クリミナルズ

hydeA

第1話 ツクヨミ

 深夜の繁華街。その明かりと喧騒けんそうが微かに届く路地裏で一人の高校生が異形いぎょう対峙たいじしていた。


 その高校生の名は藤原ふじわら隼人はやと。灰色のパーカーで頭をおおい、ジーンズにスニーカーというカジュアルなものだったが、手にはぼんやりとした、それでいてしっかりと刀だとわかる、あわく光る武器が握られている。


「わたし、きれい?」


 聞き覚えのあるセリフを漏らしながらゆっくりと近づいてくる異形はまさしく口裂け女。


 なんと禍々まがまがしい事か。血のように赤いロングコート、土気色の肌、ごわついた髪、つり上がった細い眼、片方の耳だけに引っ掛かったマスクは耳の上まで大きく裂けた口を隠せずにいる。


 隼人は先手必勝とばかりに斬りかかるが口裂け女の動きは素早く避けられてしまう。


「この前のヤツよりだいぶ速いな」


 様子見で放った斬撃で口裂け女の強さの程度をはかった隼人は攻勢をかける。


 一気に間合いを詰め、斬撃を繰り出し続ける隼人。そのひと振りひと振りには確実に仕留めるという信念が乗っている。


 口裂け女はその斬撃を身体のあちこちに受け、着ている赤いロングコートをボロボロにしながらも致命の一撃を避け続けたが、たまらず大きくジャンプするように飛び退くと、ビルの三階部分の壁面へきめんに四つんいで逆さまに張り付き、見開いた目でこちらを見ている。


 刃を上に向け、目の高さで刀を構える隼人。


 一瞬の沈黙のあと、口裂け女が隼人めがけて鬼の形相ぎょうそうで一直線に飛んでくる。その手には血と、それによるさびがこびりついたナイフ。


 対して隼人はカウンターを狙う。だが、口裂け女がどこからともなく取り出した赤い傘を目前で開かれ、視界には傘の赤しかうつらない。


 どこからどう仕掛けて来るかわからない口裂け女の次の行動を見極めようと、目から入ってくる情報に集中すると、まるでスロー映像を見ているかのような感覚を覚える。


 初めての感覚だったが、これさいわいとさらに感覚を研ぎ澄ますと、視界の左下、傘の赤のグラデーションがゆっくりと変化している事に気づく。尖った何かが向こう側から突き当てられて飛び出してきそうな気がした。


 ナイフだ。口裂け女は傘の向こうで、右手に握ったナイフを下から突き上げるように心臓狙いの角度で攻撃してきている。直感でそう思った。


 次の瞬間、鋭い金属音が鳴り響く。


 読み通りだった。傘を突き破ってきたナイフを刀で下方へ弾く隼人。


 大きく体勢を崩した口裂け女に反撃の余地はない。

 ナイフを弾いた刀をそのまま斬り返し、口裂け女を両断した。


 口裂け女が霧散していくなか、その様子をビルの屋上から見ている二人の男女がいた。男は笑みを浮かべ、隼人の戦いぶりを腕組みしながら頼もしそうに見ている。女も隼人の戦闘を見ていたが、男とは違ってゴーグル型の端末越しにアイトラッキング操作で隼人と口裂け女の戦闘データを収集している。二人とも薄い素材でできた黒い戦闘スーツを身にまとっていて、いかにも組織的に活動しているのが見て取れる。


「やっと現場に立ち会えた。恵梨香えりか、データはちゃんと取れているか?」


 男は隼人の実力に感嘆し、軽い興奮状態で満面の笑みを浮かべている。


「データ、バッチリです」


 OKのハンドサインと共に返事をする恵梨香。


「それにしても素人が単独で睡魔すいまを仕留めるとは。動きとしては素人か怪しいところだが、なかなか面白いな」


冬弥とうやさんの“面白い”。久々に聞きましたよ。どうします?声かけるんですよね?」


「もちろんだ。だがその前にアレの対処を」


 冬弥に促された先を見ると、隼人と口裂け女の戦闘の音を聞きつけた三人の若者が音の出どころを見に来たようだった。そして若者達に気を取られたその一瞬で、隼人の姿は現場から消えていた。


