別荘に捨てられた

ねこまんまときみどりのことり

第1話

「忌々しい子ね、貴女。少し離れて暮らしましょうよ」


「ああ、それは良いな」


「…………」


「アマリリスお姉さま、お元気で」



 一言も発しないうちに、私は田舎の別荘に行くことが決まった。最早気持ちも動かず、ただ応じるだけだ。

 何を言っても覆ることがないのは、知りすぎている。

 珍しいことではないが、私は前妻の子で疎まれる存在。


 生家の男爵家はわりと裕福で、平民であった後妻フャルルは結婚後贅沢し放題だった。


 父が何も言わないので、仕方なく私が苦言を呈すれば「子供の癖に、何もわかっていない癖に」等と苛立たしい様子で言い返されていた。



 それでも次期当主の私。


 負けずに改善を求めていたのだが、どうやら父にも裏切られてしまったようだ。後妻の賛同に回ったのだから。


 フャルルの子『アイズ』は、父マックの実子だ。

 なので異母妹である彼女が、この家を継げば良いと思っているらしかった。



 私は自分の鞄に貴重品と衣類、母の形見を詰めて馬車に乗り込んだ。執事ナイジェを始めとする使用人達のことは、お祖父様から転職先への紹介状を貰えるように手紙で連絡しておいた。


 これで心残りはない。


 2日はかかる道中、時々ひどい轍がある。


「あ、痛ッ。頭をぶつけてしまったわ」


 馬車の揺れで、体が思いきり右へ傾き強打した。

 そして患部を押さえているうちに、思い出したのだ。


「私に別の記憶が…………………。

ああ私、異世界へ転生したのね」


 どうやら私は、前世でしがないOLだったらしい。

 何となく思い出した。


 しかし、常に不遇に晒されていた私だ。

 今さら何かに、心を動かされることもない。


 ……ないと思ったのだが、転生特典があった。

 喜色で声が漏れる。


「う、嘘、なんてありがたいのかしら」


 この時ばかりは、心から神へ祈りを捧げた。

 だってスキルを、3つも貰えるらしかったから。


 前世の記憶を照らし合わせ、あったら良いなを実現させたのだ。


 お金? ノー、ノー。

 そんなの稼げば良いじゃない。


 大金があったって、奪われれば無くなってしまうわ。今までのようにね。


 だから、私の願いはね……………


 一つめは願った場所に虫や菌、微生物が寄り付かなくなる結界(体内の微生物は除く。例:腸内細菌など)。


 二つ目が寒暖耐性。

 三つ目が水の召喚術。


 もうこれさえあれば、何処でも暮らせると思った。

 どんなに汚くても、ダニや虫がいなければ、まあ暮らせると思う。


 暑さ寒さを耐えられれば、どんな地域でも暮らせる。


 最後は、言わずと知れた飲料水だ。

 閉じ込められたって、10日は生きられるわ。


 そんな感じで、別荘と言う名の小屋に着いた。

 心配する馭者には大丈夫だからと伝え、彼の家族の元へ送り返した。


 着いた場所は、ほぼ山中の小屋。

トイレと浴室と寝室以外は、茶の間にキッチンが付属しているだけだ。

 ただ古いものの、調理道具や寝具類といった生活用品などは揃っていた。


 早速スキルで、半径1kmの虫と菌を排除する。


 埃はそのままなので軽く掃除をし、持参したシーツを敷いてその夜は眠った。


 井戸はあるが、水汲みが大変なので魔法で出して洗顔し食器を洗う。


 朝食は持参したパンと干し肉だ。


 今日は部屋の掃き掃除と水拭きをして、シーツや衣類を洗濯し外に干した。


 結界内にある草木は、土内の虫や微生物の関係なのか、数日後には萎れて土に戻っていた。


 私は体の回りに結界を展開し、山芋を掘りきのこを採取して里に売りに行くことにした。このスキルがあれば、虫に刺されることはない。山暮らしの辛いことの一つから解放されたのだ。


 服や体の汚れなんて、洗えば済むからね。


 ここに来る前に、侍女から動きやすい服を貰えたから、それもすごく助かった。いろいろ心配して、生活用品用の鞄をパンパンにしてくれたもんね。保存食や調味料、シャベルにスコップに軍手なども入っていた。

