第2話

馬車に揺られて約二時間。ようやく、ルーカスの屋敷にたどり着いた。


 ——広い、そして豪華。けれど、不思議と威圧感はなくて、どこか落ち着く空間だった。


 大理石の床には上質な絨毯が敷かれ、壁には繊細な装飾が施された絵画や、彫刻のようなランプが規則正しく並んでいる。私は目を奪われながらも、ルーカスのあとを静かについていった。


「ここが俺の部屋。で、その隣がユリアの部屋だよ。何かあったら、遠慮せずに来て」


 彼はそう言って、隣の扉を開けてくれた。


(……え、隣の部屋?)


 思わず足が止まる。


 隣の部屋って……普通、婚約者か、もしくは夫婦が使う配置じゃ……?


 そんなことを思いながらも、案内された部屋を一歩、踏み入れた瞬間——


「……わあっ……!」


 言葉にならない感動が、思わずこぼれた。


 部屋全体が、私の“好き”で埋め尽くされていた。優しいパステルカラーの壁紙。ソファやベッドの生地は、私が昔から憧れていたブティック——“アンナエトワール”のもので統一されている。可愛らしいけれど子どもっぽくはなくて、どこまでも上品。


 見れば見るほど、私の趣味にどこまでも寄り添った空間だった。


「ねぇ、これ……もしかして……」


 驚きと嬉しさが入り混じって、私はルーカスを見つめた。


「君、アンナエトワールの生地とか好きだったでしょ?服も、よく選んでたし」


「うん……本当に素敵。幸せすぎる……ありがとう。ねぇ、いつかこの恩、ちゃんと返すから。まだいつになるかわかんないけど、働いて、お金貯めて——」


 そう言いながら、私はつい熱っぽくなった声を抑えられなかった。


 ふと、ルーカスの横顔を見る。


 ——ほんの一瞬だけ。彼の口元が、意地悪そうに歪んだ気がした。


(……え、今のって……気のせい、だよね?)


 自分にそう言い聞かせたところで、ルーカスはいつもの柔らかい笑みを浮かべて言った。


「恩なんていらないよ。俺は……君を守りたいだけなんだ。ずっと、ね」


 その一言に、心臓が小さく跳ねた。


(だめだってば、ユリア……!)


 自分にそう言い聞かせる。私は今や平民。ルーカスは隣国の王子。どれだけ近くにいても、対等な関係になれるはずがない。


 けれど——そんな理屈も、一瞬で溶かしてしまうほど、彼の瞳はまっすぐだった。


 私はなにも言えず、ただ小さく微笑むことしかできなかった。


「……あ、そうだ。今日の夕食、一緒にどう?君に何があったのかちゃんと君の口から聞きたいんだ。18時に迎えに行くよ」


「うん……待ってるね」


 ルーカスはそのまま、自室へと戻っていった。


私は部屋に一人きりになり、ふぅっと小さく息を吐いた。どこか、夢を見ているみたいな気分だった。こんな素敵な部屋に案内されて、優しくしてもらって、でも心の奥ではまだ、自分がここにいていいのか不安だった。


 荷物を少しずつ整理しながら、ふと窓の外を見る。空はゆっくりと夕暮れに染まり、柔らかなオレンジ色が庭の木々を照らしていた。


(こんな時間に、こうしてここにいるなんて)


 不思議な安堵と、ほんの少しの緊張が混じった気持ちを抱えたまま、私はルーカスとの夕食の時間を静かに待った。

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