この芝居を二人のために
なつ
この芝居を二人のために
・
「スパンコールを散りばめた、漆黒のドレスを身にまとい、月の女王はステージで、一人ダンスを披露する。全て大地を魅了して、我よ我よと膝をつき、今宵の相手を願い出る。月の女王の目には涙。誰もそれに気づかずに、大地は赤く血に染まり、一人一人と消えてゆく」
舞台中央、男が深くお辞儀をする。お辞儀に伴い、舞台は暗転。
「ええい、忌々しい!」
男の叫び声と同時に、舞台は光を取り戻す。勇壮な姿の若者が、剣を持ち舞台の下手手前から中央へと走る。上手からは、屈強な男が、同じように剣を構えている。下手の奥には、黒いドレスを着た女性が、両手を組み合わせ、舞台の中央を見ている。
「ああ、どうかお止めになって」
「止めないで下さい。今宵、あなたを娶ることができないのであれば、私らに生きる価値はございません」
「そうとも。この若造で、お仕舞いだ。そうしたらたっぷりと可愛がってくれる」
「わたくしは、そのようなことを望んでおりませぬ」
「望もうと望まなかろうと。それが女王の勤めであろう」
剣がぶつかる音が舞台に響く。二度、三度。
「できるな、若造」
「お主こそ」
が、若者の悲鳴と主に、彼の剣が舞台に落ちる。
「勝負あったな」
「たとえ、たとえここで私が倒れようとも、女王を最も愛しているのは私だ」
「ぬかせ」
剣が若者を貫く。
「ああ」
女王は両手で顔を抑え、その場にがくんと倒れた。
・
夜。フィービアは空を見ていた。まさに満天の星空だ。唯一の障害は東の空にある月の光かもしれない。この夜の世界において、もっとも眩しい存在だ。フィービアは口を縦に開いて、息を吐き出した。白い。
「月なんて、どこがいいのかしら。私なら何千という妖精たちが舞う世界を汚す異端って命名するわ。うん、そうよ。私ったら、いいセンスしてるんじゃない? シエルよりも絶対センスいいんだってば」
「そうか?」
独り言に返事をされ、フィービアはみゃともびゃともつかない声をあげた。
「テド、いつからそこにいたの?」
「いつからだろうね」
「失礼しちゃうわ。レディーのプライベートに介入するなんて」
「シエルよりセンスがいいって?」
「何よ。テドはシエル派でしょ。私知ってるんだから」
「何を知ってるのか知らないけど、フィービアのセンスがいいとは思えないね」
フィービアは立ち上がると、テドを睨んだ。頬も膨らむ。
「そのまんま。ちょっと少女過ぎるんだよ、フィービアは。大人向けじゃない」
「何よ」
「シエルは大人向け。大人を喜ばす術を知ってる」
「テドのエッチ」
「変な勘違いすんなよ。フィービアも今日の芝居見たんだろ?」
「見たわ」
「感想は?」
「仰々しい」
「……それだけ?」
フィービアは胸の下で腕を組むと、そうよ、と鼻を鳴らした。
「はは、フィービアらしい。でも、評価高いよ。国王の前での公演も決まったみたいだし」
「テドはシエル派なんでしょ?」
「フィービアもシエル派でしょ?」
「何と比べてよ」
「手伝ってくれるでしょ?」
「ええ、もちろん」
「よし。それが聞きたかったんだ」
テドはフィービアの頭を軽く2回叩く。それから片手を挙げると、おやすみと言った。
「私はもう少しここにいるから」
「うん。風邪には気をつけろよ」
「おやすみ」
テドは奥へと消える。見送ってから、フィービアはもう一度空を見上げた。星のスパンコールを散りばめた、月の女王が東の空に浮かんでいる。
「もう、もう!」
怒った声をフィービアはあげる。
「テドはいつもシエル派なんだから。私だって、テドのことが大好きなんだから」
そらからしばらくは静かに空を見ていたフィービアだったが、ぷるっと体を震わせると、そこから姿を消した。
・
「えええーっ、倒れちゃったの?」
「ええ。困ったわ」
シエルは机に両肘を付き、大きくため息をついた。真っ白な、ふわっとした服がぷくっと膨らむ。頬に当たる右の中指に、銀色の指輪が眩しい。
「フィービア……」
「無理よ、無理。私に無理なお願いしないでよ?」
「まだ何も言ってないわ」
「だって、悪い予感がするんだもん」
「悪くないと思うけどな」
「最高に思う。だって、無理よ? 私、舞台なんて」
「フィービアだったら、セリフが頭に入ってるでしょ?」
「だけど、だけど!」
シエルの部屋。昼日中。フィービアは、柔らかそうなベッドの上でむやみに跳ねている。シエルは、フィービアを横目で見ながら何度もため息。
「今夜なのよ」
「分かってるわ。だから無理、なのよ」
「……そうね。ごめんね、無理言って」
