Inter Story 3





【初町eyes】





 俺の名前は初町恭一。

 でも、この名前に執着はあまり無かった。否、嫌いですらあったかもしれない。

 世界で一番大事な人に呼ばれてみたいと思った時に、生まれて初めて俺は恭一だったなって認識した。


 俺の家はそこそこ裕福で、一族でそこそこ名の通った会社を経営している。兄弟は男三人で俺は三男。衣食住には何一つ困らないし平均水準よりも良い暮らしをしているとは思う。

 歳の離れた長男は勉強もスポーツも完璧の優等生、三つ上の次男は天才肌で型破りなところはあるけれどやはり優秀、俺は特に秀でた個性の無い平々凡々な秀才だった。

 秀才っていうのは当然、皮肉です。


 世間そとから見れば、生まれながらの勝ち組人生というやつだとは思う。

 週五日の各種習い事、塾、常に全ての成績で兄二人と同等以上の成績を求め続けられる事が当たり前だと言われ続けて生きるのが勝ち組人生だというのであれば、いつだって喜んで変わってあげるよ。

 でも、周りの目も当然優秀な人間を求めるようになるからね?

 しっかりしていて当たり前、出来て当たり前、この程度は軽くこなして当たり前、余裕を持って微笑んでいて当たり前、具合が悪いのは自己管理が出来ない証拠だからいつでも健康で当たり前、当たり前、当たり前、当たり前、当たり前、当たり前!

 俺は天才ではなかったから必死で努力した。

 周囲からの当たり前を求めるプレッシャーに応えようと、努力に努力を重ねてどうにかこうにか品行方正な優等生を演じていた。

 演じていたら本当の初町恭一おれを見失った。


 外側みためはなんとか取り繕ってはいたけど、中身こころはいつも張り詰めていて限界だった。

 苦しくて苦しくて。

 だって、努力して努力してやっとこなしたと思ったら、次の壁がまた立ちはだかる。しかも、それを余裕で越えられるでしょう?と周りは根拠もなく押し付ける。お兄ちゃん達に出来たものがあなたに越えられないなんて事、ないでしょう?って。

 努力しても努力しても終わりが来ない日々に心は摩耗まもうしていく……。

 けれど弱音も吐けない。

 友達だって、俺に優等生あたりまえを期待した。

 逃げるとか反発するとか、そんな発想すら無かった。




 だから、衝撃だった。


 友達に誘われて訪れた他校の文化祭のステージの上で、今まで見た事の無い綺麗なモノを見た。

 生徒会の付き合いだからと行っただけで。他校の文化祭の見学ならば仕方が無いと親も習い事を休ませてくれて、それは良かったと思う程度で。


 彼と出会う事が出来たのは本当に奇跡的な偶然だった。


 ステージの上では何人もの人間が踊っているというのに、彼の周りだけ世界が違った。キラキラと世界が輝いて見えた。イキイキした顔とか、華やかでダイナミックなダンスとか。そんなものじゃなかった。

 ただ、とても自由に見えたんだ。

 目が離せなかった。

 指先の動き一つ一つ、さらりと舞う髪の先まで、全て、全部が美しく見えた。

 何にも縛られずに、今にも宙に浮いてしまいそうなくらいに軽くて、風に舞うように自由にステージの上で踊っている。


「あの人は、誰?」


 呆然としながら呟いた俺に、さして気にした風でもなく友達は彼の名前を教えてくれた。多分、身内宛に配られたプログラムがなにかに載っていたんだと思う。


 あの綺羅星みたいに輝く彼は、一つ先輩の河野あおいさんといった。


 俺は彼に会ってみたくて、時間を見つけては彼の学校へ通った。

 だって、他にあんなに輝いている人を見た事がなかった。親の付き合いで芸能人とかそういう見目麗しい方々に会った事はあったけれど、見た目以上の美しさなんて感じた事は無かった。

