オオキナココロザシ

「こんな時間まで‥」

私が玄関を開く音に気付いた母親が

怒鳴るように口を開き、私を見た瞬間に口を閉ざす。

「ご飯温めるから、先お風呂入っちゃって」

そう言って、パタパタとキッチンに戻って行った。


「お母さん。」

「何よ。」

私の方を見向きもせずにぶっきらぼうに答える。

「ごめんね。」

そう言った私をびっくりした顔で見ながら、

「心配だったよ。でも、心配しすぎちゃってお母さんもごめんね。」

真っ直ぐに私を見てそう言った母親は、久しぶりに見る優しい笑顔で、でもちょっと目は腫れていて、なんだかくすぐったかった。


何にもなれない私は、もうすでにお母さんの大切なものだったというのを、やっと分かった気がした。


リビングのソファにはわかり易く貧乏揺すりをしながら、新聞を読んでいる格好をしているだけの父親がいた。

「遅かったな。」

ちょっと怒ったように言うのに、なぜかホッとした声でそう言った父親の目も腫れていたし、テーブルの上にはくしゃくしゃになったティッシュがそこかしこに散らばっていた。

聞いてもいないのに、

「風邪でも引いたのか、鼻水が止まらなくてな」

そう言って、慌てたようにそれを片付ける。


テレビ台の下にあるアルバムを入れている棚がほんのちょっと変わっていた。

2人でアルバムでも見ていたのだろう、そしてなかなか帰らない私を一緒に心配していたのだろう。

最近、2人が会話をしているのをあまり見ていなかったから、ちょっとだけ“子宝”になった気がして嬉しくなった。


「まだ進路悩んでもいいかな」


不思議とダメと言われる気がしなかった。



「お前の人生なんだ。好きにしろ」

そう言ってくれる父親に、救われた気がした。


「うん‥。時間、かかるかもだけど」

「お母さんもお父さんも、あなたが幸せならそれでいいのよ」

ありきたりの言葉だと思うかもしれないが、今はそのありきたりの言葉が陽だまりのように感じられた。


くすぐったくて、歯がゆくて、

逃げ出したくなった私は、

「シャワー、浴びてくるね」

そう言ってリビングを後にした。


すっかり汗も乾いて、青少年の香りを漂わせた制服を無造作に脱ぎ捨て、部屋着になっていた中学時代の体操服を着て浴室へと向かう。


鏡に映る自分は、酷い顔をしていたけど

あどけないあの頃の面影をまだ残していた。



上から降りかかる熱めのお湯をいつもより少しだけ長く浴びた。

私にへばりついたヘドロを洗い流してくれる、そんな気がして頭から爪先まで、いつも以上に念入りに洗ってみた。

洗濯機で靴を洗うときのように灰色で触れるのもためらうような“ヘドロ”は簡単には流れないけれど、

こまめに洗えばやがてピカピカに戻ることだろう。

新品にはなれないけれど、薄汚い中古品ではなく、新古品と呼ばれる、そんなモノになれたらいいなと思う。


ドライヤーで髪を乾かし、

中学入学以来、あまり切らなくなった前髪を

ハサミで切った。少し失敗して、思ったよりも短くなった前髪は、ラップのCMに出ていたあの少女たちのようだった。


いい匂いのするリビングの扉を開けた。

“お母さん”は目を丸くして‥笑った。

“お父さん”も笑っていた。

「前髪、切りすぎちゃった」

恥ずかしくなってそう言うと、


「似合ってるよ」

声を揃えてそう言うものだから、

なぜだかどうでもよくなって、テーブルに並べられたご飯の前に座って手を合わせた。


私の大好きな、お母さんの作る唐揚げは最近もよく作ってもらっていたけれど、

久しぶりにすごく美味しく感じて、ちょっとしょっぱかった。

そんな私をそっと見守りながら、

お父さんとお母さんはまた声を揃えて、

「美味しい?」

と。




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