シエルが立ち上がると、服が一層ふわりと浮く。部屋を出て行こうとするシエルにフィービアは声をかける。
「待って、どこにいくの?」
「王様のところ。会えないだろうけど、でもお断りにいかないと」
「悪いのはシエルじゃないわ」
「そうね。でも、誰かが断りに行かないといけないでしょ?」
「だけど」
「フィービア、ありがとう」
「待って」
フィービアはベッドから飛び降りると、シエルの腕に捕まる。
「だめよ。そんなことしたらシエル、打ち首になっちゃうもの」
「かもね」
「私、やるから」
「いいよ」
「今からみっちり稽古して」
「ありがとう、フィービア」
シエルはフィービアを抱きしめる。シエルの服に、フィービアはすっかり飲み込まれてしまった。
「でも、私、お芝居なんて、やったことないよ?」
「大丈夫よ」
・
月の女王は、首を大きく左右に振りながら、ああ、ああ、と嗚咽をこぼす。
「さあ、女王よ。他の者たちはすべて、我が剣の錆となった」
「ああ、ああ、私の愛する人、ああ、ああ」
男は、下手後方へと向き直り、仰々しくお辞儀をしてみせる。
「我が名は大地の果てにありし山。天に届く剣をもちて、汝に突き刺さるもの。さあ、今宵は我と汝とのめでたき日。契り結ばれようぞ」
「わたくしは、ただ、愛するものなくして、この世に生を受けるものではございません。わたくしは、影。それだけでは存在することができぬもの。この闇夜に輝くドレスも、わたくしの装飾に見えるでしょうが、わたくしは彼らの下僕にすぎません。わたくしは、わたくしは」
「さあ、女王よ。我の胸へと来たれ」
男は顔をあげると、両手を一杯に広げる。
「どうか、大地の果てにありし山どの。わたくしのことなど、お忘れになって下さい」
「騒がしいな」
舞台の上手から、別の青年が現れる。みすぼらしい格好、何も持っていない。
「何奴だ!」
「ここはどこだい? 今日は何かのイベントでもあるのかな、どうも血なまぐさい」
「ここは聖なる地。お前のようなものが、ここにあっていい所ではない。すぐにこの地を去ればよし、さもなくば、お前もこの剣の錆としてくれよう」
青年、中央へ歩いて行き、倒れている若者に気がつく。
「あれ、君は昨日の……ということは、そこにおられるご婦人が月の女王であらせられるのかな」
「聞こえぬのか?」
「そうだな。この勝負はおあずけということで。僕がここにいるということは、影には苦しいことかもしれないからね。うん。それがいい」
青年、若者を抱えあげる。男、青年に切りかかる。が、青年はそれを避けると男の背中を軽く押す。
「あの、そなたは、えっと……」
月の女王、舞台下手で打ち震える。
・
「何をやってるんだ、フィービアは?」
「ううう、やっぱり無理だったんだわ。あの子、次のセリフを忘れてるのよ」
観客席の端に、シエルとテドの姿。
「ああ、なるほど。それはしょうがないんじゃないか、さすがにフィービアでも、いきなり舞台じゃセリフも飛んでしまうだろう」
「というよりも、セリフもなく、ただ舞台からはければいいだけなのよ。太陽の青年が現れたから、月の女王のシーンはお終い。ああ、まだ何か言おうとしてる」
「ほら、他の役者がアドリブでごまかそうとしているよ」
「もう見ていられないわ」
「俺の出番?」
「お願い」
テドは軽く肩をすくめると、舞台へと上がる。
「さて」
そして、舞台上の誰よりも大きな声を発する。
「こうして月の女王は、大地の果てにありし山のものとなることなく、無事にその貞操を守ることができた。けれど、それは一夜の限りの話。太陽の青年の活躍が終われば、また、月の女王のダンスが始まる」
舞台に幕が下ろされる。
「日々は、これに似ている。けれど、同じ日々は続かない。少々の変化が、彼女を一層美しくする。少しだけスパイスが効いた出来事が、いずれ彼らが再び出会ったときに起きる。何が起きるかって? それは次の幕のお楽しみ。では、みなさん!」
テドはお辞儀をしてみせる。
「次の幕まで、しばしのご休憩。遅れることなく、戻ってこられたし」
軽い拍手。多少無理やり感があったが、初見の者であれば気づくこともないだろう。シエルは首を横に振る。それから、舞台の袖へと急ぐ。フィービアを励ますためだ。フィービアはまだ舞台の下手に立っていた。それを見つけると側に駆け寄る。
「フィービア」
「ひゅみゅ。シエルちゃーん。私やっぱり無理ー」
「そんなことないよ。フィービアの演技は素敵だったよ。きっと国王陛下もご満足だわ」
「だって、セリフ忘れちゃったよ?」
「忘れてない忘れてない。あそこ、月の女王にセリフなかったわよ?」