 この気持ちがなんなのか、気になって気になって他の事が手に付かなくて。

 そうしたら、同じような考えの男女が多く居る事に気が付いた。目的が一緒なんだからバッティングする率も上がる。

 こちらはこの冬から受験に向けて習い事こそなくなっていたけれど、その代わり学習塾と家庭教師三昧日々。自由時間の多いライバルに比べてあまりに分が悪い。

 誰かに先を越されでもしたら、そう思ったられてれて仕方がなかった。なんでそう思ったのか、この時の俺にはどうしても理解出来なかった。

 ただ、河野さんの隣りに俺ではない誰かが居る事をとてもじゃないけど許容出来ないと強く思った。



 そんなある日、千載一遇のチャンスが訪れた。

 高校の最寄駅で河野さんがノーマークになった瞬間が出来たんだ。

 そりゃもう勇気を振り絞れるだけ振り絞って、必死で突撃した。


……そして、玉砕した。


 薄暗い地下鉄のホームで震える声で呼び掛けた俺を、河野さんは面倒臭そうに見つめてきた。


「あー、お前も文化祭のアレ見たくちか?」

「あ、はい。あのっ」


 ……もにっ!

 いきなり左頬をつままれた。

 驚く俺を河野さんはつまらなさそうに見つめて、更に右の頬もむにっ!とやられた。

 こちらと致しましては、これはどういう状況なのかの説明をいただきたく……。


「つまんなそうな顔しやがって」


 少し下からだるそうに見上げてくる瞳がとても綺麗で、長い前髪で隠れていた顔をはじめて近くで見つめた。

 びっくりするほど綺麗な顔だと思った。切れ長の瞳が特に綺麗。地下鉄の電灯が瞳に映り込んで、まるで瞳の中に三日月が浮かんでるみたいだ……。


「月が、綺麗ですね」


 咄嗟に口から零れ落ちてしまった。

 しまった!

 何を言ってるんだ……!

 ただでさえあんまり印象が良くなさそうなのに、こんな薄暗い地下鉄のホームで月だなんて俺は何を!

 あせった。

 焦りに焦った。

 いきなり変な事を言われた河野さんは胡乱うろんなものを見る目を向けてきた。

 それから、パッと手を離した。


「まだ、死にたくねぇな」


 そう言うと、ちょうどよく滑り込んできた電車に振り向きもせずに乗り込んでしまった。

 どうすることも出来ない俺はそのまま電車の中を歩いて席に着く河野さんをただ黙って見つめていた。

 見た目に反して緩慢な動きでどかっと席に着いた河野さんの後頭部を眺めていたら発車ベルが鳴って、我に返った俺が乗り込もうとした時には電車は無情にもドアを閉めて、そのまま発車してしてしまった。

 そうしてヒリヒリと頬が熱い俺が一人ぽつんとホームに残された。

 頬が熱いのはつままれたからだけではなくて、間違いなく変な事を口走ったからだと思う。




 それからずっと考えてた。『つまんなそうな顔しやがって』とは、『まだ、死にたくねぇな』とは、一体なんだったのか?って。

 その片方の答えは調べればわりと直ぐに出た。

 教養の一環として聞かせてもらった逸話だ。

 かの夏目漱石先生の逸話で本当かどうか怪しまれているものではあるけれど、とてもロマンティックな表現だと言う事で屡々しばしば取り扱われるそうだ。

 夏目先生は英語の翻訳で『I Love You』を『君を愛す』と訳した学生に日本人はそんな直接的な事は言わない。『月が綺麗ですね』位の表現に留めておけ。と言ったというものだ。

 これの小洒落た答えとしてよく挙げられるのが二葉亭四迷が『Yours』を『死んでもいいわ』と訳したものなのだそうだ。

 俺は愚かにも月も何も無い地下鉄のホームで河野さんに向かって「月が綺麗ですね」をやらかして、この逸話を知っていたであろう彼に「まだ、死にたくねぇな」と言わせたわけだ。

 つまり俺は無謀にも初対面で愛の告白をして、それでも彼は俺に恥をかかせないように気を使ってくれながらもしっかり断ったって事だ。


 本当に、死んでもいい……というか、殺してくれ。

 穴があったら入りたいどころじゃない。

 穴掘って自ら土をかけて埋まりたい。

 埋まります。


 でも、『まだ』なのか……。

 もしかしたら、いつかはその答えが変わる可能性があるのだろうか?