 現場に降りた二人は、恵梨香が若者達の相手をし、冬弥は戦闘が行われた場所を調べる事にした。


「だからガチだって!なんかヤベェのがあのビルの壁に張り付いてたんだよ!なぁ?」


「間違いねぇよ!まだそのへんにいるかもしんねぇ!」


「また二人で俺の事ビビらそうとして。そういうのマジでやめてくれよ」


 恵梨香は無言で若者達に近づき、おもむろにゴーグルを外す。


「君、こんなとこで何してんの?なにそれ、コスプレ?」


「え?けっこうかわいくね?」


 若者達の意識が恵梨香に集中すると、恵梨香の目が虹色に光り始め、その瞳に魅入みいられるように茫然とする若者達。実際に虹色に光っているわけではない。恵梨香の能力による干渉かんしょうを受けるとそう見えるのだ。


 恵梨香の能力は記憶操作。一般人が怪異と遭遇そうぐうした際、混乱やパニックを抑えるために記憶操作で無かった事にしたり、偽の記憶のり込みもできる能力だ。ごくまれだが昔から確認されている能力で、近年では能力の解析が進み、裏社会では記憶操作が可能なデバイスも開発されている。


 若者達に適当な記憶を植え付けて現場から遠ざけた恵梨香は冬弥のもとへ。


「恵梨香、これを見てくれ」


 手のひらには3センチほどのプラスチック片。


「これって……」


 含み笑いをする冬弥。


 それはプラスチック製のおもちゃの刀のつばの部分だった。先の戦闘で隼人の武器の一部が破損して現場に残されたのだ。


「頭の中にある武器のイメージを具現化リアライズしやすいよう、おもちゃの刀を形代かたしろとして使っているようだ。そして一振りで仕留めたあの威力。興味深いな」


「でも彼を見失っちゃいましたね。次はいつ会えるやら」


「こいつのおかげで追跡は楽になる。できるだけ早く解析に回してくれ」


「了解です」


 親指で弾かれたプラスチック片を受け取る恵梨香。



 翌日の朝、学校へ向かうため家を出た隼人は、隣の家に住む柊木ひいらぎ菜々子ななこに出くわす。


 菜々子は今年二十四歳。大学卒業後、入社した会社で上司に気に入られ二年目にして大口のプロジェクトのサブリーダーに大抜擢だいばってきされたらしい。このところ仕事が忙しかったらしく、隼人の通学時間に見かけるのは三ヶ月ぶりぐらいになる。仕事もようやく落ち着いて今日から通常出勤というわけだ。


「菜々子姉ちゃん、だいぶ疲れてない?」


「え?!そう見える?」


「まぁ、なんとなくだけど」


 菜々子はあわてて両手をほほにあてて肌の状態を気にしている。


 かくいう隼人も連日連夜の異形との闘いで睡眠不足も含めて疲れが溜まっていてもおかしくはないのだが、不思議と毎朝スッキリとした目覚めを迎えられていた。


 菜々子とは駅近くまでは方向が一緒なこともあり、歩きながら久しぶりの会話を楽しんだ。忙しい間は色々な種類のインスタントラーメンやコンビニ弁当を食べる機会が多かったなど、食に関する話題で盛り上がったが、バイバイと手を振って駅の入口に向かう菜々子の後ろ姿はやはりどこか疲れを感じさせた。


 午前中の授業が終わり、昼食をとりながらの雑談。お題にあがるのはほとんどの場合ゲームや漫画の話だが、どうやら最近話題になっているモンスターパニック映画があり、観に行ってきたという友人の話でモンスターの画像を見せられながら談笑。夜な夜な異形の存在を相手にしている隼人はお腹いっぱいといった面持ちだった。


 その日の夜、午後九時を回ったころ、菜々子ななことその同僚の美奈みなは会社の打ち上げの飲み会が終わり、菜々子は珍しく飲み過ぎて美奈の肩を借りて街を歩いていた。


「美奈ごめん、水が欲しい」


 菜々子の要望に応えようと目の前のコンビニへ向かうが、菜々子は今にも座り込んでしまいそうだった。


 美奈がふとコンビニとビルの間に目をやると、ついたてのように置かれた看板の向こうの暗がりにベンチが見えた。人目を盗んで入ってみると従業員用の喫煙スペースのようになっている。