「嘘?」
「本当。月の女王はただ、舞台からはければよかっただけだもの。それに。別にはけなくても大して影響ないし」
「本当?」
「うん。だから、後半もがんばってね」
「うん……うん。がんばる」
「よし、いい子いい子」
シエルはフィービアの頭を撫でる。
・
「なるほど。では、そなたがこの舞台の最高責任者というわけだな」
「はい」
シエルは王宮の一室にいた。白に統一された内装。嫌いではないが、心苦しい。ほぼ中央付近で、シエルは膝をついている。正面に男。手を後ろで組み、シエルを見据えている。
「国王陛下も、先ほどの芝居をご覧になった」
「ありがとうございます」
「うむ。こちらから準備をお願いしたものであるからな。多少演技に難がなくはなかったが、国王陛下は充分に満足されたようだ」
「ありがたいお言葉です」
「さて、それでだ。伺いたいのは月の女王についてなのだが」
男は一歩だけ前へと進み出る。
「私の見立てでは、あれは劇団のものではあるまい。恐らくは全くの素人」
シエルはびくっと体を震わせると、深く頭を下げた。
「責めているのではない。いやなにどうして、なかなか可愛らしいお嬢さまではなかったか。城下町での公演では、もっと歳が上の、妖艶な演技をしていたように思えたが、代役であろう。それとも、あれもそなたの演出であるのか?」
「……予定外ではあります。ですが、効果はあったと」
「うむ。国王も褒めていた。それで国王は仰せられた。あの娘を王宮に迎えたい、と」
「え?」
「すばらしい話だと思わないか?」
「フィービアを王宮に?」
「もちろん、姫にしたいわけではない。歳も離れているし、そんなことをしては、周りからの反発が大きい」
「愛人ですか?」
「はっはっは。それも違う。ただ愛でたいだけと、国王陛下はお考えだ」
「同じことではないでしょうか」
「先のことはわからぬ。よい話であろう?」
「本人に聞いてみないと……ですが、率直に申し上げまして、おそらく二日と経ずして打ち首になってしまうと思います。それほどにじゃじゃ馬というか、お子様でございますから」
「そのようなことで、打ち首にはすまい。過去にも王宮に召した者は多くいるが、皆元気に過ごしている。もしも些細なことで打ち首にでもしていたとしたら、誰も国王陛下の元へ参上することはなくなる」
「一度、フィービア本人に聞いてみます」
「よい返事を期待しておる」
「はい」
シエルは、一層体を低くした。その表情は分からない。
・
「絶対無理ー!」
フィービアはシエルのベッドの上で吠える。
「断って? 私はテドのお嫁さんになるんだから。宮仕えなんて」
「私もそう思ったんだけどね、頼まれちゃったから、一応フィービアに聞いておかないと」
「やっぱりお芝居なんてやるんじゃなかった」
「ごめんね、フィービア」
「シエルが悪いんじゃないわ。でも、私、どうしよう。断って大丈夫なの?」
「心配ないと思うわ。それじゃあ、私返事をしてくるから」
シエルはふわりと立ち上がると、部屋から出ていく。見送った後で、フィービアは大きなため息をつき、窓際へと移動。窓枠に手をつき、空を見上げる。欠け始めた月が空に浮かんでいる。
「異端よ、あんたなんて。妖精の輝きを奪って。ひどい話だわ。移り気で。裏を見せないなんて。私を困らせないでよ。うん、困らせないで」
「それは悪かったな」
再びフィービアは、みゃともひゃとも言えない声をあげる。
「テド! レディーのプライベートに入ってくるなんて失礼よ。何度言ったら分かっていただけるのかしら? それにここはシエルの部屋だわ」
「先刻会った。フィービアが部屋にいるから、話し合い手になってくれって」
「何よそれ。それでテドは来たわけ?」
「そうだよ」
「もう。本当にテドはシエル派なのね」
「そうだね。僕はシエル派だ」
フィービアの頬がぷくっと膨れる。
「だけど、今日まで。今別れのあいさつをしてきた」
「何よ。テドはシエルとどっかに行っちゃえばいいんだわ」
「それも考えたけど、そうしたらフィービアに迷惑が掛かるだろ」
「掛かんない。分かんない!」
「シエルは、国王陛下に召されることになる」
「嘘よ。シエルはさっき、私が呼ばれたって」
「そう。国王陛下がお芝居をご覧になって、フィービアの子供っぷりが気に入ったらしい。それで、フィービアを王宮に召喚しようとしたんだけど、フィービアはそれを断っただろ? だからシエルが王宮に入る」
「嘘よ。シエルはそんなこと言ってなかったわ」
「言わなくても、そうなる」
「う、打ち首ってこと?」
