第7話:風の便りと、食べて弾ける〈ポップ〉なメロディ


 少しだけ寝るはずだったユリは、気づけば昼近くまで眠っていたらしい。


「うわ、寝すぎた……」

 

 寝起きの身体を庭でぐーんと伸ばす。草の露が足首をくすぐり、遠くで鳥の鳴き声が跳ねている。


 ――その時だった。


 どこからか、小さな音が風に乗って届いた。陽気なステップを誘うような、小さな音の行進曲。リズムはすこし外れていて、それがまた、どこか懐かしい。くすぐったいような、胸の奥に微かに引っかかるような音。


「……え? 今の……歌?」

 

 ユリは耳を澄ませる。確かに、風の先から誰かが歌っていた。ヨッピーは目を細めて、空へ視線を向ける。


「人間の世界の歌のようですね。稀にこの世界にも〈迷い人〉として現れる方がいます。香りの風が、ご縁を繋ごうとしているのかもしれません」


「……縁、かあ。人がいるなら会ってみたいな! よし、ヨッピー! 散歩行こうよ、ついて来て!」


 


 ――


 


 昼下がりのミルバザールは、音と香りが入り混じるように活気づいていた。ユリたちは、歌の聞こえた方向を頼りに通りを歩く。すると、賑やかな音に混じって、どこか楽しげな囀りが聞こえてきた。


 「こっちだ、ヨッピー!」

 

 声の先にあったのは、ひときわ目立つ屋台。鮮やかなパステルカラーで塗られた、移動型の屋台カート。車輪は大きく、風に揺れる旗がついていて、看板にはポコポコ跳ねるような香り文字で、こう書かれていた。


 【ウメちゃんのポコポコカート】


「いらっしゃ〜い! 今日もポコポコ、元気にやってま〜す!」


 くるりと振り返ったのは、白くふわふわの羽毛に黄色い鶏冠、オレンジのほっぺをしたクリクリお目目のオカメインコ……なのか、人なのか……。スラリとした人間のような足に、人間のような腕はありつつも、背中にはしっかり羽が生えている。頭には小さな帽子をのせて、くちばしの端がきゅっと上がっている。


「……ウメ、ちゃん?」


 初めて会うはずなのに、胸が締め付けられるような懐かしさを感じて、頭に浮かんだ名前で呼んでしまった。


「ん? ……あら? ユリちゃん!」


 その声と仕草に、ユリの胸が更にぐっと熱くなる。


 (……どうしてだろう。この声も、仕草も知ってる……?)


「キョルルル……ふふ、やっぱりユリちゃんだぁ。いや、びっくりしたなあ、まさかこっちでも会えるなんて。大きくなったねぇ♪」


 ウメちゃんは、ニコニコと微笑んで、ユリにそっと羽を伸ばした。ふわりと香る甘くて香ばしい匂い。それは、ポコポコカートで焼かれていた名物料理の香りと同じだった。


 


 ――


 


「これがうちのメニュー、〈ポコポコ〉。歌を聞かせたモロコをポップさせてるんだ♪ 香りを聞いてから、音を食べる料理さ!」


 ウメちゃんがカートから出してきたのは、ふわっと膨らんだ球体のつまみ菓子のようなもの。まるでポップコーンのような見た目だけれど、色とりどりで、ふれると小さく「ポッ」と弾けて揺れるような音がする。


 ユリがひとつつまんで、口に入れると――


 ポンッ♪


 まるでリズムを刻むように、音が脳に響く。その音に反応するように、口の中にほんのり甘く、香ばしい風味が広がっていった。


「……わっ、なにこれ……音が、味になってるみたい」


「でしょ? 一粒一粒がちがうメロディーでさ、口に入れたときに〈記憶の中の音〉と重なることもあるんだって」


 


 ユリはもう一粒、静かに口に運ぶ。ポン、と柔らかな音が弾けて、その一瞬、ユリの脳裏にあるメロディーがぼんやりと浮かんだ。


 ──陽気なステップ。小さな音の行進曲。すこし外れたリズム。


「……もしかして、さっき歌ってたのって、あの曲? ええと……昔、その歌が好きだった……あれ、誰だっけ……」


「ふふっ。そう。いつもあの曲聴くのに首かしげててさ、すこしズレた音で歌うのがかわいい〜ってよく言ってたよね♪」


「……え?」


 ユリの胸がずきりとした。どこかに、何かを置き忘れてきたような感覚。けれど、掴めない。香りに蓋をされた記憶が、まだ霞の中にある。


「キョルルル……ま、思い出すときは、ちゃんと来るさ。こっちでも、楽しく歌い続けてるよ♪ 今はそれで、じゅうぶんさ♪」


 ユリは、目の端を指で拭って、笑った。


「うん……ありがとう」


 


 ――


 


 帰り道、ユリはふと思い出したように、さっきのメロディーを鼻歌で口ずさんだ。すこしだけ、リズムが外れていたかもしれない。ヨッピーがふと立ち止まり、静かに目を閉じる。


「……いい香りがしましたよ」


「えっ?」


「ちょっとだけ、懐かしい香りでした」


 気付かない内に、喜びの香りの花を咲かせていたらしい。ユリは、あははと笑って、鼻歌を続けた。花は音に合わせて咲き続け、ゆっくりと香りの指輪に吸い込まれていった。音と香りと、記憶の風が交差する、そんな昼下がりだった。



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