 急げば大丈夫だろうと考えた美奈は、菜々子をベンチに寝かせ、水を買ってくると言ってコンビニへ急いだ。


 時間にして一分ちょっと。菜々子のもとに戻った美奈は思わず持っていた水を落とす。菜々子のすぐそばに、正面と左右に一つずつ、計三つの顔があるスーツ姿の男がこちらを向いて立っていたのだ。


 その男は美奈を見るや否や勢いよく襲い掛かる。


 恐怖の悲鳴をあげながら美奈は尻餅をつき、そのおかげで男の攻撃を避けられた。


 悲鳴を聞いた菜々子が飛び起き、意識が混濁こんだくするなかあたりを見回すと、座り込んでいる美奈を発見。


「美奈!大丈夫?」


 美奈は菜々子に触れられて身体を強張こわばらせたまま再び悲鳴をあげる。菜々子はもう大丈夫だと美奈に声をかけ続けた。


 落ち着きを取り戻した美奈が、顔が三つあるスーツ姿のお化けがいたと菜々子に訴えるが、菜々子はそんなものは見ていないという。


 夢か幻覚でも見ていたのかと、美奈は自身の酒の飲み過ぎを反省し始めた。


 落ち着きを取り戻した二人は電車の時間を確認し、その場をあとにした。


 その数分後、冬弥と恵梨香が現れる。人目もまだまだ多い時間帯ということもあって私服ではあるが、その下にはしっかりと戦闘スーツを着用している。


「反応、このあたりでしたよね」


「あぁ、間違いない。微かだが睡魔の残滓を感じる」


 一通り現場を調べた二人は、睡魔の再出現に備えて待機することにした。



 同夜、午後十一時、睡魔狩すいまがりをすべく自宅二階の自室で身支度みじたくをする隼人。ふとプラスチックのおもちゃの刀を見てつばの部分が割れている事に気づく。


「まぁ大丈夫か。コイツ自体の性能で戦ってるわけじゃないし」


 鍔の破損を特に気に留めずに身支度を完了させ、窓を開ける隼人。


 月明かりが周囲の住宅を照らし視界は良好。


 さっそく周辺から見回ろうとしたその時、隼人はすぐ近くに異形の気配を感じる。


 全身の毛が逆立つ感覚と、強制的に悪夢を見せられているような嫌悪感。


 隼人は二階の窓から一階の屋根に降り、そこから少し離れたブロック塀を足場にして道路に着地。


 気配を感じる方角には菜々子の家がある。まさかとは思いつつ菜々子の家の周辺を見回ると気配が一層強くなる。


 菜々子の家の裏手に回り込むと、そこには頭部に顔が複数あるスーツ姿の男が立っていた。


 身体の正面を向く顔は何やらぶつぶつとつぶやいており、こちらを向いている右側の顔は眠っているように見える。


 隼人が右手に持ったおもちゃの刀に念を込めると、刀身が淡く光を帯び始める。


 三つ顔は隼人から発せられる気配に反応してこちらに向き直った。その顔は眉間みけんしわを寄せ、不機嫌な表情をしており、隼人を見るやいなや襲い掛かってきた。


 頭上から振り下ろされた手を刀でガードし、あわよくば切り落とそうとした隼人だったが、その攻撃はかたく、力強く、刀を持っていた両手が弾かれ、ビリビリとしびれるほどだ。


 まともに受けると危険だと思った隼人は回避に専念。三つ顔の攻撃は振りが大きい事もあり避ける事は容易たやすかった。避けるうちにパターンをつかんだ隼人は次の大きい振りの攻撃後を狙って反撃に出ようとする。


