第1話:あったかトロあま!〈パフィルミル〉

「あれ? 待って、その名前、ヨッピーって……」


 そう言いかけた時、ユリのお腹がぐぅ〜っと鳴った。


「あ……そうだ私、甘いもの探して冷蔵庫を開けて、そうしたらいつの間にかここに……」


 冷蔵庫を開けた時の、あの甘くてふわっとした香りがまだ鼻の奥に残っている気がして、ユリは思わずお腹をさすった。


「おや、ユリさま。甘いものをお求めですか?」


 すぐそばにいたヨッピーが、ふわりと羽ばたきながらそう声をかけてきた。


「えっと……うん。そうなの。私何か甘いものが食べたくって」


 言ってから、ユリはようやく自分の置かれている状況を思い出す。


(ていうか、ここどこ!?)


 目の前にいるのは、一緒に暮らしている大好きな文鳥さんの要素をぎゅーっと集めたみたいな、美しくて優雅な……グリフォン。さっきまでは、自分の部屋の冷蔵庫を開けてただけなのに――今、自分は花が咲き乱れる草原にいて、知らない世界で、知らない空気を吸って……知らない誰かと話してる。


 でも、不思議と怖くなかった。


「ヨッピー、とっても綺麗な羽ね。触っても大丈夫……?」

 

「どうぞどうぞ。お触りください」

 

 ユリはそっとヨッピーの羽に触れてみた。月の光を編んだみたいにやわらかくて、あたたかい。


(なんでかな……すごく、懐かしい感じがする)


「それでは、少々足を伸ばしましょう。甘いものが得意なお店をご案内します」


「えっ、そんなお店があるの?  冷蔵庫の中って、カフェとかあるんだ……!」


「ふふ。ここは冷蔵庫ではなく、〈アルマルカ〉という世界です。ユリは香りに誘われて、不意に迷い込んでしまったのですね。この地にはそんな迷い人がこの世界の〈よい香り〉に魅せられて、旅をすることも多いのですよ」


 ヨッピーの案内で歩く道すがら、ユリの目に映るものすべてが新鮮だった。花の形も、草の色も、空のグラデーションも、どこか少しだけ地球とは違っていて。それでも風のにおいは、なんだか〈帰ってきた〉ような気持ちにさせてくれる。


 ――やがて、木々のあいだからふわっと香ばしい甘い香りが漂ってきた。確かに、この世界〈アルマルカ〉の香りは特別な気がする。グッと心を揺さぶられるような、くすぐられるような……なにか特別な感情が湧いてきそう。


「……いい匂い……」


 ユリは、春の陽気に包まれた石畳の広場に足を踏み入れた瞬間、思わず立ち止まった。どこからともなく漂ってくる甘い香り。それは花でも果物でもなく、焼きたてのスイーツのような、優しいミルクのような、なんとも言えない幸福感に満ちていた。


「ここが〈ミルバザール〉ですよ、ユリ。香りと笑顔が交差する街と言われています」


 ヨッピーが羽をふわりと揺らしながら言った。光を受けて輝くその羽根の一部が、かすかに銀色に光っている。街の人々がその美しさに気がついて、そっと会釈しているような姿も見える。



 

 広場の周囲には、色とりどりの屋台がずらりと並んでいた。看板はない。代わりに、屋台の上空にはふわりとした〈香りのエンブレム〉が漂っている。果実の形、花の紋様、スパイスの渦模様――香りの波紋が空中に広がり、それぞれの屋台の特徴をやさしく伝えてくるのだと、道すがらヨッピーが教えてくれた。


「あっ、ヨッピー! あそこ、見て見て。しっぽの形してる!」


 ユリが指さしたのは、ふんわりと揺れるしっぽのような形の香りのエンブレム。その甘い香りには、かすかにバニラとミルクのような香りが混じり……もうそれだけでお腹が鳴りそうだった。


「ようこそ、お嬢ちゃん。うちのパフィルミル、食べてくかい?」


 屋台の奥から現れたのは、ふかふかの毛並みに覆われたクマ系の獣人。優しげな声と大きな手で、まるでこの街全体の包容力を象徴しているようだった。


「パフィル、ミル……?」


「ミルルーダのミルクをふわっふわの生地に包んで焼いた、バザール名物さ。中はとろとろ、外はカリふわ。冷めても美味いが、焼き立ては格別だよ」


 目の前で、クマのおっちゃんが鉄板の上でパフィルミルを焼いてくれる。焼ける音、広がる香り、じゅわっと弾ける湯気。ユリの五感が一気に満たされていく。


「……いただきます!」


 手のひらサイズのパフィルミルを口に運ぶと、中からあふれたミルクが舌の上に広がった。温かくて甘くて、ほっとする。まるでこの街そのものを味わっているみたいだった。


「ん〜っ、しあわせっ!」


 ユリが思わず笑顔を浮かべた瞬間、彼女の頭上にふわっと香りの粒が生まれた。それが空中で花のように開き、小さな花になって揺れていた。


「……あれ、私から花が出てる?」


「はい、〈喜び〉から生まれた香りの花ですよ。ミルバザールではそれが一種の通貨にもなっています。香りを集めることで、誰かを癒したり、街を彩ったりもできるのですよ」


 ヨッピーが静かに語る。ユリの〈嬉しい〉が街に残る。その香りが誰かの目印になったり、元気のきっかけになったりするのだ。


 ――こんな世界、悪くないかも。


 そう思いながら、ユリはもう一口パフィルミルをかじった。


「次は、しょっぱいのも……食べたい!」


「ふふ、食いしん坊のお散歩はまだまだ続きそうですね」


 こうして、ユリとヨッピーの美味しくて香り豊かな異世界散歩は、ゆっくりと、でも確かに始まっていくのだった。

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