第10話 君、ほんとうに面白い子だな

 アストレア王立高等訓練院の校庭には、朝から魔力測定のための特設リングがずらりと並べられていた。


 空は雲ひとつない快晴。風は心地よく、春の陽射しが制服の紺色を柔らかく照らしている。


 雷属性――リュミエール=セラフィーヌ(中身剛田 バルク)は、その列の一角で黙々と筋トレをしていた。


「……に、二の腕パンッパンなんだけど!? なに、測定前に仕上げてくるタイプ!?」


 隣の女子生徒が、目をまんまるにしてささやいた。リミュエールは無言でうなずき、プランクの体勢に移る。


 その背筋は一直線。震えも乱れもないフォームからは、彼女かれの並外れた体幹と覚悟が伝わってくる。


(よし……今日は気合い入れて筋の通った魔法を見せてやるぜ)


 やがて、測定係の教師が名を呼ぶ。


「次! リミュエール=セラフィーヌ、雷属性!」


 リミュエールはプランクから跳ねるように立ち上がり、堂々とリングの中央へ歩いていく。


 魔法測定用の魔石がふわりと浮き上がり、光を放ち始める。それに魔力を注ぎ込み、属性と出力を測るというわけだ。


「ふっ……はっ!」


 リミュエールは気合一閃、雷光を拳に宿し、そのまま魔石へと叩き込んだ――


 バリバリバリィィィッッッ!!!


 稲妻が空気を裂き、魔石が金色に輝いたかと思えば、空中でスピンしながら爆ぜた。


「魔石が……!?」

「爆発した!?」

「え、あれ魔法じゃなくて物理なのでは!?」


 観客席がどよめく中、教師は額を押さえてぼやいた。


「……あの子、魔力の扱いがどうこう以前に、筋肉で押し切ってるな」


 その様子を、遠巻きに見ていた銀髪の少年がふっと笑う。


「へぇ……なるほど。面白いね」


 エアリス=アストレア。風属性の生徒にして、第二王子。その実力は入学試験で証明済みだが、それを知る者はごくごく少数に限られる。


 その彼が、リングの縁にひょいと腰を下ろした瞬間、もう一人の影が歩み寄る。


「エアリス王子。リングに勝手に上がらないでください」


 冷ややかな声とともに現れたのは、黒髪の少年――セス=グランティール。入学式から数日だが、セスはすでに優等生として周囲からは一目置かれていた。


「まだ風属性は順番待ちのはずですよ。観覧エリアで待機したらどうですか」


「堅いなあ。君は本当に水属性? 氷属性だったりして?」


「風の軽さで失言が過ぎますよ」


 リミュエールが魔石の破片を拾っている間、二人は静かに火花を散らしていた。



 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




「次、セス=グランティール。水属性!」


 教師の声が、校庭に響き渡る。


 ざわついていた生徒たちの視線が、一斉に青みがかった髪の少年へと注がれた。


 セスはひとつ深く息をつくと、静かに歩を進める。

 背筋は真っ直ぐ、目線はぶれない。

 まるで無音の刃のような気配をまとっていた。


「あ、入学式で挨拶してた子だよね」

「平民の出身らしいよ?」

「でも、特待生なんでしょ?」


 小声が背中を追いかける。

 それでも、セスは一言も返さず、淡々とリングに上がった。

 周囲の雑音を振り払うように。

 ――実力だけが、唯一の武器。それが彼の選んだ生き方だった。


 魔力測定用の魔石がふわりと浮かぶ。

 セスは膝をつき、そっと手を添える。

 まるで壊れものを扱うような、繊細で静かな動作。


「……俺とは、ずいぶん違うな」


 リングの外で見つめていたリュミエール(中身バルク)は、思わずつぶやいた。

 その声音には、素直な敬意が滲んでいた。


「──水よ、形を成せ。静かに、確かに、届くように」


 低く囁くような詠唱とともに、セスの掌から青白い光が広がる。


 ぴたり。


 魔石の表面に、うっすらと水の紋様が浮かび上がった。

 その中心から、一本の水流が糸のように伸びる。

 ゆっくりと、まっすぐに、揺れることなく──

 やがて小さな円を描きながら、魔石のまわりを静かに旋回し始めた。


「……精密な制御だな」

「水みたいに、柔らかくて無駄がない……」

「派手じゃないけど、すごい……!」


 先ほどまでのざわめきが、賞賛のささやきへと変わっていく。


 教師が、満足げに頷いた。


「魔力の出力は標準。だが、制御精度は上級。よく鍛えられている」


 セスは術を収めると、深く一礼し、リングを静かに降りた。

 誇らしげな様子はない。だがその背中からは、張り詰めていた緊張が、わずかにほどけた気配が感じられた。


(よくやったな、セス)