 隼人が三つ顔のがら空きになった右わき腹を狙ったその時だった。三つ顔の頭部がぐるりと回り、眠り顔だった右側の顔が満面の笑みで体の正面に来る。


 突然の笑顔に面喰めんくらい、攻撃を中断して警戒する隼人。

すると、三つ顔は隼人の事など気にしていないかのように爽やかな顔でニコニコとこちらを見ているだけで一向にそれ以外の行動をしなくなった。


 奇妙に思いつつも三つ顔に斬りかかるが、その刃は空を斬るばかり。


 異常な回避性能を見せつける三つ顔に隼人もムキになって斬りかかるが、そうしているうちに隼人の息があがる。いったん距離を置き、呼吸を整えようと刀を下げた瞬間、三つ顔の頭がぐるりと回転し、凛々りりしい顔が正面に来た。顔ごとに行動に特徴が出るようだが、この顔はどんな動きをするのかと身構える隼人。


「さすがに苦戦してる?」


 突然横に現れた恵梨香に声を掛けられビックリする隼人。


「ヴェール展開っと」


 恵梨香の言うヴェールという霧のような粒子が隼人達と三つ顔のいる空間を包んでいき、ヴェールで満たされた効果範囲を外界から不可視、不可侵状態にする。


 初めて見るヴェールに気を取られていたが、いつの間にか隼人と三つ顔の間には冬弥が割って入っている。


 冬弥の動きは素早く、一瞬で三つ顔の懐へ潜り込むと、金属のようなグローブで三つ顔の脇腹へ強烈なボディブロウを叩き込む。


 三つ顔の頭が回転し笑顔の顔が正面にくる。冬弥の一撃が効いたらしく、回避に徹するつもりのようだが時すでに遅し。


 冬弥のたった一発の攻撃で完全に体の自由を奪われた三つ顔は慌てるように頭部をひっきりなしに激しく回転させている。


 直後、冬弥の狙いすました右ストレートが三つ顔の頭部を粉砕ふんさいした。


 三つ顔が霧散していくなか、恵梨香が菜々子の家の二階のベランダまで軽々とジャンプする。


「すごい」


「こいつのおかげだ」


 冬弥は着ている戦闘スーツを見せる。


「あなたたちは一体?」


挨拶あいさつが遅れたな。僕は稲生いのう冬弥とうや。さっきの子は宇治うじ恵梨香えりかという」


 冬弥と名乗った男は二十代前半、恵梨香はまだ高校生くらいに見えた。


 冬弥の話では、夜な夜な隼人が戦っていた異形達は睡魔すいまと呼ばれているらしく、人間が悪夢を見たとき、稀ではあるが悪夢の中の化物などを現実世界に押し出してしまい、異形として確認される事があるとのこと。その睡魔を狩る組織があり、名をツクヨミといい、冬弥達が所属しているという。


 睡魔は害があるもの、ないもの含め、一度現れ始めると発生源である人物をケアするか、その人物が死亡するまで出現し続けるのが基本らしい。先ほど恵梨香が向かった先には菜々子の部屋があり、今回は菜々子が発生源だったいうわけだ。


 菜々子のケアを終えた恵梨香が戻ってきたこともあり、冬弥は本題に入る。


「どうだろう?僕達と一緒に活動してみる気はないか?君が夜な夜な行っている活動をこのまま見過ごすわけにはいかないってのもあるが、もし、行動を共にするなら今君の中にある疑問の数々も解消できると思うが」


 隼人が睡魔狩りを始めたのは、夜ごと闇にうごめく害となる存在を知り、己に対抗できるだけの力があるのなら自分の手が届く範囲だけでも身近な人は助けたいと思ったからだ。


 これからも睡魔狩りは続けていく事を考えたら冬弥の誘いは運命的にも思えた。


 快諾かいだくした隼人はさっそくアジトであるツクヨミへと案内される事となった。



 隼人が案内されたのは自身が通う高校から二百メートルほど通り過ぎたところにある小さな寺だった。奥まった所にあるため表通りからは目立たないが、境内けいだいはしっかりと手入れがされている。


「冬弥、今日はやけに早い帰りだな」


 暗がりからの突然の声にビックリする隼人。


 声の主は冬弥の父親の慧心えしんだ。年齢は五十過ぎくらいだろうか。慧心は隼人と目が合うと近くまで歩み寄って隼人の顔をまじまじと見つめる。


「ほう。これはなかなか。どうだい?俺んとこで修業してみないかい?」


「修行ですか?」


「父さんダメだ。隼人は僕が見つけたんだ」


「へぇへぇそうですかい。隼人君、息子に愛想あいそが尽きたらいつでもおいで」


 そう言うと慧心は本堂のほうへと歩いて行った。


 隼人は寺務所じむしょに案内された。内部はイメージ通りだったが、一番奥にある部屋は窓が一枚もなく、寺務所のイメージとは合わない重厚な金属製の扉があった。その扉はいくつかのセキュリティがほどこされているらしく、恵梨香が操作して扉を開ける。


