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郡冷蔵

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 土地を奪い合うようにして建設・増築された廃ビル群の間に、どうにか車一台が通れる程度の細い道路が通っている。周囲のビルのせいで日照は劣悪で、日中にも関わらず、そこにはどんよりと暗い影が降りていた。

 ここは日陰者の居場所だ。洒落ではない。

 路地に面した建物に入っているのは、違法売春宿や、タバコ屋を名乗るドラッグ売買店、闇金闇医者といった表には出せないものばかりで、そこを訪れる人間もまた、太陽の下では生きられないクズばかりだ。

 その片隅、非合法カジノの軒先に、油圧機構のノイズに合わせて、巨大な拳を振り下ろす人影があった。無骨な強化外骨格エグゾスケルトンに総身を包んだ巨漢である。背中のバッテリーパックに印字されたロゴはわずかな痕跡を残して剥ぎ落とされているが、見るものが見れば、特殊警察から流れた品であるとわかるだろう。

 べったりと鮮血が付着した鋼鉄のグローブが、ヘッドギアの上に振り上げられ、再び振り下ろされる。その動作のたび、関節部の油圧ホースが蠕動運動のように収縮し、独特の怪音を奏でている。

 巨大な拳を振り下ろされているのは、もはや人影とは呼ばうべくもない、赤黒い肉の塊である。だが、それが身にまとうスーツだけはまだ原型を留めており、そのミンチされた肉種がかつて人であったことを鮮烈に印象づけていた。

 周囲には黒服にサングラスで塗りつぶされた若い男が数名おり、舞う血しぶきを前にげらげらと笑っている。うちひとりの足元には、乱雑な字で「イカサマ野郎粛清記念・ドリンク一杯無料」と書かれたチョークボードがあった。

 そこまでを一連の情報として受け取って、青年は、立ち止まっていた足を前へと動かした。すなわち、違法カジノの玄関先で展開された暴力へと。

 そうして黒服のひとりの隣にまで近づき、その肩を叩く。黒服がびくんと震えてこちらを振り向いた。

「どいつもこいつも懲りねぇもんだな。何人もこうして見せしめにされてるっつうのに、二の舞三の舞四の舞だ」

「あ、あぁ。まったくだ。馬鹿な連中だぜ」

 黒服の緊張が解れ、にやりと笑う。

 青年は黒手袋に包まれた手を黒服の肩に置いたまま、じっと目の前の肉塊を眺めた。スーツの胸元には、小さなサファイアがあしらわれたピンバッジが留まっている。

「本当に馬鹿なやつだぜ。待ち合わせに来ないと思ったら、こんなところで死んでるとか」

「何だ兄ちゃん。こいつのダチか?」

 すると、強化外骨格が各部排熱孔から熱気を噴き出しながら腰を上げる。

「ちょうどいい。お前、ダチがやらかした損失の埋め合わせをしろ。なに、俺だって鬼じゃあない。金の帳尻さえ合わせてくれるなら、イカサマ野郎のダチだろうと何だろうと目くじら立てたりしねぇさ。金の帳尻さえ、合わせてくれるなら」

 立ち上がった男が、胸部装甲の前で拳を突き合わせる。ガチン、と鈍く重苦しい音が響き、その場に静寂を生んだ。

「これの二の舞はゴメンなんだろう、なあ?」

 顔の上部を覆うバイザーの下で、口元が吊り上がる。

 青年は、黒服の肩の上でピアノをつま弾くように指をウェーブさせることを数秒繰り返し、そして答えた。

 言葉ではなく、流れる指をぐっと拳に握りこみ、黒服の頬を殴り飛ばすことで。

 黒服の身体が嘘のように宙を舞い、潰れたカエルよろしくビルの壁に打ち付けられる。

 青年は、ぎりぎりに絞った弓のように、口元に弧を描いた。

「やれるもんなら、やってみろよ」

 残りの黒服が、一斉に拳銃を抜いた。

 即座に腰を落とし、その極度の低姿勢のまま足を繰る。

 銃火炎と発砲音とが閃き、背後の地面に着弾。息を呑んだ黒服に近づき、顎の下から跳ね上げるようなアッパーカットを放つ。脳を激しく揺すられた黒服は空中で気絶し、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 そしてその瞬間には、青年は既に次の黒服に向けて回し蹴りを放っていた。めきり、と腹の横に靴がめり込んだ直後、その身体は、隣の黒服を巻き込んでゆうに数メートルの距離を吹っ飛び、折り重なったまま路上に倒れ伏す。