 後から思い返すと、河野君に近づきたいとか知り合いたいとかしか思っていなかった俺は、この時に完璧に恋に落ちたんだ。




 それからの俺は自分自身を見直した。

 月が綺麗ですねだって要は俺の知識不足だったわけだし、つまらなそうな顔をしているのは実際につまらないからに他ならない。

 俺がつまらなそうな顔してるのは親のせいか?

 親のせいにして自分で何もしてこなかったのではないか?

 一流の大学に入って、親の企業に入って、親の決めた相手と結婚して?

 それが嫌なら嫌がらなければ!やりたい事を自分で見つけなければ!やりたくない理由を探して、出来ない何かを誰かのせいにして、頭の中を不平不満でいっぱいにして、自分から勝手に悲劇のヒーローに成り下がってないで自分から動かなくては!


 俺は、今度こそ河野さんの視界に入りたい!

 何がなんでも、彼のところへ行きたい。

 今の俺では彼に相応ふさわしくない。


 それからの俺は必死だった。なにせ、勉強位しか取り柄がないんだ。

 世の中の流行りや普通の高校生が当然知っているような事を何も知らなかった。その決定的な弱点に気がついて、俺はそういった物にどんどん手を広げた。

 親はそりゃあ驚いた。

 俺がグレたと思ったらしい。


「恭一の好きにさせてやったらどう?家は俺が継ぐのだから構わないでしょう?」


 意外な事に長男が俺の後押しをしてくれた。

 歳が離れていたし、お互い習い事やら塾やらでいっぱいいっぱいであまり話した記憶もない。それなのに、俺に好きにしろと言ってくれた。

 品行方正を絵に書いた様なスーパーマンの長男は俺から見たら雲の上のような人だったし、彼の言葉なら両親もきちんと耳を傾けていた。

 親は渋々ながら俺の変化ことを受け入れてくれて、晴れて河野さんの進学した大学へ入学する事になった。





 大学に入学した俺は入学式の翌日、早速ダンスサークルへ向かった。

 もちろん河野さんに会う為だ。

 そして、河野さんがもうダンスをしていない事を知る。

 とはいえ、拗れに拗れたこの想いをそう簡単に手放す事なんて出来なかった。




 この大学に入った事は確かなんだ。それをよすがに探しに探した俺は、やっと河野さんを見つける事が出来た。

 今くらいの時間にいつも伏せ目がちに銀杏いちょうの下の青いベンチに座って何か本を読んでいる。

 遠くから見つめる日々が続いた。

 だって、あんまりにも絵になっていて。それを壊してしまうのは気が引けてしまって。

 けれど、この学校へ進学した理由は彼に会う為なんだから。

 そう自分に言い聞かせて勇気を振り絞った。


 勇気を出す時はいつも緊張で心が震える。


「いつもここに居ますけど、どなたかと待ち合わせですか?」


 何か分厚い本のページを捲っていた指が、紙の端をつまみながら止まった。

 指が白くて綺麗だなんて思った。あんなに力強く踊っていた人間の手とは到底思えない。


「俺か?」


 顔を上げた。

 やっぱり長い前髪が揺れて、縁の太い眼鏡に引っ掛かる。

 眼鏡に青空が反射していて、瞳がよく見えない。


「そう。いつもここに居るから」


 あぁ、本物だ。

 本物の河野さんだ。

 一年と少し、会いたくて会いたくて堪らなかった河野さんが目の前に居る。


「誰かと待ち合わせかなって」


 恋人なんて居ないよね?さり気なくチェックした限り大学内にはそういった特定の相手は居ないらしくて胸を撫で下ろした。

 あとは地元だけれど、オレが調べた限りは居ない。その代わり隣の家の子供の相手をして過ごしているらしい。優しい!