 地下へと続く階段を降りると、そこは地上の施設とは全く趣が違い研究施設のような場所だった。


「おぉ!キミが例の野良君のらくんだな?」


 隼人を見つけるなり飛びついてきたのは、桂木かつらぎるか。十八歳と若いが、幼少のころから工学全般に興味を持ち、冬弥にスカウトされて現在に至る。今やツクヨミのガジェット開発部門のリーダーであり、既存の装備も彼女のおかげで軒並みスペックアップを果たしている。ツクヨミにはいわゆる制服というものはないのだが、るかは常に白衣を身に着けている。白衣は憧れであり、白衣を着ないとインスピレーションが湧かないらしい。


「るか姉。野良君ってのは失礼でしょ。はじめまして隼人さん。ぼくは桂木かつらぎなぎといいます。ご覧の通り、ぶっきらぼうな姉ですが、悪気はありませんので姉弟共々よろしくお願いしますね」


 姉の印象と違い、優しい物腰で礼儀正しさが印象的な桂木なぎは十五才。るかの影響もあり科学に興味を持つ。素直な性格で良識があり、常に姉弟で行動を共にしていて、姉の暴走気味な性格には弟なぎの存在が必要不可欠のようだ。


「これ返しておきますね」


 なぎから渡されたのはつばの欠片だった。


 おもちゃの刀は隼人が小さい頃によく遊んでいたもので、冬弥が言うには、それも形代かたしろとしての性能を高めている一因だという。


「じゃあさっそく君の身体を調べさせてもらいたいんだが」


 そう言いながら、るかは両の手のひらを隼人に向けて、全ての指をうねうねと動かしている。


「るか姉、その前にやる事があるでしょ」


「チッ!」


「るか姉。舌打ちダメ」


 不服そうに自分の部屋に向かうるか。そのあとをなぎに案内されてついていく隼人達。


 るかとなぎの部屋には無数の機材や研究資料のようなものが置いてあったが、その様子は同じ部屋でありながら場所ごとに明確な違いがあった。なぎのスペースは物が整然としているが、るかのスペースは雑然としている。だが本人はどこになにがあるのか全ての位置を把握しているという。


 全員が部屋に入ると、さっそくツクヨミの活動に関する話になっていく。


 隼人のような一般人が睡魔狩りを行う事はかなり珍しい事らしく、ほとんどの場合は睡魔と遭遇した際に怪我を負わされたり、最悪の場合は死亡してしまう事もあるらしく、ツクヨミの介入で事故として処理され、睡魔の存在は世間には公表されていない。


 ツクヨミは日本にいくつかある睡魔狩りの組織の一つで、そのバックにはWLRA、ワールドルナリサーチエージェンシーという世界規模の特務機関の存在があるらしい。その業務内容は睡魔狩りだけにとどまらず多岐たきにわたるという。


 ツクヨミから見る隼人は、卓越たくえつした戦闘センスと隠密性おんみつせいで、その働きはすでにこの業界では一線級であり。ツクヨミメンバーとしてはぜひ組織に加入してほしかったというわけだ。


 なぎがいくつかの資料を壁の大型モニターに映し出す。それは、ここ最近のツクヨミが介入していない睡魔がらみだと思われる複数の案件だった。隼人はモニターに映し出された中で自分が関与した案件を選んでいくがその全てに隼人が関わっていて、その資料の最後には菜々子の案件もあった。


 隼人は菜々子の資料を手元のタブレットに移してもらい詳細を読んでいく。


 睡魔発生源主 柊木菜々子。二十四才。


 睡魔名【阿修羅あしゅら


 睡魔阿修羅は頭部に三つの顔を持っており、それぞれが独立した表情を持ち、体の正面に来た顔の能力が顕在化けんざいかする特性を持つ。不機嫌な顔はパワー型、笑顔の顔はスピード型、三つ目の顔の特性はエージェントによるオペレーションにより型は不明のままケア、とあった。


