第5話:2日酔いに効くのは、激辛と風呂!?香りで焼き尽くす〈シビビメンメン〉
「うう……なんか……すごい……」
朝もやに包まれた森の入り口で、ユリは眉間を押さえながらふらふらと歩いていた。空気に溶け込むような甘く香ばしい匂い、花やスパイスがごっちゃ煮になったような香りの渦。
「なんかこう……ごはんの匂いと、石けんの匂いと、ミントと……あれ? これ夢? 香水工場で目覚めたのかな?」
「香り酔いですね、ユリさん」
ふわりと降り立ったヨッピーが、どこか優雅に言った。ユリの肩の横に並ぶ白銀のグリフォン。羽の先がほのかにミストで濡れている。
「迷い人が初めて〈バルデの森〉の結界を超えると、香りが濃すぎて、酔ってしまうことがあるんです」
「むり……風呂いこ……風呂で香りのベタベタ流して、さっぱりして……」
ユリが倒れ込むようにたどり着いたのは、森の入り口にある湯治場〈セントゥ〉。その壁にドーンと描かれたフジャーマウンテン(富士山にそっくりの雪山)の絵が名物らしい。そして、そこに隣接しているのが、炎のようなエンブレムが揺らいでいる屋台〈シビビメンメン〉。
「……あれ?! 火、出てるけど……あれが屋台? 爆発じゃないよね?」
「安心してください、あれは……店主のサラマンダーが放つ、魂の炎です」
――
「こらーっ! そのスープ、飲まずに捨てるなって言ったろがぁぁぁ!!」
烈火のごとく燃え盛る怒鳴り声とともに、真っ赤なサラマンダーの店主が舌をチロチロと揺れる炎のように出していた。相手はふらふらとした千鳥足のキツネ獣人の青年。見るからに二日酔い……というか迎え酒してる?!
「お、おれはなぁ……味覚が鋭すぎてな、辛いもんとか、繊細に感じ……」
「嘘こけぇぇぇぇ!!」
サラマンダーが怒りとともに手を振ると、炎がスープ鍋からメラメラ立ち上がり、屋根の湯気と混ざって天まで届いている。ように感じる。その火の熱の揺らぎに合わせて、セントゥの煙突から立ち上る湯の香りが強く香ったり、弱く香ったりと、忙しそうにゆらめいている。
「なるほど。あの火で、屋台を通して風呂のお湯まで沸かしてる感じ?」
「合理的ですね」
ユリとヨッピーが同時にうなずいた。
――
「辛い物って、酔い覚ましに効くって本当かなぁ……」
ユリはふらりと席に座り、サラマンダーに視線を向ける。
「……ひとつ、ちょっとだけ。お試しで。お願いしてもいい?」
辛いもの好きのユリだったが、隣のアライグマがスープを飲むたびに小さな炎を噴き出すのを見て、恐る恐る注文した。
「辛いぞ。火が出るぞ。目玉もヒリヒリするぞ。ほんとにいいんか?」
「むしろ……それがいいっ!」
一歩引かれると、グッと押したくなるのが、人の心理だなと、痛感。
――スッ。
差し出されたラーメンは、真っ赤というよりも赤黒く光っていた。香りはどこかスパイシーで、奥に甘い匂い。スープに浮かぶ細かい粒が、パチパチとはじけている。こんな料理、見たことない。ユリがれんげをすくい、そろそろと慎重に口から喉へ運んだその瞬間――。
ボフッッ!!!
「ぷはぁぁぁああああ!!! うおおおおおっっっ!!!」
口から炎のような香りがブワッと噴き出てきた。スープの中にある〈気加熱香辛料〉が反応し、内側から〈酔いの香り〉を燃やすように消し飛ばしてくれる。
「うっわ……なにこれ! めっちゃスッキリした……!! ヘッドスパの5,000倍スッキリするよ!」
「やりますね、ユリさん」
「ヨッピーも食べる?」
「……うーん……少し、味見だけ」
ヨッピーが目をキョロキョロと動かしてから、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。れんげを持って、ちょこんと一口嘴ですする。
——沈黙。
「……」
「……どう?」
「…………まったく辛くありませんでした……」
「えっ!? うそでしょ!?」
「……悲しいです……」
ヨッピー、白銀の美しい羽をたたえた頭がふわりとうなだれる。どこまでも透き通ったように見えるルビーのようなお目々が、しょんぼり曇っていた。
「よ、よしよし! 帰ったらノーマンにお土産でもらったゴールデンモロコの種! 出してあげるからね!」
――
「ふん、今度は残さず飲み干せよ」
サラマンダーがキツネ獣人にもう一杯差し出しながら言う。彼は今度こそ両手で受け取り、ずずっと一口。
「……うっ……うま……っ! あれ?? これ、辛く……ない??!」
「激辛を無理やり食わせるのがウチのやり方じゃない。メニューをよく見るんだな。辛さは塩分控えめ、お子様用の出汁スープから1,000辛まで用意してんだぜ。好きなの食って来な!」
――
「ふぅ……香りのベタベタも、全部飛んでった〜〜!」
ユリはセントゥの湯煙の中、ヨッピーと家族風呂を貸し切りで満喫しながら、満足そうに笑った。
「朝から風呂と激辛ラーメン……これ、旅の醍醐味かも」
「アルマルカでのグルメ散歩、ますます奥が深まって来ましたか?」
——こうして、香り酔いと激辛と朝風呂が入り混じる、熱々でスパイシーな朝は幕を閉じた。
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