Inter Story 1





【高遠eyes】





 俺の歳の離れた従兄、椎名しいな光希みつきについてを話す。


 まずは俺の話からだな。

 俺、高遠たかとおしんの実の両親は仕事の多忙を理由に子育てなんかを全くしない、所謂いわゆるネグレクトっていうのを平気でやらかす人達やつらだった。悪意なく、な。そして、まだ赤ん坊と言っても良いくらいの俺とそこそこ歳の離れた姉の世話を母の実姉に、近所に住んでいる専業主婦だからという単純な理由で丸投げした。

 忙しいんなら二人も子供を作んなよって思うけど、両親あいつらの基準だと子供のいない夫婦っていうのは世間体見栄えが悪いらしい。

 そんな親の金が無ければ生きていけなかった俺にどうこう言えるものでもないけどさ。あー、最悪だなとは思ってる。それは俺の歳が当時の親の歳に近づけば近づくほど嫌悪に近いものへと変化するほどには。


 俺の事はこの辺でいいとして。

 気の良い伯母さんは俺たち姉弟きょうだいの事を自分の子供と同じように育ててくれた。

 決して虐待児に対するような憐憫れんびんの情を向ける事もなかったし、可哀想な子として扱うこともしなかった。

 ただ、自然体で俺達を育ててくれた。

 この人が椎名の母親だ。

 椎名は椎名で人が良い……良すぎるところを伯母さんから受継いでしまったらしくて、幼い俺が見ても分かるくらい露骨ろこつに貧乏くじを引きながら生きてるようなヤツだった。

 現に椎名は俺の面倒をかなりよく見てくれたけど、椎名の弟はまっっっったくだった。なんなら無視してた。俺たち姉弟の面倒を見るのが嫌なのか、ただの口実だったのかは知らないけど、それを理由に俺たちのいる時間にはまず家に居ないし会ってもなんの会話もない。しても軽い挨拶程度。


 伯母さんが来られない時の幼稚園のお迎えだの小学校で具合悪くした時の迎えなんかを当時まだ高校生とか大学生の椎名がやってくれていた。

 不平不満なんてひとつも言わなかったし、言っても許されるだろうって思う俺とは正反対ちがって、ただ純粋にしたいからする。

 そんな椎名に俺はとても可愛がって育ててもらったと思う。

 その証拠に幼い俺は椎名に名前を呼ばれるのが大好きだった。

 椎名は俺が信用しても良い大人だった。


 だから、俺は椎名にだけは何がなんでも人よりも幸せになってもらいたいと心の底から願っている。


 ……のだけど、なんと椎名光希という人間は人が良いだけじゃなくて自分の感情にひどうとく出来てた。

 そりゃもうビックリした。

 こんな人間が存在している事自体が奇跡じゃないのか?って思うくらいに他者の悪意に無防備で、善を当たり前とする生き物がそこに居た。


 端的たんてきに言って、他人だれかの為に泣けるのに自分の為に泣かないヤツだった。

 これはいけない。

 思春期になって色恋なんかもしっかり経験した俺は椎名の危うさに気がついた。

 だってそうだろ?

 誰かが泣かなくて済むのならそれでいいやって平気でぽーん……と自分を投げ出して、笑って犠牲になれちゃうヤツだったんだ。

 騙しやすいし都合が良い様に扱いやすい。鴨が葱を背負って、なんなら鍋まで背負って準備万端で歩いてるようなヤツがなんで今まで無事でいられたのが不思議でならなかった。

 今の俺が椎名をそういう意味で食い物にしようとするヤツらを追い払って回ってるのはこれが根拠だ。

 純粋ピュアとかいうレベルじゃねーから。

 頭は良いはずなのに、致命的に他者ひと悪性ずるさに耐性の無い人間性いきかたに気がついた時、よく無事にここまで生きてきたなって思ったし、人柄の良さに助けられてんのか?って心底不思議に思った。


 そんな危うげなバランスで生きてきた椎名にも、大学に入ってから親友と呼べるような友達が出来た。

 三峯みつみね広嵩ひろたか池田一士いけだかずし

 この二人がじっくりと時間をかけて、椎名に善意と悪意の違いだとか、騙そうとする人間も居るだとか、そういう基本的な部分を刷り込んでいったのを俺は近くで見てきた。

 湯葉を作ってるみたいだなって何となく思ったのが印象深くてよく覚えてる。

 本当に気の良い人達で、コツコツと見限ること無く、頭から否定するのでもなく、椎名の善性を認めながらも人を疑うことや悪意についてを刷り込むようにして教えて言った。


 そもそもの発端が俺の存在だったって事も記憶に残る原因と言えるんだ。

 当時、姉はもうだいぶ手がかからなくなってたけど俺の面倒を見るまでは出来なくて。伯母さんの都合もつかなかった時、椎名は俺を連れて歩いてた。

 大学へすら当たり前に連れて行って、椎名が二人とは違った講義の間は三峯や池田君に預けられてたし、三人とも都合のつかない時にはああ見えて面倒見の良い河野君が俺と一緒に居てくれた。そうしたら自然と初町君とも知り合って、椎名が居ない時には誰かが俺と一緒に時を過ごしてくれた。

 椎名は全く気にしてなかったみたいだけど、一見したら子連れの大学生だ、あんなの。

 俺が初めて聞いた三峯と池田君の声は『え?お前子供いたの?』だったぐらいだし。

 河野君は物静かで他人に必要以上に踏み込まないってすぐに気がついたからそこまでの緊張はなかったけど、明るくてグイグイくる初町君には普通に緊張したのを覚えている。


 特に椎名と仲の良かった三峯と池田君は最初こそ同情だったのかなんなのか……。

 気の良い二人は全く無関係なガキの俺をとても可愛がってくれた。

 三峯は少しガサツなところがあるけど俺の周りに居ない兄貴タイプだから勉強やスポーツの話から下ネタまでなんだって話す仲になったし、池田君はいつもにこにこ笑っていて穏やかだけど芯が一本通った日本男児タイプだから主に躾というか……一般常識的なところを随分と教わった。叩き込まれたといっても過言ではないと思う。

 それらは今の俺を形作る上で絶対に必要なものだった。


 椎名を含めて三人が全くバラバラな性格だからこそ仲が良いんだろうなって思ってたし、思ってる。

 そんなんだから俺は今でも連絡を取り合ってるし、今回の件も包み隠さず全て話した。

 俺の長年の腐れ縁。

 来宮きのみや哲哉てつやを椎名にぶつけた事を。


 椎名が来宮を意識した頃に伝えたから、来宮ってヤツが居るってだけの情報としてなら二人とも先に知っていた可能性が高いけど。

 三峯には『お前、さすがに椎名の従弟だけあってたまにぶっ飛んでるわ』って笑われたけど、池田君には叱られるんじゃないかと内心ビクビクしてた。

 あの人は優しいけど、きちんと優しい人だから。

『性別飛び越えたのは驚いたけれど、椎名が椎名で居られるならいいんじゃない』

 それだけだった。

 二人とも椎名が世間ズレしてるのは充分理解わかった上で、友達をしているわけ。

 恋人だれかの為に変わるのは本人の為にならないからって、椎名が誰かに想いを寄せても、寄せられても、彼等は特に何かアクションを起こすことはしなかったし、自分達にお節介くちだしをする権利りゆうは無いくらいに思ってるんじゃないかな。


 だから俺が余計なことをした。

 結果としては上々なんじゃないかな、と思ってる。


 来宮は淡々と日々をこなす割に世の中をはすに見てるタイプで、昔から自分の価値観せかいをしっかり構築する。

 自分の周りを俯瞰ふかんする様に眺めて、散々 吟味ぎんみした上で認めたモノだけを選んで自分の世界に入れる。

 そして、自分の世界に入れたモノにだけは情をかけるように見えた。

 あまり感情の無いタイプだと自己分析しているみたいで、確かに無闇矢鱈てあたりしだいに情けをかける事を良しとする人間とは到底言えない。

 でもそれは裏返せば、自分に出来ない事には手を出さない、負えない責任は最初から負わないという事だろ?

 変に手を出して共倒れたり、自己満足の為に他者を利用しない、寧ろ誰に対しても公平で公正なヤツだと俺は思った。

 しかもこの世界の事を斜に構えている割には世界の仕組みを良く理解していて周りの人間の輪を乱す事は絶対にしなかった。


 俺は腐れ縁だけあって来宮の人間性にはまぁ少し問題あるような気もするけど、肝心の椎名との相性は良いんじゃね?って早い段階で気がついた。

 人間の悪性を理解する事が苦手な椎名と、人間の持って生まれた善性なんか有り得ないし良い人ヅラしてる独り善がりの正義なんてクソ喰らえと思っている来宮。

 椎名は純粋な善人だ。来宮はそこは絶対に否定しない。出来ない。人となりを知ってしまえば来宮は賢いからそれが真性のものだって理解出来てしまう。ならば、後は懐に入れさせさえしてしまえば恋人に迄はならなくても椎名に味方が増える。


 アイツは自分で思っているよりもずっと根は良いヤツなんだから。

 河野君が何よりの証拠。

 どういう経緯で仲良くなったのかは知らないけど、隣の家の一回りも年上の男性と仲良くやってるのは割とレアケースだと思うんだよね。

 河野君を知ったのは椎名が大学で知り合ってからだから、それが来宮の〝お隣のお兄さん〟だと気がついた時には驚いた。

 話に聞いただけだったら普通はもっとお節介な大阪のおばちゃんみたいな人を想像するでしょ。それが物静かを通り越して無口に近い美青年ときたもんだ。

 少しスローテンポな所もあったけど、思慮深くて他者を否定から入る事はしない。

 来宮の情緒を育てた人にはとてもじゃないけど見えなかった。

 大学に入った来宮は自身の講義の時間の如何に関わらず河野君と一緒に通学してくるようになった。

 優しい兄代わりと一緒にいられる時間があと僅かだという事を、あの賢しい来宮が分からないはずがないからな。


 俺だっていつかは結婚するだろうし、言ってしまえば皆いつかは一人で歩いて行くわけで。

 そうしたらあの椎名を一人にするのはどうなのかってなって思った。

 一人で歩けないほど情けない大人だとは間違えても思っていない。

 それでも、椎名の隣で笑顔で立って、同じ方向を見てくれる誰かが居てくれたなら、って思わずにはいられなかった。

 頭の片隅で来宮ならなんとなく椎名のペースに合わせて歩いてくれるんじゃないかって思った。

 急かすでも、突き放すでも、放置するでもなく。

 しょうがねぇなぁって笑って椎名を待っててくれてるんじゃねぇかなって思ったんだ。


 だから時期を見て。

 具体的にこれだなって思ったのは、来宮が他がやってるから恋愛ためしてみるかっていう時期を過ぎて、中身をきちんと見定めて恋愛対象あいてを選ぶ頃。

 椎名の見た目は来宮のタイプど真ん中なのは知ってたし、新学期前のボロボロ期間の椎名を先に見せて、後から綺麗な格好をした椎名を見せれば男でもまぁギャップ萌えで何とかいけんだろ!って算段をつけた。

 椎名の見た目はかなり中性的だし、一回意識させる事が出来たら俺の勝ちだなって。

 いやいや、勝ち負けじゃねーから。


 未来さきの事なんかわかんないけどさ。

 椎名は一人で歩くより、二人の方が良いって俺が勝手に思ったから。

 誰かと笑い合いながら、つまづきながら、それでもお互い手を貸しあって、ゆっくりと歩いていってくれたらどんなにか良いだろうって。


 その方が、幸せになってくれそうだって思ったから。


 まぁ、椎名には俺の気持ちなんかわかるはずもないんだけど。

 勝手な押しつけで、ゴリ押しで、ただのお節介でしかないんだけど。


 幸せになって欲しかった。





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