 この解析報告は途中経過であると前置きがあり、さらに文章は続く。


 発生源主である柊木菜々子は勤務先の会社で極度のストレスにさらされていた模様。主な原因は直属の上司である男性課長の夏目なつめという五十代の人物であり、仕事ができる有能な尊敬できる上司。交際を迫り優しく接してくる態度。交際を断るとこれまでが嘘だったかのように理不尽な要求や態度をとるなど、柊木菜々子は、上司の態度に困惑し、ストレスを感じていた模様。


 同一人物の異なる側面を目の当たりにし、三つ顔の睡魔へと発展したと推測される。最終解析結果は追って報告する。と結ばれていた。


 資料にはさらに、戦闘が行われた現場や、睡魔阿修羅の姿など、事件と関わりのある写真が数点、添付てんぷされていた。


 なぎのさらなる説明で、都市伝説で語られるものや、事件事故の大半が睡魔がらみであること。ツクヨミで活動していくという事は睡魔との戦闘も必然となり、命の危険も伴う危険な仕事だという事も強調して伝えられた。


「さて、最終確認だ。これらの内容を知っても、まだツクヨミで活動したいと思えるだろうか?今ならまだ引き返せる。引き返すというならここでの記憶は完全に消去させてもらったうえで晴れて日常生活に戻れる。もちろん身の安全を考慮こうりょし、君が単独で睡魔に挑む事がないよう処理させてもらう」


 冬弥の問いに、隼人は少しの間考えた。迷っているわけではない。すぐに返事ができるほど簡単な仕事ではないと自覚したうえで、自分の中にその覚悟があるかを自問自答したのだ。


「ぜひ!やらせてください!」


 冬弥は思わず口元が緩む。


「そうと決まれば手続き開始だな。なぎ、頼む。恵梨香は装備一式を用意しておいてくれ」


 なぎに案内され、ツクヨミ加入の正式な手続きが始まった。なかには報酬に関する書類もあり、その額面がくめんに目を見開いた。


「ちょっと待って。これって。こんなにもらえるの?」


「もちろんですよ。ぼく達の業務のなかでも睡魔と戦うのはかなりの危険を伴うものです。まぁ僕個人の考えではこれでも安すぎると思っていますが」


報酬ほうしゅうなんて考えてなかったからちょっとビックリしちゃって。だけど、こういうの見ると断然、気が引き締まるよ。頑張らなきゃって」


「ふふっ。隼人さん真面目ですね。それではここにもサインを」


 一通り手続きを終え、次に身体検査をする事となった。ストレッチャーに横になり、検査に必要な器具や装置がこれでもかと繋がれていき、るかが隼人の身体を触診すると、突然触られたことに対してビクっとする隼人。


「変な気起こすなよ」


「起こしませんよ!」


 検査が終わるまでの三十分間、黙々と作業するなぎ。るかは一人で何やらぶつぶつ言いながら隼人からとれるデータを見て終始しゅうし目を輝かせてニヤニヤとしていた。


 次に、なぎの案内で地下二階にあるトレーニングルームと呼ばれる部屋へと通された。一面真っ白で明るく、天井は高い。広さはサッカーコートの半分ほどもあり、あまりの広さに隼人は驚いた。


「ここからは恵梨香さんに従ってください」


 部屋の中央にはツクヨミロゴの入ったアタッシェケースが置いてあり、恵梨香が待ち構えていた。アタッシェケースの中には冬弥達が着ていた黒い戦闘スーツとマッチ棒ほどの金属の棒が入れられており、恵梨香の指示で戦闘スーツから身に着ける。


 戦闘スーツはタイツのように薄くできており、手で伸ばすと想像以上によく伸びて着やすかったが、勢いをつけて急に引っ張るとあまり伸びない不思議な性質がある。そしてプロテクターのようなパーツを肩や肘、膝などに装着し、戦闘スーツの準備は完了した。


