ハッピー・サッド

猫柳蝉丸

本編

 これは政略結婚じゃない。

 金銭目当ての結婚でもない。

 ただ……、ただの……。



     ▽



「式は明日なのに、気が早いんじゃない、浩太君?」


 遅い梅雨の季節の雨に降られなかった快晴の午後二時、二週間振りの恭子ちゃんの笑顔は眩しかった。

 僕は恭子ちゃんの自室に招かれながら軽く微笑んだ。


「明日は話す時間も無いだろうからさ、その前にちょっと話しておきたかったんだ」


「何か意味深だね」


「そんなに深い意味は無いよ。幼なじみの腐れ縁じゃないか。これからも末永くよろしくってそう言おうと思っただけさ」


「そうなんだ。いいの? 幼なじみの腐れ縁と末永くよろしくしちゃってても?」


「いいんじゃない? これから先、友達は作ろうと思ったら作れるけれど、幼なじみはどうやっても作れないしね」


「それは間違いないね」


 恭子ちゃんが呆れたように微笑んで、僕は恭子ちゃんが用意してくれたアイスコーヒーに口をつける。

 ずっと昔……、幼稚園の頃から続いてる僕たちの腐れ縁。ずっと続けばいいと思う。これからもずっと……。

 もちろん恭子ちゃんが結婚してしまったら、今までのように頻繁には会えなくなってしまうだろうけれども。

 軽く嘆息してから、僕は気になっていた事を訊ねてみる。


「高橋さんは?」


「あの人なら今日も夕方までお仕事だよ。明日が結婚式だってのにバリバリだね」


「頼れる旦那さんじゃないか」


「そうだね……、頼れ過ぎて困っちゃうくらいだよ」


「困っちゃうんだね」


「お姉さん気質ですから」


 それについて異論は無い。

 恭子ちゃんが僕より三ヶ月お姉さんなのは確かだし、三人姉妹の長女なのも事実なんだから。

 しっかりしているんだ、恭子ちゃんは。しっかりし過ぎているくらいに。


「でも、恭子ちゃんはそんな高橋さんがよくて結婚するんだろ?」


「えへへ、まあね」


「新婚間近の惚気をごちそうさま」


 吐き捨てるように言ってみせたけど、もちろん冗談だ。

 高橋さんは男の僕の目から見てもとてもいい人だ。

 僕たちより四つ年上で今日も大企業でバリバリ働いてその分稼いでいる。

 特に良くも悪くもない会社でそれなりに働いている僕とは大違いだ。

 それでいて陽気で器も大きい。例えば結婚直前の恋人が僕みたいな幼なじみと会っていても笑ってくれる。そんな人なんだ。

 こういうのも変だけれど、僕が女だったらきっと高橋さんみたいな人に惹かれていたと思う。

 でも、だからこそ少し驚いたんだ。

 恭子ちゃんが高橋さんみたいな人を選んだ事に。

 恭子ちゃんはしっかりしていて、僕や恭子ちゃんの家族を引っ張っていく人だったから。


「恭子ちゃんはさ」


 用意してもらったアイスコーヒーを飲み干してから、僕は小さく切り出してみる。


「やっぱり引っ越しちゃうんだよね?」


「まあ……、そうだね。まだ新居は決まってないけど、結婚するわけだしもうすぐね」


「ちょっと寂しいよ、ずっと近所に住んでたわけだしさ」


「幼稚園の頃から高校まで一緒だったわけだし、確かにね。私だってちょっと寂しいよ」


「高校を卒業してからは遊ぶ回数もめっきり減っちゃったしね」


「就職しちゃったからね、私」


「うん……」


 それ以上は言葉にしなかった。

 本当は同じ大学に入学して楽しい腐れ縁を続けたかったんだ、僕は。きっと恭子ちゃんも。

 でも……、そうはならなかった。

 僕たちが高校二年生の頃、恭子ちゃんのお父さんが倒れて亡くなってしまったから。

 それでも歳の離れた妹たちがいる恭子ちゃんは挫けなくて、大学に行くのを諦めて就職したんだ。家族を支えるために。

 その恭子ちゃんの決断を間近で見ていながらも、僕にはほとんど何もできなかった。できた事と言ったら恭子ちゃんのたまの休みにご飯に誘うくらいだった。

 それ以外、僕に何ができただろう。ただの腐れ縁の幼なじみでしかなかった僕に。

 愛の告白か?