「さすがにそれはないと思うけど。宮仕えの脚本書きになるんじゃないかな。国王陛下のために脚本を書き下ろすんだ。ここで書いているよりずっと楽で、幸せな生活が送れる」
「嘘よ、そんなの、嘘」
「本当だ」
「テドは……テドは、それでいいの?」
「フィービアは、協力してくれる?」
「もちろんよ」
「ありがとう」
テドは、フィービアの頭を軽く叩くと、フィービアに何かを差し出した。手紙のようだ。
「シエルから。僕が、部屋を出て行った後で読んで」
「うん、分かった」
「おやすみ」
「待って」
テドの腕を掴む。
「一度だけ、私を抱きしめて」
フィービアは俯く。テドは振り返ると、フィービアを強く抱きしめた。
・
ほう、ほうという鳥の声。夜。けれど月は見えない。木々が乱立している。薄暗い中を、フィービアは、ランタンを手に歩いている。さくさくと雪の音が耳に響く。顔を左右に動かしながら、おっかなびっくりという表情だ。
親愛なるフィービアへ、本当にごめんね……手紙の書き出しはこうだった。
「テドから聞いたと思うけど、多分私はこれから王宮に仕えることになる。もちろん、嬉しいことだわ。私の才能が認められたってことだもの。やっぱり私の方がセンスあるってことかしら? でもね、そんなの、私嬉しくない。私はあなたがテドのことをどれほど好きなのか知っている。あなたも、私がどれだけテドのことを愛しているか知っている。こんな立場で、あなたに頼むなんて、絶対間違ってると思うけど、私はフィービアも愛している。本当よ。だから、どうか私のわがままを許して。
「フィービアにも月の女王に会ってもらいたいの。笑わないでね。私は、今回のお話を作る前に、月の女王の許可を貰ったんだから。きっと月の女王なら、私のことを助け出すことができる。それに、あなたも偶然月の女王の役を演じたのだから、きっと会ってくださるわ。そしたら、私の置かれている状況を話して欲しい。
「月の女王は、南のハネムの森にいるわ。いるというのは、きっと彼女にとって適切な表現だと思えないけど。スノードロップて、知っているかしら。あれの咲くところに現れる。それがハネムの森の奥深くなの。あなたが月よりも星のことを好きなのを知っているし、もし、私の話が本当だとしたら、私はテドと駆け落ちをする。この手紙の内容を知っているのはあなただけ。燃やされても私は文句を言わない」
そして、最後にシエルという名前。
「ひどいわ。ひどいわ、シエルったら。それで、私にどうしろって言うのよ。燃やせるわけないじゃない」
独り言にしては大きすぎる声でフィービアが声をあげる。その声は震えている。周りは木々、月の明かりも届かない。恐いのだろう。
「それに、まだ季節じゃないわ」
それでもフィービアの足は進む。顔は左右を見ながら。けれど、やがて立ち止まると、口を縦に開き、息を吹きだす。白い。
白い。
寒い。
フィービアはランタンを脇に置くと、その隣りに腰を下ろした。光は一層弱くなる。
「新年はみんなで一緒にいられると思ったのに」
フィービアは小さくなる。震えている。
「あーあ、私、ここで死んじゃうのかしら」
「まだまだ大丈夫」
「テド!」
顔をあげて辺りを見渡すが、テドはいない。
「誰?」
「あなたは誰?」
声が答えずに、フィービアに問う。
「私はフィービア」
「それではフィービアちゃん。ここはあなたのような子が来るようなところではないわ」
「あなたは誰よ」
「だから、早く帰ったほうがいいわ。なんでしたら、あなたのお家まで送って差し上げます」
「だめよ。私はやらなきゃいけないことがあるの」
いつの間にか立ち上がり、フィービアは声を張り上げる。フィービアの背後に、人の姿が現れる。この寒い中、ノースリーブのワンピース。雪のように白く、風に揺れている。髪はストレートで腰の辺りまで。まだフィービアは気がついていない。
「家までなんて、いつでも帰れるもの。だったら、私をスノードロップが咲いているところまで案内してよ」
「まだ咲いてないわ」
「……それでも」
「咲いていないところに連れて行くことはできないけど、きっとあと一ヶ月も経てば、ここにもスノードロップが芽吹くわ」
「本当?」
フィービアは一歩進み、さらに声をあげる。
「だけど、まだスノードロップは咲いてない」
「ううん、欲しいのはスノードロップじゃないの。私は、そこにいる月の女王に用があるんだから」
「なあに、それは?」
「月の女王。星のスパンコールを散りばめた漆黒のドレスを身にまとって、夜中踊り続ける……」
「でもあなたは」
フィービアの首に、手が掛かる。