「おー、似合ってる似合ってる。じゃあ次はモッドね。これ持って」


 モッドと呼ばれるマッチ棒ほどの金属に見える棒を渡された。


「じゃあ、おもちゃの刀の時みたいに武器のイメージをモッドに込めてみて」


 言われるがままイメージする隼人。すると小さかったモッドがみるみる大きくなり刀の形状に変化した。


「飲み込み早っ。もうできちゃうんだ」


「すごいですね!これ!」


「でしょ?使ってる私らはただ念を込めるだけ。ほら、あたしの場合いつもこうやって持ち歩いてる」


 恵梨香の左耳にはイヤリング形状にしたモッドが付けられている。


 素振りしたり、まじまじとモッドを見つめ、感覚を確認する隼人。


「でも、なんだかおもちゃの時より刀身も長くて……、いや、こっちのほうがしっくりくるかも」


最適化さいてきかを自動でやってくれるの。その大きさがキミにはベストってわけ」


 使用者の脳内イメージを忠実に再現するモッドは、ヒュプノニュクスという物質で作られており、桂木姉弟の発明のひとつだ。


 「おー、いたいた!やっぱここだったか!見てみろ!俺の言ったとおりだろ!」


「さんざん探してあとはここしかねんだから当然だろうが!」


 騒がしくトレーニングルームに入ってきたのは青柳あおやぎ赤羽あかばねという男二人組。年齢は二人とも冬弥と同じくらいに見える。古くからの付き合いなのか、お互いへの言葉遣いが激しく騒がしい。どうやら二人とも新人の隼人に興味津々きょうみしんしんのようだ。


「やぁ新人君、俺は青柳ってんだ!よろしくな!わかんねぇことがあったら何でも俺に聞いてくれ!なんたって俺は先輩だからな!」


「青柳、先輩風せんぱいかぜ吹かしたいんだろうが話を聞く限り、新人君はかなりデキるらしいぞ」


「そ、そうなのか?」


「くっくっく。ビビってんじゃねえよ」


 青柳と赤羽のやりとりはヒートアップし、もはや隼人関係なく二人で盛り上がってしまっている。


「あの二人は気にしないで、いっつもあんな感じだから。どう?スーツの性能、確かめとく?」


「そうだね。試してみたいけど、どうやって?」


「あの二人のどっちかに模擬戦もぎせんに付き合ってもらってもいいけど」


 隼人と恵梨香が青柳達のほうを見ると、模擬戦という言葉が聞こえた青柳達はこちらの視線に気づいていない素振そぶりで目をそらす。


 そこへポニーテールが特徴的な女性が現れた。やはり冬弥と同じくらいの年齢。戦闘スーツ越しでもわかる鍛えられた身体の曲線美が美しい女性だ。


「模擬戦!あたしが付き合うよ!」


 彼女の名は草薙くさなぎ沙織さおり。ツクヨミのエージェントの中でも一、二を争う実力の持ち主だという。


 沙織の後ろには、沙織の相棒の留美るみという女性も立っている。留美は元々沙織のクラスメイトで、過去に睡魔を発生させた際に沙織に助けられたことがあり、その時に才能を見出みいだされツクヨミでの活動に加わったのだ。


「あちゃー。沙織さんまで来ちゃったならみんなを呼ばなきゃだよね」


 沙織と噂の新人が模擬戦をするという話は瞬く間にツクヨミ内に広がり、冬弥や、るか、ツクヨミスタッフ達も、あっという間に集まった。るかは戦闘データがとれるという事でワクワクしているようだ。


「一応、補足だけど、沙織さん、うちのダブルエースの一人だから」


「え?!そうなの?!」


 恵梨香の言葉に困惑するどころか、自分の力がどこまで通用するのかという好奇心に溢れる隼人。


「ギャラリーも十分だし、始めよっか!」


 モッドを木刀のように形状変化し、互いに一礼。


「冬弥から話は聞いてるよ。強いんだって?スーツの性能の限界は知っといたほうがいいし本気で来ていいよ!」


「わかりました!よろしくお願いします!」


 余裕を見せる沙織に対して積極的に前に出ようとする隼人。


 動いてみてすぐにわかったのは本当に自分の身体なのかと思えるほど軽い事だった。素早く動ける。これならまず睡魔の攻撃は受けないのではという安心感がある。一方で気になるのは防御性能だ。身軽さ重視の作りで、いざ攻撃を受けてしまうと手痛いのではという不安。