 私は初めて来たけれど、使用人達はこの場所をきっと知っていたのね。感謝しかないよ、ありがとう。


 そうしてのんびりと、山を下っていく私。


 来る時に通った一本道だから、何とか里まで行けるでしょう。


「あの山で採ったの? 蜂や藪蚊が多かったでしょ。刺されたんじゃないの? 可哀想に」


 そう言って、里に一軒しかない商店の女将さんは、多めに賃金をくれたのだ。母親のように心配そうな顔を、初めて会った私に向けてくれた。


 きのこが採れるのは、人が来ないかなり山深い場所なので重宝されるそう。


 本当は貴重品を売ろうと思っていたけど、山の実りを売れば十分だった。逆に貴金属は、あまり必要とされないかもしれない。


 牛や馬が道を歩き、働いている世代も子供も老人もみんな笑顔だった。


 ただお洒落な服を着た人は、あまり見かけない。

 これから発展していく里なのかもしれない。


 この里は平和なのか、特に身元を詮索をされることもなく、その足で食料と衣類とタオルを一組ずつ購入し、家路に着いた。


 今まで次期当主として領地の経営をし、収入に追いつかない支出に悩んできたので、今は心からゆっくり出来て気も楽だ。


 厳しいお祖父様には、私は次期当主として失格の烙印を押されたことだろう。当主の父を正気に戻せなかったのだから。お祖父様は未だ侯爵家当主で、父の実の親だ。

 とてつもなく父に甘い人だった。



 でももう疲れた。



 私を追い出したのは、家族だ。

 ならば後は勝手にやって欲しいと思う。


 幸いなことに、厳しい当主教育を受けさせて貰えたので、ある程度の教養はあるつもりだ。私だけなら、困ることもないだろう。


 屋台の串肉を食べながら、私は小屋まで歩く。


 人気がなくなり、だんだん日が傾いていく。


「リーン、リーン、リーン」


「ジージージージー」


「カナカナカナ」



 虫の声と、星と月だけしか見えない大きな夜空。

 やっぱり小屋までは距離があり、日が暮れてしまった。

 それでもずんずん歩いていると、孤独の中にも解放感があった。


「たくさんの星が見える。あ、流れ星だ。綺麗だなぁ」


 一人は寂しい。

 けれど自分の時間がたっぷりある私は、自由だ。


 山の実りを時々里の店に売り、喉が渇けば果物を食み、新聞や本を読みながらのんびりと一日が終わる。


 家のまわりには、実の成る木々やいろんな種類の花ばなが咲き乱れていた。見る分にも楽しいが、それらも高額で売却できた。


 余裕がある時は前世の知識でお菓子を作る。果物入りのパウンドケーキは里では珍しいと、喜ばれて買って貰えた。この里ではお菓子を作る人がいないそうだ。


 ある時私は商店の女将さんに、パウンドケーキのレシピを買って貰えないか尋ねた。

 食品のレシピは料理人の仕事に直結するので、とても高額だと言う。それゆえこの里では、作られていないそうだ。


 私は次の町へ行くので、是非レシピを買って欲しいと頼んだ。どのくらいなら買って貰えるか聞くと、出せる最大限の値をつけてくれたみたいだ。


 もう少し駆け引きしても良いのにと、私が思う程だ。

 私はもしその値よりだんぶん低くても、お世話になった女将さんになら、きっと売っていたと思う。


 それに今思えば、山になっている果物や花があんなに高額のはずがない。きっと今までも、たくさんオマケしてくれたんだろう。知らずと涙が込み上げてくる。


 作成する材料は高額なものはなく、だいたい家庭にあるもので作れる。あとは、ふくらし粉だけがないようだった。

 ただお掃除で重曹は使われていた。

 コーンスターチはとうもろこしを乾燥させ、粉にすればできるので簡単だ。


 重曹を食用にする為に綺麗に作製し、コーンスターチを混ぜて調整していく。

 私の使っていたふくらし粉は、男爵家の料理長がくれたもので若干違うかもしれない。

 それ(持参したものとの違い)を説明しながら、何十個もパウンドケーキを作り上げていく。


 最初は微妙な出来だったが、次第に仕上がっていく。

 私はこんなに失敗してすまないと謝罪したが、この里独自の物が出来たから良かったと言ってくれた。


 ありがたいことだ。


 お詫びにと、山に成っている木の実やラズベリーなどを、無償で提供したら恐縮された。


「良いのよ、気にしなくて。でも嬉しいわ、ありがとう。二人でお料理できて楽しかったわ。………もう居なくなるなんて、寂しい………」


 いつも笑顔の女将さんが、私を抱き締めて泣いていた。私もいつも女将さんの笑顔に癒されていた。


 女将さんがいたから、この里でも不自由なく意地悪もされず過ごせたんだと思う。


 でも決めたことだから、私は丁寧に挨拶をして、平民でも文官になれる国を目指して旅に出た。



 女将さんからは手縫いの下着と生成りのワンピースを貰った。


「女の子なんだから、暗くなったら歩かないんだよ。この里は親族ばかりでわりと安全だけど、他所は違うからね。気にいるかわからないけど、安全祈願をして作ったの。着てちょうだいね。あと、辛くなったらここに戻れば良い。


訳ありと思って深く聞かなかったけど、こんな良い子が一人でいたんだ。何か事情があったんだよね、助けてあげられなくてごめんね」


 私は首を振って、「十分助かっていました。楽しかったです」と、泣いてしまった。女将さんも泣いてくれた。


 女将さんは事故で私くらいの子供を亡くしていたそうで、ほっておけなかったそうだ。最初から心配だったそう。


 里の人も私が自立出来ているか、いつもハラハラして心配していたらしい。訳ありのようだからと、恐がらせないように見守ってくれてたみたい。


 裕福でなく、酪農や農業で質素に暮らしている里だ。

 けれどみんな、とても優しかったんだなと改めて知った。この里に来て、人の暖かさを初めて感じることが出来たと思う。


「みなさん、ありがとうございました。

お世話になりました」


 頭を下げて辻馬車に乗ろうとしたら、「近くの大きい町まで乗せてやる」と、女将さんの旦那さんが馬車を用意して来てくれた。


 私はまた泣けてきて、「ありがとうございます」と俯いた。


「子供が遠慮するんじゃない」と、笑って言われまた泣いた。


 男爵家では表情筋も動かなかったのに。


 いや、ここに来たばかりの時もそうだった。


 いつの間に、こんなに泣き上戸になったのだろう?



 大きな町に着き、旦那さんが飴のたくさん入った袋をくれた。お礼を伝え、私からは拙い刺繍を入れたハンカチを2枚渡す。


「下手で恥ずかしいけれど、他に渡せる物がなくて。

今までありがとうございました」


 作ったけれど、恥ずかしくて渡せなかったと言えば、旦那さんは微笑んでくれた。


「勿体なくて使えないなぁ」


 泣き笑いに変わっていく。


「使ってくださいね。余裕が出来たら、また送りますから」


 ハンカチを握り締める旦那さんは、 “体に気をつけて” と言ってから馭者席に乗り込んだ。


「旦那さんも、お元気で。帰り道も気をつけてね」


「おう、じゃあな」


 私は見えなくなるまで、馬車を見送った。

 二人とも、何とか笑顔で別れることが出来た。


 宿を取り、明日からの計画を立てた。

 この町の隣の国で、一週間後に文官試験がある。


 今日は飴を舐めて、早めに寝よう。

 泣きすぎて疲れてしまった。




◇◇◇

 アマリリスを別荘に送り、3か月が経った。


 執事に何度も言われていたのに、アマリリスの父マックは今まで通りの生活を変えずに続けていた。


 マックは確かにアマリリスの分の仕事もしていたが、借金などの収支については面倒臭くて後回しにしていた。

 領地からの収入は一定であり、支出が多ければ借金は減らずに増えていく。


 ストッパーであったアマリリスが居らず、後妻フャルルと愛娘アイズの散財は続いているのだから。


 今までアマリリスが侯爵アマリリスの祖父に依頼していた資金の補填もされなくなり、とうとう男爵家に入る資金が底をついた。


 どう言うことかと憤り執事を呼ぶが、彼は諦めてマックに告げる。


「ずっとお伝えしてきましたよ、旦那様。今まではアマリリス様が亡き奥様の宝石などを担保として、大旦那様より借金をして家を回しておりました。アマリリス様は宝石のことは半ば諦めて、自らが当主になるまで何とかしようと孤軍奮闘していたのです。


今月の私達使用人の給金も工面出来ないようなので、私達は本日付で大旦那様の下に行き、新たな邸に派遣されることでしょう。


今までお世話になりました」



 執事は一息に告げ、全員分の退職届けをマックに渡して踵を返した。


「な、なんだ、それ? 父上に借金していただと! そんなこと知らない、何故言わなかったアマリリス!」


 喚くマックだが、アマリリスも執事も言い続けていた。

 聞き流したのは、彼自身だ。


 アマリリスは近い未来に、こうなることがわかっていたので、宝石と引き換えに使用人の紹介状を祖父に依頼していた。先渡し物件のある約束の反故は、貴族には醜聞となるから、この方法を取ったとも言える。目先の利益を優先する、祖父に付け込んだのだ。


 アマリリスは家族よりも、自分を大切にしてくれる使用人達の方が好きだった。


 使用人達は荷物を纏めて、男爵家を出ていく。

 既にこうなると知っていたから。


「お嬢様の苦労が水の泡だ。優秀であられたのに」


「仕方ないさ。大旦那様に旦那様、二人ともアマリリス様の味方ではなかったから」


「俺達はもう行こう。仕事を斡旋して貰えるだけマシだ」


「このことも見越していたんだろうな、アマリリスお嬢様は」


「俺達の仕事まで、頼んで下さってたんだもんなぁ」


「元気にしてるかしら?」


「ああ、大丈夫だろう。今までより元気にしているだろうさ」


「資産家であった亡き奥様の宝飾品は、もう僅かだろうな。聞けば大旦那様に、宝石を送って俺達のことも頼んでくれたらしいから」


「大旦那様は、よく使用人が全員辞めることを許したわね」


「使用人の数なんて気にしてないだろ? まさか全員辞めるなんて思ってないさ。いい加減だからな、お貴族様は。お嬢様に宝石を貰って喜んだだけだろ? 


愛人に良いプレゼントが出来るとか、そんなとこだ」


「亡き奥様の生家には、行こうと思わなかったんだな」


「ああ。現当主の侯爵と亡き奥様は、当主を争っていたらしい。お嬢様が戻っても揉めるだけだしな」


「そうか。亡き奥様が生きていればなぁ」


「本当に。可哀想な星の下に生まれたものだ」


「ああ、不憫すぎる。せめて、笑っていられると良いな」


「そうだな。そう祈ろう」



 使用人が去り、マック、フャルル、アイズしか居ない邸は静まり返っていた。


「誰か、誰かいないのか? クソッ」


「お父様、お腹がすきました」


「そうよ、ペコペコよ」


「しょうがないな、外食しようか?」


「それが良いわ。高級レストランよね」


「い、いや、今は金がない。普通のレストランにしよう」


「ええ、しょうがないわね。いいわよ、そこで」


「私もです。今日はね」


「ふははっ」


 もはや、笑うしかないマックだった。




◇◇◇

 ツケで暮らしているマック達は、取りあえずアマリリスのように、宝石を担保に父侯爵に金を借りに行く。


「こんな宝石ではいくらも貸せんよ。それより、マック。娘を嫁にやらないか?


ワシの親友の子供なのだが、離婚して後添えを探しておる。年齢? そうだな、お前より3つ下だ。


そいつは金持ちだ。いくらでも援助を貰えるだろう。


ワシももう、お前の兄ケンタに跡を譲るから、あてにせんでくれよ」


 娘は誰でも良い。

 若い娘が良いそうだ。

 え、結婚の回数? 5回か6回だな。

 愛人もいるそうだが、それがなんだ?


「ワシはお前が幸せなら、それで良いんだ。娘が大切だと? 嫁にやって寂しいなら、また作れば良いだろ? 可笑しな奴だな」


 何ともないように話す父親に震えた。


 考えれば姉達も、成金の金持ちに嫁がされていた気がする。幸せそうではなかったな。


(ああ、父親にとって、娘も孫も他人なのだ)


 そう思うが、マックも生活が困窮しているから、お金は欲しい。

 結局娘を後妻にする約束をして、金を借りることにしたのだ。


(アマリリスには悪いが、可愛いアイズは不幸に出来ない。別荘から呼び戻そう)


 こうしてまた、アマリリスを犠牲にすることした3人。


「お姉さま、可哀想」


 そんなことなど微塵も思っていない、意地の悪い顔で笑う異母妹。


「大丈夫よ、あの子は長女なんだから。家の為の結婚は仕方ないのよ」


 自分達の尻拭いをするのが、当たり前のように話す継母。


「まあ、もう決まったことだ。1か月後にはスカラビー子爵夫人だ。我が家にも援助してくれるだろう。まずは呼び戻さないとな」


 持参金目当てで前妻と結婚をして、その娘に愛情のかけらもない父親。


 こうして後妻に行くことになったアマリリスだが、既に別荘には居らず、『リリス』と名を変えて大国で文官として働いているのだった。


 新しく雇った使用人が別荘に行くが、人のいた気配はなかった。アマリリスが出ていく時、魔法も解除したので、鬱蒼と繁った木々が別荘の周りを囲んでいた。


「こんな場所にいる筈がない。そもそも人も付けずにここに娘を住まわせたのか? 人でなしだな」


 雇われた使用人は、報告後に仕事を辞めた。

 いちゃもんを付けられる前に、逃げたと言っても過言ではなかった。


 こうしてアマリリスが不在のまま、約束の1か月が来てしまった。


「ああ、どうしよう。今日子爵が来ると言っていたのに!」


「今回は謝って、アマリリスを探しましょうよ」


「ああ、それしかないな」


 何て言っていたが、既にマック達に支払われた支度金は、殆ど残っていなかった。


「やあ、男爵。娘を貰いに来たぞ。げへげへ。

その娘か、肉付きが良くて柔らかそうだな。

結婚式はしないが、自宅でパーティーをしよう。

たくさん可愛がってやるからな。げへげへっ」


 ピンク髪の可愛らしい容姿、肉感的な体は子爵のお好みのようだ。


「い、嫌です。お嫁に行くのはお姉さまですわ」


「おお、姉も豊満なのかな? 楽しみだわい」


「い、今は居ないのです。別荘から居なくなっていて。数日お待ち頂けないでしょうか?」


 子爵は怪訝な顔をして告げた。


「そうか。では支度金を全額返せば良いぞ。娘が見つかればまた支度金を渡そう」


 マックは途端に焦りを見せた。


「あ、あのお金は待って下さい。2、3日のうちにお返ししますから」


「なんだ、バカにしているのか? 俺は頼まれたから来たと言うのに。どっちもダメなんてことは聞けんよ。娘、いやお前の嫁でも良いぞ。そそる体つきじゃないか。金を待っている間、担保がわりに可愛がってやるぞ」


「な、なんてことを」


「どちらでも良いぞ。これ以上は俺の矜持に反するから、譲れんぞ」


 子爵はフャルルを熱く見詰めて、舌なめずりしていた。

 フャルルは泣きそうにマックに縋り、何とかしてと懇願した。


 ああ、アイズはダメだ。

 でもフャルルも愛している。


 どうしたら良いんだ。


 優柔不断のマックに決められる訳がない。


「遅いのぉ、もう良い。お前が来い。どうせ子も産んだ体だ。恥ずかしい気持ちなんてないじゃろ」


 フャルルの手首を掴み、腰に手を回す。


「い、嫌よ。マック助けて!」


 泣き出したフャルルは腕をマックに伸ばす。

 顔を背けたマックはその姿勢のまま、済まないと呟いた。


「あ、うそっ、嫌ぁ、マック、マックー!!!」


「げへげへ。今日は楽しもうな。ではな、そう急がんでいいぞぇ」


 満面の笑みで去っていく子爵と、喚くフャルル。


 呆然とするアイズは、ブツブツと何かを呟いている。


「イヤイヤイヤイヤイヤ、あんなガマガエルみたいな醜い人と結婚なんて、絶対嫌よ!」


 最早母が連れ去られたことより、保身に走るアイズだった。


「ああ、済まない、フャルル。すぐに迎えに行くからな」


 マックはフャルルが買った宝石を全て持って、父侯爵に換金して貰おうと走った。


「ほほお、アマリリスに逃げられたのか? まあ、賢いからなあやつは。もうお前に見切りをつけたのだろう。金か、渡しても良いが、フャルルを戻してどうする? アマリリスはきっと見つからないぞ。そのまま囲ってもらえば良い。飽きたら戻されるだろう。それよりこの金で、生活を立て直してから迎えに行けばどうだ?」


 ああ、どうしよう。きっとフャルルが待ってる。

 でも生活の立て直しが先?

 ああ、どうしたら良いんだ。


 悩むうちに、1か月が過ぎた。


 結局迎えには行かず、借金を精算して領地の経営を優先した。少しでも何とかしてから、フャルルを迎えようと思ったのだ。


 アイズは迎えに行かない父親を見て、次は自分が売られると恐怖した。それくらいならばと、彼女は顔の良い商人と結婚すると手紙を残して出ていった。


 結婚式もせず、なし崩しで籍を入れたらしい。

 もう16歳になっていたから、親の許しはいらなかったのだ。


 そしてその彼に付いて、行商へ旅立ったと人づてに聞いた。


 さすがのアイズも、あの時の母親の姿がトラウマになったようだ。「此処には、もう居られない!」と、心を決めたのだ。



「嘘だろ、アイズ。勝手に嫁に行くなんて!! 

ああ、もう仕方ない。今はフャルルが先だ!」


 愛娘を失った絶望の中、フャルルを迎えに行ったマックだが、彼女は戻ることを拒絶した。


「なんで今さら来たの? もう遅いのよ、馬鹿っ」


 既にフャルルの精神はズタズタだった。

 けれど子爵は金を持っており、時々ご褒美と言って宝石を買い与えた。それこそマックが買えないほど豪華なものを。


 そのぶんたっぷり、身も心も貪られた状態だったが。



「そんな、フャルル。借金もほとんど無くなったし、もうそんなに困るようなこともないよ。アイズは勝手に嫁に行っちゃったけど、今度は二人で静かに暮らそうよ。意地張ってないで帰ろう?」


 必死に言い募るも、火に油を注ぐだけだった。



「意地ですって? なんでそんなこと言えるの? おまけにアイズがいないって何? もう信じられないわ」 


 子爵はげへげへ笑いながら、「ならもう俺の愛人になれ、お前は生娘なんかよりだいぶん具合が良いから、暫く可愛がってやる。給金もはずむぞ」と告げてくる。


「そ、そんな、帰ろうよ、フャルル。支度金は返しますから、子爵様お願いします」


 深く頭を下げるが、子爵はどこ吹く風だ。


「もう金はいい。女を置いていけ。そのうち帰してやるから」


 暫くやり取りするも、結局マックは一人で帰って来た。


 使用人も僅か戻り、衣食住は満たされた。

 しかし支度金は受け取って貰えず、フャルルは愛人として暮らすと言う。


「何でこんなことに。ああ、フャルル、フャルル」



 あの時彼に出来たことは、子爵が来る前に男爵家を売ってでも金を作ることだった。


 せめて父侯爵に会った後に、迷わずに迎えに行けば間にあったかもしれないのに。


もう全てが遅いのだ。


 暗い室内に明かりもつけずに、自問するマックだった。


 大切に守ってきた筈の妻と娘との幸せは、その掌から溢れ落ちた。


「フャルル、どうして? もう俺のこと嫌いなの?

俺はどんな君でも愛しているのに。戻っておいでフャルル………………。何処にいるのアイズ? 怒らないから帰って来いよ…………」


 虚しく、ただただ呟き続ける日々。


 その後マックは気力をなくして、食事も出来なくなり寝たきりとなった。


今では病院へ入院していると言う。




 アイズは子も生まれ、戒めのように我が儘を言わないで頑張っている。


「不幸になりたくない、不幸になりたくないの……」


 時々遠くを見て呟いているので、夫は心配するが本人は幸せであった。奇跡的に、家族に恵まれたみたい。


「大丈夫かい? 何か悩みでもあるの?」


「ああ、優しくて格好良い貴方。大好きです」


「何言ってるのさ。でも、ありがとう。チュッ」


「お熱いことだ。せめて子供の前では止せよ」


 周囲が呆れるほど、仲が良い二人なのだった。


 今のアイズは贅沢など出来ないが、本当の幸せを知ったのだ。身をもって教えてくれた反面教師両親のおかげで。





 フャルルは一時的に凹んだが、子爵を翻弄し金を出資させて服飾店を出すまでになった。今では立派な女経営者である。


「男なんか、当てに出来るもんですか。

綺麗な優柔不断男より、ゲスい金持ちの方が上等よ」


 正真正銘の悪女となった彼女は、裏切ったマックなんかに未練はなかった。


 マックは病気により、男爵位は兄のケンタへと戻された。

 マックの父侯爵は、今まで好き勝手し過ぎて迷惑していたケンタにより、あの別荘に幽閉された。


 危険な昆虫も血吸いダニもいる、何もない山奥。

 アマリリス以外は苦難が伴う場所だろう。


 通いで男のお手伝いが週に数回来て、掃除と調理をしていく。余計な金を持たされずに、そこで何もせずに日々を過ごしている元侯爵。辛うじてアマリリスの残した本と、古い新聞だけが残るのみだ。


「そんなに恨まれていたのか? 確かにマックを優先した思いはあるが、仕方がないだろ? 頼ってくる子は可愛かったのだから。それがこの仕打ちか、とほほっ。ああ、痒い、ダニか蜘蛛か、こんな場所嫌だ!」


 マックの兄はそれだけを見ていた訳ではない。


 いつまでも実権を渡さず、継続的にマックに金(お小遣い)を流すのに、アマリリスを軽視していたこと。いや、他人を思うままに動かさないと気が済まなかったことが嫌だった。


 その事に憤りが強くあったのだ。

 共に住む家族でさえ、蔑ろにしていたのだから。


 そして愛人を多く囲い、悪い仲間とつるんで悪さもしていた。


 殺してやりたいと思うこともあった程だ。




 今、彼はアマリリスの居場所を知っている。

 何も出来ずに、ずっと後ろめたい気分だった。


 リリスとして暮らす彼女に、援助が必要ならいつでも力になると伝えている。


 アマリリスは生家にいた時、彼に力を借りたこともある。迷惑をかけてはいけないから本当に数回だけだが、優しく対応して貰え感謝していたのだ。



◇◇◇

 彼女は極寒の大国フロージアで、文官と警備副隊長を勤めていた。一年中雪の舞う寒い地域である。


 彼女の水の召喚は存外に使える。


 この地で水を出せば氷となり、水を動物や人に落とせば途端に凍りつく。


 喉に水を張り付ければ、窒息もさせられる。

 猛獣や魔獣に対して、かなり有用である。


 帰宅中、雪山にいるはずのホワイトタイガーの牙が、アマリリスに襲いかかった。咄嗟の防御で大量の水をホワイトタイガーに浴びせ凍らせた所を、巡回中の警備隊長アフロに目撃された。その手腕に惚れたアフロが、協力要請をして来たのがきっかけだ。


 時々野良の魔獣が街に降りて来るので、巡回は重要な任務なのだ。警備を束ねる警備隊長は、その組織の頂点トップだ。今は戦争もなく戦う組織もこの部署だけで、軍事の最高機関でもある。


「頼む。お前の力が必要なのだ!」


「いや、私、文官ですので。無理です」


「いいや、お前は闘うべきだ。共に危険な猛獣を屠ろう!」


「だから、無理です!」


 なんて言い分も、この国の公爵の彼アフロには利かないのだった。

 なので今も、文官の傍ら警備副隊長をしている。

 なんなら警備の仕事の方が多い。


 寒暖耐性もあり、どんな場所でも動きがぶれない。

 それもアフロに気に入られている。


「こいつの精神は鍛えられている」と、別方向に。


 取りあえず平民と言うことで、結婚を断っているが、元男爵令嬢でマックの兄侯爵が後見だと知られると、かなり面倒臭くなるだろう。


 だけど公爵家なので、優秀なら養子先を考えているし、アマリリスの身元も調査中である。


 何よりアフロが気に入っている。


「あいつは真面目で、美人で、強くて、俺の理想の女性だ。最早女神だな。がははっ」


 と陽気に笑っているから、彼の気持ちは筒抜けなのだ。


 けれどアマリリスは、手で顔を覆う。


(静かに暮らしたいのに………。

まあ、アフロ様は格好良いし、すごい筋肉だし、優しいけれど、デリカシーが!!!)


 もう殆ど絆されている彼女だ。


 ちなみにアフロの髪型は、サラサラの銀色短髪で瞳はこの国らしい濃紺だ。アマリリスは水色の髪と、琥珀の瞳だった。


 彼が濃紺の宝石やらドレスをポンポンとプレゼントする為に、彼女のシンプルな(無駄な物がない)部屋が青で染まるのには閉口した。


「慣れないし、こんなにいらない………」


 貴族ながらも根っからの貧乏性は、今後も直らないだろう。

 彼女からのお返しのプレゼントは、もっぱら手作りだった。


 自分の色なんて贈れないから、生地屋で銀の毛糸を探してマフラーやら手袋を編んで渡す(お金をかけないことに行き着くと、手製が一番なので)。


「深い意味はないですから。日頃のお礼ですよ」


 なんて言ったって、脳筋だもの。


「結婚式は春が良いか、いややっぱり吹雪が収まる夏にするか?」


 話なんて聞いていない。手作りなんてもう愛してるの合図だろう的な。


「違いますってーーー!」


 アフロのマイペース振りに、叫び声が定着していく。


 同僚達もアフロの両親も、もう観念すれば良いのにとか、またじゃれあってるとか、ニヤニヤして傍観している。


 いつも楽しいアマリリスの日々なのだ。




 彼女の好きなあの里に、結婚式の報告が届くのはもうすぐ。この国に来てからも交流は続き、時間が出来た時に刺繍したハンカチやハンドタオルを送っていたのだ。


「ウェディングベールは、私が作ってあげないとね」


 張り切る女将さんは、楽しそうだ。

 里のみんなも嬉しそうにしている。


 あの里はパウンドケーキが名物になり、酪農で作ったバターもチーズも牛乳も売れ、来た人限定でアイスも食べられるので、程ほどに潤っていた。


 きっかけになったのがパウンドケーキなのは、言うまでもない。他のレシピも応用して作っているらしく、今度ごちそうになりに行こうと思っている。



秀でるものがあるのは、強みとなるのだ。








《その後のこと》

 アフロの絶え間ないアプローチにより、アマリリスは遂に陥落し、公爵夫人となった。


 結婚式には彼女の親がわりに、マックの兄ケンタ夫妻、里の女将さんと旦那さんが出席し、アフロの両親は手放しで祝福した。


「良かったね、アマリリス。遠く離れて心配だったけれど、良い旦那さんが見つかって。アフロさんなら貴女を守ってくれるわ」


 女将さんは、いつも手紙で私を案じてくれていた。


 そして結婚することを伝えた時、花嫁のベールをレースで編んでくれたのだ。あの山の花の刺繍を入れて。


「懐かしいです。あの頃は全てが新鮮で、楽しくて。女将さん達のお陰で幸せでした」


「これからもっと幸せになりなさい。大変だろうけど、きっと乗り越えられるわ」


 女将さんはもう泣いている。

 私も泣けてきて、化粧が落ちそうになる。


 ありがとうございます。嬉しいよう。


「ああ、本当だな。あんなにか細かったアマリリスが、こんなに立派になって。………良かった。ぐすっ」


 寡黙な旦那さんも、泣くのを堪えてお祝いしてくれた。

 里のみんなからは、チーズやバター等の大量のお祝い品が届いた。寒い国だから、体を暖める料理で元気つけてだって。ありがとうございます。みんな優しいなぁ。


 元気でいるかなぁ。


 思い返すと、私の故郷はすっかり里になっていた。

 時々里に行くと「お帰りなさい」と、迎えられたから。


 私の実母は、実母の兄との後継者争いに破れて男爵家に嫁いだ。それこそ実母の権力を削ぐ為の、兄に命じられた政略結婚だ。上手くいく訳がない。生まれた私へも、実母の愛は薄かったのかもしれない。


それでも…………。


「父親に愛されない貴女は、苦労すると思う。でも他人に期待しないで自立する力を持てば、きっと生き抜けるわ」と、熱心に教育してくれた。そして病に罹った際、父に財産を奪われないように、鏡台の隠し机に宝石をたくさん入れてくれた。金貨だといざと言う時に、重くて持ち出せないからと言って。


 その時に初めてわかった。


「ああ、私は愛されていたんだ」と。


 結局借金の為に、ほとんどの宝石は手放すことになったけど、それがあったからギリギリまで使用人達を守れたのだと思う。後妻達に盲目的で仕事が疎かな父親に代わり、拙いながらも領地の経営をしてきたから、お金なんて使う暇がなかった。それに無駄遣いなんて出来る経済状況ではなかったし。


 だからお金を使わない手芸、主にドレスのリメイクが上達していった。綻びを埋める刺繍とかね。さすがに料理はしたことがなかったけど、前世の記憶が蘇ってからはそれなりに作ることも出来るようになったし。


 だから父親から別荘に捨てられた時、

「ああ、もう私ももう、サヨナラしよう」と思ったの。


 だって前世を思い出してスキルを得なかったら、ロウソクを灯せば毒蛾が来る、ダニに刺される、毒蛇(今は蛇の目に水を浴びせて攻撃できる)が寄ってくるような所でなんて住めない。住んでいたら気持ちがおかしくなったと思う。スキルありきの今だから。


 そう思えば、やっぱり私は、あの人達と家族ではなかったのだ。

 だから本当に、親身になってくれた人達には感謝しているの。


 そして父親の兄、ケンタ伯父さんにも感謝している。

 まだ祖父が実権を握り、侯爵家の金銭を自由に出来ない時に、自分達の蓄えから金銭の支援をしてくれたのだ。

 奥様も同意だから返さなくて良いよと言って。


「アマリリスにばかりごめんな。マックは普通じゃない。父親の自覚がない大馬鹿野郎だ! 俺が当主なら、ガッツリ躾けてやるんだが、今すれば親父が庇うだろう。矛先がお前に行くかもしれん。後1年、成人になる16歳になるまで頑張ってくれ」


 そう言ってくれた矢先の別荘行きだった。


 ケンタ伯父さんが侯爵家当主を継いで、私が成人したら男爵家の当主を私にしてくれようとしていたのに。


 その目論見の前に、追い出されたかどうかはわからない。けれど継母のフャルルだったら、考えていたかもしれない。


「苦労した分、幸せになれよ。嫌になったら、今度こそ侯爵家においで。ずっと面倒をみるから! まさかあの別荘にお前を送るなんて。知ってからすぐ探したんだぞ。そしたらフロージア国で文官になってて、あの時は驚いたよ(親父は知っててほうって置いたんだとさ、幼い孫に。クタバレ、あのクソ野郎!)。」


 なんて少し仄暗い顔をして、一瞬誰かを怒っているようだったが、すぐに笑顔に戻っていた。



この子アフロのお嫁さんが、こんなに可愛いなんて。もう私ったら、どこぞのアマゾネス(女性の強い部族)を連れてくると思って、諦めていたのよ。アマゾネスが悪い訳じゃないのよ。ただ彼女達が住んでいるのが、熱帯地域なのよ。きっと寒すぎて、すぐに離縁してしまうと思っていたのよ。理想の嫁は背中を預けられる奴だとか、本気で言うんだもの。もー、本当にありがとうね、アマリリスさん。ううっ」


「いやー、本当に可愛らしいな。あいつは生涯独身だと思ってたよ。暑苦しい息子だけど、よろしくね」


 アフロ様のご両親も結婚を祝福してくれたので、ひと安心です。


「何言ってるんだ、親父。俺はアマリリスから、手編みの手袋を貰うくらい愛されている男だぞ! 心配ご無用だ。ワハハッ」


 知る人は知っている。


 だって手編みグッズ貰っている人が、わりとたくさんいるから。言わないみんなは大人です。


 自分アマリリスからも、特別なもの(プレゼント)ではないと言ったのに。



 まあ、そんな感じで、たくさんの祝福を受けて結ばれた二人。

 その後、息子と娘にも恵まれて、子育てと公爵夫人の仕事と警備の仕事に忙しいアマリリス。



◇◇◇

 そこに、新しい商人がお目通りしたいと現れた。


「お目通りして頂き、真にありがとうございます。隣国で商人をしておりますミルコと申します。この度はこちらのフローズンベアの毛皮を買い付けたいと、ご挨拶に参りました」


 密猟や脱税での横流しを防ぐ為、魔獣・猛獣の買付は公爵領にある特定の店舗に限られていた。その店舗に行く為には、警備隊長で公爵のアフロの許可証が必要であった。執務室隣の応接室でいつものように、商人に会うアフロとアマリリス。


「面を上げなさい。ミルコはバイザーナ国の商人ね。こんな所まで来るなんて、ずいぶんと熱心なようす。同業者からの紹介状を持ってくるなんて、一代目だと言うのに信用があるようですね」


「勿体ないお言葉でございます、公爵夫人」



 顔を上げた商人を見ると、その傍らに見知った顔がある。


「あら、貴女。もしかして、アイズかしら?」


「!? え、まさか、お姉さまなの?」


 突然の邂逅に、時が止まる二人。

 そして和やかな場に、ぎこちない空気が流れた。


「誰だ、知り合いか?」


 隣のアフロが声をかける。



「ええと、商人のご夫人が私の異母妹なの」


 気まずそうにそう答えるアマリリスは、激しく動悸がした。


(忘れたはずなのに、嫌な記憶が浮かんでくる。

どうしよう…………)


「大丈夫か?」


 心配するアフロに、何でもないとは言えなかった。


 今まで平気だった彼女アマリリスが、商人夫人を見た瞬間にこの顔色だ。何かあると、アフロは感じた。


「悪いが少し待っていてくれ。すぐに戻る」


「「わかりました。お待ちいたします」」


 ミルコもアイズも頭を下げて了承した。




 こうして別室に移ったアマリリスは、アフロの勢いある追求で過去の話を告げた。

 憤り二人を斬り殺しそうな形相のアフロに、アマリリスは言う。


「もう過去のことですから。それに夫の商人はその事を知らない善良な方なようですし、刀はしまって下さい。アフロ」


「っ、だが!!!」


 辛そうな彼女の様子に、アフロは納得できない。

 彼はアマリリスを愛していた。


 最初は確かに強さに、だが今は穏やかな人柄と優しい微笑みに心酔していたから。


「私に考えがあるのです。その返答で買付許可を決めましょう。私怨ではありませんが、信用に値しなければ許可は難しいですから」


 公爵ならば愛する妻を悲しませた平民など、一斬りしても文句は出ない。それはアマリリスも知っているが、あえて止めたのだ。


「まず、話を聞いてみましょう」




 その頃、ミルコとアイズは絶望の底にいた。

 アイズは全てを、夫に話したからだ。


「そうか。だから公爵夫人は気分を悪くしたのだな」


「ごめんなさい、貴方。私が悪いの。お母さまと一緒にお姉さまを苛めていたの。そして山の別荘に追い出したわ。お姉さまが公爵夫人なんて、ここにいるなんて知らなかったの。………ごめんなさい、きっと許されないわ。私は平民で、お姉さまは公爵夫人だもの。きっと私は殺される。でも貴方は関係ないもの、ちゃんと私言うわ。………だから子供達をお願いね。本当にごめんなさい………………うっ、うっ、ぐずっ」



 アイズは土下座して、ミルコに謝罪した。


 自分の命はもういい。

 それだけのことをした。


 だけど夫は、子供達は私とは違うの……………

 だから、だから、何としても私だけに。


 罰は私だけにして貰う。


 この時ミルコは、彼女が時々呟いていたことを思い出した。きっとあの時はもう、いろんなことが起こった後なんだろう。


 彼女は元男爵令嬢で、親から逃げて来たと言っていた。

 もう縁は切ったと言うから、気にしないようにしていた。平民になってやり直せば良いと思って。


 もっと話を聞いてあげれば良かった。

そうすれば、謝罪の機会もあったかもしれないのに。


 果たしてそれでも、その時点でアイズが反省したかはわからない。

 彼女は自分の保身だけしか、考えないひとだったから。


 でもこの場面においては、明らかに自分の保身は捨てていた。家族を守りたいと強く思った。


(ああ、私の愚かな行動のせいで、命より大事な家族が危険に晒されている。駄目な妻で、母でごめんね)



 そこに入ってきたアフロとアマリリスだ。

 アマリリスの顔色は未だ青白く、アフロは斬りつけて来そうだ。


 ああ、もう、きっと許されない。

 それならば……………


 再びアイズは、二人の前に土下座で頭を下げた。


「申し訳ありませんでした。お姉さま、いえ公爵夫人。

私が貴女にしたことは、許されるものではありません。

でも夫は何も知りません。

ですから私の命だけで、お許し下さい。

どうかお願いします、お願いします、お願いします……」


 彼女は泣きながら、脇目も振らず謝罪し続けた。


 それを見てミルコもその横に座り、額を床に擦り付けた。


「彼女がずっと何かに悩んでいるのを聞かずに、ここまで来た自分にも責任があります。どうか彼女の命だけはお助け下さい、子供の為にもどうか。私が罪を背負いますから。どうか、この通りです」


 あんな告白を聞いたのに、ミルコは彼女を変わらず愛していた。今までずっと尽くしてくれたことは、嘘ではないとわかるから。


 アフロとアマリリスは、顔を見合わせた。

 アマリリスは二人に、危害を加えるつもりはなかった。


 ただもう繋がりを断てれば良いと、さっきまで思っていた。


 でもこの二人を見て、考えが変わったのだ。


(アイズはずっと悪いと思ってくれていたのかしら?

だからこんなに感情を露にしているの?

そうだとしたら、どうしたら良いのかしら?)


 今までアイズへ、持ったことのない気持ちが浮上した。

 我が儘放題のあの子が、身分を捨てて商人と結婚し、子を育てている。にわかに信じられないが、変わったのだろうか?


 残念なことに、悪いと思ったのは、つい先程なのだが。


 それでも、かつて手入れの行き届いた髪は艶を失い、手もガサガサに荒れて爪も短い。そして夫と共に、こんな寒い場所に付いて来たんだろう。


 アマリリスはアフロを見つめた。

 アフロは頷き返す。


 彼女の好きなようにしても良いと、目で伝えてくれたのだ。


「ねえ、アイズ。一つ質問よ。

もしここで貴女が死んで、ミルコが再婚する。

そしてその再婚相手が、貴女の子供を私のように苛めても、貴女は平気でいられる?」


 ミルコは言葉を発しようとしたが、人指し指を口に当てたアマリリスに止められた。


 あくまでもこれは、公爵夫人からアイズへの質問なのだ。


「あっ、やっ、やだ。そんなの。

でも、もし死んだら、私は傍に居られない。

私には守れない。

ミルコはそんな人じゃないと思うけど、後妻はどうするかわからないわ。

だってこんなに、優しくて素敵な人だもの。

独り占めしたくなるわ。

えーん、やだよー。ごめんね、子供達。

私が馬鹿だから、ごめん、ごめんね、ひぐっ、うっ」



 アマリリスはそれを見て、アイズに聞く。


「私と私の母の気持ちは、少し伝わった?」


「うん、ごめんなさい、お姉さま。ごめんなさい」


 アイズは更に泣き出した。

 涙はいつまでも止まらない。


「もう良いわ。許します、アイズ。そして買付の許可も出しますわ」


「えっ、本当に?」


「まさか買付の許可まで!」


 二人は驚愕し、抱き合って泣いていた。

 そしてアマリリスに、再び土下座で感謝を述べた。


「ありがとうございます。そして本当にごめんなさい。

もう誰にも嫌なことはしない、良い人になります」


「ありがとうございました。こんな私達に寛大な計らいを。本当にありがとうございました」


「アイズの為じゃないわ。貴女の夫と子供達の為よ。甥っ子の不幸なんて望んでいないもの」


 微笑んだアマリリスは、聖母のように美しかった。




 こうして彼女達はこの国を去り、アマリリスの憂いも一つ晴れたのだ。


「帰ろうか、アイズ」

「はい、貴方。……………ありがとうございます」

「うん」

「いつまでも元気でいてね」

「うん、アイズもね」


 手を繋いで、ゆっくりと歩いていく。


 泣き腫らした顔と深まった愛を抱えて、愛する子供達の元に。





「俺の嫁は最高だな」


 アフロは優しい顔をして、背中からアマリリスを抱きしめた。


「完全にスッキリした訳ではないの。でも、もう良いわ。私、幸せだもの」


 顔色は戻りつつあるが、疲労感が僅か残る微笑を浮かべる。


「そうだな。これからも幸せはずっと続くぞ。俺はお前が大好きだからな」


 照れない男、アフロ。

 その気持ちに偽りはない。


 彼女の境遇を知り、決意はさらに固まる。


 そして照れながらも頷く、アマリリス。

 力強い夫に、何度励まされたことか。


 幸薄かった彼女には、このぐらい直球な方が伝わりやすい。


『アイズには一つだけ感謝していることがあるの。

だって家を追い出されなかったら、アフロに出会えてないから』


 だからね、許してあげる。


 彼女は忙しくも、最高の夫と可愛い子供達に囲まれて、充実した日々を過ごすのだ。


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