第10話 母と言う魔人

     10 母と言う魔人


「それじゃあ、また明日」


「ああ。また明日な」


 俺と笹崎が家の門で別れの挨拶をすると、しだれが見るからに顔をしかめる。

 彼女はどうもこの状況に、一家言ある様子だ。


「……やっぱり文香は、明日も道場に来る気なんだ? 

 今日で懲りたという訳では、全く無いのね……?」


「そうだね。

 寧ろ、ちょっと休んだら気力が充実してきて、ヤル気に満ちているよ。

 今なら世紀末覇者だって、蹴り殺せる気分」


「………」


 いや。

 世紀末覇者は、笹崎さんが思っている以上に強いと思うよ?


「でも、私としては焔君に、一寸サービスしてもらいたいかなー。

 この道場って、私としだれちゃんしか門下生が居ないんだよね? 

 だったら少し位の我が儘は通ると思うんだけど、そこん所はどうなのさ?」


「………」


 何か、無性に脅迫されている様な気がしてならない。

 そうは思いつつも、俺は一応その我が儘とやらを聴いてみた。


「はぁ。

 我が儘ね。

 分かった。

 聴くだけならタダなんで、取り敢えず言ってみてくれ」


「うん。

 私がこの特訓を一週間続けられたら――私とデートして欲しい」


「………」


 ぶっちゃけた。

 笹崎さんは、ぶっちゃけた。


 余りにストレートすぎる要求を前にして、俺は眩暈さえ覚える。


「えっと、それでも私と二人というのに抵抗があるなら、しだれちゃんも誘ってもいいよ?」


「……いや、いや、いや。

 何で私が、龍とデートしなくちゃならない? 

 そういうのは、二人きりでどうぞ。

 私は飽くまで文香のアシストをするのが、目的なんだから」


 鼻で笑いながら、しだれは言い切る。

 が、言い出しっぺの笹崎は、急に尻込みをし始めた。


「えー。

 しだれちゃんも、一緒に行こうよー。

 私も人生初デートだから、焔君と二人きりって言うのは緊張しちゃうんだよー」


 これでは、姉に甘える妹の様だ。

 けど、最近では息子のデートに母親がついてくると言うし、それほど不自然な事でもない。


 現にしだれは、笹崎を突き放し切れないではないか。


「……えー? 

 でもなー」


「いいから、いいから。

 じゃあ、決まりね。

 しだれちゃんも私達のデートに、参加決定という事で。

 というか、上手くいけばしだれちゃんも、焔君に色々アピール出来るかもしれないよ」


「………」


 マシンガンの様に喋り、しだれを押し切る、笹崎。


 今日分かった事は、暁しだれは何故か笹崎文香に甘いという事だ。

 しだれが何だかんだ言っても、最後は笹崎がしだれを言い伏せている。


 この関係性はここでも機能して、笹崎がしだれを言いくるめていた。


「……分かった。

 分かりました。

 龍にアピールとか言う話はともかく、確かにこのド変態と文香を二人きりにするのは心配だ。

 仮にデートが決まったなら、私も一応つき合うわ」


 どこか諦観する様に、しだれも納得する。

 俺はと言えば、当然の様に笹崎に釘を刺す。


「けど、本当に一週間ももつかね? 

 言っておくけど明日は更にハードに攻めるつもりだぜ、俺は」


「うん! 

 それなら大丈夫! 

 焔君とのデートがかかっているなら、私に怖い物なんてないもん! 

 明日はトラックが突っ込んでくる位の衝撃を浴びせても、構わないよ!」


「………」


 本当に元気だな、こいつ。


 弾む様に告げた後――笹崎文香はそのまま焔家を後にした。


     ◇


「んじゃ、私も帰るとしますかね。

 じゃあな、龍。

 彼女が出来そうだからって、余り浮かれるなよ」


「安心しろ。

 俺は今の所、笹崎には全く興味が無いから。

 それは、しだれも分かっている筈だろう?」


「……うっさいわ、このド変態! 

 ソレを聴かせて、私に何を安心させようって言うんだ、このバカ!」


 しだれにしては、ツッコミに迫力が無い。

 その意図する所が分からないまま、しだれも焔家から去っていく。


 俺は思わず嘆息してから、回れ右をして家に戻ろうとした。


 その時、まるでこのタイミングをはかる様に、お袋が玄関から出てくる。


「――ご苦労、ご苦労。

 どうやら、今日の稽古は終わった様ね」


「ああ。

 俺としては今日の時点で笹崎は音を上げると思っていたけど、どうやら違っていたらしい。

 笹崎の根性は本物で、あいつはどうやら一週間は頑張る様だ」


 いや、今日の時点で、笹崎を殺しかけた俺が言う事ではない。

 笹崎が音を上げる前に、俺が笹崎を殺す所だった。


 この不始末を親父辺りに知られたら、俺の方が殺されかねない。


「ええ。

 お父さんもノリで生きているから、あまり深くは考えていないでしょうね。

 龍によそ様のお子様を任せるというのが、どれほど危険な事かよく理解していない筈」


「………」


 言い返せない。

 全く反論できないよ、お袋。


 それだけの過失を、俺は今日犯してしまったから。


「それでも多少の危機感はお父さんでも感じていたのだから、龍はその事を重視しなさい。

 あのお父さんが危機感を抱くとか、余程の事なんだから」


「ああ。

 確かに、な。

 俺もそうかもしれないけど、親父も危機感が麻痺している所があるよな。

 そう言う意味ではお袋が言う通り、親父の、俺の育て方が悪かったとしか思えない」


 全面的に、親父に責任を転嫁する俺。

 今となっては、俺としてはそうする事しか出来へん。


 思わず関西弁で言い訳する位、実は俺も精神的に追い詰められていた。


 しかし、不思議でもある。

 

 俺はただ昨日の様に、異常者を殺しかけただけだ。

 だというのに俺はなぜ、こうも神経がまいっているのだろう? 