 ツクヨミのエースの実力がどれほどなのかはわからない。互いにじりじりと歩み寄るなか、間合まあいに入ったと思った隼人はモッドで素早く突きを放つ。すると、正面に立っていたはずの沙織の姿が消えたように感じ、次の瞬間には天をあおいで倒れている隼人。わけがわからなかった。


 異常に速い。今まで相対したどんな相手よりも速い。それが隼人の受けた印象だった。


 あっけなくダウンをとられた隼人は何をされたのかわからないままだったが、受けた攻撃や、床への転倒の衝撃やダメージはほとんど感じられず、戦闘スーツの防御性能は高いと確信できた。


 隼人は起き上がりながら沙織の位置を確認する。


「――ここだよ」


 不意に耳元でささやかれ、反射的に声がしたところをモッドで振り抜くがすでにそこには沙織の姿はない。


 沙織の身体能力は常人じょうじんのそれではない。それに加え、桂木姉弟開発の戦闘スーツが沙織の能力を格段に底上げしていて、どんなに動体視力が優れている人間でも捉えるのは至難しなんわざだ。それゆえ、沙織はこの業界内、とくに海外ではミラージュの名で呼ばれている。


「君はどうやってあたしを攻略するのかな?それともこのまま終わっちゃう?」


 姿が見えないまま沙織の言葉だけがトレーニングルーム内にひびいている。


「まったく沙織のヤツ。新人いじめは関心しないな。だが……」


 冬弥の口角が上がる。隼人という原石げんせきをどう言葉で表現するか。冬弥は隼人に言葉にはできない可能性を感じているのだ。


 沙織は高速で動き、常に隼人の死角へと移動している。動いているのであればスーツどうしがれ合う微かな動作音くらいは聞こえそうなものだがまったく聞こえない。


 隼人は目を閉じる。口裂け女の睡魔との戦闘時の、視界がスローに感じられたあの感覚が今度は触覚に現れる。戦闘スーツで能力を底上げされているのは沙織だけではない。肌をでる空気の感覚。空気のざわつき。攪拌かくはんうず。隼人はトレーニングルーム内に満たされた空気の流れを高精度で触覚で感じ取り、その感覚を頼りにモッドを振るう。すると、甲高かんだかい金属音がルーム内に響き渡る。そこには隼人の攻撃をモッドで受ける沙織の姿があった。


 その場にいた誰もが驚きを隠せずにいた。もちろん沙織も例外ではない。


「捉えましたよ」


「へぇ。やるじゃん」


 自信に満ちた表情の隼人と、逸材いつざい真価しんか高揚こうようする沙織。


「今度はこっちからいきますよ!」


 主導権を握り、勢いづいた隼人の反撃。直後、鈍い音が響き渡る。


「おーい。起きてー」


 沙織の声で目を開けた隼人。沙織を捉えたそのすぐあと、沙織の一撃で気絶していたらしい。


「ごめんね。キミがすごいからつい本気でやっちゃったよー」


「ついって、そこまでは本気じゃなかったんですか?」


「えへへ、ごめん。めプしてた」


 沙織と自分の実力差を痛感させられた隼人は思わずクスッと笑ってしまった。


「まったく。このスーツ着た人間気絶させるなんてどんだけだよ。まぁいい。データは取れた。改良してリベンジしてやるよ」


 桂木るかは沙織に対して対抗心に似たものを抱いている。現場で戦えないるかは自身が開発するガジェットでエージェント達を支援する事を第一に考えている。そうする事で前線で戦う冬弥の力になれればと思っているのだ。一方で沙織には類まれな身体能力で冬弥のサポートができる。るかにとってはそれが羨ましくもあり、沙織とるかはお互いを高めあう関係にあると言える。もちろん、その中心にいるのはいつも冬弥だ。


 模擬戦後、改めてスーツ性能の確認を済ませた隼人は、少しの間休憩室でスタッフと談笑し、白み始めた東の空を見上げながら帰路についた。

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