・
月の女王、舞台の中央でくるくると回る。スパンコールを散りばめたドレスが、回転にあわせて大きく広がる。太陽の少年が舞台上手から現れて、月の女王の横に立つ。気が付いた月の女王は、びくんと体を震わせて、下手側へと一歩退いた。
「待って。まだ行ってはいけない。今日は大切な日。僕と君とが同じ舞台で重なることができる日」
「私は影。あなたなしでは輝くこともできません」
「月は、輝いていないと存在していないのかな?」
太陽の少年が、月の女王に手を差し伸べる。
「もしもこの世界のすべてのものが、ある一瞬、空を見上げることを止めたら。その時月や太陽は存在しているのかな?」
「……当たり前の話ではなくて?」
「そう。太陽や月の存在は明らかだけど、誰も証明することはできない」
「朝になれば太陽が昇る」
「太陽を誰も見えないのだとしたら、太陽は存在しない。見えないものは存在しない。これは事実」
「おっしゃることが分かりませんわ」
「すいません。今日は大切な食です。どうぞ、私の前に立ってください」
月の女王、太陽の少年に引き寄せられて正面へ。背後から光。
「もう一度考えてください。この瞬間、月を見ることができますか?」
「太陽が欠けてゆきます」
「地上から太陽を見ると、確かに欠けていく。でも、欠けた部分を見ることができますか?」
「それが月なのでしょ?」
「いいえ。月は背後から光が当たっているのです。正面に光は当たっていません。月は太陽の光が当たらなければ、見ることができません」
「でもそこにあるのが月なのでしょ?」
「いいえ。そこには闇しかありません。月など存在しないのです」
その瞬間、月の女王、奈落へ。食が終わり、舞台は明るくなる。舞台の下手から青年。手には剣を持っている。
「なぜ!」
「お久しぶりです。スノードロップさん」
「今、月の女王が」
「ここには誰もいませんでした。ほら、よく考えてみてください。移り気な月の女王のことですよ。もうあなたのことなど覚えていないでしょう」
「もしも今宵、あの人と巡り会うことができないのならば、この剣でお前という存在を消してくれる!」
「お相手しましょう」
太陽の少年、剣を取り出して構える。
・
がばっと起き上がるフィービア。見知らぬベッドの上。はっとして、首筋に手を持っていく。
「えっと……」
「あら、フィービアちゃん、起きたのね?」
振り返ると、白いワンピースを着た女性。長い黒髪は腰辺りまでまっすぐ。フィービアは再びえっと、と声を発し、頭を抑える。
「気を失っちゃったみたいだから、あたしの家まで運ばせて頂いたの」
女性はフィービアの額に手を当てると、人差し指をフィービアの口に当てた。
「うーん、覚えていないようだけど、冗談が過ぎたようで、ごめんね?」
「私は月の女王を探してて……」
「フィービアちゃんは、シエルちゃんの知り合いなの?」
「あなた、シエルを知ってるの?」
「ええ、もちろん知ってるわ」
「もしかして、あなたが月の女王?」
女性は立ち上がると、口に手をあてて笑った。
「あたしはヴィニア。残念だけど、月の女王じゃないわ」
そう、とフィービアは俯く。
「でもスノードロップの話は知ってるし、シエルちゃんの脚本のことも知ってる」
「どうして?」
「難しい話なんだけど、簡単にまとめると、シエルちゃんはあたしのことを月の女王だと思ってるのよ」
ほへ、とフィービアは不可思議な声をあげた。
「ほら、あたしって結構演技派なのよ。だから、みんなころっと騙されちゃうわけ。いけないとは思ってるんだけどね。でも楽しいじゃない? だからついついと」
「それで私の首を絞めようと?」
「もちろん振りよ。シエルちゃんから、フィービアちゃんは月の女王の役が気に入ってないって聞いてたから。ちょっと脅かしてみようかなって、かるーい冗談だったのよ」
「軽くない!」
ベッドの上にフィービアは突然立ち上がった。
「や、怒らないで?」
「本物の月の女王じゃないのね」
「ごめんね?」
「私に謝られても困る。だけど、こうなったら協力してもらうんだから」
さらにフィービアはベッドから飛び降りると、ヴィニアの胸元に迫った。
「私はシエルに頼まれて、月の女王を探しに来たの。月の女王なら、シエルのことを救い出してくれるっていうから」
「シエルちゃんに何かあったの?」
「そうよ。もう、もう、大変なんだから!」
・
テド、木の陰から上を見つめる。その先には城のテラス。わずかな明かりがテラスの奥から洩れている。
「シエル、今行くよ」