 昨日感じなかった後ろめたさを、なぜ今日は感じている? 

 俺はその違いに気付けず、お袋は唐突に話を進めた。


「で、その笹崎さんなんだけど――武さんが調査した結果を聴きたい?」


「……は? 

 お袋、武さんに笹崎の調査を依頼していたのか? 

 一体なぜ? 

 お袋は会った事も無い笹崎に、何か危険な物を感じた――?」


 だとしたら、余りに驚異的すぎる。


 驚くべき勘と言えるのだが、あろう事かお袋は首を横に振った。


「いえ、根拠は勘と言う不確かな物ではなく、もっと具体的な物よ。

 龍はどう思っているか知らないけど、私は龍がモテる訳がないと確信しているの。

 その龍に即断で告白してくるなんて、どう考えてもおかしいでしょう。

 仮にこれが事実だとすれば、世界は正に終末へと進んでいると断言できる。

 それは私も嫌なんで、縋る様に別の理由がある事を祈り、武さんに調べてもらった訳」


「………」


 ディスられた。

 形式的には母親にあたる人物に、息子としてのアイデンティティを全否定された。


 確かに俺はしだれ以外の女子とは縁が無かったが、そこまで言う事はあるまい?


「いえ、大いにあるのよ。

 何せ焔龍は、創世十字拳を使えない人間は、人間と認めていない異常者だもの。

 そんな人間を、真面な女子が好きになると思う? 

 人間扱いされていないのに、その人間扱いしていない人間を本気で好きになる? 

 仮にこの理屈が通るなら、今でも奴隷制度は続いているわ」


「………」


 それは、お袋の言う通りかもしれない。

 人間を人間扱いしないというのは、人間にとってはその存在を全否定される事に繋がる。


 言わば最低最悪の差別行為で、普通の人間なら絶対にしてはいけない事だ。

 言うまでもないが、人間関係とは自分以外の他人を同じ人間だと認める所から始まる。


 その前提が破綻していては、まず信頼関係からして築けない。

 互いの人権を尊重し合わない限り、人間はそこから一歩も前に進めないだろう。


 俺の異常な所はそうと分かっていながら、自分の考えを改めない点だ。

 いや、俺としても、持論を修正しない確かな根拠はある。


 けれど、それを語る前に、お袋が口を開く。


「ええ。

 でも、この論理とは矛盾する事に――笹崎文香には裏は無かったわ」


「……笹崎に、裏は無い?」


「うん。

 彼女は母子家庭で育った、ごく普通の高校二年生。

 十年前にお父様を亡くされてからお母様が女手一つで彼女を育ててきたようね。

 笹崎家が裏の人間と関係があるか探ってみたけど、結局白だったみたい。

 彼女は昨日まで創世十字拳の事を、まるで知らなかった筈よ。

 焔家についても何も知らずにいて、龍が創世十字拳を使える事も恐らく知らなかった。

 というより普通の家庭で育った以上、彼女が知る筈はないと言うべきね」


「………」


 やはり笹崎文香は一般人か。

 それはそうだろう。


 笹崎の気に触れた時点で、俺も分かった。

 笹崎は普通の人間で、自身を強化する術の類は一切使えないと。


 少なくとも筋力量を増やしたり、気を増幅する系の力は間違いなく使えなかった。

 それは今日一日、彼女を鍛えた俺が保証できる、唯一の事だ。


「なら、やっぱり笹崎は俺に惚れているって事? 

 俺とつき合いたいから、あんなに創世十字拳を真面目に学んでいるって事なのか?」


 自問する様に問うと、お袋は口角を上げながら肩を竦める。


「残念ながら、そうなるわね。

 いえ、別の可能性もない事もないけど、今は龍の顔を立てておく事にしましょう」


「………」


 散々俺のあり方をディスっておきながら、この母親は今更何を言っているのだろう? 

 しだれもそうだが、結局この母も俺の事は異常者だと思っているのだ。


 俺はお袋という家族を真面だと思っているのに、お袋は俺を認めてはくれない。

 その齟齬が、内心俺を辟易とさせる。


「話は分かった。

 要約すると、俺はこのまま笹崎の修行を続けて構わないって事だな? 

 それで焔家が不利益を被る事は無いと、お袋は太鼓判を押している?」


「ま、一応そういう事になるわね。

 龍に惚れているとかチャンチャラおかしいけど、今は静観するしかないみたい。

 龍に惚れているとか間違いなく真っ当な精神じゃないけど、今はただ見守りましょう」


「――一々うっさいわ。

 しだれに言われる分にはまだ許せるけど、お袋の悪口はただムカつくだけなんだよ。

 長い付き合いなんだから、それぐらい分かれ」


 今度は、俺が鼻で笑う。

 対して、お袋はニンマリと笑った。


「長い付き合い、ね。

 そういう龍は、実に理性的よね。

 お父さんが居ない日でも、私に夜這いをかけようとしないんだから。

 前々から思っていたんだけど私の魅力が通じないとか、もしかして龍って不能なの?」


「………」


 後、この母親、偶に下品になる。

 いや、それ以前に、思春期の息子にその手の話を振る時点で、この母親は詰んでいるだろう。


 俺は最早会話する気さえ失せて、そのまま自分の部屋に戻った。


 実はまだ――お袋には話すべき事が残っていたというのに。

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