「……家に帰る時間を調整してるだけだ」

「って事は、時間ある?」

「……無い」


 返答のスピードが少し遅いけど、恐らくはこちらの言葉をしっかり吟味してから答えているせいかと。

 だからこそあの時に俺の失態をみやびに受けて返してくれる事が出来たんだ。


「なんっで!」

「地元で用事があっからな」

「河野君だよね?」

「あ?そーだけど?お前誰だ?」


 間違えるはずなんかないけど、ならやっぱり覚えてもらえていなかったって事か。

 そりゃあそうだよ。初対面でいきなり告白してくるような危ないヤツの事なんか覚えているはずが無い。しかも、あの時期の河野さんは毎日飽きるほど告白されまくってた。

 その他大勢に気持ち悪さで勝つのは全力で遠慮したい。


 忘れられたなら好都合だ。

 二度目の初めましてをすればいいだけ。むしろあの失態を帳消しに出来たのはラッキーでしかない。


「あ!俺は初町恭一っていいます。一学年下で」

「ふーん」

「高校の文化祭で河野君が踊ってたの見て!ずっと話してみたくて!」


 本当は一回玉砕してますが。

 少し口を開けて、なんだコイツ?って雰囲気を出しながらも相手をしてくれる。普通だったらさっさと席を立って無視を決め込むだろう。

 やっぱり優しい!


「大学でもダンスをやっているのかって思ってたんですけど、サークル見に行ったら居ないって言われて」

わりぃな、アレはあん時限定だ」

「踊ってないんですか!?」

「そもそもダンス部じゃねぇからな」


 頭をぶん殴られたような衝撃だった。

 たったの一回で構わない。たった一回で良いから踊る貴方を見たかった。

 あの綺羅星をもう一度だけで良いから見たかった。

 あわよくば、触れてみたかった。

 膝から力が抜けて崩れ落ちた俺に河野さんはきっと呆れただろう。

 俺は足に力が入らなくてそのまま頭を抱えて項垂れていて、その前にはベンチに座る河野さん。

 通行人からしたら関わりたくない修羅場に見えたかもしれない。


 どうしていいのかわからない俺に律儀にも付き合ってくれていた河野さんは、とうとうゴソゴソと物音を立て始めた。

 ぽん……


「え?」


 頭を、撫でられた?

 顔を上げた時には、もう河野さんは鞄を肩に提げて校門へ向かって歩き出していた。


 思わず頭を両手で押えて、いつかのように去って行く後ろ姿を眺めるしか出来なかった。




 そこからはもう無我夢中だった。

 河野さんの取ってる講義は全て押えて、お気に入りの場所や学食で昼食を摂る曜日、こっそり空き時間に寝てる場所までを徹底的に調べ上げた。

 時間さえあれば姿を見に行って、あの河野さんにお前は一体何なんだ!って叫ばせてしまうほど見境なく追い回してしまった。

 自制が利きていないなとは思ったけど、とにかく河野さんの視界に入りたくて、意識して欲しくて、嫌われたくはないけれどそれでもその他大勢に埋没したくはなかった。


「お前はなんで俺の行く先々に現れるんだ?」

「河野さんが好きだから!」


 勢いで口から飛び出した言葉の破壊力。

 自分でも自覚していなかったんだけど、口に出したらしっくり来た。

 これだ!って思った。


「お前……ここがどこだか分かって言ってんのか?」

「ランチタイムの学食だね」

「あぁあん?」


 河野さんは心底嫌そうな顔をしたし、周りに居た学生達が一斉にザワめく。

 そりゃそうだよね。

 遅まきながら気が付いた。

 男同士でこんな事をやっていたらそりゃ異質な物を見る目で見られるよね。なら、貫くだけ。悪いのは、異質なのは俺だけ。河野さんは被害者でしかないって。


「河野さん次は講義で、その後の時間は俺が講義なんだよね。そしたらその間に帰っちゃうでしょ?だから今の内に河野さんをたっぷり摂取しておかないと今日の分の河野さんが圧倒的に足りないんだよ」


