第12話 捜索
レオンの温もりをかすかに残す手帳を胸に抱きしめ、アベルはスキナーと原住民たちに一時的な別れを告げた。
彼の幼い顔には、強い決意が宿っていた。
レオンを探す。
たとえ、この広大な壊れてしまった世界で何の手掛かりもなくてもアベルは諦めるつもりはなかった。
「一人で行くのは危険すぎる。私も同行しよう」
スキナーは心配そうな表情でそう言った。
原住民たちは神と崇めるアベルが旅立つことを不安そうに見守っていた。
「大丈夫だ」
アベルはゆっくりと首を横に振った。彼にはレオンへの強い想いと、自分ならきっと見つけられるという根拠のない希望があった。
レオンのように希望を捨ててはいけない。
「俺は絶対にレオンを見つける」
その真っ直ぐな言葉に、スキナーはそれ以上何も言えなかった。
彼はアベルの意志の強さと、超能力の可能性をかすかに感じ取っていた。
アベルは、スキナーと原住民たちに一礼をし、背を向けて歩き始めた。
彼の背中は、空に向かって真っすぐ伸びていた。
――絶対見つけるからな、レオン
スキナーの言ったレオンが出て行った方角に向かってアベルは力強く歩みを進める。
一方スキナーはアベルを見送った後、原住民たちに向き直った。
彼らの無垢な瞳に映る未来への不安を払拭し、スキナーは彼らに外の世界の知識を伝え始めた。文明の崩壊、ナノマシンの脅威、そして、もし中枢AIが復旧すれば、この 原始的な場所にも変化が訪れる可能性……
スキナーは、彼らが高度文明の中で生き延びるための知恵と、変化に対応するための技術を伝えた。
彼の心には新たな未来を共に探すという静かな決意が芽生えていた。
***
アベルが禁止区域を出て1日、2日、4日……と時間は容赦なく過ぎて行った。レオンの手がかりを見つけることができない。
あてもなく始まったレオンを探す旅は、想像以上に過酷だった。
大地は砂漠化していて、数日前に出て行ったレオンの足跡も残っていないし、形跡がない。
アベルは夜、独りでいるのが心細かった。
一人で小さな焚火を見つめる。その明りを見ているとレオンとの日々を思い出し、彼の心細さを僅かに和らげてくれた。
アベルはこのままでは埒が明かないと考え、超能力で自分を浮かせて高い場所から探そうと考えた。
自分の身体を浮かせること自体はできたが、それを移動に使うのには少し時間がかかった。
彼の小さな体は淡い光を纏い、ゆっくりと地面から浮き上がった。
やっとコツを掴んで飛んで移動するのに半日。
そこから歩くよりも安全で簡単に移動することができるようになった。
数十メートル上空から見下ろす荒廃した大地は、広大で、そして殺伐としていた。 レオンと一緒に見慣れたはずの風景も、空から見ると別の世界に見える。
高い場所からなら、何か見覚えのあるものが見つかるかもしれない……アベルは、かすかな希望を胸に、砂が舞う空中をゆっくりと移動しながら、念入りにレオンを探した。
夜は休んでいたが、レオンがもし夜に焚火をしているなら夜の方が見つけやすいかもしれないと考え、寝る間も惜しんでレオンを探し続けた。
アベルは独りの夜、自分の過去を思い出していた。
暗い、自分の過去の記憶を……――――
***
【アベル 幼少期】
世界は、世界が終わる前も地獄だった。
アベルにとって生まれた時からそこが全てだった。
狭く、光の乏しい一室。
窓には厚いカーテンが閉められて外の世界の音も光も、彼には遠い絵空事のように感じられた。
アベルの世界には、ただ一人の存在しかいなかった。
彼の母親。
しかし、その母親はアベルにとって安らぎの源ではなかった。
彼女の口から発せられるのは、常に攻撃的な罵詈雑言と理由のない暴力だった。
アベルの母はアベルを出産したが、出生届を出さなかった。
この国で出生届を出さない事は死罪にすら値する重罪。
気づけば、引き返そうとしてもアベルの母親は引き返すことができなくなっていた。
しかし、我が子を殺す勇気もなく……
「お前なんかいなければよかったんだ!」
母親の口から一度たりとも優しい言葉を聞いたことはない。
幼いアベルには、なぜ自分がそんな言葉を浴びせられるのか理解できなかった。
ただ母親の歪んだ顔と、容赦なくわが身に降りかかる痛みが、彼の幼い心に深い傷跡を残していった。
空腹はアベルにとって日常的な感覚だった。
身体中が燃えるような暴力の痛みに襲われ、空腹で泣き叫んでも母親が差し出す食事は粗末なものだった。
そして、泣くことは更なる暴力を招いた。
「うるさい! 黙れ! 泣けば何とかなるとでも思っているのか!」
殴られ、蹴られ、足を掴まれて引きずられる。
その痛みに、アベルは感覚が麻痺して泣くことを忘れていった。
泣いても何も変わらない。痛みが増すだけだということを、幼いながらも彼は理解していた。
感情を表に出すことは、不利益ことだった。
部屋の隅で、身体を丸めて過ごす日々。
母親はアベルに何も教えなかった。
文字も、数も、外の世界のことも。
アベルが情報を得ていたのは四角いモニターの中の人間が使う言葉だけが頼りだった。
アベルの世界はその狭い四角い空間と、四角いモニター、暴力的な母親だけだった。
愛情という感情を知る由もなかった。
それが当然であり、世界の全てだと彼は思っていた。外には何も存在しない。
四角いモニターの中の世界に入りたかったが、モニターに触っても中に入ることはできなかった。
そんな日々がずっとある日、突然母親の様子がおかしくなった。
苦しそうに咳き込み、体が痙攣し始めた。
悶絶しておりアベルを睨みつける力もなく、呼吸は浅かった。
そして、母親の体はゆっくりと、しかし確実に歪な形に変形していった。
不気味な唸り声が母親だったものの喉から漏れ出した。
アベルは恐怖で身体を動かすことができなかった。
目の前で、自分が知っている母親が歪な怪物へと変わり果てていく。
それは、彼の狭い世界が崩壊する瞬間だった。
異形と化した母親は唸り声を上げ、玄関の扉に向かってゆっくりと歩き始めた。
そして信じられない力で頑丈な扉を破壊し、もう部屋に戻ることなく外へと消えていった。
扉のあった場所から、眩い光が部屋に差し込んできた。
アベルはその光の方へ恐る恐る足を運んだ。そしてそこで初めて、彼は自分の知らなかった世界を見た。
広大な空間。
見たことのない建物。奇妙な形をした機械。
そして空気中に漂う、今まで嗅いだことのない鉄のような匂い。
それがアベルにとっての「外の世界」との出会いだった。
それは異様な光景だったが、アベルにとっては「もしかしたら……何かがあるかもしれない」という淡い希望の光でもあった。
しかしその時のアベルはまだ知らなかった。この広大な世界もまた、危険に満ちていることを。
地獄からやっと抜け出せたと思ったのに、外も結局地獄のようだった。
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