第2章 攻略対象:エアリス=アストレア

第8話 中肉中背……いや、少し筋肉質……!

 ──アストレア王立高等訓練院、入学決定。


 リュミエールバルクが合格の報を伝えると、母は目にうっすら涙を浮かべ、父は一瞬だけ表情を緩めて「よくやった」と肩に手を置いてくれた。


「本当に……ここまで元気になって。よかったわ、リュミエール」


 ふわりと抱きしめてくれた母の胸は、リミュエールの体に残る昔の記憶よりも、ずっと温かく感じた。


(でかい……!)


 メイドたちも感無量の様子で、「あの……病弱だったお嬢様が……!」と騒いでいる。執事に至っては、咳をするふりをしながら目元をぬぐっていた。


(いや、そんなに感動されるとプレッシャーが……)


 リュミエールはそうぼやきながらも、胸の奥にほんのり熱を宿していた。


 ──そして、いよいよ入学初日。


「緊張してる?」

「してるに決まってる」


 馬車の中、リュミエールとセスは緊張に包まれていた。二人並んで革張りのシートに座り、車輪が石畳をきしむたび、心臓が跳ねる。


 窓の外には、朝もやを割って姿を現した巨大な尖塔がそびえていた。


 それは、アストレア王立高等訓練院。


 王国随一の魔法教育機関。その最上部には、風にたなびく校章の旗と、淡く光る魔力水晶が浮かんでいた。水晶の周囲には薄く輝く大気圏障壁が揺らめき、遠目にも魔法の気配を帯びていた。


 門をくぐると、まるで別世界だった。


 空気が、違った。

 魔力と歴史、そして若き魂の熱気が、肌に触れるほど濃密に漂っていた。


 歴史を感じさせる重厚な石造りの校舎。その壁面には魔導灯が埋め込まれ、淡い光で玄関前を照らしている。


 床には魔法陣が刻まれた転移式掲示板が設置され、生徒が触れるたびに新しいお知らせが浮かび上がっていた。


 そのすぐ脇には、魔力感知式の個人ロッカーが整然と並ぶ。木の質感を残したまま、鍵穴の代わりに魔法紋が浮かび、学生が手をかざすと滑らかに開くようだった。


 中庭には、華やかな制服に身を包んだ生徒たちの姿があふれていた。


 女子はブレザーの上にマント風のロングコートを羽織り、男子は品のある襟付きの燕尾風ジャケットをまとっている。


 誰もが新たな生活に胸を高鳴らせ、緊張と期待を帯びた足取りで、ゆっくりと校舎へ向かっていた。


 胸元に結ばれたリボンやネクタイは、それぞれの魔法属性を示す色で彩られていた。


 炎属性は情熱の赤、水属性は静穏の青、雷属性は閃光の黄──色とりどりの布が風に揺れ、まるで魔力そのものが学院に満ちているようだった。


「──すごい……」

 思わず、リュミエールの口からため息のような声が漏れた。


 入学式前。徒歩で講堂へ向かう途中、すでに周囲からはざわめきが耳に届いていた。


「セラフィーヌ嬢って、あの雷の……?」

「試験で暴発しかけたけど、制御したらしいよ」


(ふむ、ちょっとは注目されてるみたいだな)


 バルクは内心で腕組みしながら、堂々と胸を張った。


 リミュエール=セラフィーヌ──侯爵家の令嬢として育てられたその姿は、自然と周囲の注目を集めていた。


 やわらかな金髪は、肩のあたりでゆるく波打ち、陽の光を受けてほんのりと輝いている。大きな紫陽花あじさい色の瞳は澄んでいて、じっと見つめられるとドキリとするような気品があった。


 制服は濃紺のロングコートに、雷属性を示す黄色のネクタイ。白いシャツとのコントラストが鮮やかで、誰が見ても育ちの良いお嬢様と分かる出で立ちだ。


(……見た目だけなら、完璧にヒロインなんだよな)


 そう思いながらも、リミュエール──中身バルクは、内心でそっとため息をついた。


(中身が俺ってバレたら、全ルート即バッドエンドだろ、これ)


 周囲の視線が集まるなか、バルクは眉一つ動かさず、リミュエールとしての微笑みを浮かべてみせた。


(……やるしかねぇ。乙女ゲーム仕様の人生、上等だ)


 やがて講堂へと移動し、入学式が始まった。


 荘厳なファンファーレが鳴り響き、教師たちが壇上に並ぶ。式次第が進み、空気が少し引き締まったそのとき。


「──それでは、入学生代表より、ご挨拶をいただきます」


 名が呼ばれると、黒髪の少年がゆっくりと立ち上がった。

 セス=グランティール。水属性の蒼を胸元に結び、整った制服姿がやけに目を引く。


 無駄のない動きで壇上へと歩みを進めるその背中は、どこまでも真っ直ぐだった。

 端整な顔立ちに、落ち着いた青い瞳。誰よりも静かで、誰よりも芯が強そうな横顔だった。


(……うわ、イケメン度が増してる)


 リミュエールは思わず息をのむ。いつも隣にいたはずなのに、今だけは遠い存在に見えた。


「私たちは、新たな一歩を踏み出しました。学び、鍛え、支え合い、強くなります」


 よく通る澄んだ声が講堂を包み、やがて大きな拍手が広がっていく。


 セスが席へ戻る途中、通路の脇に立つリミュエールに目を留め、ほんの少しだけ微笑んだ。


「……成績が良かったから、挨拶を頼まれてさ」


 さらりとしたその一言が、なぜか少しだけズルく聞こえた。


「なんだ、それ。先に言ってくれたらよかったのに。びっくりしたよ」


「ふふ。内緒にしてたんだ。驚かせようと思って──ちゃんと驚いてくれた?」


 いたずらっ子のように笑うその顔に、リュミエールもつられて笑った。


 入学式を終えたふたりは、そのまま教室へと肩を並べて歩き出す。


「グランティールくん!」


 柔らかな声に、セスが振り返る。そこには、年配の女性教師が優しげな笑みを浮かべて立っていた。眼鏡の奥の瞳が、どこか懐かしそうに細められている。


「あなた、平民出身でここまで来たなんて、本当に素晴らしいわ」


 隣を歩いていたリュミエールも、思わず耳をそばだてる。


「実は私もね、平民の出なの。だから、つい嬉しくて……つい声をかけてしまったのよ。次席だなんて、本当に立派だわ」


 セスは一瞬驚いたように目を瞬かせたあと、はにかんで「ありがとうございます」と頭を下げた。


 そして、ふいに顔を上げる。


「……いま、次席って言いましたか?」


「ええ。首席の生徒は──入学式でのあいさつを辞退してしまったの。目立つのが苦手なのだそうよ」


 そのときだった。


 ふわりと風が吹き抜ける中、周囲の一団の隙間を、ひとりの少年が静かに横切った。


 銀糸のような髪が陽光を受けてきらめき、翡翠色の瞳がまっすぐ前を見据えている。制服の着こなしは端正そのもので、立ち居振る舞いには一分の隙もない。


 その姿だけで、場の空気が変わる。


「きゃっ……今の、見た?」

「見た見た……あれが──」


 女子生徒たちの黄色い声が、あちこちでさざ波のように広がった。


 その中心にいたのは──


「彼が入試首席。エアリス=アストレア王子です」


 そっと教えてくれたのは、先ほどの教師だった。


 リュミエールはその姿に、思わず息を呑んだ。


(中肉中背……いや、少し筋肉質……!)


 ──そしてその瞬間。


 彼女かれの物語に、新たな攻略対象が加わった。



 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩



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