 綺麗な顔が歪んだ。凄いな。美形って歪んでも綺麗なんだ。

 身を乗り出して捲し立てた俺に河野さんの綺麗な口の端が軽く引きって、上半身をわずかに反らせた。


「お前、最っ高に気持ちわりぃぞ?」

「そうかな?」


 逃げても良いはずなのに、河野さんはそのまま食事を再開させた。

 周りからの好奇の視線をビシバシ受ける事になった事には悪かったなって思ったけど、これで興味本位で河野さんに手を出してくる奴も減るでしょ。

 俺だったらこんな気持ち悪いストーカーに付き纏われている相手に中途半端な感情で絡んだりしない。

 俺は河野さんを眺めながらの幸せなランチタイムを過ごす事に専念した。


 後で知ったんだけど、河野さんは周りからはクール&ビューティーを地で行くタイプって思われていたらしいんだよね。

 付き合いとかも悪くは無いけど、あんまり表情を浮かべるタイプでは無くて。会話のスピードも早くなくて、話のテンポを崩さない程度の相槌が多いからあんまり声を聞かないんだって。でも、頭の回転も早いし他者の機嫌を損ねるような事は決してしない、一緒に居ても苦にならない稀有けうな存在だって。

 河野さんを追い回す俺を面白がった先輩達が色々と教えてくれた。


「またお前か……」


 こんな風に表情を変える事が滅多にないだなんて聞いたら、たとえ嫌がられてたって追いかけざるを得ないよね。

 俺にだけ表情を変える。それがマイナス方向であったとしても今はそれで構わない。無理矢理にでも前を向くしかない。

 諦めなければいつかは届くかもしれないじゃない?


「また俺ですっ!今日こそ付き合って下さい!」

「断る!出直せ!」


 顔を赤らめた河野さんが彼にあるまじき鋭さで返してくる。

 今はかすかなサインでも見逃さないで追い掛けるしかない。


 このやり取りを三年は続けた。




 河野さんは気が付いていなかったみたいだけど、俺は本気で拒否されてはいないって確固たる自信があった。

 だから例え周りにストーカー扱いされても当たって砕けまくったし、河野さんが可愛がってる子から気に入られるようにと頑張った。


『まだ、死にたくねぇな』

『断る!出直せ!』


 河野さんは自分では本当に何も気がついていないみたいだった。

 自分の放っている言葉の意味とか俺を気持ち悪いとかまた来たとか言いながらも絶対に適当にあしらわない事とか……最初から、俺には次が用意されていた事とか。

 これだけ付き纏っていれば河野さんが女子から告白をされている場を目撃してしまう事もある。それも一度や二度じゃ無い。何度も。そして、その時の河野さんの返事を聞く度に俺はその自信を確信を持って強めていった。

 どの子も可愛い女の子なのに、普通に考えたら彼女達からの告白を受けて俺を追い払えばいいのに。


『悪いな。俺は期待には応えられない』


 河野さんは全員にそう言って断っていた。

 彼女達には次は無かった。

 そういう事なんだって、気がついた。

 そうしたらもう簡単に諦めないって思ったし、何がなんでも河野さんの視界に入り続けるって固く心に誓った。


 最初から諦める気なんかさらさら無かったけれど。



 最初は大学中の人達から変な奴扱いされていた俺だけど、三年もめげずに追いかけていればそれなりに応援してくれる奴も出てくる。

 一つ下の学年の椎名ちゃんと三峯がその筆頭だ。

 入学当初こそTPOをわきまえずに一心不乱に玉砕を続ける俺に付き纏われている河野さんを不憫ふびんに思ったらしい。でも、本気で振り払わない河野さんの本心ことに気が付いたらしい二人は俺に対してそれはそれは親身になってくれた。

 まず、服装と髪型を直された。どうやら俺の見た目は(張り切り過ぎた)高校生にしか見えないらしくって、河野さんに合わせてプレッピーに変えてみた。

 見た目って大事だって言う二人の意見を参考に、河野さんの仲良くしている子に付き合ってもらって色々とファッションを研究した。


 満を持して河野さんにお披露目したんだけど……。


「河野さん!この服どうですか?気に入りますか?」

「げっ……」


 買ってきた服の中から椎名ちゃん達に河野さんを参考にしてコーディネートしてもらったら、河野さんは眼鏡をやめてワイシャツとデニムっていうシンプルな出で立ちで登校してくるようになった。

 お揃いコーデっていうのやってみたかったのに残念!