 リミュエールは心の中で、小さくガッツポーズを握る。

 その背中が、いつもより少しだけ──頼もしく見えた。


 ──だがその少しあと。


「次、エアリス=アストレア。風属性!」


 教師の声が響いた瞬間、空気が一変した。


 ひときわ大きな黄色い歓声が、女子生徒たちから沸き上がる。


「キャーッ! 本物のエアリス様……!」

「顔、顔がいい……!」

「立ってるだけで涼風が吹いてる……!」


 その一方、男子生徒たちも、密かに注目していた。


「てか、あんな飄々としてて、マジで強かったらズルいだろ」

「ま、まあ言っても王子様だしな。次元が違うんだよ」


 風をまとうような足取りで、エアリスがリングへと向かう。

 途中でふと足を止め、観客席のほうに目を向けた。


 そして、リュミエールをまっすぐ見つめる。


(……え?)


 目が合った。

 リミュエールの鼓動が、一瞬だけ跳ねる。

 エアリスは、涼しげな笑みを浮かべ、小さく手を振った。


(な……なんだ、今の……!?)


 その隣で、フローラが興奮気味に身を乗り出す。


「ねえ、リュミエール侯爵令嬢。今の、見たよ。エアリス王子と目が合ってたでしょ? それに、手まで……!」


「え、いやいや、あれは……偶然、っていうか……」


「ふぅん? 知り合いだったりする?」


「ち、知り合いってほどじゃ……っ」


(お願いだから黙っててくれ……今は見るのに集中したい……!)


 そのとき、リング中央に立ったエアリスが、ひょいと片手を挙げた。


「準備はいいよー。さっさと終わらせようか」


 軽い調子。

 まるで遊びに来たかのような笑顔。

 だが、その奥の瞳だけが、どこか鋭く光っていた。


 浮かび上がる魔力測定用の魔石。

 エアリスが手をかざすと、ふわりと風が舞った。


 詠唱はない。

 風は彼の指先から生まれ、魔石の周囲を螺旋を描いて旋回し始めた。

 力強く、滑らかで、気まぐれな風が意志を持って舞っているかのようだった。


「うわ、すげえ……」

「なにあれ、まるで生きてる風みたいだ……」

「測定器の数値、跳ねるんじゃ……」


 男子たちの期待が高まる。

 女子の黄色い歓声も、静まり返り、見守る視線に変わった。


 ──だが。


 その風は、魔石のすぐ手前でふっと止まった。


 空気が凪ぐ。

 風が完全に収束し、魔石はかすかに揺れただけだった。


 表示された数値は──下から数えたほうが早い、劣等生レベルの値。


「……あれ、意外と大したことない?」

「うそ、低すぎじゃない?」

「期待してたのに……がっかり」


 失望の声が広がっていく。


 リングを降りたエアリスの表情は変わらない。

 相変わらず柔らかく笑い、どこか飄々としていた。

 まるで「騙されてくれてありがとう」と言いたげに。


 リュミエールは、彼の背中をじっと見送る。


(……今の、絶対わざとだ)


 流れを断ち切るあの止め方。

 あの自然さで、魔力をあそこまで抑え込むなど、できる芸当じゃない。


 横を見ると、セスも同様に、険しい表情でエアリスを見つめていた。

 リミュエールと同じく、彼もまた見抜いていたのだろう。


(抑えたんじゃない。制御して止めたんだ)


 それでもなお、女子たちの黄色い声は一部で残っていた。


「魔法は大したことなくても、あれだけかっこよかったら問題ないよね!」


 風は、つかめない。

 けれど確かに、今、校庭を吹き抜けていた。


 


 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




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