冬枯れの木。しばらくは枝がない。テドは木にしがみつくと、ゆっくりと登っていく。最初の枝にたどり着くと、テラスに人影。テラスから反対へとテド移動。
「つまらないわ、こんな生活」
そこに現れたのはシエル。ノースリーブのツーピース。その上からケープを羽織っている。あまり見慣れない姿だ。
「だって、刺激が全然ないんだもの。こんなところじゃとても芝居なんて書けない。ありきたりで、つまらないお話になってしまうだけだもの」
テドはシエルの顔を確認すると正面に回ろうとするが、シエルの独白に聞き入っていて、タイミングがない。
「フィービアは月の女王に出会えたかしら。本当にもう羨ましいんだから。自由気ままな翼が欲しい。私をここから救い出してくれるような」
それならば、とテドが言おうとしたとき、テラスに腰かける影、シエルを笑う。
「誰?」
くっくっくと、噛み殺したような、粘り気がある笑い声がテラスに響く。テドは、ずっとシエルを見ていたが、その影がいつからそこに来たのか気が付かなかった。
「麗しのお嬢さまは翼をご所望とあられる」
「誰?」
「では、お嬢さまは俺に何を下さるというのだ?」
「あなたは誰?」
「俺は月の王。満ち満ちて欠けてゆく移り気の王」
テラスから降りると、シエルから一歩だけ離れた位置を移動する。
「月の女王の知り合いだと言っているようだが、俺の嫁はお前など知らないと言っている。お前は何故月の女王の知り合いだと偽りを述べる?」
「だって教えてくれたわ」
「本人がそう言ったから、それが月の女王? 笑わせるな。では、俺が月の王であるとお前は信じるのだな?」
「嘘なの?」
再び噛み殺したような笑い声。手がシエルへと伸びる。テド、テラスへ飛んで移動し、その手を払いのける。
「テド!」
「シエル、離れて」
「おやおや、まさか邪魔が入るなんて。余興には最適な演出ではないか」
月の王、一歩ずつ下がっていく。姿が闇に溶けていき、そのまま見えなくなる。
「テド!」
「シエル、大丈夫だったか」
シエル頷く。
「お嬢さま?」
窓の中から、シエルを探す声。シエルは、テドの口許に手を持っていくと、一度首を静かに振ってから答えた。
「今戻ります」
・
「ねえ、それでどうやってシエルを助け出すの?」
フィービアはヴィニアの後ろを、しっぽのようについていく。雪はまばらになってきており、森はすでに抜けている。町の明かりは近い。
「もう策は練ってあるわ。きっと今あたしの旦那が一芝居演じてくれてるから」
「えええ、ヴィニアちゃん、結婚してるの?」
「そうよ。うらやましいでしょ? でも、フィービアちゃんは平気なの? シエルちゃんを城から逃がしちゃったら、テドと駆け落ちするって言ってるんでしょ?」
「平気よ。私はテドのこと好きだけど、シエルも好きだもの」
「本当に平気?」
「本当よ」
ヴィニア立ち止まると、前方を見つめる。町の最奥手に城がある。ノースタッドウィンセント城。雪のせいもあるが、白く輝いている。
「それで、どうやって助け出すの?」
「助け出すって言うより、逃げ出す手助けをする。うん、きっとそうなるわ。色々な場所で事件を起すの。小火騒ぎだったり、万引きだったり、けんかっだったり、ね。今あたしの友達にお願いして、その準備をしてもらってるところ。そしたら、お城からも人がたくさん呼び出されるでしょ?」
うんうん、とフィービアは何度も首を縦に振る。
「そしたら、テドがシエルちゃんを連れて城から抜け出す。後は、見つからないようにフォローしつつ、問題は後始末ね。世界中に手配書が出されちゃったらかわいそうだし、王様をうまくあしらわないといけないわ。町の騒ぎはいたずらで済むだろうけど、シエルちゃんがいなくなってしまうのは問題」
「どうするの?」
「フィービアちゃんの登場よ。王様の御前で、シエルちゃんの価値を越える見世物をしてみせないといけないんだから」
「私?」
「そうよ。もちろんあたしがフォローしてあげるから、なんとかなるわ」
「大丈夫、私やるよ」
「頼もしいわ」
町を見ているヴィニア。その目つきが大きくなる。フィービアもそれに合わせるように、体中が大きく膨らむ。町のいたるところから煙。騒ぎ声も聞こえてくる。そのタイミングを待っていたかのように、太陽が姿を現す。東からの眩しい光。
「後戻りできないわよ」
フィービアはうんと頷く。
・
走る。シエルの左手をしっかり握り締め、テドは進む。城下町はやけに騒がしく、走っている二人に気を止めるものはいない。あちこちから小火があがっている。
「待って、テド、足が」
「もう少し。とにかく町を出るまでは」
