第7話 名前で呼んで
綾小路先生の家にて。リビングのソファで眠ってしまった奈々子に先生が言う。
「今日、泊まっていく?」
奈々子はみるみる顔が真っ赤になってしまい、「え……」と固まってしまった。それを見た先生は渋い笑顔を見せる。
「あ、いきなりごめんな。驚いたよね。夜遅いからどうかなと思ったんだが。部屋も余っているし」
綾小路先生ともっと一緒にいられるなら……泊まりたいに決まっている。
「泊まっていきます……先生」
奈々子が先生の目を見つめながら言った。
※※※
「お風呂ありがとうございました」
先生の大きめのスウェットを着てリビングに入ってきた奈々子。柔軟剤のいい香りと、少しだけ先生の匂いがするような気がして頭がぼーっとしてくる。まるで先生に抱かれているような心地良さ。そんなことを考えて一人で赤面していた。
「フフ……やっぱりサイズが大きかったかな?」
先生が奈々子の着ているスウェットの袖に触れる。
「いいんです……先生の服が着れるって思うとドキドキしてきちゃった」
そう言って奈々子は綾小路先生に笑顔を見せる。ただただ嬉しい、先生と一緒に過ごせる一秒一秒が。どうしてさっき眠ってしまったんだろうと思ったが、こうやってお泊まりできるのなら良かったのかもしれない。
髪を乾かした後にソファにいる先生の隣に座る奈々子。少しずつ、少しずつ先生に近づく。身体が触れると先生は奈々子の肩を引き寄せてくれた。
あたたかい……人の温もりってこんなに癒されるんだ。人というより綾小路先生だから。綾小路先生だからこんなに心がときめいてしまうのだ。トクン、トクンという音が先生にまで聞こえていそうだ。
分けていた髪がおりている先生もかっこいい。少しだけ若く見えるような気もする。奈々子が先生の顔を見つめていると先生が照れたように笑う。
「奈々子さんにそこまで見られるとドキドキしてくるな」
「あ……つい……先生って前髪を下ろしても……素敵です」
「そうか?」
「何をしても素敵です。だからつい見てしまって……」
奈々子は先生にさらに密着している。今日は離れたくなかった。好きで好きでたまらないのだから。
「君も綺麗だよ」
「いえ……すっぴんだし」
「すっぴんの君も好きだから」
奈々子はそう言われて恥ずかしくて耳まで赤くなっていた。
「君のすっぴんを見られるのは身内以外なら俺だけだといいな」
「先生の前髪をおろした姿を見られるのも……身内以外なら私だけがいいです」
二人で見つめ合い、自然と唇が重なる。なかなか離れない唇に今日はずっと一緒にいたいというお互いの気持ちを感じる。
ぎゅっときつく抱き締められて、五十代にしてはたくましい身体つきであることに気づく奈々子。前の傘の中よりもずっと近くに感じるのは家だからだろうか。それとも心の距離がぐんと縮まっているからだろうか。あるいは先生に触れたくて仕方ないからだろうか。
「寝室に行こうか」
先生に言われて奈々子は彼について行く。
布団を敷いて横になる。奈々子は先程ソファで仮眠を取ったためまだ目が冴えていた。
「フフ……眠れないか?」
「すみません……先生は寝てください。私もそのうち寝られると思いますので」
「じゃあ……おやすみ」
先生が仰向けで目を閉じた横顔を見つめる奈々子。横顔も渋いし目を閉じた姿も愛おしい。恋は盲目なのかもしれないが、どうして全てが素敵に見えるのだろう。どうしてこんなに近づきたくなるんだろう。
奈々子は先生の布団に近づいてそっと顔を眺める。先生の寝顔がまた渋くてちょうどいい具合に皺が刻まれている。見ていると余計にドキドキしてきた。
「好き……」と言って奈々子は先生の頬にキスを落とした。
すると先生が「ん……」と言いながら目を開ける。
「あ……ごめんなさい」と奈々子は慌てている。
「ハハ……参ったな。君を抱き締めたくなるじゃないか」
奈々子の身体に緊張が走る。が、それよりも熱い何かが込み上げてくるのを感じてしまった。すぐに先生にキスをされ、頬が染まっていく奈々子。
「……どうする? 奈々子さん」
「……先生と同じ気持ちです」
すると先生は奈々子を強く抱き寄せた。寄り添うように腕を回してくれたので、彼女にとっては安心できるものだった。
奈々子は年上のおじさまの渋い香りにうっとりとしており、キスをねだる。ほろ苦さの中にやさしい甘さが混じるキスをして、共に過ごせる幸せに酔っていた。
「奈々子……」
ふいに呼び捨てにされて、奈々子は綾小路先生にぎゅっとしがみつく。胸の奥が熱く波打って、どうしようもない気持ちになった。
「私も……名前で呼んでいい?」
先生が優しく頷く。
「哲郎さん……」
先生が渋みを見せながらも照れている表情になった。そして奈々子のおでこに口付けをする。
「嬉しいよ、奈々子……好きだ」
「好きです……哲郎さん」
再び熱い口付けを交わして、気持ちを確かめ合いながら寄り添う二人。年上のおじさまの包容力には誰もかなわない。穏やかだが情熱的な大人の男性の温もりに、奈々子は安らぎとときめきを感じていた。
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