「あおい君、そろそろ諦めて俺と付き合ってよ」


 河野さんが卒業する日、これを最後にするって決めて告白をした。

 いくらめげない俺だって本気で嫌われてしまうのは嫌なんだ。

 だから期間は区切るべきで、大学院まで追いかけて回るのは流石に出来ないなって思ってはいた。


 いつも座ってるベンチの前で卒業記念パーティーまでの時間を潰していた河野さんを見つけた。

 俺の姿を見つけて逃げようとした腕を間一髪掴まえて引き寄せた。


「……お前、本当にあきねぇな」

「初恋だからね」

「初恋は実らねぇんだぞ」

「一回振られてるからね」

「一回じゃすまねぇだろ」


 言葉が途切れた途端に河野さんはフィッと視線を逸らした。

 よく見れば気が付くんだ。耳が、赤い。

 河野さんの癖。真っ直ぐに目を見て言われると逸らせなくて、それが煩わしい筈の俺でも会話が終わるまでしっかりと相手の瞳を見て話してしまう。

 そんな河野さんの瞳を捉えて、いつもにやけてしまう顔を引きしめてきちんと言葉にする。

 本当なら一生黙っておきたかった俺の失態を。

 多分、これが一番俺の想いが誠実に河野さんに届く気がしたから。


「月が、綺麗ですね」


 バッ!て勢い良く視線を戻して俺の顔を見つめた。

 驚いてる?


「あおい君がつまらなそうだって言ったから、俺は変われたよ?」


 河野さんは口を開いて、はくっ……て何か声にならない声を吐き出した。

 思い出してくれたんだ?そんなの忘れたままでいてくれたら良かったのに。

 いつも怠そうな瞳がくくく……って広がっていく。


「今はつまらなくない。楽しいよ」


 三月の風はまだ冷たい。

 俺に腕を掴まれた時に咄嗟とっさに河野さんはコートを片方の腕に抱えて、今もそのままだ。だから、それを取り上げて肩にかけた。

 まだきちんと巻かれていなかったマフラーも巻き直した。


「あおい君が、俺の世界に色を塗ってくれたんだ」


 色を塗ったなんて生易しいものじゃない。

 手当り次第に滅茶苦茶に色を塗って、世界が本当はもっと物凄い極彩色の世界なんだって知らしめた。

 俺には何だって出来るんだって教えてくれたんだ。

 

 手を、離した。

 本当に、心から嫌なら、諦めるから。

 秘密で好きでいる事だけは許して欲しい。


 河野さんがまた、はく……と口を開いた。

 開いては閉じて、はくっ……、はく……って声にならない何かを言おうとしては押し殺してを繰り返す。

 俺はそれをじっと待つ。

 どんな罵倒だって受けるつもり。

 楽しいはずの大学生活を、俺が無茶苦茶に塗り潰しちゃったんだから。

 本当だったら可愛い女の子と楽しい大学生活を送ったり、サークル活動でわいわいと過ごしていたはずなんだ。

 そういう普通の人が当たり前に享受出来ているモノを、俺は完膚無きまでに、自分の為だけに、河野さんから取り上げてしまった。




「あー……クッソ…………もう……殺されてやる……」




 ……え?

 予想外の言葉に驚いて見つめた河野さんの顔はビックリする位に真っ赤だった。特に目は泳いでて、俺の視線に気付くとマフラーをずり上げて震える口元を隠した。

 俺も嬉しさで口元がブルブル震える。

 頭がボーッとするけど、今きちんと伝えないでどうする!って場面だろ。


「……っ!大事に殺します!」

「なんだその返し!不穏だろ!!」


 ガバって抱きしめた河野さんはいつもと違って俺と距離をとろうとしないから腕にすっぽりと抱きしめる事が出来て、想像したよりもずっと小さかったんだなって気が付いた。

 そして、なんだか柔らかい良い匂いがした。




 十年経った今でも、あの柔らかな匂いはいつだってすぐ隣から香ってくる。


 今でもあの時の答えは一生の不覚だってよく言われる。

 どうかしていたんだって。

 不貞腐れながら。


 でも、俺は知ってるんだ。

 あおい君は俺が本当に離れそうになると、俺の服の裾をきゅっと抓むんだ。

 離れていかないでって。

 そばに居てって。


 だから俺はいつだってあおい君を追い回す。

 どこへも行かないし、どこへも行かせたりしない。


 あおい君が死ぬその日まで、絶対に一人になんてさせてあげない。










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