第4話 エスタシオンにて (第二話中編)

 エスタシオン内部、“管理課”と呼ばれる建物にミュゲと黒猫ビオレータはやって来た。ここは、実際に世界の四季を管理しているヴァイスたちの仕事場である。行き交う魔法使い達は、忙しいのか揃って緊張の面持ちだ。

 白いローブを着ていることからわかるように、ミュゲはヴァイスである。しかも、一般的にはひとつの季節を扱うのだが、彼はまれに見る逸材で、春と夏、両方の魔法を学んだ、非常に優秀な魔法使いなのだ。本来ならば、どこかの国の季節管理職に就いていてもおかしくないが、ビオレータのために共に人間界へと降りている。しかし、ヴァイスとグラウは人間の世界では猫の姿でいなければならない。上級者は、その存在だけで季節に影響を与えてしまうことがあるからだ。



 明るい光の差し込む通路を歩いていると、向こうからやって来たヴァイスがミュゲに声をかけてきた。

「やあミュゲじゃないか、久しぶり」

 そう言ってにっこり笑ったヴァイスの青年。眼鏡の彼はクラベールと言って、ミュゲと同期の春の魔法使い。暖かな日差しのような笑顔が印象的だ。

「君もやっと管理職に就く気になったのかい?」

「それはまだ先の話だね」

 クラベールがからかい口調で尋ねると、ミュゲは抱えた黒猫に視線を落としながら答えた。それを追うように、クラベールも視線を落とす。

「はは、その子が噂の妹分か。こんにちは」

「こ、こんにちは」

 言葉を返すと、クラベールはにっこり微笑んで長い指先で喉を撫でてくれたが、ビオレータはとても緊張していた。ミュゲ以外のヴァイスと言葉を交わすのは初めてではないが、管理職と会話するのは初めてだった。管理職は常にピリピリした空気を背負っているため、話しかけるのにも気を使うという話を聞いたことがある。

 クラベールが管理職であるのは胸元の特別なエンブレムで一目瞭然。けれど彼は物腰柔らかで、とても接しやすい人だとビオレータは感じた。



 ミュゲとクラベールが通路で話し合っていると、今度は別のヴァイスが通りかかり、クラベールが声をかけていた。クルクルと髪を巻いた、かなりの美人さんである。

「やあ、アーチェロ。今期はずいぶん忙しいみたいだね」

「全くよ! 新人が夏期間を間違ったおかげで、こっちは大忙しで秋をお届けしなくちゃならないんだから!」

 アーチェロと呼ばれたヴァイスは、眉を吊り上げたいそうご立腹の様子だ。どうやら夏の管理職が失敗をしたらしく、そのせいで現在大忙しだと二人に愚痴っていた。ちなみにアーチェロも同期で、彼女は秋の魔法使いである。

 そんな時、ビオレータは、怒っていても美人だなあと呑気に考えていた。長いまつげなんか、お人形のようである。

「で? ミュゲはやっと管理職に就く気になったの?」

「違うよ。定期更新」

 定期更新とは、簡単に言えば、免許を書き換える作業だ。ミュゲはすでに管理職免許を持っており、期限が切れる前にこうして定期的に管理課を訪れ、更新作業をしている。いずれ管理職に就く場合に非常に重要な役割を果たすからだ。

「あんたがウチの国の春と夏を管理してくれれば、私ももっと楽できるのに」

 アーチェロは残念そうに溜め息を吐いた。彼女の視線が自分に向けられていると気付いて、ビオレータはばつが悪そうに俯いた。

「ま、可愛い妹がいるんじゃ仕方ないよね」

 苦笑しながら、アーチェロはしなやかな指先でミュゲが抱えた黒い子猫の頭を撫でた。それがとても優しくて、見た目気が強そうな彼女の本当の心を表しているようだった。



 忙しいクラベールとアーチェロに別れを告げたミュゲは、定期更新のために更新室にやって来た。しかし中に入れるのはミュゲだけなので、黒猫ビオレータは扉の前にちょこんと座って大人しく待っていた。

 しばらくそうしていると、一匹の黒猫がビオレータに近寄ってきた。

「あら、ビオレータじゃないの」

 ちょっぴり高飛車な口調で声をかけてきたのは、冬の魔法使いのブリーナである。黒猫の姿からシュヴァルツであるのがわかるが、彼女は首に水色のリボンを巻いている。彼女の髪の色だ。

「久しぶりねえ。その様子じゃあなた、まだシュヴァルツからは抜けられなさそうだけれど」

「そ、そんなこと言って、ブリーナだって黒いローブじゃない」

 ビオレータが指摘した途端、ブリーナが(猫なりに)余裕たっぷりの表情を見せた。

「ふふ、聞いて驚きなさいなビオレータ。私は来月、昇級試験を受ける事になったのよ!」

「ええーっ!」

 お約束どおり、ビオレータはわざとらしいほどに驚いた。いや、驚いたのはわざとではなく、本心からだった。

 昇級試験を受ける――つまり合格すればブリーナはグラウになるのだ。ビオレータよりも上級者になるのだ。そうなれば、エスタシオンを人の姿で歩けるし、管理職見習いとして働くこともできるようになる。

 ビオレータとブリーナは同期で、いわゆるライバルというやつだ。師匠を持つ前に行っていた学校では、一緒に行動する事が多かった。だから何をするにも比べられたし、お互いにライバル意識を燃やしていた。ブリーナは冬の魔法使いであるため、違う師の下で修行中だが、季節が違うとはいえ、まさか先を超されるなんて。

「そういうことだから、あなたもせいぜい頑張ってね」

 がっくりと項垂れたビオレータの前を、フフンと鼻を鳴らしながらブリーナが通り過ぎた。が、しばらくして彼女は振り返り、一言残していった。

「あっ! それからくれぐれもミュゲさまの足を引っ張るような事をするんじゃないわよ!」

 ちなみにブリーナは、熱狂的なミュゲファンである。そんな彼女の夢は、彼と共に同じ国の季節を管理する事らしい。



 免許の更新作業を終えて室外に出たミュゲは、ビオレータの姿を探して辺りを見回した。すると、黒い子猫は扉から少し離れた所で丸くなっていた。

「お待たせビオレータ。そろそろ帰ろうか」

 近づいて声をかけたが、ビオレータは丸くなったまま身動きしなかった。眠っているのではないというのは雰囲気で分かる。おそらくふてくされているか、落ち込んでいるのだろう。その証拠に、抱えられてもビオレータは丸くなったまま顔を上げようとしなかった。

「なにをふてくされているの?」

 黒い毛並みを優しく撫でながら、ミュゲが問いかけた。

「……ブリーナが来月昇級試験を受けるんだって」

「ブリーナ……ああ、ネージュ様のところのシュヴァルツね。それで「私はなんでダメなんだろう」って落ち込んでたの?」

「うん……だって、私、失敗ばかりするし、ミュゲくんだって本当は管理職になってるはずなのに……」

 耳を垂らし、ビオレータはますます落ち込んでしまった。ブリーナの言葉や、ヴァイスたちがミュゲに管理職になって欲しがっていることなど、彼女なりに気にしているようだ。

 けれど、ミュゲは自分の意思で彼女について人間界へ行っているのだ。管理職に就いてしまうと色々と面倒な事が多いし、何よりビオレータは危なっかしくて放っておけないからと、自ら望んでそうしている。だから気にすることなどないのに。



 それからずっと無言で、ビオレータは丸くなったままだった。春の魔法使いのクセに、落ち込むと冬のようだと思いながら、ミュゲはひとつ提案をしてみた。

「ビオレータ、帰る前におばあさまに会って行こうか」

 その言葉に黒い耳がピクッと動き、そして青紫の瞳が恐る恐る見上げてきた。

「いいの?」

「うん」

 先ほどまでの落ち込みようはどこへやら、ビオレータは満面の笑みを浮かべ、途端にウキウキし始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る