ペースはかなり衰えたが、二人はそのまま城下町を出た。そこで立ち止まると、シエルは息を荒くし、両膝を折って倒れこんだ。
「ここまで来れば、しばらくは追われないだろう」
「ありがとうテド」
「そうかしら?」
テドの背後に人影。驚いて振り返るが、その人影を見た瞬間に体が動かなくなる。白のワンピース。冬とは思えない衣装だ。裾がひらひらと風に揺れている。
「シエルちゃん、お久しぶりね」
「月の女王様」
「たとえ今この瞬間、この城から逃げ出したとしても、それで解決するのかしら?」
「それでも、私はあの城にはいられない。我慢できないもの」
「そうね。シエルちゃんの天性は外にある。内にあってはとても創作なんてできないでしょう。でも、そのためにあなたは何を犠牲にしようとしているの?」
シエル、顔を逸らそうとする。が、意思に反するかのように、体が持ち上げられ、シエルは立ち上がった。
「自由の翼を得るために、あなたは月の王に何を差し出すの?」
「つ、月の王は、私に言いました。月の女王は私のことなんて知らないって」
「あなたのはめている指輪は誰のもの?」
「……月の女王です」
「それを使えば、あたしはシエルちゃんを無償で助けてあげたわ。なのにシエルちゃんは使わなかった。どうしてかしら? どうして、あのフィービアって子をハネムの森へ連れ込んだの? あの子は凍死してしまうところでしたわ。それなのに、あの子はシエルちゃんを信じている。テドのことを好きなのに、シエルちゃんがテドと駆け落ちすることを許そうとしている。あたしには納得ができない」
「わたしは……」
「フィービアちゃんが存在することが、あなたにとってどれほどの災いなの?」
テドの表情に苦悶。
「私はフィービアのことが好きよ。でも、だめなの。私、あの子がいるとだめになるの。いつかテドが奪われてしまうんじゃないかって思うと、あの子のことが、どうしても、存在して欲しくなくなる」
「そう」
ヴィニアは悲しそうに俯く。
「もうシニアちゃんに、その指輪を使う能力は失われたのね。だったら必要ないわ」
その瞬間、シニアの指輪は消える。
「もっと必要としている人のところにその指輪を移動させたわ。シニアちゃん、とっても残念。だけどね、あたしはそんな人間らしいシニアちゃんも嫌いじゃないわよ」
シニアの体に自由が戻る。テドも同様、前のめりになる。が、その時すでにヴィニアの姿はない。
・
「おお、これはこれは、月の女王様ではありませんか」
仰々しく男がお辞儀をしてみせる。その対面にフィービア。スパンコールを散りばめた漆黒のドレス姿。
「お久しぶりでございます。国王様。一度は断っておきながら、私はまたこうして参上してしまいました」
「よいよい」
「東の方より、今まさに太陽の少年が私を奪い去ってしまうでしょう。私は、ですから長くここに留まることができません」
「なぜじゃ。余のために城に留まってはくれぬのか?」
「願わくは……ですが、私には私の務めがあるのです。どうか、それを承知して頂きたいのです」
「もちろん分かっているつもりだ」
「ですが、私も城にこうして参上するのを厭うておるのではございません。どうか、誤解のなきように」
漆黒のドレスが、ふわりと浮く。
「うむ。分かっておる」
「ご理解をいただけるのでしたら、私は、今、この姿が消えるその時まで、あなたのために踊りましょう」
フィービア、言葉を終えると同時にぱっと立ち上がる。外の騒ぎはまだ続いている。時折足音がこの場所まで響いてくる。城の一室。といっても天井はない。広い、広すぎるテラスだ。国王がその足でこの場にきて、町を見渡すときに用いるために作られた。この騒ぎのために国王がここへ来て、フィービアはその瞬間を待っていた。空から、月の王の力を借りて国王の前に降り立つ。姿は、あの時の芝居の月の女王のもの。それだけで充分に国王を魅力することができただろう。
フィービアは舞を続ける。あと少し、ほんの、あと少しでこの場所にも日が射す。
その、瞬間。
太陽の光が、フィービアの左手を貫く。輝く。指輪。それが、国王の目に届く。
「それでは、いずれ」
フィービアは舞を止め、国王をまっすぐ見た。そして一礼。国王、拍手。幕が下りるように、フィービアの姿が消える。国王は拍手を続ける。
しばらくして、側近がその場所に駆けつけた。息を切らせている。
「多くの、小火は消し止められました。また、万引き騒ぎも、収まっております。ですが、最も国王の寵愛とされる……」
「よい」
「シエル嬢は、町からすでに旅立った模様です」
「よいと言っておろう」