 しかし、最後にひとり残った黒服が、正確に敵手の胸に銃の照準を合わせ、その引き金を引いた。銃砲が轟き、その弾丸は吸い込まれるように青年に向かって伸びていく。

 青年は右腕を胸の前に掲げて防御。苦し紛れの行動に見えたが、しかし。

 きぃん、と。硬質な音が世界を裂いた。

 青年が握りこんでいた拳を開くと、そこからひしゃげた銃弾が零れ落ちていく。

「なっ……」

 言葉を失った黒服に向けて青年が飛び掛かった。動揺した黒服はもはやどうすることもできずに蹴り飛ばされ、通りの反対側のストリップバーの看板を突き破り、だらりと脱力する。

「お前、何者だ?」

 わななく強化外骨格の拳を握りしめ、問いかける。

「そっちの外骨格ガワと、似たようなもんだ」

 銃弾を受けて焼け焦げた手袋をその場に脱ぎ捨てると、その下から鈍い金属光沢を湛えた鈍錆色の拳が現れる。

強化義肢エグゾテック……なるほどな。久方ぶりに、骨のある相手というわけだ。名を教えろよ。傭兵の倣いだ。俺はフジキ・カツトシ」

「……チッ。半分だけ付き合ってやるよ。ハサマだ」

「十分だ」

 ぶしゅう、と強化外骨格が蒸気を噴き上げ、走り出す。その巨体からは想像だにできない初速から、その巨体に見合った加速を経て、巨大な鉄拳は神速の拳としてハサマの前に迫ってきた。

 ハサマは右腕を軸にその衝撃を受け流し、くるりと空中で回転して鉄拳の上に這い登った。が、直後その肩口の装甲が変形、中から回転式の連装砲筒が姿を現す。

 ハサマはぎょっと目を剥き、すぐさまその場から飛びのいた。

 わずかに遅れて、まばゆいほどの銃火炎マズルフラッシュがあたりを照らした。けたたましい音を上げながら銃弾を吐き出すガトリングが、看板から看板へ、壁から壁へと飛び移るハサマを追い、ビルの外観に銃痕を刻んでいく。

 しかし、まもなく回転砲はカラカラと音を立てながら減速、静止。肩に仕込めるだけでは、銃弾もそう多くできないのだろう。

 ハサマはビルの壁から飛び降り、地を転がって受け身を取る。剥落したビルの外壁が背中を抉って嫌な思いをしたが、うっかり足を折るよりはマシだ。

「絡繰り仕込みはもう終わりでいいのか?」

「さあ、どうだかな」

 ハサマは適当に嘆息し、その会話と会話の隙間を突くように、着地の折に拾っておいた石片を三つ、続けざまに投擲した。

 フジキがむき出しの口元をかばう。しかし、ハサマの狙いはそこではなかった。

 二つの投石は肩部装甲に弾かれたが、最後のひとつが、排熱処理中のガトリング機構に直撃。ぴしりとスパークが上がった直後、炎が噴き上がる。

 悲鳴ではなく舌打ちをしたのはフジキの屈強さの表れだった。すぐさま右肩装甲から先のパージを選択。がらがらと崩れ落ちるようにして外骨格の右腕部分が外れる。

 だが、その時間にして一秒の半分にも満たない隙は、けれど隙だ。

 ハサマの強化義肢の肘あたりがシャツの下で青白く輝き、直後、衣服の袖が吹き飛び、義肢の全体像があらわになる。

 静かに艶やかに光を反射する、流線形のしなやかなフォルム。だが、いまは肘部分の装甲が大きく変形し、腕全体に仕込まれていた鮮火を噴く円筒、否、小型噴気推進器ジェットスラスターが露出している。

 次の瞬間、ゆうに数十メートルは離れていたはずのハサマの姿が、自らのすぐ目の前にあることをフジキは悟った。極限の状況、回転し続ける思考が、まざまざとその炎をフジキの瞳に焼き付ける。

 フジキは、柄にもなく、その美しさに感嘆の息をついた。

 かくして刹那の猶予は終わり、オーバークロックされた体感時間が収束する。音すらも置き去りにした拳が、フジキの顎に触れる。

 水気のある果実を握りつぶしたような音。

 強化外骨格の内部に肉と骨と血と脳漿が一体となった混淆液がべしゃりと広がる。

 カチャカチャと音を立てて、ハサマの義肢の変形が平常へと回復する。

「……俺も、ロクな死に方しねぇな」

 誰ともなく呟き、ハサマはその場を立ち去った。

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