恋し あやかし

竜月

第1章 二口女の恋

「よく食べるねえ」

 と言われるのはいつものことだ。最初はみんな面白がって笑ってくれる。けど、だんだん困ったような顔からうんざりしたような顔になる。そして二度とお誘いはかからない。

 あたしの携帯電話にはそんな人達のメールアドレスがたくさん入っている。消してしまえばいいのに、いつかまた連絡をくれるんじゃないかと思って消去できないでいる。

 一人で食事をするのはつまらないけれど、一緒に食べる人がいないからしょうがない。

 あたしは弁当屋でトンカツ弁当とハンバーグ弁当を十個ずつ買い込んで、家路についた。 この大都会に不似合いな汚い木造二階建てのアパートがあたしの住処だ。洗濯機は部屋の外に置かなきゃならないし、川岸に建っているからどぶ臭く、蚊が多い。食費にたくさんのお金をつかうあたしは出来るだけ家賃を抑えなきゃならない。でなきゃこんな汚いアパートに住みたくない。いつかお金持ちになって毎日お腹いっぱい食事をしてもまだ余裕があるような暮らしをするのがあたしの夢。その時には高級マンションに引っ越そうと思っている。

 101号室があたしの部屋。ポケットから鍵を取り出すたびに、付けてあるキーホルダーがガチャガチャとうるさい音を立てる。キーホルダーにはストラップや鈴やごちゃごちゃしたマスコットをたくさん付けてある。それは手のひらで一塊りになるくらい大きくごちゃごちゃしている。それを見た人はみんな笑うけど、持ってる鍵が貧相な部屋の鍵一個だけっていうのを隠す為だ。あたしは車もバイクも自転車さえ持ってないから。はやりの化粧に茶髪、今時のファッション雑誌で勉強してあたしの容姿は二十歳そこそこだ。

 けれど友達はいない。

「お帰り」

 と声がした。

「びっくりぃ。脅かさないでよぉ」

 隣の部屋のドアが少しだけ開いて、暗そうな男が覗いていたからだ。

「クチメ、隙だらけ」

 と男は笑って外へ出てきた。

「アカナメ。もう仕事終わったの?」

「ああ、たまには早終いさ」

 赤名目清掃サービスと刺繍の入ったネズミ色の制服を着たそいつは、紛れもなく妖怪アカナメだった。妖怪アカナメは文字通りに垢をなめる妖怪だった。昔は湯屋の天井裏なんかに住みついて、夜中に手桶や湯船にたまった垢を舐めて暮らしていたのんきな妖怪だ。

 一族で人間界に出てきて、清掃サービス業をして結構忙しいらしい。大きなテレビ局の清掃を請け負ってるんだから大手なんだろう。

 アカナメが変化があまりうまくないと思う理由は、いつか見た宇宙人が地球を侵略する映画に出てくる虫系の宇宙人を思い浮かべてしまうからだ。虫の宇宙人が人間を襲って中身を食べてしまい、その人間の皮を着るのだ。アカナメはその宇宙人にそっくりだ。もしかしたらあの役をやっていた映画俳優もアカナメ一族なのかもしれない。

 ドアはぎしぎしと情けない音を立ててひらいた。

 部屋の中は寒々しい。

 アカナメはあたしの後から部屋へ入って来た。

「早く、暖房入れて、寒い!」

 アカナメはコタツに飛び込んだ。

 あたしは弁当屋の袋をコタツの上に乗せてから手を洗った。

「無理。コタツは使わない」

「え! なんで!」

「貧乏だから、電気代とか節約してる」

「この寒いのに? 暖房なし?」

「そう」

 アカナメは呆れた顔をした。

「信じられない。寒っ」

 アカナメはコタツの布団に顔を埋めた。

「自分の部屋に帰ればいいじゃん、密度高いんだから」

「まあな」

 アカナメの部屋は隣の102号室で、アカナメは両親と弟三人に妹が一人の七人家族だ。

 一番下の弟はまだ赤ちゃんでいつもアカナメおばさんの背中に負われている。

 間取りは同じはずだから六畳一間に小さな台所とユニットバス。狭い部屋で押し合いへし合いしながら暮らしている。でもアカナメは貧乏ではなく、彼の経営する赤名目清掃サービスは大手の清掃会社でアカナメ一族以外に人間の授業員も雇っている大きな企業だ。

 なのにこんな汚いアパートでぎゅうぎゅうして暮らしているのは習性だろう。山の中の狭い洞穴で暮らしていた頃のせまっくるしい生活が好きなのだ。七人でも狭いのに、いつも親族やら従兄弟やらはとこやらが来てわいわいやっている。