短く返事をすると、側近はその場から立ち去った。
・
「ねえ、ヴィニアちゃん」
空を見上げながら、フィービアは後ろに立っているヴィニアを呼んだ。なあに、とヴィニアは答える。
「ヴィニアちゃんは、本物なの、偽物なの?」
「そういうこと聞く人には答えてあげません」
「じゃあ、私がかってに本物だと思っておく」
「どうぞご自由に」
「もうシエルに会えないのかな」
「そんなことあたしには分からないわ」
「そうだよね」
空には月と、周りには星が輝いている。どちらも、うん、どちらも夜にはよく似合う。
「だけど、あたしはいつでも会いに来てあげるわよ。その指輪、とーっても大事にしてね。それに触れながらあたしの名前を読んでくれたら、フィービアちゃんの声は届くから」
「この指輪って、シエルもしてたよね」
「さあ?」
「していたわ」
「だとしたら?」
フィービアは首を振る。
「だとしても、別に何でもないわ。うーん、テドに会えなくなるのはちょっと残念だけど。テドってばエッチなんだから。きっとシエルとの方がお似合なんだわ」
「そうそう、フィービアちゃんにはフィービアちゃんにぴったりのお子様がいるわよ」
「私も月の王さまみたいに凛々しい人がいいなぁ」
「うそん」
「ヴィニアちゃん羨ましい」
「羨ましいっていうのよくわかんないけど……あれ、もしかしてフィービアちゃん、月の王のこと勘違いしてない?」
ヴィニア、神妙な面持ちでフィービアの前へ。
「あれ、あたしのパピーだよ」
素っ頓狂な声をフィービアはあげる。
「あたしの旦那様にはまだフィービアちゃん会ってないはずだし。うん、そうだな、今度遊びに来るときには旦那様も一緒に遊びに来るよ」
「えええ、月の王さまって、パパなの?」
「そうよぅ。おっちゃんだったでしょ?」
両手で頭を抑えて、さらに左右に振るフィービア、混乱気味のようだ。
「あたしの旦那様はスノードロップよ。お芝居でも月の女王と結ばれたのは彼だったでしょ?」
「そういえば」
声を出して笑い出すフィービア。口からは白い息があふれ出る。ヴィニアも一緒に笑い出す。フィービア、笑いながら指輪を撫でる。とても、大事そうに。
・
太陽の少年の胸に、スノードロップの剣が突き刺さる。スノードロップ自身が驚き、剣を離す。
「ああ、ああ、わたしの剣が太陽を貫く。あってはならない秩序だ」
「いつか君は言ったよね」
太陽の少年、上手側にふらふらと揺れながら移動。
「月の女王に恋をしていると。僕は、素敵な話だと思ったよ。昔からスノードロップと月との相性は抜群だからね。僕は応援していくつもりだった。だけど、いざ月の女王を見てしまうと、僕の思いは止められなくなってしまった。君なら分かってくれるだろ」
「でも、どうして……」
「月の女王は、僕がいなければ輝くことができない。僕の影でしかない。僕と彼女が結ばれることなどない。だけど、君にどうぞと譲れるほど僕も優しくない。だから、こうして君と戦うことにしたんだ」
「でも、だったらどうして……」
「太陽とスノードロップの相性は最悪らしい。僕もちょっとおごりがあったようだ」
太陽の少年、膝をつく。下手側から月の女王登場。スパンコールのドレスは輝いていない。
「わたしの存在は、太陽なくして存在しない。ええ、そのとおりだと思うわ。だけど、わざわざこんな演技をしなくてもいいと思わない?」
スノードロップ、驚き下手側を振り返る。
「ひどいな、剣が胸に刺さっているんだぞ」
「本当に剣が胸に刺さっていたら、すでに死んでいますわ」
太陽の少年、答えない。
「でも、とても素敵なシーンを見ることができました。スノードロップ。わたしはあなたのものとなりましょう」
「あ、ありがたき幸せ」
下手側へと歩き寄る。月の女王も手を伸ばし、彼を迎える。舞台に幕。その前に、紳士服を着た男、深く一礼。
「さて、こうして星々を身につけた月の女王は、スノードロップの元に帰った。スノードロップと月との関係のまだ知られていないお話。だけど、偽りではない。この中に、きっとこの話の続きを体験するものもあるでしょう。ですが、それはまた別のお話。どうか、ロイヤルシートにおわしますノースタッドウィンセントの国王よ、この、月の女王に深く魅了され、城に召し出す許可を私めに与えて頂きたい」
さらに深く一礼。高座の位置から大きな拍手。男、顔をあげる。テド、その顔に浮かぶのは、計算のされた笑顔。
おしまい。
この芝居を二人のために なつ @Natuaik
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます