変わらないため
菜凪亥
第1話
ボクはきっと“推し活”とやらに向いていない性格なのだ。
先ほどまで感じていた多幸感による手足の温もりは、桜を散らす激しい雨のせいで徐々に薄れ始めているようだった。
運と縁が巡ってまた逢えたのに――浅い水溜りを蹴りながら用が無くなったイベント会場付近を後にする。
周辺には観光地や小規模な娯楽施設などが乱立しているために、朝の小雨がちらつく曇天でも、昼過ぎの大粒の雨の下でもやけに人が多かった。
二年前に桜の見物で訪れたときには活発繁盛どころか、閑散静寂だった記憶。キッチンカーなんてものは無かったし、常設のカフェも注文すれば二、三分後には美味いコーヒーが飲めていた。
二ヶ月ぶりに大阪市内に出てきたので、せっかくなら何か食べて帰ろうと思い、飲食店があるエリアを散策した。どこもかしこも人まみれ。店の外にまで伸びる列に、「待ってらんねぇ……」と小声で吐き捨てて、大人しく駅に踵を返した。
ホームに着いてすぐに電車が来たのはラッキーだった。
乗り慣れない駅から乗る、乗り慣れた電車。帰宅さえできれば何でもよかったので、先頭車両に乗り込んだ。
たまたま席が空いたので、遠慮せず座る。親の躾が行き届いていない幼児たちの無邪気な甲高い声を耳に入れないようにイヤホンを両耳にセットする。それで漸く、数十分前に終わったイベントの振り返りをしながら、脳内で反芻する。
「絶対に戻ってくるから、どこにも行かないで」
イベントの終盤に推しから言い放たれた言葉が再び降りかかる。
挑戦への覚悟と、大切な人を前に見せた寂しさと、切ない愛慕。
生き方の道理を握りしめた言葉の重みを知る人の発言は私には痒かった。
発言からそれまではずっとあったはずの、「協力して一緒に歩こう」という感覚がしなかったからである。
キミが居てボクが居る。ボクが居てキミが居る。ファンが彼らを押し上げていくことがデフォルト。時々彼らがファンに歩幅を合わせてくれ、隣で歩くような。
「変わらないため変わっていくだけ」――二年前にアナタたちが提示したリリックはどう捉えたらいい?
今まで彼らによって紡がれてきたあんな言葉やこんな言葉が数珠繋ぎになったまま下に伸びていく。
巡り続けている感覚は「ヨシ」と言われずにご飯を待ち続けている子犬だ。
確かにどこにも行かない。どこかに寄り道したとしても、二度と帰らないことは無いだろう。見送ったからには帰りを待つ。
しかし、動き続けなければならない社会で業界に生きている。どこかでその糸を切らしてしまわないようにしながら、ちょっとした冒険を余儀なくされることも可能性としてあり得る。
そう考えると、彼からの切なる願いは三割ほど約束できそうに無いなと思ってしまった。
大阪駅に着いて乗り換える。人が多くて時間がかかる最短ルートよりも、人が少なくてスムーズな大回り。ニュースで利便性を聞いただけで、実際には使ったことのない連中が一丁前に批判だけ振りかざす乗り換え口を通る。
階段を昇降して乗り換えのホームに辿り着いたときに、何かに納得してしまった自分が現れた。
ファンが見たい彼らと、彼らが魅せ続けたい姿や造形に“ズレ”があるのだ、と。
誰かを否定するような思想が出てしまったことに驚いて、思考が停止する。
違う、他人は何も関係ない。でも、“ズレ”に対する否定はできなかった。
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