 どうにか頑張ってみて贔屓目に見ても二流の大学にしか進学できなかった僕が?

 自信が無かった。高卒で家族を支えるために働いている恭子ちゃんに釣り合えるとは、釣り合うと思ってもらえるとは思えなかった。

 だから……、恭子ちゃんに職場で知り合った人に告白されたと聞いた時には、驚きながらも納得していたんだ。

 そういう人こそ恭子ちゃんに相応しいんだって。


「浩太君?」


 

 僕が黙り込んでしまった事が気になったのか、恭子ちゃんが僕の顔を覗き込んで訊ねてくれた。

 そういうところも、僕の知っているしっかりした恭子ちゃんのままだった。


「いや、何でもないよ。やっぱり寂しいのかな。ちょっとしんみりしちゃってさ」


「もう……結婚するのは私なんだから、マリッジブルーは私に譲ってよね」


「……違いない」


 僕が苦笑すると恭子ちゃんも笑ってくれた。

 それでよかった。よかったのだと思う。

 だけど思う。最後に一つだけ思ってしまう。

 あの時……、どの時……? とにかくあのいずれかの時に、僕が恭子ちゃんを好きと言っていたらどうなっていただろう?

 恭子ちゃんはそれを受け入れてくれて、明日の式で恭子ちゃんの隣に立っているのは僕で……?


「そう言えばさ、浩太君」


 不意に恭子ちゃんが呟いた。今まで聞いた事がないような真剣な声色で、そう呟いた。


「まさか結婚式前日に会いたいって言われるなんて思ってなかったよ。ひょっとして……」


「ひょっとして……、何?」


「『卒業』でもするのかなって思っちゃった」


『卒業』というのはあの有名な映画の事だろう。

 僕は観た事はないけれどラストシーンだけは有名だから記憶している。

 花嫁を奪って、結婚式場から駆け出していくラストシーン……。

 ひょっとしたら……、そういう選択肢もあったのかもしれない。

 恭子ちゃんもその可能性を考えてくれるくらいには、僕の事を大切に思っていてくれたのかもしれない。

 けれど……、僕にできるのは、肩を竦めて笑ってあげることくらいだ。


「そんなわけないでしょ。恭子ちゃん自意識過剰過ぎだよ」


「あはは、やっぱりそう……? ちょっとマリッジ・ブルーなのかな、私……」


「誰だってそうだよ。新生活が始まると思ったらさ、誰だってちょっと不安になっちゃうものだよ」


「そうかな……、そうかもしれないね……」


「結婚生活に悩みができたらさ、いつでも言ってよ。未婚どころか彼女も居ない僕だけど、一緒に悩んであげることくらいはできるからさ」


「そっか……、うん……、ありがと」


 そうして、僕たちは二人、笑った。

 今更僕にできることはない。例え恭子ちゃんの手を取って逃げ出してみたとして、その先には何も残されていない。

 恭子ちゃんはしっかりと自分の人生を見据えて結婚相手を選び、家族を支えながら幸せな結婚生活を送る。

 それは僕と二人では決してできない事だ。

 僕は知っている。恭子ちゃんが家族を支えるために大きな借金をして、返済のために四苦八苦している事を。それに関して僕には何もできない。単なる平凡な会社員でしかない僕に恭子ちゃんを支えられる力は無い。金銭的に支えられず幸せにしてあげられるなんて自惚れた事は口が裂けても言えない。

 もちろん恭子ちゃんが高橋さんの財産を狙ってるってわけでもない。恭子ちゃんはそんな事を考えるタイプではないし、高橋さんは笑って恭子ちゃんの人生を背負って一緒に歩いていくれるだろう。

 だから恭子ちゃんは高橋さんを選んだんだ。恭子ちゃんと肩を並べて歩いていけるしっかりした人だから。


 これは政略結婚じゃない。

 金銭目当ての結婚でもない。

 ただのありふれた幸せな結婚だ。

 とても幸せで少し寂しいだけの恭子ちゃんの門出なんだ。

 僕には恭子ちゃんの隣で一緒に歩いていけるだけの力が無かった。ただそれだけの話なんだ。

 だから、祝福してあげるんだ、僕の大切な幼なじみである恭子ちゃんの結婚を。

 盛大に。


「改めて言うけどさ、結婚おめでとう、恭子ちゃん。これからも、腐れ縁の幼なじみとして末永くよろしく」


「うん、ありがとうね、浩太君」

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