 あたしは水道水を入れたペットボトルを持って、冷たいコタツの前に座った。

「寒いより、空腹が我慢出来ない」

 あたしはコタツの上のトンカツ弁当をやっつけることにした。

 トンカツ弁当十個、ハンバーグ弁当十個。カンのいい人はこれで察しがつくと思うけど、いや、ちまたではやってる大食いギャルではなく、あたしは二口女だ。

 昔話では結構有名だと思う。貧しい男が嫁をもらう。働き者の嫁だが、なぜか男の前では飯を食わない。なのに台所の米びつからは米がドンドン減る。不審に思った男が仕事にでかけたふりをして様子を窺ってみると、嫁は米をたくさん炊いて喰っている。喰っているのは頭の後ろにある大きな大きな口。

「見たな~~」

 でもあの昔話はあたしじゃない。あたし以外にも二口女はいるから。

「クチメ、最近テレビに出てるんだって?」

 あたしはうなずいた。

「あ、あ、ごめん。食べ終わってからでいいよ。あーあー、ほら、醤油の容器はプラスチックだから食べない方がいいって。胃が痛くなるよ」

「おお」

 あたしは最後のハンバーグを飲み込んで夕食が終わった。

 全然足りないけど、バイト代が入るまでは我慢しなくちゃ。ペットボトルの水を4リットルほど飲んで誤魔化す。

「テレビじゃないよ。動画配信ってやつ。大食い選手権がなくなって、テレビも呼ばれなくなった」

「大食い選手権ってまさにクチメの天職だったのにね」

 とアカナメが笑った。

「グーーーーーーーー」とあたしのお腹が鳴ったので、アカナメの耳がぴくっと動いた。「足りないんだ?」

「まあ……昔にくらべたらまし。食べる物も増えたし、ネットカフェとか行けば飲み放題とかあるし、あたしの仲間で餓死する奴も減った。でもやっぱね、食べる物がどこにもない、のと、食べ物はたくさんあるのに、お金がないから食べられないのとは違うっしょ。人間の食べ物はうまいから、もう山で木の実とかじってる仲間もいなし。生魚とか鳥とかも喰わないし、そんなの獲ってるとこ見つかったらやばいっしょ。人間の調理された物が喰いたいよ。でも食べる量だけは減らないから」

「そうだよね。半端じゃないもんね、食べる量」

「お金持ちになりたいっ」

 アカナメは「にゃはは」と笑った。

「お金持ちと言えば小雨坊さんが捕まったらしいぜ」

「ああ、うさんくさい説教で寄付金集めて詐欺で訴えられたんしょ?」

 小雨坊というのは雨を操る妖怪だ。昔話では山の中に出没して迷い人に説教をする親切なんだか迷惑なんだかよく分からない妖怪だったけど、今ではインチキ説法で寄付金をだまし取る悪徳妖怪に成り下がっている。けどめちゃくちゃ金持ちで、人間界では成功している妖怪だと評判だ。山の中で暮らせなくなり、人間界に出てくる妖怪は最初は仲間を頼って人間界の掟なんかに馴染んでいくけど、誰も小雨坊だけは頼っていかない。援助どころかもの凄い剣幕で追い払われるからだ。どれだけお金を持っていても困ってる妖怪を助けてやるどころか、逆に金を巻き上げられている仲間もいるというから、あたしみたいなちゃちい妖怪はそばに近寄るのさえ恐ろしい。

「それか……人間になりたいっ」

「人間に?」

 あたしはうなずいた。

「普通の人間に。友達が欲しいから」

「それは……」

 とだけ言ってアカナメはあたしを見た。

 垢を舐める妖怪は黒い瞳をしていた。

大食いギャルでテレビに出るようになって、知り合いは増えた。街で声もかけられる。

 けどそれだけだ。人一倍、いや、十倍食べるあたしを誘ってくれる人間はいない。友達面してテレビに出ても撮影が終わればそれっきりだ。メールアドレスを交換しても友達なんか出来やしない。たまにコンパに誘われて、気合い入れて行っても見せ物にしかなれない。みんな最初からそのつもりであたしを呼ぶ。あたしがどれだけ食べるか、コンパでのイベントみたいなもんだ。食べないと期待はずれな顔をするし、食べれば呆れ顔で笑い物にするくせに。

 だから人間になりたい。人間になって普通の生活がしたい。友達がたくさん欲しい。おしゃれだってしたい。食べる物を買うお金で精一杯な毎日はもう嫌だ。

「クシュン」

 とアカナメがくしゃみをした。

「寒い?」

「大丈夫。クチメ、再来週の土曜日に鎌鼬のマスターが忘年会するから来てくれって言ってたぜ」

「え、でも……あたしが行ったら食べる物なくなるし……」

「そんなの平気さ。小豆洗いさんがいっぱい甘いお菓子を持って来てくれるらしいし。クチメが来るなら多めに頼んでおくよってマスターが言ってたぜ」

「本当?」

「ああ」

 アカナメはまた笑った。

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