、人気のない階段を下り、渡り廊下を抜けていく。


 外の喧騒がだんだん遠くなって、音のない風が頬をかすめる。

 たどり着いたのは、校舎裏――普段ならあまり人が来ない、静かな場所だった。




「……ここ、静かだね」

 時波さんがそう言って、校舎裏の階段に腰を下ろす。

 遠くの音楽や呼び込みの声が、薄く膜を通して届くみたいに遠い。この場所だけ、校舎の中とは別の世界みたいだった。


「疲れた? ごめん、連れ回しちゃって」

 時波さんは笑いながら俺の顔を覗き込む。


「ううん……なんか、助かった。俺、今日……ずっと居場所ないって思ってたから」

 その言葉に、時波さんの表情がわずかに緩む。


「ふふ、それ、たぶん私も同じ」

「え?」

「“皆のために動いてる時波さん”って、多分、都合のいい役割になってるだけなんだよね。でもそれが全部じゃないのに……って思うこと、あるよ」

 そう言って時波さんは空を見上げた。風に髪が揺れる。


「でも、久志くんが私の話をちゃんと聞いてくれて、それだけで今日はすごく救われた」

「……俺の方こそ、だよ」

 思わず声が漏れた。言葉が重なって、二人して笑い合う。

 その瞬間だけ、世界に色が差したような気がした。


 しばらく黙って並んで座っていたとき、不意に時波さんが口を開いた。

「ねぇ、久志くんって……昔、誰にも言えないことって、あった?」


 静かな声だった。どこかためらいがちで、でもまっすぐだった。

「え……なんで、急に?」

 戸惑って聞き返すと、時波さんは少し笑って、それでも視線は前を向いたままだった。


「うーん、なんとなく……久志くんってさ、すごく気を遣うじゃん。

 空気も読むし、言葉も選ぶし。私、ちょっと身に覚えあるから、なんか……気になっちゃって」

 その言葉に、少し胸がざわついた。


「昔ね、大好きだった友達と、すれ違っちゃったことがあるの」

 時波さんの声は穏やかだったけど、その中に揺れるような影があった。


「私、言い方を間違えちゃってさ……その子、すごくショック受けて怒らせちゃって。

 ずっと心に残ってるの。ちゃんと話せてたら、もっとちゃんと伝えられてたら――って、ずっと思ってた」

 ゆっくりと、彼女は目を伏せた。


「それからかな。ちょっとした空気の変化とかが、すごく怖くなっちゃって。誰かが誤解してるかもって思うと、いてもたってもいられなくなる感じ。

 ……私みたいな後悔してほしくないなって、勝手に思ってさ」

(……勝手なんかじゃないよ)

 俺には、その言葉がすごく嬉しかった。


 はにかむ彼女の笑顔に、寂しげな影が見えた気がする。


「みんな、平気な顔してるけどさ、本当は“助けて”って思ってるんじゃないかなって、よく思うんだ。

 でもね――安心してる顔とか、嬉しそうな顔を見たときに、あぁ、やっぱりピリピリしてたんだ、とか、こういう言葉を欲しかったんだなって、わかる瞬間があるの」


 そう言って、時波さんはふぅ、と小さく息を吐いた。

 緊張が解けたような、その吐息は、どこかあたたかかった。

 それは、ようやく誰かに「わかってもらえた」人の顔に見えた。

 俺は、思っていることを伝えたくなった。


「俺も、平気な顔する方だから……助けられてるよ、時波さんに」

 それ以上思ってることを紡げなかった。勇気を出して、雰囲気を良くしようとするその心が素敵だ。そんな思いを言葉にするのは恥ずかしすぎたんだ。


 時波さんは、目を細めながら、ため息交じりに微笑んだ。

「じゃあ、お互い様だね……! んっ! いっぱい癒された!」


 時波さんは顔を俺に近付け、くすりと笑って見せると、目を瞑りながら気持ちよさそうに伸びをする。


 顔が近づいた瞬間から、ドキドキが止まらなかった。視線のやり場に困って、気づけばそわそわと落ち着かなくなっていた。


 時波さんは、ふわっと伸びを終えると、名残惜しそうに空を見上げた。


「……そろそろ戻らなきゃ、かな。実行委員として、ね」

「……うん」


 立ち上がるその背中に、俺もつられるように腰を上げる。

 でも、何かが胸に引っかかって、言いそびれた言葉が喉の奥に残っていた。

 (このままじゃ、また――話せなくなるかもしれない)


「……また、話せるかな」

 言葉にするつもりじゃなかったのに、こぼれるように出た声。

 時波さんが少し驚いたように振り返る。でも、すぐに、いつもの笑顔になった。

「もちろん! 話したいこと、たくさんあるし。久志くんとも、もっと話したいって思ったよ」


 その言葉に、胸がきゅっとなった。俺は、何か返そうとして――でも、やっぱり言葉にならなくて、ただうなずいた。


「よーし、それじゃあ……戻るであります、隊長!」

 そう言って、時波さんは軽く敬礼するふりをして、くすっと笑った。その笑顔は、いつもの明るい“時波さん”だったけれど、どこか少し、柔らかさを増していた気がした。


 俺は微笑みながら、彼女の後ろ姿を見つめていた。

 そして、ふと空を仰いだ。雲の合間から差す光が、少しだけ眩しくて、少しだけ心地よかった。


 (――少しずつでも、俺も……)

 変わりたい、そう思った気持ちが、胸の奥で静かに灯りはじめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る